砂漠と聞くと、私たちはアラビアンナイトの
ようなロマンチックなイメージを抱きがちです
が、実際の砂漠はとても過酷な自然環境です。
砂漠化は人の住んでいた植物の豊かな場所が
気候変動や人間活動の影響で徐々に不毛の地へ
と変化することで起きますが、
国連によると現在、地球の陸地の約4分の1
(約36億ha)が砂漠化しています。
砂漠化する地球イメージ画像 www.takigen.report
人為的な要因として、過放牧や過耕作、森林
伐採などが上げられますが、その背後には急激
に増える人口問題があります。
爆発的に増える世界人口を養うため、農地が
酷使され、結果的に土壌の劣化や塩類集積など
が起きて、徐々に砂漠化していくのです。
余談ですが、
世界最大の砂漠はサハラ砂漠ですが、面積は
日本のおよそ25倍もあるそうですよ。
世界最大のサハラ砂漠 www.takigen.report
砂漠と聞けば、アフリカや中東、中国内陸部
の話と思うかもしれません。
しかし、北アメリカやヨーロッパでも大規模
に農業を行なっている地域では確実に砂漠化は
進んでいます。
しかも、年間に新たに砂漠化する土地の面積
は6万平方キロメートルと推定されています。
水と緑の地球、やがてそう呼べなくなる日が
やってくるのかもしれません。
以上、「タキレポ」からの引用でした。
さて、ここからが本番となる記事ですが、
「砂漠の民が、砂漠を水と緑で覆い
尽くす。砂漠を高さで競いあう」
砂漠のオアシス(アラブ首長国連邦にある人造湖)natgeo.nikkeibp.co.jp
リワ・オアシス(アラブ首長国連邦)natgeo.nikkeibp.co.jp
〝それは世界の終わりである〟とコーラン
(クルアーン)では予言されていますが、
世界一の高さを誇る「ブルジュ・ハリファ」 skywardplus.jal.co.jp
JWマリオット・マーキス・ホテル・ドバイ(外観) www.fivestar-club.jp
イスラム教によれば、
クルアーン note.com
クルアーンは、「神」の ロゴス(言葉)
そのものですから言葉を預かる預言ではなく、
「神の予言」ということになります!
しかも、
アラビア半島の地図 www.y-history.net
どちらも今、まさにアラビア半島の砂漠で
それは起こっていることなのですが ・・・
そして、
もうひとつは『旧約聖書』における
〝エゼキエル戦争〟での記述です。
エゼキエル戦争(ゴグとマゴク)note.com
ガザでの戦争(イスラエル VS ハマス)が
始まり、欧米では『旧約聖書』に書かれて
いる「終末論」や「終末戦争」を思い起こす
人々が増えているようですし、
エゼキエル戦争(ゴグとマゴク)note.com
『新約聖書』の「ヨハネの黙示録」など
に書かれた終末期に起きる出来事がどんどん
と現実化してきていることもまた事実です。
例えて言えば、
● 戦争や虐殺による惨劇の数々
● 感染症等によるパンデミック
● 監視社会やマイナンバー制度
● LGBTなどに纏わる諸問題
● 食料不足とコオロギ食の推奨
● 不法が蔓延り詐欺が横行する
● 虚偽によるプロパガンダ合戦
● 統一通貨や統一のパスポート
● 地震や噴火などの災害の増加
・・・ etc
ちなみに、
〝エゼキエル戦争〟とは、終末戦争であり、
『旧約聖書』の預言書「エゼキエル書」の
38章と39章に書かれている戦争です。
しかしながら、
終末と言っても世界が滅びてしまうわけ
ではありません。
邪悪な者たちによって、支配されていた
世界体制が終わり、イエスによる新たなる
秩序で統治される世界に生まれ変わること
を指しているのです。
それって、新世界秩序だよね!
ふむふむ。
(言葉的にはそうだけど、やっぱ、違くね!)
