せっちゃんの明るいガン日記

乳ガンで(片パイ→まっ平らになったけど)鬱病だけど人生転んでなんぼ、生きてるだけで丸儲け!せっちゃんのノー天気な日常!!

ほんのちょっぴりの第六感

2007-01-24 21:02:05 | 日常のこと
私には母親譲りの第六感がある。我が家で私を受け継いだのはまず、息子。それから末っ子にもあるらしい。

大事な人の危機は察する力があるらしい・・・霊的存在の気配と音、それから予感。

夫の祖父が結婚2年弱で亡くなった。当日の朝まで元気でまさか午後亡くなるなんて誰も思っていなかった。心不全で突然だった。

その日私は母と日本橋のカイロプラクティックに行く予定にしていた。前々から予約していたのだ。でも、私はなんとなく行きたくなくなって予約したにもかかわらず母1人で行ってもらった。家でぼーっとしていると義母から電話があった。おじいちゃんの具合が悪くなったようなので見に行くから家で留守番してもらえないかという。すぐに実家へ向かった。そのころ実家には雑種のイヌがいて、皆鍵をかけて出かける習慣がなかった。
誰か途中で帰ってきても困るので私に留守番を頼んだのだ。

 その時はおじいちゃんが亡くなるなんて考えていなかったが、しばらくして実家の電話が鳴り『おじいちゃんが良くないみたいだから、おばあちゃんを車に乗せて病院に来て』と義母からのSOSだった。

 私の家から実家まで歩いて3分くらいで、そこからおじいちゃんの家まで3分くらいの距離。留守番をイヌに任せて車でおばあちゃんを迎えに行った。車にまさに乗り込もうとしたとき姉が病院からの電話を受けておばあちゃんと私に祖父の死を告げた。その後おばちゃんを乗せて病院に向かった。

 なんとなく外出を止めて家にいたせいでちょっと役に立ったのだ。

 祖母も最後かも知れない入院中、前日も見舞ったのだが子供をスイミングに連れて行き、普段なら見学している時間急に思い立って病院に急いだ。祖母は既に酸素マスクの状態だったが意識があり私の名前を何度も呼んでくれた。孫の嫁である私を本当の孫のようにかわいがってくれた祖母・・・私をよんでくれたのかな?と思っている。翌日明け方祖母は亡くなった。

 母は亡くなる前日まで呼吸器専門の副院長に良くなってる、酸素ぶら下げて帰れると思うと言われていた。家族の目には弱っているように見えたし、意識も混濁し始めていたけど。亡くなった当日は午後から2回目の胸に水が溜まらないようにする処置をすることになっていた。

 その日私は夢を見た。母が洋服を着替えいそいそ支度をしているのだ。そうして私に言った『別の場所に行くことにしたから』目が覚めて嫌な予感がした。午後からの処置につきそい顔を見てはなしかけ母も頷いたりしていたが、次ぎに病院に呼ばれ父と駆けつけたときすでに意識は無く3時間ほどで亡くなってしまった。

 母が亡くなった年、新年明けてからずっと私は訳のわからない焦燥感に悩まされ、息子は夜大泣きしながら2階から下りてきた。理由は分からないが泣けてしょうがないという。今にして思えば前兆だった。

母が亡くなった直後は私と息子はトイレの電気を付ける音とドアが開く音を聞いている。母はとってもトイレが近かったのだ。お棺には生前、気が引けるとなかなか買っても着なかった赤いセーター類を入れたのだが、49日が近づいた頃また夢を見た。赤いセーターを着た母が嬉しそうに「招待状がきたのよ」と鞄に荷物を詰めていた。

 私の病気が発覚前も母は夢に出てきた。私は決まって母に「元気?」と言ってしまうのだが母は真顔で『心配なのはあんたのほうでしょう』と言った。病気が分かってあ~なるほどねぇ・・・と思ったが。

微妙な第六感なのだ。