お久しぶりのブログです
先月は仕事も忙しく、慣れない5日勤で(月~金まで。)しかも日勤なのに(7時半過ぎには病棟にいます)家に着くのが連日23時を過ぎ…休みを指折り数えてしまう、そんな月でした
。5日勤というのはナースの世界では逆につらい
。間に夜勤があったり休みがあったほうが都合が良かったりするんです。平日をフルで働いているOLさんの気持ちがわかります。5月のことも書き残しがあるのに気付けばもう7月。もうすぐ梅雨が明けますね
。今月は少し時間に余裕もできるかなーと思われるし書き溜めておいたことをたくさん書こうと思います
。
まずは6月に起きた大事件。一番のトピックスです。
6月10日(土)、御蔵島にドルフィンスイムをしに行き、ボートの転覆事故に遭いました
。
東京を出発するところからこのブログを書いていきます。
6月9日(金)竹芝桟橋にドルフィンスイムツアーのメンバーが集合。
私は職場の親睦会
があったので一番最後の21時半くらいに合流しました。
メンバーは男性陣は、お世話になっているダイビングショップのSさん、顔見知りのN1さん、N2さん、初対面のTさん、女性陣は一度お会いしたことのあるIさん、同僚のEさん、そして私の7名です。
TさんとIさん以外はドルフィンスイムは経験者です
。
22時乗船開始。
船は「サルビア丸」。御蔵島までは条件付きの出港です。条件付きとは、海洋状況次第では御蔵島には到着しないで次の港である八丈島に行く可能性、もしくは東京に戻ってくるかもしれないという意味です。だいたい、いつも条件付きでの出港になります。出港できないときももちろんあります。御蔵島に行くときはいつもスリリングでドキドキです
。デッキは一番船底に近いところです。そこで明日の御蔵島に到着してからの流れをSさんにしてもらって消灯前に就寝。酔い止めを飲んだせいかかなり爆睡しました。
6月10日(土)
朝、5時前くらいに船内が一度明るくなり、三宅島で降りる方たちの下船準備が始まります。三宅島はまだ雄山から有毒ガスが発生しているためみなさんガスマスクを装着しての下船です。雄山が噴火する前は三宅島にStayして漁師さんの船で御蔵島に行って・・・というパターンが多かったのです。三宅島に何度か行きましたが、サンゴもきれいだし
食べ物はおいしいし、人は温かいし素敵な島です
。
三宅島を出港して、40分くらいでしょうか。御蔵島です。無事に港に着けそうです。さるびあ丸の船長ありがとう
。



着いたー♪
御蔵島上陸~。
上陸したということは。。。帰りはどうなるかわからないと覚悟をする瞬間でもあるのです。(欠航する可能性もありますから
)。
サルビア丸ありがとう
。
そしてお世話になる御蔵荘の車へ
。
急坂を登り、宿へ
。
早朝ドルフィンのため、すぐにウエットスーツに着替えてフィン、マスク、シュノーケル、カメラを用意。
乗船する船の車が迎えに来てくださり再び港へ。乗る船は「吉栄丸」。船長はここ2年くらいお世話になっている若船長です。その前は若船長のお父さんのボートに多く乗っていました。
そこには私たちとは別に男女2人がいまして船長含め10名でボートへ乗り込みました。
乗ってすぐに出発。座りやすいように3人ずつくらいが腰掛けられる椅子が3列あります。私は初めは2列目の左端に座りました。三宅島を左に、御蔵島を右側に見ながら島を時計周りするように走り始めました。
私の前には男女2名とN2さんが座り、男性とN2さんは初対面ながらも和気あいあいと話しているのが印象的でした。
御蔵島は雨が多く、水が豊富で、島のあちこちで自然な滝が見られます。