ところで、
〝エゼキエル戦争〟を大雑把に要約すれば、
ロシア、トルコ、イランなどの国々が連合軍
となって、イスラエルに侵攻する戦争です。
〝エゼキエル戦争〟は長年に亘り、状況的
にあり得ないと無視されてきましたが、ここ
にきて、状況が大きく変化して前提が整った
関係で、急に現実味を帯びてきたのですが、
イスラエル戦争(ガザ戦争)real-int.jp
まあ、それは、それとしておいて、前述の
終末に起きる戦争や、地震、津波、雹などの
自然災害やパンデミックで世界の人口は急激
に減りますが、生き残る人間も大勢います。
要は、
滅びに値する者だけが滅びるのであって、
無差別に人類が滅んでしまうというわけでは
ありませんが、ダ・ヴィンチは「黙示録」
の内容には否定的な考えを持っていました。
なぜならば、彼にとっての救世主(メシア)
はイエス・キリストではなく、洗礼者ヨハネ
だったからです。
それが、
『モナ・リザ』の絵画に隠されて
いる4つの生き物に象徴される「黙示録」
の「罠」なのです。
『黙示録』における4つの生き物の隠し絵
同様に、
『モナ・リザ』には異星人を思わせる
異形なる姿も隠されていました。
『モナ・リザ』に出現した異形なる人物
さて、彼、あるいは、彼らが、
異星人であるとすれば、当然のことに彼らは
何らかの飛行物体によって飛来したはずで、
それを意図するものが、窓が描かれた4つの
作品に暗示される窓の数の増減に伴う外の景色
が示す変化なのですが、
『ブノワの聖母』 『リッタの聖母』 『最後の晩餐』 『カーネーションの聖母』
窓の数が1~4に増えていくのに従って、
外の景色が徐々に上空から地上に近づいて
きていることが分かると思います。
『ブノワの聖母』 窓部分 smartomaizu.com 『リッタの聖母』 窓部分 smartomaizu.com
『最後の晩餐』 窓の部分 『カーネーションの聖母』 窓の部分
これも「罠」の伏線ひとつなのですが、
窓の数が「罠」を紐解くカギとしての
ヒントになっているとすれば、
【窓の数】による「4」の編成、
① 『ブノワの聖母』
② 『リッタの聖母』
③ 『最後の晩餐』
④ 『カーネーションの聖母』
での聖母子のモデルは、それぞれに、
① 『ブノワの聖母』における聖母子は
エリサベツと赤子の洗礼者ヨハネであり、
『ブノワの聖母』jfruits.com
② 『リッタの聖母』における聖母子は
ダ・ヴィンチの母であるカテリーナと赤ん坊
のレオナルド・ダ・ヴィンチであり、
『リッタの聖母』
③ 『最後の晩餐』の使徒ヨハネには
マグダラのマリアと彼女のお腹の中に
いるイエスの子が投影されていて、
『最後の晩餐』部分 amazing-trip.xyz
④ 『カーネーションの聖母』の聖母子
がマリアと赤子のイエスになるわけです。
『カーネーションの聖母』
こうした母と赤子の組み合わせの違いは
「罠」が計画された当初からのもので、
「十分に終わりのことを考えよ。
まず最初に終わりを考慮せよ」
(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
と綴った彼自身の言葉にもあるように
ダ・ヴィンチは最初からこのことを考慮
に入れていたと思われてなりません。
次に、それぞれの絵画における母子の
設定(モデルイメージ)の違いについて
の解説に入ります。
① 『ブノワの聖母』の設定モデルは、
祭司ザカリヤの妻エリサベツと赤子の
洗礼者ヨハネです。
前述したように、
ダ・ヴィンチにとって救世主(メシア)
とはイエスではなく、ヨハネ・キリスト
なのです。
当然のことながら、光輪を描く対象は
彼らをおいてほかには存在しません。
ここで、聖母マリアとされている女性
に注目して欲しいのですが、彼女は何歳
に見えますか❓
彼女がマリアだとすれば、15~16歳の
少女のはずですが、小生にはシワはない
ものの額から前頭部にかけてのオデコの
広がりは少女のそれよりも中年から老年
のご婦人の相貌だし、目元や口許からも
はち切れんばかりの若さを感じません。
眉毛も薄く、首筋からは老いを感じて
しまいますし、服の色も暗く地味です。
それに比べて、『リッタの聖母』での
カテリーナや『カーネーションの聖母』
のマリアには、聖母のアトリビュートの
一つである赤色(慈愛)が配されている
のが見て取れます。
