透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 リリス

 ひょんなことから

 某ロックバンドの公式サイトに流れ着いてしまったわけ
ですが、そこで思わぬネタを拾うことになろうとは …

 「犬も歩けば棒に当たる」の場合の
ここではからの「ぼたもち」になったのです


 「本当に、いままでどうもありがとう。 
 そしてまた会おう!
ララバイ !!

 これのどこが「棚ぼた」なのかと言うと、

 文脈から察するに、さよならコンサート(ライブ)のあとの
ファンへのメッセージ・ブログだったようで …

 バイバイ(Bye-Bye)のつもりだったのでしょうpeace

 「Good-bye」=さよならでカッコよく締めるはずが、

 「そして、また会おう! 子守唄 !!

 と、ばかりに、ビシっと決めてみたわけです


 ララバイ といえば、
 
  「ララバイ ララバイ おやすみよ、
   ギザギザハートのこもりうた」
symbol7

 チェッカーズの『ギザギザハートの子守唄』
がすぐに頭に浮かびますが、それももう30年も昔の話 …


 「ララバイ」“ララ”はいつのまにか接頭語
または強調語と化して、

 バイバイ(Bye-Bye)を強調して接頭化する“超”
匹敵するニュアンスを獲得していたのです

 拙稿『暴走万葉仮名ネーム』にも、ご登壇を
いただいた“ララ桜桃(さくらんぼ)ちゃん、と
同じようなノリだったのでしょうか

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/387.html(参照)


 さて

 子守唄ララバイ(Lullaby)は英語ですが、

 その語源についてはいくつかの説があるようです。

 ひとつは、16世紀の中頃、Lull (穏やかな)という言葉と
バイバイ(Bye-Bye)の連続から生まれたとする説 …

 もうひとつは、ヘブライ語の 「リリス アバイ(Lilith-abi)」
で、英語で書くと「Lilith be going」 となって、意味
「リリスよ、去れ」ということになります。

 悪魔とされるリリスから子供を守るユダヤ人(母親)たち
が唱えた呪文が「リリス アバイLilith-abi!
、伝統的に新生男児の割礼の時に、リリス(複数でリリン)
から身を守るために首のまわりに“3人の天使”の名前が
書かれた護符を置く習慣があったといいます。

    

 それを裏付けるかのような遺物が、アルスラン・タシュと
いうシリア北部にある遺跡で見つかっています。

 護符のように使われていたとされる皿状の遺物は中央に
描かれた悪魔の周りをアラム語の呪文で囲って悪魔を呪縛
することを象徴していて、その悪魔として描かれているのが
リリスであり、その昔、幼くして子供が死ぬのは彼女の仕業
だとされていたわけです。



 同じような呪文の皿は、メソポタミアやイラン地方で数多く
発見されており、大抵はインクを使用して中央にリリス
想定した悪魔が描かれていました。

 日本語の「子守唄」“子守り”には、子どもの
世話をすることが第一義で、あやしたり、寝かしつける際
に歌われるものというイメージですが、案外、本当の意味
としては子どもを悪魔(災難や災禍)から守るためのもの
だったのかもしれません。

 とは、言ってみたものの、

 歌詞を見る限りでは大抵の場合、“子守り”ではなく、
守り役の守り子の“嘆き歌”という感じですが …

 まあ、それはそれとして、

 NHKで放送されていたまんが日本昔ばなし』

  「ぼうや よい子だ ネンネしなぁ」

     

 でんでん太鼓を持ったわらべがに乗って、
オープニングも今思えば、実に、意味深です。

       

 なにせ、ドラゴン(龍)は西洋ではサタンなのですから …

  

 ところが




 東洋や日本での(ドラゴン)は、この昇り竜のような
縁起のよい翔龍であったり、龍神(水神)として崇拝
される存在で、中国では皇帝権威であり象徴です
し、の化身や神獣やアニメ 『ドラゴンボール』
「神龍(シェンロン)でもあったりするわけです。



