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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 現人神

 『ダ・ヴィンチの罠 戒厳令』からのつづきです!

 結論から言えば、〝226事件〟は、反乱を起こした
青年将校たちを統制できなかった陸軍の不祥事でした。

 しかし、

 事件後に陸軍の発言力が弱まったかと言えば、実情は
まったくの逆でした。

 事件は、武力を背景に既存の権力や秩序を脅かす軍隊
の力を見せつけましたが、それを抑え込むことができた
のもまた、軍隊だったということに他ならないからです。

 もしも軍隊がふたたび銃口を国内に向けたなら ・・・

     日本の第124代天皇 (1901-1989) 
     
    昭和天皇 commons.m.wikimedia.org

 その心配は、昭和天皇を悩ますことになります。

 〝226事件〟の翌年から日本は大東亜戦争、そして
5年後には太平洋戦争へと突入するわけですが、米国と
の開戦を決定した時の状況について、のちに昭和天皇は
こう語っています。

 「私が若し開戦の決定に対して『ベトー』(注・拒否)
したとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する 
周囲の者は殺され、私の生命も保証できない。 それは
良いとしても結局狂暴な戦争が展開され ・・・・・・」

      (昭和天皇独白録)

 結局のところ〝226事件〟は、その後の日本の針路
に、暗い影を落とし続けることになるのでした。

 青年将校たちを急いで裁くための東京陸軍軍法会議は、
緊急勅令により設置され、非公開で弁護人すら認めない
という、当時としても異例の形式で実施されました。

 ここで青年将校らは、上層部は決起を容認したと主張
しましたが、陸軍上層部の当事者たちは、当時の対応は、
事態を鎮静化するためのものだったとし、青年将校たち
に担がれた真崎大将も関与を否定します。

 17人の青年将校らが反乱罪などによって銃殺刑となる
一方で、陸軍の上層部は不起訴や無罪となって、責任を
問われることはありませんでした。

ダ・ヴィンチの罠 戒厳令 - 透明人間たちのひとりごと

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『ダ・ヴィンチの罠226』からのつづきです!陸軍の青年将校たちが蹶起(決起)し、高橋是清蔵相ら閣僚を襲撃した二二六事件は、東京を戦場とする内戦に発展する寸前だった事...

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 ★『ダ・ヴィンチの罠 戒厳令』

 ところで、

 戦前および戦時中の人々の天皇に対する献身の深さは
今日、多くの日本人には理解しにくいかもしれません。

 3年前に亡くなった母から聞いた話によると、

 天皇陛下の写真が学校の一角に掲げられていて、生徒
たちは毎朝、その前で立ち止まり写真に向かって最敬礼
をすることになっていたそうです。

 戦後生まれの小生も小学校の低学年の時に、昭和天皇
の行幸があって、御用邸につづく道路に並んで日の丸の
小旗を懸命に振っていた記憶があります。

 天皇が乗った車が通り過ぎる際には絶対に顔を見ては
いけないと言われ、最敬礼しなければなりませんでした。

 目と目を合わせるのは、恐れ多いことだと考えられて
いたからですが、実際に、子供たちは天皇の顔を見たら
目が見えなくなると教えられていたのです。

 母の子供時代(昭和初期)に話を戻せば、

 軍部および政治指導者たちは、教育制度を用いて天皇
への献身を教え込み、学校の先生たちは若者に『死ね』と
教えて、多くの若者を戦場に送り出していたようです。

 そして、

 天皇陛下のために死ぬことは「大きな誉れ」であると
教えられていたのです。

 しかし、


        「現人神(あらひとがみ)」 powerspot-jinja.jp

 天皇が、「現人神」(あらひとがみ)と言われていた
昭和戦前期、昭和天皇は自分を神扱いする側近に対して
こんなことを言っていたそうです。

「私は普通の人間と人体の構造が同じだから神ではない。
そういう事を云われては迷惑だ」 (昭和天皇独白録)

 ★戦後、自らの神性を否定した人間宣言で昭和天皇は、
国民とは「終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ」る
と宣明しました。

 その後の新憲法のいう国の「象徴」という立場と生身
の人間であることとの溝を埋めるのに「信頼と敬愛」は
天皇や「象徴」に連なる皇族にも、一般の国民に対して
も求められる必要不可欠なるファクターになります。