とても幻想的で大好きな景色です。島を半周くらいしたところだと思いますが黒潮に当たり、海の色が変わったのがわかりました。
しかし、、、イルカに出会えない、、、
いつもなら、割とすぐに会えるのですが、島を半分以上周ったのに、、、。
まあ、野生の生き物だし会えないのも仕方がない、今までがラッキーだったんだーとも思っていました。
そうそう、御蔵島は世界的に有名なドルフィンスポットです、イルカが御蔵島周囲に回遊ではなく定着している貴重な場所です。イルカの研究家たちもたくさんやってくるそうです。ジャック・マイヨールさんやモイヤー先生も生前は何度か訪れていた場所です。
話を元に戻しまして、、、
。
かなりの時間、イルカと会えないまま、ただ時間だけが過ぎていました。三宅島の端が見え始めたのでもうそろそろ島を1周してしまう、早朝ドルフィンはこのまま終わりかーと思った矢先、、、
「いた~、イルカ」。いました
。イルカの背びれが何頭か見えます
。
船長が私たちが無駄に泳がなくてもいいようにいい場所に船の位置を整えてくれて「いいよ~」と合図。
みんな、海の中へザブン
。私はとりあえず「お邪魔しまーす」と心の中で言いながら海の中へ。イルカがいました、いました。ちびっ子イルカもいる
。
何頭か、からんで遊んでくれた
。わーい
。
数分後、イルカたちは去ってしまいました。でも諦めかけてたとこに会えてよかったー
。
さあ、ボートに上がって次の遊んでくれそうなイルカさんを探しに行こう
と思い、ボートのほうへ泳ぐ。
んっ?
少しうねってる。ボートがうねりを受けてかなり高低差があるわ。
早く上がったほうが無難だ。
はしごを使い、一番にボートへ上がる。すると船底に水が入っていて置いてたカメラも浮いている
。
かぶるような波なのか、、、。
続けてTさんが上がる。そのあと、同僚のEさんが上がろうとするけど、うねりがあり、なかなかはしごに近づけない。船長が浮き輪を投げ、Eさんは浮き輪につかまりながらボートに近づく。Eさんが上がるのをお手伝いし、そのあと、順番に全員上がる。
結構、みんなこのボートに上がる動作でやや疲れた感じ
。
私は2列目の右端に座り、隣にいたEさんに「船の底に水があって、映画の海猿みたいだったよー」なんて話をしていました。そしてボートが再び走り始めました。
しかし、走り始めなのに早くない
。岸の方に向かっているけど、、、と後ろで操縦している船長の方を振り向いた時、
「えっ?」。
今まで見たこともないような高波が真後ろにあったんです
。ビルの3階位の高さはあったんではないでしょうか?結構背の高い船長が小さく見えましたから、、。
よく、テレビでハワイのサーファーのこととかの特集の時に、サーファーが波のトンネルをくぐっていくでしょ?
あんな波です
。
よくわからないまま、前を見たら更にスピードがアップしてて、本当に岸に乗り上げちゃうよ~と思った途端に、ド~ンと強い衝撃を受けて海の中へ
。
頭に着けていたマスクとシュノーケルが飛んでいったのはすぐにわかりました。そのあと、いろんな人にぶつかりながら、まるで自分が洗濯機の中にいるような、体勢もどんな風になっているのかもわからないまま、どこか上なのか下なのかもわからず、波の勢いにのまれてました。
初めて、水の中で苦しいと思いました。死んじゃう?とも思いました。でも、多分放り出されて何十秒だとは思うのですがその中で、「死にたくない。帰りはマリンさん
が竹芝に来てくれるのにー。約束してるもん」などとも思っていたんです。
そしてようやく顔を海の中から出したとき、みんなの顔も見えました。でも、それと同時にまた大きな波が後ろから迫ってきて飲み込まれました