  何にでも神が宿ることに違和感のない半面で、

  西洋人に比較して、不信心極まりないかぎりの

 日本人にとっては 「困った時の神だのみ」で、
何かに窮してどうにもこうにもままならない時だけの …

 言わば、緊急事態時にのみ、その存在にスポットライトが
当てられ脚光を浴びるのが人格神としての「神」という
ものの宿命というか、存在理由レゾンデートル
なのかもしれませんが …  


 さて

 前回の『堕天使』の稿で、天使長であるルシファーが
堕天した理由のいくつかを列挙してみましたが …

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/406.html(参照)

 個人的には、そのいずれをも採用するには問題があり、
得心を得られるものではありませんでした。

 それはキリスト教世界での通説であり、常識だから
ですが、敢えて選ぶとしたら、“自尊心”とは不可分の
「ロスト・プライド説」を採りたいと考えます。

 かつて

 「光を運ぶ者」、あるいは「暁の子」、「暁の星」と呼ばれ、
「光の運び手」とされた天使が、人間に跪くよう「神」から
命じられたときに、土の塵から造られたアダムやエヴァに
「跪拝(きはい)など出来ない」 と叛意を固めたわけで …

 「炎の子である天使たちは、塵の子である人間どもに
膝を屈するべきではない
」と叛逆を決意した誇り高き天使
だと思えるからです。

 それを言い換えてみれば、自惚れであったり、増長である
と指摘されることになるわけですが、どうもそれらは都合よく
後付けされた屁理屈のような気がしてならないのです。

 あとづけの論理と言ってしまえばそれまでですが …

 このあとに

 「神」への復讐を意図してエヴァに近づく蛇となり、
“神の計画”を台無しにする「神」敵対者
してのサタンにされるのが通説ですが、

 同時にサタンとされるルシファーは人間に対し、限りない
可能性を見出していて、であり、である智慧
与えたギリシャ神話のプロメテウスと楽園でエヴァに
禁じられていた善悪を知る木の実を食べるように仕向けた
蛇に化身したサタン(ルシファー or リリス)とは、人類
進歩への貢献という意味合いにおいて同等である
と考えるわけです。

   
  『火を与えるプロメテウス』 ハインリッヒ・フューガー 作

 純真無垢で疑いを知らず善も悪もない、ただ永遠の服従
と従属の“かごの鳥”を大空に放ってくれた存在 …

 それが天使(悪魔)ルシファーである
と、ダ・ヴィンチには思えたのではないでしょうか

 彼の最後の作品とされる『洗礼者聖ヨハネ』
訴えかけるような悪魔的にも見える目の表情と首を傾げて
天を指差す不思議なポーズの裏にはそうした切ない想いを
酌んで欲しいと期待するレオナルド・ダ・ヴィンチの究極
ラスト・メッセージにも思えるのですが …

         
         

 「神」は、

 何故に、人間と天使との間に主従関係を求めたのか

 何故に、イコール・パートナーでは、いけなかったのか

 「神」狭量納得がいかないのです。 


 聖書では、悪魔の王にして、地獄の大魔王サタンとされ、
ギリシャ神話ではゼウスの命によって捕らわれの身となり、
獄につながれハゲワシに毎日、はらわたを引きちぎられる
という責め苦を受けるプロメテウス

      
   『縛られたプロメテウス』 ギュスターヴ・モロー 作



 オリンポスの神々の間で、最初に人間を造ったとされて
いるのがプロメテウスですが、

 異母兄弟のゼウスの全能の力に反逆して、粘土と水で
人間を造り、ゼウスの稲妻から火を盗んで人間に与えた
とされています。


  ゼウスの雷(いかずち)から火を盗むプロメテウスquestion2

 地獄の底で半身を氷漬けにされたままに永遠の幽閉を
託(かこ)つ、ダンテの『神曲』地獄篇にあるルシファー
のように、彼もまた、生きながらにして半永久的な拷問
として、毎日ハゲタカ(ハゲワシ)に肝臓をついばまれると
いう責め苦を強いられます