一見すると、幼さの残る少女のような
描かれ方をしていますが、そこに「罠」
が仕掛けられているわけで、それを見抜く
ことによって「罠」の全体像が掴めて
くるのです。
母エリサベツが差し出す四枚の花びらを
もつ小さな白い花に幼いヨハネは興味津々
といった表情で手を伸ばしていますが、
これが、ダ・ヴィンチの作品内における
「4」の編成や構成につながる婉曲な暗示
(ヒント)になっています。
② 『リッタの聖母』での設定モデルは、
ダ・ヴィンチの実母であるカテリーナと
幼いレオナルド・ダ・ヴィンチです。
大きな特徴は、乳首にかぶりつく仕草に
「どうだ」と言わんばかりの目でこちらを
挑発するかの如くに視線を送る彼の姿です。
ここでは、
拭い難い幼少期の拙い記憶がドリップ
したコーヒーのように抽出されています。
所謂ところの「ハゲワシ事件」です。
レオナルド・ダ・ヴィンチにとっての
幼少期における忘れ難い記憶として、
記憶 cocoiro.me
ハゲワシが空から舞い降りて来て、ベッドで
寝ている彼の口もとを その尾で何度も何度も
打ち据えるという話と、
山野を散策中に洞穴(洞窟)を見つけて、
その中に潜んでいるかもしれない化け物に
怯えながらも穴の中がどうなっているのか
という好奇心で一杯になってしまった。
画像元:takashi1016.com
とする出来事を彼は手記に綴っています。
プライベートな事柄には無関心でほとんど
触れることのない個人的問題をダ・ヴィンチ
がわざわざ記録に残しているということは、
神秘体験イメージ (知覚の扉)karapaia.com
余程のインパクトや強烈な印象を受けた
出来事が起こったからに他なりません。
「ハゲワシ」(手記ではハゲタカ)
の記憶について、もう少し詳しく記すと、
ヒマラヤハゲワシ www.excite.co.jp
「このようにハゲタカについて克明に書き
記すことは、私に定められた運命のよう
に思われる。 というのは、私の幼少期の
最初の思い出によれば、私が揺り籠の中
にいた時、一羽のハゲタカが 私のところ
に飛んで来て、尾で私の口を開かせ私の
唇の内部を何度も何度もその尾で打った
ように思われたからである」 (1505年)
【アトランティコ手稿 186v(紙葉65v)】
この件に関して、ダ・ヴィンチのことを
「人がまだ寝ている暗いうちに、一人だけ
先に目を覚ましたような男」と評していた。
精神分析学者のジークムント・フロイトは、
彼の思い出を分析し、母親の乳首を口に
含んでいた頃の記憶に由来しているとして、
リッタの聖母
古代エジプト人は、ハゲワシにはメスしか
存在せず風によって受精をして 卵を産むと
考えられており、ヒエログリフではハゲワシ
が母親を意味することからも、
ヒエログリフ文字
自説には根拠があると主張しました。
さらに、
フロイトは自らの説を裏付けるものとして
『聖アンナと聖母子』にハゲワシが
隠されていることを補強の材料としています。
聖母マリアの衣服に横向きのハゲワシの
姿がイメージされているというわけですね。
しかしながら、
『アトランティコ手稿』に書かれていた
「ハゲワシ」はこの手稿を翻訳したドイツ人
による誤訳であって、実際には腐肉食を主
とする「ハゲワシ」ではなく、捕食者としての
鷹やトビのことだったのだそうです。
その事実に慌てたフロイト学派の研究者
の中には、このフロイトの説を鷹やトビにも
当てはまるようにと、その修正作業に躍起
となっていたそうです
また、
ダ・ヴィンチが聖アンナと聖母子を一緒に
描くことを好んだことについても
フロイトの仮説があるのです。
私生児(庶子)として生まれたダ・ヴィンチ
は父親と義母によって育てられる前までは
実母のカテリーナに育てられていました。
母カトリーナとされることもある素描 cocolog-nifty.com
イエスの母であるマリアとマリアの母親の
アンナを親密な様子で作品に描くことは、
『聖アンナと聖母子』部分
ダ・ヴィンチの愛情の表れで、ある意味で
「2人の母」を持っていたという体験に
根ざしているとしています。
『聖アンナと聖母子』部分 聖アンナと聖母マリア
こちらの仮説は 『聖アンナと聖母子』、
『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』
ともに、親子であるはずのアンナとマリアが