。
波の中でどうにもこうにもならず、なすがまま、、、苦しい、、、。今度は両親の事が頭に浮かびました。「死にたくない」。
2回目、顔を上げると、目の前にひっくり返っているボートがありました。これにぶつかったら怪我をする、なんてとっさに顔をガードしたのを覚えてます。
また波にのまれ、次に顔をあげると目の前に大きな岩がありました。
これもよけなきゃいけないと思ったのですが、運良くぶつからず、確か次の波で岸にたどりついたように思います。私の斜め左前に船長がいたのと右斜め後ろにN2さんがいて、N2さんが「岸に上がったほうがいい」という合図をしたので、そこからは力を振り絞ってウエイトベルトとフィンをはずして、立ち上がって波がかからないところまで行きました。呼吸を整えたあと、海のほうをみると、Eさん、Iさん、Sさんがまだ海の中にいました。
3人が海にいるのを見てインストラクターのSさんがいるから大丈夫とも思いながらも、上がってこられるのか心配でした。もしかしたら先日受講したACLS
講習で学んだことを実践しなければいけないかもしれないとも覚悟しました。私はただ、「ガンバレー」といいながら3人が流されていく方向に必死に付いていこうと岩場を歩きました。
かなり流されながら3人が上がり、呼吸もちゃんとできているのを確かめてホッとしました。ただ、Iさんは唇を切って流血していました。私も手の甲を切っていました。ブーツの代わりのウエット生地の靴下のようなものは岩場を歩いたせいか穴が開いていました。N1さんは転覆したときに船のロープが足に3重にからまり、あの波のなかで解いていたそうです、だからか岩の上で仰向けになってかなり体力を消耗していました。
みんな、とりあえず、歩ける状態で無事
。良かった。みんな助かった。
船長が「みんな、ごめん」と頭を下げ、謝る。でも、今はそれよりもみんな助かった、それがうれしかった。
気付いたら左手の人差し指にしていた指輪もなくなっていた。私の身代わりになってくれたのかな。
そして、ここからどうやって帰るか。。。その前に塩水を飲んだせいか口の中が辛くてのどもカラカラ。
御蔵島はいたるところで滝が流れているのですがここにもありました。船長に飲めるか確認すると問題ないとの事。顔を洗ったり水を飲む。ペットボトルもあったのでそこに水を入れる。
滝のそばにロープがあり、その先に足場のような、階段のようなものがある。
船長より、「山を登れば工事現場があるから作業している人がいるはず。ここが唯一村に通じるところです」。
みんな、体力は消耗しているけど歩ける。ここしか帰る手段がないなら行くしかない。ブーツもなくした人もいて裸足の人もいる。
慎重に、登る。一番は最後まで海にいたEさん。体力はかなり消耗しているはずなのに「ここはぬかるんでいるから気をつけて」などと注意を呼びかけてくれる。
途中、斜面が90℃のところを登ったり、かなり古い足場を渡ったりして怖かったけど、そんな私たちを和ましてくれたのがアジサイやらたくさんのお花でした。
30分以上登ったでしょうか?
ようやく登りきって広場のようなところへ。
人は、、、いない
。でも、車
のエンジンの音がする。
船長が「助けてください」とその車の運転手に呼びかけた。
村に住んでるおばさんだ。携帯
も持っている。
おばさんに事情を話し、船長と、頭を怪我しているTさんと今日、帰る予定の男女を先に乗せて村に行ってもらった。
残されたメンバーは迎えの車が来るところまで歩いていこうと、ゆっくり歩き始めました。