        

 なぜなら、不死であるプロメテウスの肝臓は夜中に再生
するので恒久的な甚振(いたぶ)りが延々と繰り返されると
いうわけですase

 半面においては、人間に火を与えたとして自らの内臓を
大鷲に食い破られつづけるというプロメテウスの苦しみは、

  
      『内臓を食いちぎられるプロメテウス』 

 「悪」なるを知り、武器(重火器)や原子力という
「第二のプロメテウスの火」とも言うべき力を
得た人間の永遠につづく苦しみをも連想させる話です。

 神話ではヘラクレスがプロメテウスを解放して、ゼウス
との「和解」が成立しますが、キリスト教世界でのサタン
(ルシファー)と「神」との話し合い(歩み寄り)はもちろん、
妥協も調整も交渉も不可能で、「最後の審判」という
クライマックスにひた走るワンウェイ(一方通行)
には、インターチェンジもパーキングエリア(スポット)もなく
、当然 「和解」など考えられるものではありません


 ところで

 この世界にが蔓延(はびこ)るのは、に落とされた
サタンの断末魔の所為だとクリスチャンは言いますが、
果たして本当にそうでしょうか
 
     

 人間に対する「叩頭跪拝(こうとうきはい)にも
等しい屈辱的な命令が狭量なる「神」による天使たち
に仕掛けられた「神の罠」だったとしたら …

 敢然として、「神」に立ち向かった天使
ルシファー
英雄(ヒーロー)です。


    マリオ・ラピサルディの詩集 『ルチーフェロ』

 そうでなければ、天界の3分の1に相当する天使たちが
真に、彼に付き従うものでしょうか


 はてさて

 『リリス』という副題を打った割には、横道に逸れる
という悪癖がまたぞろ顔を出してしまい、リリス以外の話
に大幅に紙面を使ってしまいましたase2

 本当に申し訳もないのですが、

 『リリス』につきましては、以下の記事にも詳しいので、
是非、そちらを参考にしてください


 『アダムとイヴのへそ』58です

 5 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/243.html
 6 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/244.html
 7 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/245.html
 8 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/246.html


 但し、それでは、あまりにも不甲斐ないので、しっかりと
リリス絡みで締めたいと思います。

 ダ・ヴィンチ自身による事実上のデビュー作である
『受胎告知』において、聖母マリアに捧ぐべく、大天使
ガブリエルが持参した白百合にタブーとされる“おしべ”
が描かれていました。

          

 これは、ダ・ヴィンチが精緻な描写にこだわり、正確さを
期すためのチャレンジであると同時に、いくつかの極めて
危険なメッセージを鑑賞者に送っているわけなのですが、


 (ハス)Lotus は、中東においては 「lilu(リル)
という女陰をあらわす花の呼称で、それは「lily (ユリ)
だと言われています。

 ユリ(lily)は、シュメール・バビロニアの大地母神で
ユダヤ人からはアダムの最初の妻であると言われている
リリス(リリト) ― Lilithでもあったのです。

         
 
    
         『Lilith』 ジョン・コリア

        

  「リリス アバイ(Lilith-abi)だとよ」

     

   「お前の正体が暴かれるのも時間の問題だな


 それでは、

 「また次回に ララバイ !!


 … て、どういうこと ・・・

コメント一覧

小吉
基礎知識がないとまったくわからない内容でした。
ルート1/2
それってプロメテウスじゃなくて「プロビデンスの目」または
「ホルスの目」って奴でしょ!!
小吉
 ララバイってそういう意味だったんですね。

 
静岡こっこ
そういえば、ダチっこが「プロメテウスの目」がどうたらこうたらって言ってたっけよ。

じゃ、ララバイ・・・
皮肉のアッコちゃん
「ちっちゃな頃から悪ガキで~♪」
あれからもう30年も経つのかぁ。

そりゃあ、年を取るわけだわ!
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