同年代に描かれているという観点において
注目に値するとされますが ・・・
聖アンナの頭部と聖母マリアの頭部の習作
『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』部分 hshimpo.blogpot.com
『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』部分 hatenablog.com
個人的には、いまさらフロイトを持ち出す
までもないものと考えます。
『聖アンナと聖母子』部分と聖母マリアの頭部の習作
ただ、天下のフロイトが自説の補強に
小生と大差のないような「隠し絵」の類
を利用するとは ・・・
あながち、
この『ダ・ヴィンチの罠』の仮説も
捨てたもんじゃないのかも、「なんちゃって」
そんな気にもなってしまいそうですが ・・・
はてさて、実は、
ハゲワシが彼の口もとを、その尾で何度も
何度も打ち据えるという件(くだり)でピン
と来たのがプロメテウスの話です。
天界の火を人間に与えたプロメテウス
そのプロメテウスが受ける永遠の罰と
ハゲワシに内臓を食いちぎられるプロメテウス
口もとを尾で打ち続けるというハゲワシ
の行為についての解釈を、
これから先、何度も見ることになる「幻」
の中身を決して言葉にしてはいけないという
大いなる何者からの戒(いまし)めのように
感じていたのではないか、と
『ダ・ヴインチの罠 変身譚(改)』
に書きましたが、
画像元:karapaia.com
それが人類誕生の秘密とイエスの出生に
纏(まつ)わる謎(処女懐胎の真偽)などと
ともに未来の様子やその顛末を何らか
の方法(テレパシーやホログラムなど)で
知らせるものであったとしたならば、
テレパシー(イメージ1)laurier.excite.co.jp
ダ・ヴィンチの作品に見え隠れする不可解
な謎が一気に氷解するのですが
プロメテウスのことやゼウスからの永遠
に続く拷問については、
『ダ・ヴィンチの罠 堕天使』
『ダ・ヴィンチの罠 リリス』
『ダ・ヴィンチの罠 好奇心(改)』
などを参考にしてみてください。
ダ・ヴィンチは
洞窟での一件を、好奇心で一杯に
なったという言葉で誤魔化していますが、
このとき、
ダ・ヴィンチの好奇心は凍り付きながら
も爆発寸前にまで昂揚していたことは、
『ダ・ヴインチの罠 匙加減(改)』
に書いたとおりで、
要するに、
幼き日に、彼は洞窟の中で何者かと
出会ったか、「幻」を見せられたのです。
そして、それを、
人類の未来に託すべき救済のための「罠」
にアレンジしたのが、
『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年
『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年
我らがレオナルド・ダ・ヴィンチであると
するのが、本稿の趣旨であり、論旨なのです。
うわっ、何だ、こいつ ら !?
いやはや、
脱皮じゃなかった突飛すぎて、正直、
これは、
(飛躍し過ぎじゃね?)
まあまあ、お気持ちはわかりますが ・・・
たとえば、
先の「ハゲワシ」の一件ですが、
ヒマラヤハゲワシ www.excite.co.jp
実際は鷹やトビの意味で「ハゲワシ」
ではなかったとしても、そんなことは然したる
問題ではありません。
物心がつくかつかないかの時期における
拙(つたな)い最初の思い出です。
そこにどれだけの正確性が必要でしょう
要は、鷲や鷹やトビのような猛禽類で
あったというだけで十分なのです。
そいつが尾で彼の口もとを何度も何度も
打ち据えたという思い出を運命であると
感じたことの方が余程重大であり、重要な
ポイントなのです。
それが、自分に定められた「運命」
であるとダ・ヴィンチが思い込んだ以上は、
そのことが、後々の彼の作品に何らかの
影響を及ぼさないわけがないのです。
『モナリザとレダと白鳥』の模写デッサン(ラファエロ)
『レダと白鳥』模写チェーザレ・ダ・セスト
首の短いラファエロの白鳥と長い首をした
ダ・ヴィンチの弟子チェーザレ・ダ・セスト
とフランチェスコ・メルツィの白鳥の違いが
意味するものとは ・・・
そして、
首の短いラファエロの白鳥からイメージされる
ものの正体と幼少期の記憶の産物との関係は?