そしてみんな、興奮気味に「助かってよかった」と口々言っていました。しかし、ここで男と女の違いに気付くとは思わなかったのですが男性陣はカメラを流されたショックがかなり大きかったみたいです。それもそのはず。かなりいいお値段のする品々ですからね。
女性陣は「助かったんだからいいじゃん。命には代えられないよ」と前向き。
男性陣は「女は強いなー」などと感心していました。
しかし、不幸中の幸いというんでしょうか、、、。
転覆したのは不幸でした。九死に一生を得るとはこういうときに使うんだなーと思いました。
しかし、そのあとは、誰か、未来日記でも書いているのではないかというくらい、順調に事が運ばれていたように思います。転覆した場所もあの場所でなければ御蔵島は断崖絶壁の島なのでずっと海の中に取り残されるか衝突して最悪、死亡事故になっていたかもしれまん。それがあの場所で、全員軽傷で助かって、滝があって、村に通じる唯一の階段があって、車と携帯を持った村の人がいて、、、。
不思議でなりません。
迎えの車と合流。迎えに来た観光協会の方も血相が変わっていました
。不思議なもので、車に乗って安心したのか、今まで痛みを感じなかったのにいろんなところが痛くなってきました
。とりあえず診療所へ。さきほど頭を怪我したTさんが頭の傷を縫合してもらっていました。その時間がかなりかかるということで、まずは宿に戻り。お風呂に入りました。
そのときに感じたのが「お湯ってあったかい」。普段、当たり前に思っていたことがすごく大切に思えた瞬間でした。
お風呂に入ったあとに改めて診療所へ。
私は左手の甲を打ったのか腫れていたのでレントゲンを撮りましたが骨には異常はないとのことでした。それと前胸部を打ったのか咳をしても痛い状況でした。
とりあえず湿布をもらい、様子観察。途中、警察の方から事情聴取される。まじまじとおまわりさんの身に着けているものをみると、手錠ってシルバーではなくて黒なんですよ
。新たな発見。
みんな診察が終わり、あんなことがあったけど、やはりお腹が空いている。これも生きているからこそ
。
村に唯一ある定食屋さんへ。私は餃子定食
。おいしー。幸せだー
。
食事中、1m以上はあるだろう、白のようなクリーム色のような蛇がそばを通りかかる
。でもきっと御蔵島の神様の使いかもしれない、、、、。
昼食後、事故の振り返りをツアーの参加者7名で行う。船長に聞きたいことなどを全てSさんがまとめて船長に話してくれることになった。
「今回は最悪なドルフィンスイムになったけど次は楽しいドルフィンスイムがしたい」。それが私たちの願い
。
あの波は御蔵島の方たちが1000回に1回の波と言っていました
少し、落ち着いた頃にマリンさん
へ電話。auは御蔵島は前はつながらなかったけど、今はつながる。ラッキー。
マリンさんは「もしかして御蔵島で降りれなくて竹芝に戻ってきたの?」と思ったみたい。
でも私が事情を話すとかなり驚いていました
。そりゃ、そうですね。
両親には毎度のことだからと今回に限って御蔵島に行くことを言うのを忘れていた
。でも、心配かけるから言わないでおこうなんて思ってました。
考えてみると6月10日は両親の結婚記念日です。もしかしたら守ってくれたのかな?
ちなみに6月10日は「時の記念日」。両親は「いつまでも二人で同じ時を重ねていきたいから」とこの日に入籍したそうです
。ロマンチストなんですよねー。
その日の午後は夕飯を食べたあとおみやげを選んだりして20時には寝てました。翌日は体の状態を見ながら行けるならドルフィンスイムをしようと思っていました。