 大東亜戦争(太平洋戦争)が、日本の敗北で終わった
翌年の昭和21年正月元日に、今後の新しい日本の建設に
関する天皇の言葉が官報の号外として発表されました。

 その中で天皇は自分が神であることを明確に否定した
ので、この詔勅は通称「人間宣言」と呼ばれています。

 戦前の日本では天皇の神聖さと権威を印象づけるため
に「現人神、現御神󠄀、明御神」などの呼称が天皇に冠せ
られ、特に「現人神(アラヒトガミ)」という表現方法
が「人として現れた神」という観念の主役となります。

 そのため明治維新以後の富国強兵策と国民の忠誠心を
高めるキャンペーンには、この用語が大いに利用された
わけですが、実は「現人神」には「人として現れた神」と
いう意味はまったく無く、これまで通用してきた解釈は
、古事記、日本書紀、続日本紀等に記された漢語原文の
意味が、時代を経るにつれて不明となり、平安中期から
江戸中期までに幾多の誤読が積み重なって出来上がった
結果なのです。

 ちなみに、「現人神」(あらひとがみ)とは ・・・

 「人間の姿で現れた神様たち」のことを言いますが、
別名では、現御神、現神、現つ御神、現つ神、明神とも
言います。 

 (別名の読み方は、あきつみかみ・あきつかみ です)

 現人神は日本書紀万葉集などの古くからある書物に
実際に記載されています。


         『日本書紀』 寺田惠子 著 good-books.co.jp

 日本の天皇崇拝の歴史は長く、これまで優に千数百年
余りにわたり、国民の生活の一部となってきました。

 そして、

 宗教的伝統というものは、すぐにはなくなりません。

 たとえば、

 キリスト教世界の人々でさえ、「親がこの宗教で満足
していたのであれば、自分もこの宗教でいい」、「皆が
それを信じているのだから、それがすべて間違っている
はずはない」と言います。

 そこで、

 何世紀にもわたって何億人という人々が、自分たちの
指導者はある種の神性を備えていると信じてきたのです。

 しかも、何世紀もの間に天皇の役割はかなり変化して
いきました。

 日本の天皇について簡単に考察してみましょう。

 古代より天皇には神々を宥(なだ)めたり、執り成し
をしたりする不思議な力があると考えられていました。

 天皇が政事などの俗事に係ることは、恐れ多いものと
みなされていたのです。

 すなわち、

 政策の立案と実施の両方を含めて、その俗事は天皇に
仕える輔弼の任に当たる者たちの務めでした。

 原則として天皇は、政治的な役割ではなく、大祭司と
しての役割を果たしていました。

 それは、現在でも同じで、

pb060472-2018-08-29-17-00.jpg
          天皇と日本国のイメージ omouhana.com

 天皇は統治王ではなく、純然たる祭祀王なのです。

 天皇が長期にわたって実際にその両方の役割を演じた
唯一の時代は、7世紀後半の天智天皇の治世から8世紀
の終わり頃から9世紀の初めにかけての桓武天皇の治世
までであったと考えられます。

 要するに、

 その時代を別にすれば、歴代の天皇は実際には日本を
統治していません。

 9世紀以後、天皇の権力は弱まり,やがて征夷大将軍
すなわち将軍が政治的権威を行使するようになりました。

 形式上、将軍は天皇によって任命されていたのですが、
実際の統治者(権力者)は将軍でした。

 しかしながら、

 武家による幕府は、幾世紀にもわたり支配を行なった
後の西暦1867年に大政奉還に踏み切り、昭和天皇の祖父
に当たる明治天皇が日本の統治者とされました。

日露戦争がはじまった直後、明治天皇が放った「驚きの一言 ...
       「明治天皇」 gendai.media〔PHOTO〕Gettyimages

 明治元年(1868年 9月8日) 明治改元の詔が発せられ、
慶応4年を明治元年とする旨が発布されます。

 併せて、天皇一代に元号を一つとする「一世一元」の
制度が定められました。

 そして、

 1889年には、大日本帝国憲法(明治22年 2月11日)が、
臣民に付与されますが、

大日本帝国憲法」とは わかりやすく簡単に解説 入試、テスト対策 ...
    新皇居於テ正殿憲法発布式之図 1889年(明治22年)安達吟光画 出典:Wikipedia