ダ・ヴィンチが自ら廃棄処分したとされる
『レダと白鳥』には、一体全体 何が
描かれていたのか❓
『レダと白鳥』の模写 チェーザレ・ダ・セスト
さらには、
水掻きのあるラファエロの白鳥と鋭い爪をもつ
猛禽類のような足をしたダ・セストの模写 ・・・
これらの違いは、いったい何を意味し、
何を物語っているというのでしょうか?
『レダと白鳥』については、
を参照してみてください。
さて、話をもとに戻せば、
【窓の数】による「4」の編成、
① 『ブノワの聖母』
② 『リッタの聖母』
③ 『最後の晩餐』
④ 『カーネーションの聖母』
における母子のモデルの解説ですが、
③ 『最後の晩餐』での使徒ヨハネには、
マグダラのマリアと彼女のお腹の中にいる
イエスの子が投影されています。
しかしながら
その解説には相当量の文章と画像の説明
が必要になりますので、
④ 『カーネーションの聖母』での聖母子
(聖母マリアと赤子のイエス)と合わせて、
次回以降での詳述とさせてください。
ところで、
地球温暖化は、アラビア半島での出来事
とは逆に、アフリカ大陸に砂漠化と絶望を
もたらすといわれていますが、シナリオは
実際とは異なっているのかもしれません。
信じられないことに、
気温の上昇によって、同大陸でもっとも
乾燥した地域に暮らす人々の生活が豊かに
なるという研究結果が出ていたのです。
サハラ砂漠とその周辺地域一帯は、現在
、降雨量の増加で緑化していることが確認
されていて、
衛星画像によると、サハラ砂漠南縁部を
3860キロにわたって東西に広がるサヘルと
いう半乾燥地域に、緑化の兆しが見られる
のだそうです。
これが一時的な傾向でなければ、干ばつ
で苦しめられてきた地域に農村が復活する
ことも十二分に考えられるわけです。
たとえば、北アフリカのニジェール付近
の半乾燥地域(サヘル)では、砂丘のすぐ
近くでヤギの放牧が行われています。
北アフリカ、ニジェール付近の半乾燥地域、サヘル。Photograph by Pascal Maitre NGS
サハラ砂漠は 約1万2000年前にも緑豊かな
サバンナに変化したことがありますが、研究
モデルではそのときの気候が再来して、砂漠
が減少するという予測が立てられています。
新しい衛星画像からは、地球温暖化の影響
により、北アフリカの広範囲で緑化が著しく
進んでいることがわかったのですが、
今後、アフリカ大陸の最も乾燥した同地域
で、人々の暮らしが豊かになるかもしれない
わけですね!
しかしながら、
「砂漠の民が、砂漠を水と緑で覆い
尽くす。砂漠を高さで競いあう」
それは世界の終わりであると、クルアーン
は予言しますが、
これらのことは、現在、アフリカのサヘル
(半乾燥地域)やアラビア半島の砂漠地帯で
起こっている現実なのです。
ニジェールの道なき道 リビアの町サブハを目指すトラックの列(PHOTOGRAPH BY PASCAL MAITRE)
リビアの町サブハまでを、ニジェール軍に
護衛されながら移動する百台ほどのトラック
の列。乗客の多くは、リビアへ出稼ぎに行く
ニジェール人ですが、なかにはアフリカ大陸
からの脱出を試みる者もいるようですが、
はてさて、地球は、
そして、世界の趨勢は、この先どうなって
いくのでしょうか❓
砂漠化してるの❓ してないの❓
って、おいおい、