まずは6月に起きた大事件。一番のトピックスです。
6月10日(土)、御蔵島にドルフィンスイムをしに行き、ボートの転覆事故に遭いました

東京を出発するところからこのブログを書いていきます。
6月9日(金)竹芝桟橋にドルフィンスイムツアーのメンバーが集合。
私は職場の親睦会

メンバーは男性陣は、お世話になっているダイビングショップのSさん、顔見知りのN1さん、N2さん、初対面のTさん、女性陣は一度お会いしたことのあるIさん、同僚のEさん、そして私の7名です。
TさんとIさん以外はドルフィンスイムは経験者です

22時乗船開始。

船は「サルビア丸」。御蔵島までは条件付きの出港です。条件付きとは、海洋状況次第では御蔵島には到着しないで次の港である八丈島に行く可能性、もしくは東京に戻ってくるかもしれないという意味です。だいたい、いつも条件付きでの出港になります。出港できないときももちろんあります。御蔵島に行くときはいつもスリリングでドキドキです

6月10日(土)
朝、5時前くらいに船内が一度明るくなり、三宅島で降りる方たちの下船準備が始まります。三宅島はまだ雄山から有毒ガスが発生しているためみなさんガスマスクを装着しての下船です。雄山が噴火する前は三宅島にStayして漁師さんの船で御蔵島に行って・・・というパターンが多かったのです。三宅島に何度か行きましたが、サンゴもきれいだし


三宅島を出港して、40分くらいでしょうか。御蔵島です。無事に港に着けそうです。さるびあ丸の船長ありがとう




着いたー♪

上陸したということは。。。帰りはどうなるかわからないと覚悟をする瞬間でもあるのです。(欠航する可能性もありますから

サルビア丸ありがとう


そしてお世話になる御蔵荘の車へ

急坂を登り、宿へ

早朝ドルフィンのため、すぐにウエットスーツに着替えてフィン、マスク、シュノーケル、カメラを用意。
乗船する船の車が迎えに来てくださり再び港へ。乗る船は「吉栄丸」。船長はここ2年くらいお世話になっている若船長です。その前は若船長のお父さんのボートに多く乗っていました。
そこには私たちとは別に男女2人がいまして船長含め10名でボートへ乗り込みました。
乗ってすぐに出発。座りやすいように3人ずつくらいが腰掛けられる椅子が3列あります。私は初めは2列目の左端に座りました。三宅島を左に、御蔵島を右側に見ながら島を時計周りするように走り始めました。
私の前には男女2名とN2さんが座り、男性とN2さんは初対面ながらも和気あいあいと話しているのが印象的でした。
御蔵島は雨が多く、水が豊富で、島のあちこちで自然な滝が見られます。

とても幻想的で大好きな景色です。島を半周くらいしたところだと思いますが黒潮に当たり、海の色が変わったのがわかりました。
しかし、、、イルカに出会えない、、、
いつもなら、割とすぐに会えるのですが、島を半分以上周ったのに、、、。
まあ、野生の生き物だし会えないのも仕方がない、今までがラッキーだったんだーとも思っていました。
そうそう、御蔵島は世界的に有名なドルフィンスポットです、イルカが御蔵島周囲に回遊ではなく定着している貴重な場所です。イルカの研究家たちもたくさんやってくるそうです。ジャック・マイヨールさんやモイヤー先生も生前は何度か訪れていた場所です。
話を元に戻しまして、、、

かなりの時間、イルカと会えないまま、ただ時間だけが過ぎていました。三宅島の端が見え始めたのでもうそろそろ島を1周してしまう、早朝ドルフィンはこのまま終わりかーと思った矢先、、、
「いた~、イルカ」。いました


船長が私たちが無駄に泳がなくてもいいようにいい場所に船の位置を整えてくれて「いいよ~」と合図。
みんな、海の中へザブン


何頭か、からんで遊んでくれた


数分後、イルカたちは去ってしまいました。でも諦めかけてたとこに会えてよかったー

さあ、ボートに上がって次の遊んでくれそうなイルカさんを探しに行こう

んっ?
少しうねってる。ボートがうねりを受けてかなり高低差があるわ。
早く上がったほうが無難だ。
はしごを使い、一番にボートへ上がる。すると船底に水が入っていて置いてたカメラも浮いている

かぶるような波なのか、、、。
続けてTさんが上がる。そのあと、同僚のEさんが上がろうとするけど、うねりがあり、なかなかはしごに近づけない。船長が浮き輪を投げ、Eさんは浮き輪につかまりながらボートに近づく。Eさんが上がるのをお手伝いし、そのあと、順番に全員上がる。
結構、みんなこのボートに上がる動作でやや疲れた感じ

