徒然草独歩の写日記

周防東部の徒然なるままの写日記

鞍掛城主杉氏の菩提寺、旧祥雲寺跡を訪ねて

2012-10-24 23:29:18 | 歴史散策

玖珂公民館主催の「玖珂まち・ふるさと歴史散歩」に参加。

水無川の地下ダム・寺ケ浴の旧祥雲寺跡・比叡神社・谷津神楽舞場・亀井水等、谷津の史跡めぐり。

鞍懸合戦のとき、毛利元就が杉隆泰の鞍掛城を搦め手側から攻めた際、先ず最初に火を放ったといわれる寺ケ浴の旧祥雲寺跡へ。松岡睦彦先生の説明を受けながら谷川に沿って、山道を登る。かっての杉氏菩提寺「祥雲寺」は二十四坊を擁する大寺だったそうだ。途中坊跡石垣と更地が狭い浴の両側に多数散見される。山道は細く浴の最上部付近は道なき道も。谷川に下りたり上がったり、50名が一列になって進む。

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                                         旧祥雲寺跡(玖珂寺ケ浴) 

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本堂跡と思われる場所は広く2000㎡、石垣も立派で二重に。寺や坊跡と言うより沢沿いに作られた砦のような感じ。

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史跡巡りの最後は、玖珂本町の祥雲寺「薬師堂」へ。

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宝山祥雲寺は弘治元年(1555)十月鞍懸合戦により焼失破却され、江戸時代初期慶安年間に吉川広家の扶助により野口に再興され城泉寺と改められていたが、元禄十四年(1701)現在地に移し、さらに元文四年(1739)に寺号を復活。近年本堂の老朽はなはだしく平成十六年十月これを解体、財政的難苦のなか有志によって平成十九年十一月薬師堂が再建された。

この寺は独歩が当地に住み始めてから、最初に訪れた寺でした。本堂の屋根は朽ち、倒壊防止の鉄枠で囲われていたのを記憶しています。下の写真は昭和30年ごろの祥雲寺。まだ鐘楼が健在です。       

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本堂内安置の奈良時代作といわれる「薬師如来座像」や室町時代作といわれる「先手観音像」、江戸時代の「涅槃図」等、貴重な宝物を拝謁させてもらいました。

本尊薬師如来座像は毛利側に火を放たれる前に、僧達によって運び出されたといわれています。

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             祥雲寺本尊薬師如来座像

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ところで、本堂内に平成十九年十一月落慶法要関係者の記念写真が。

右端の人物が気になる。どこかで見た顔だ。礼服を着用しているので別人に見えるが、錦帯橋ならぬ錦城橋の常連、横山のNさんだった。錦帯橋架け替えの宮大工に同行、寺の再建プロジェクトの一員として、再建工事の写真撮影を担当したそうだ。ご苦労さん。

 


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