 その憲法には、天皇は「神聖にして侵すべからず」
いう規定がありました。

 この憲法のもとでは、天皇が国の元首として統治権を
総攬(そうらん)していましたが、その規定とは裏腹に
政治的権威は与えられたものの、天皇には政治的権力は
ありませんでした。

 君臨してはいましたが、実際には国を統治することは
なかったのです。

 国民には、法律の範囲内での居住・移転や信教の自由、
言論・出版・集会・結社の自由、信書の秘密、私有財産
の保護などの権利が認められていました。

 大日本帝国憲法下では、「国務各大臣は天皇を輔弼し
其の責に任ず」と述べられています。

 これは実際上の政治責任は天皇にではなく、大臣たち
にあることを意味していました。

 したがって、実際に政治権力を行使したのは、政府の
大臣たちでした。

 しかしながら、

 一般の日本人たちには、天皇は国民の上に絶対的権威
を有する神として示されたのです。

 こうして、支配階級は、一般の人々を服従させるため
に伝統的な公(おおやけ)に教え込まれた天皇の神格を
都合よく用いたのです。

 20世紀に日本が行なってきた戦争は、すべて天皇の名
のもとに実行されました。

 こうして、

 日本人の多くが、天皇を奇跡的な力を持つ神であるか
のように信じ込まされていったのですが、人々にとって
意外なことに昭和天皇自身は、自分が神格を有している
とは考えていなかったのです。

 さて、敗戦後のある日のことでした。

 昭和天皇は赤坂にあった米国大使館に向かいます。

 天皇とマッカーサー元帥の2人が並んでいると、突如
カメラマンがフラッシュを焚いたのでした。


   唐突にフラッシュがたかれた昭和天皇とマッカーサー元帥の3枚の写真 blog.goo.ne.jp

 事前に写真撮影を知らされていなかった天皇は、驚き
を隠せずに3枚目の写真でようやく体勢を整えることが
できたようです。

 写真は翌日の新聞に載る予定でしたが山崎内務大臣が
激怒し、これを不敬だとして掲載を禁止します。

 しかし、翌29日には掲載され、これを見た国民の多く
は、日本が戦争に負けたことを改めて実感させられたと
いうことです。

 会見の際に、天皇は「戦争責任のすべてを負うために
お訪ねしました」と伝え、その言葉に、マッカーサーは
「天皇は日本の最上の紳士であることを感じとりました」
と返します。

 そして、

 天皇は大戦後に進駐してきた米軍の元帥に「私は自分
が神だと思ったことは一度もない」と語ったのでした。

 後日、

 『天皇をもって現つ御神(あきつみかみ)とし、かつ
日本国民をもって、他の民族に優越せる民族とするとの
架空なる観念』を否定した後、皇后に、「以前に比べて
何か違っているかな。 今のほうが、もっと人間らしく
見えるか」と尋ねたということです。

 それから、40数年を経て、

 昭和天皇の病気と死を契機にして、微妙な問題が再び
浮かび上がることになるのでした。

 日本の軍事的侵略行為に関して天皇にはどんな責任が
あったのかという問題です。

 大多数の人々の考えは、天皇は個人としては戦争には
反対だったのですが、大臣たちによる決定に従わざるを
得なかったという見解です。

 1941年12月に米国のパールハーバー(ハワイ真珠湾)を
奇襲攻撃するという大臣たちの決定事項に関して、天皇
は、「私にはその決定を覆すことはできなかった。これ
は日本の憲法の規定にのっとったことであると信ずる」と
主張したわけです。

 他方では、いざ降伏するかどうかで大臣たちの意見が
分かれた時、天皇は率先して降伏の決定を下しました。

 そして、その決定が下された数日後の1945年8月15日、
国民は、降伏を発表する玉音放送(全国ラジオ放送)で
天皇の声を初めて聞いて衝撃を受けたのでした。

 それは、戦争に敗北したという事実もさることながら
天皇が、『堪え難きを堪え、忍び難きを忍ぶ』ようにと
国民に求めたことにありました。

 数か月後に、英国政府はこう言明しました。「日本を
降伏させたのは原子爆弾ではなく、降伏するよう国民に
命じる天皇の詔書であったからで、それがなかったなら、
我々は侵攻し大きな代償を支払うことになったであろう」