私は2列目の右端に座り、隣にいたEさんに「船の底に水があって、映画の海猿みたいだったよー」なんて話をしていました。そしてボートが再び走り始めました。
しかし、走り始めなのに早くない

「えっ?」。
今まで見たこともないような高波が真後ろにあったんです

よく、テレビでハワイのサーファーのこととかの特集の時に、サーファーが波のトンネルをくぐっていくでしょ?
あんな波です

よくわからないまま、前を見たら更にスピードがアップしてて、本当に岸に乗り上げちゃうよ~と思った途端に、ド~ンと強い衝撃を受けて海の中へ

頭に着けていたマスクとシュノーケルが飛んでいったのはすぐにわかりました。そのあと、いろんな人にぶつかりながら、まるで自分が洗濯機の中にいるような、体勢もどんな風になっているのかもわからないまま、どこか上なのか下なのかもわからず、波の勢いにのまれてました。
初めて、水の中で苦しいと思いました。死んじゃう?とも思いました。でも、多分放り出されて何十秒だとは思うのですがその中で、「死にたくない。帰りはマリンさん

そしてようやく顔を海の中から出したとき、みんなの顔も見えました。でも、それと同時にまた大きな波が後ろから迫ってきて飲み込まれました

波の中でどうにもこうにもならず、なすがまま、、、苦しい、、、。今度は両親の事が頭に浮かびました。「死にたくない」。
2回目、顔を上げると、目の前にひっくり返っているボートがありました。これにぶつかったら怪我をする、なんてとっさに顔をガードしたのを覚えてます。
また波にのまれ、次に顔をあげると目の前に大きな岩がありました。
これもよけなきゃいけないと思ったのですが、運良くぶつからず、確か次の波で岸にたどりついたように思います。私の斜め左前に船長がいたのと右斜め後ろにN2さんがいて、N2さんが「岸に上がったほうがいい」という合図をしたので、そこからは力を振り絞ってウエイトベルトとフィンをはずして、立ち上がって波がかからないところまで行きました。呼吸を整えたあと、海のほうをみると、Eさん、Iさん、Sさんがまだ海の中にいました。
3人が海にいるのを見てインストラクターのSさんがいるから大丈夫とも思いながらも、上がってこられるのか心配でした。もしかしたら先日受講したACLS
講習で学んだことを実践しなければいけないかもしれないとも覚悟しました。私はただ、「ガンバレー」といいながら3人が流されていく方向に必死に付いていこうと岩場を歩きました。
かなり流されながら3人が上がり、呼吸もちゃんとできているのを確かめてホッとしました。ただ、Iさんは唇を切って流血していました。私も手の甲を切っていました。ブーツの代わりのウエット生地の靴下のようなものは岩場を歩いたせいか穴が開いていました。N1さんは転覆したときに船のロープが足に3重にからまり、あの波のなかで解いていたそうです、だからか岩の上で仰向けになってかなり体力を消耗していました。
みんな、とりあえず、歩ける状態で無事

船長が「みんな、ごめん」と頭を下げ、謝る。でも、今はそれよりもみんな助かった、それがうれしかった。
気付いたら左手の人差し指にしていた指輪もなくなっていた。私の身代わりになってくれたのかな。
そして、ここからどうやって帰るか。。。その前に塩水を飲んだせいか口の中が辛くてのどもカラカラ。
御蔵島はいたるところで滝が流れているのですがここにもありました。船長に飲めるか確認すると問題ないとの事。顔を洗ったり水を飲む。ペットボトルもあったのでそこに水を入れる。
滝のそばにロープがあり、その先に足場のような、階段のようなものがある。
船長より、「山を登れば工事現場があるから作業している人がいるはず。ここが唯一村に通じるところです」。
みんな、体力は消耗しているけど歩ける。ここしか帰る手段がないなら行くしかない。ブーツもなくした人もいて裸足の人もいる。
慎重に、登る。一番は最後まで海にいたEさん。体力はかなり消耗しているはずなのに「ここはぬかるんでいるから気をつけて」などと注意を呼びかけてくれる。
途中、斜面が90℃のところを登ったり、かなり古い足場を渡ったりして怖かったけど、そんな私たちを和ましてくれたのがアジサイやらたくさんのお花でした。
30分以上登ったでしょうか?
ようやく登りきって広場のようなところへ。
人は、、、いない


船長が「助けてください」とその車の運転手に呼びかけた。
村に住んでるおばさんだ。携帯

おばさんに事情を話し、船長と、頭を怪我しているTさんと今日、帰る予定の男女を先に乗せて村に行ってもらった。
残されたメンバーは迎えの車が来るところまで歩いていこうと、ゆっくり歩き始めました。
そしてみんな、興奮気味に「助かってよかった」と口々言っていました。しかし、ここで男と女の違いに気付くとは思わなかったのですが男性陣はカメラを流されたショックがかなり大きかったみたいです。それもそのはず。かなりいいお値段のする品々ですからね。
女性陣は「助かったんだからいいじゃん。命には代えられないよ」と前向き。
男性陣は「女は強いなー」などと感心していました。
しかし、不幸中の幸いというんでしょうか、、、。
転覆したのは不幸でした。九死に一生を得るとはこういうときに使うんだなーと思いました。
しかし、そのあとは、誰か、未来日記でも書いているのではないかというくらい、順調に事が運ばれていたように思います。転覆した場所もあの場所でなければ御蔵島は断崖絶壁の島なのでずっと海の中に取り残されるか衝突して最悪、死亡事故になっていたかもしれまん。それがあの場所で、全員軽傷で助かって、滝があって、村に通じる唯一の階段があって、車と携帯を持った村の人がいて、、、。
不思議でなりません。
迎えの車と合流。迎えに来た観光協会の方も血相が変わっていました


そのときに感じたのが「お湯ってあったかい」。普段、当たり前に思っていたことがすごく大切に思えた瞬間でした。
お風呂に入ったあとに改めて診療所へ。
私は左手の甲を打ったのか腫れていたのでレントゲンを撮りましたが骨には異常はないとのことでした。それと前胸部を打ったのか咳をしても痛い状況でした。
とりあえず湿布をもらい、様子観察。途中、警察の方から事情聴取される。まじまじとおまわりさんの身に着けているものをみると、手錠ってシルバーではなくて黒なんですよ

みんな診察が終わり、あんなことがあったけど、やはりお腹が空いている。これも生きているからこそ

村に唯一ある定食屋さんへ。私は餃子定食


食事中、1m以上はあるだろう、白のようなクリーム色のような蛇がそばを通りかかる

昼食後、事故の振り返りをツアーの参加者7名で行う。船長に聞きたいことなどを全てSさんがまとめて船長に話してくれることになった。
「今回は最悪なドルフィンスイムになったけど次は楽しいドルフィンスイムがしたい」。それが私たちの願い


あの波は御蔵島の方たちが1000回に1回の波と言っていました

少し、落ち着いた頃にマリンさん

マリンさんは「もしかして御蔵島で降りれなくて竹芝に戻ってきたの?」と思ったみたい。
でも私が事情を話すとかなり驚いていました

両親には毎度のことだからと今回に限って御蔵島に行くことを言うのを忘れていた

考えてみると6月10日は両親の結婚記念日です。もしかしたら守ってくれたのかな?
ちなみに6月10日は「時の記念日」。両親は「いつまでも二人で同じ時を重ねていきたいから」とこの日に入籍したそうです

その日の午後は夕飯を食べたあとおみやげを選んだりして20時には寝てました。翌日は体の状態を見ながら行けるならドルフィンスイムをしようと思っていました。
ブログ読んで、想像してた以上に大変だったんだね。Aimeiが無事で本当に良かった。
Aimeiの花嫁姿をまだ見てないんだから、これからも気をつけて潜りに行くんだよ。
最近は会ってないから近々遊びに行きたいな
ブログにコメントありがとうございました。
早速遊びに来ました。
そして、事故の時の詳細な日記をこうして公開して頂いてありがとうございます。
コメント、今、長々と書いていたのですが、あまりに長くなったので、自分のブログに書いてトラックバックさせていただきます。
これからも遊びに来ますね☆
ではでは
あの事故にあって「生きてるってすごい」って実感しました。今まで何気なくしていたこともとても貴重なものに思えてきます。私はまた、ドルフィンスイム行きますよ~
frappucciさんのブログは素敵ですねー
また遊びに行きますね
なので、事故のことをきいたときにとても衝撃を受けました。でも、皆さんが軽い怪我で済んだときいてほっとしてました。その後、気にはなっていましたが、あまり詳しくもきけないままでした。Aimeiさんの体験談を読んで改めて大変なことだったんだと思い知らされ、気持ちが引き締まりました。そして、やっぱり、本当に無事でよかったですね。
万が一っていうのはゼロではないってこと、海での冒険の楽しさっていうのは危険と裏腹なことを頭の片隅に忘れないようにしようと思います。
そのうち、IOPあたりでお会いするかもしれませんね。そんときはヨロシク
今回の事故のことをネットで調べていたらこのブログに辿り着きました。
実は、私も何度も御蔵島に行ってます。
今回事故にあった吉栄丸の船長のお父さん(第五惣栄丸)が大好きでよくお世話になっています。
※島の人に聞いたら、お父さんは島で一番船の操縦がうまいそうです。
息子さんの船にも何回か乗っていたので今回のことは他人事と思えませんでした。
何回か海で怖い思いをしているので、自分に置き換えぞっとしました。
大好きな御蔵島、毎年欠かさずに行っていたのですが今年はまだ決心がつかずにいます。
私もまた楽しくイルカと泳げる日が来たらいいなと思っています。
事故のお話が聞けてよかったです。
ありがとうございました。
いつかエターナルで会えるといいな
今回の事故のニュースで御蔵島に行くのをためらっているようですが、自分が行こうと思ったときに行くのがベストだと思うのでゆっくり考えてください。
私のブログでもし、恐怖を与えてしまっていたとしたら申し訳ないです、、、。
でもあれは、海の遊びをしていく中で私たちが忘れかけていた危険と隣り合わせという部分を気付かせてくれたと思います。
私は今年はいけないかもしれないけど来年は必ず行きますよ
私のブログへのコメントありがとうございました。
私にとっての御蔵島での初・ドルフィンスイム、Aimeiさんたちのおかげでとても楽しく過ごしましたが、まさか転覆したとは聞いていても、ここまでの事故だったとは、夢にも思いませんでした。
なんだか、状況がリアルに伝わってくるだけに涙が出てきてしまいました。。
そして1日目の夜、船長夫妻のお店に皆で出かけて行った意味が良く分かりました。
私も海では岩に打ち付けられて、傷だらけになったりした経験があり、海は怖さが付き物、と実感しています。でも、来年もまたAimeiさんらと一緒にドルフィンスイムに行けたらいいなぁ~とも思います。
それだけ、御蔵島のドルフィンスイムは魅力的ですね。あらためて、先日のツアーではお世話になりました。ありがとうございます。
カラランさんが1年前の御蔵島の記事にコメントしてくださったので久しぶりにじっくりあのときの記事を読んでみました。
カラランさんも海で怖い思いをしたことがあるんですね。海に入るのは怖くなかったですか?
遊びには危険はつきものとあの事故以来考えるようになりました。今までは自分は大丈夫みたいな思いもあったので考えるきっかけになりました。
でも今年、御蔵島に行けてよかったです。
カラランさんたちとはあまりお話できませんでしたがこうしてブログでもつながることができて嬉しく思います。これも縁ですね。
私こそ、改めて、「ありがとうございます」。