 それで、天皇を戦犯として扱うべきだという声が戦後
に沸き上がったときに、進駐軍(GHQ)の最高司令官
であったダグラス・マッカーサー元帥は、その声に断固
として反対しました。

 そして後に彼はこう説明しました。「もし天皇が起訴
され、絞首刑にでもなっていたら、必ずや日本中に軍政
を敷かねばならなくなり、おそらくゲリラ戦が起きたで
あろう」と ・・・・・。

渡邉英徳 wtnv on X:
      マッカーサー元帥と昭和天皇との会見(ニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正)

 1945年9月27日、マッカーサー元帥は天皇と会談して、
感銘を受けたのでした。天皇は戦争責任を回避しようと
する代わりに、「国民が戦争を遂行するにあたって政治、
軍事両面で行なったすべての決定と行動に対する全責任
を負う者として」自らの身を差し出したからでした。


 そのため、今日の日本の大多数の国民は、大臣たちに
よって推進されたと思われる戦争の責任が天皇にあると
は思っていないようなのですが、一部のあっち系の人々
は「天皇には重大な瑕疵があり、戦争の責任は免れない」
と考えていたようなのです。

 たとえば、

 昭和天皇の死期がいよいよ迫っていた時期に、当時の
本島等長崎市長が、「軍隊の教育に関係していた私自身
の経験からも、天皇の戦争責任はあると思う」とあえて
公の場で述べたことから、大きな波紋が広がりました。

 本島市長は、戦時中においては新兵を教育する将校と
して「人々に天皇陛下の名において死ぬように教えざる
を得なかった」と述べました。

 同市長の考えによれば、臣民から崇められていた天皇
が戦争に反対する発言をしていたなら、そこには大きな
影響力が働いたであろうということです。

 そのように考える人々はほかにもいると思われます。

 それでも「それは、すべて過去のことだ」と言う人も
いるでしょう。確かにそうかもしれません。

 しかし、伝統的な信条は容易にはなくなりません。

 神道の有名な神社である伊勢神宮の神官は言います。

 「毎年ここには、天皇と我々日本民族の先祖神である、
日の女神(天照大御神)を崇拝するために、多くの人が
やって来ます」

 そして天皇への崇敬の念の根強さは、天皇の戦争責任
について発言した本島市長に対する殺害行為や脅しなど
に例示されています。

 ガソリンを持った男が本島市長の執務室に押し入ろう
として逮捕されたり、100台ほどの宣伝カーが長崎市街
に詰めかけ「本島に天誅を」と叫んだりしたわけです。

 天皇に対する崇敬の念は他の面にも表われました。

 天皇の容体が悪化していたとき、国中に自粛ムードが
広まりました。

 祭りや宴会は取りやめになり、祝い事に関連した商売
は手痛い被害を被りました。

 運動会を中止した学校もありましたし、暴力団員さえ
も抗争を控えました。

 生活に甚大な影響が及んだために、とある新聞紙面上
には「天皇のご病気に対する国の反応は、いささか行き
過ぎのきらいがある」との活字が躍ったほどです。

 この行き過ぎに危惧の念を抱く人もいましたが、大半
人々はたとえ同意していなくても、大方はそれを許容し
容認しました。

 それは、おそらく、同調しなかった場合に被る不利な
影響を考えてのことだったのでしょう。

 この同調圧力は、先般の〝コロナ禍〟の際に遺憾なく
発揮されたことは記憶に新しいことです!

 その当時にある心理学者は、「今の時点では、保守的
であることが一番の得策です」と言いました。

 しかし、かつて軍人だったある人は「人々は周りの目
を気にして、他の人々がしていることにただ従っている
にすぎない。これは我々を戦争へと導いたのとまったく
同じ精神構造だ」と嘆いたわけです。

 それにしても、わたしたちはどのように行動すべきか、
特に、だれを崇拝すべきかに関して、ただ周囲の人々の
行動や崇拝に倣って決定すべきなのでしょうか!?

 根拠のない宗教信条のために自分の命をむなしい戦争
に捧げた幾百万という人々のことを考えてみてください。

 盲目的に群衆に従うと悲惨な結果を身に招きかねない
ことは明らかですが、真に根拠のない心情で先人たちは
自らの命をこの国のために捧げたのでしょうか!?

 こうした出来事をよくよく考えるならば、

 「自分の知らないもの」を崇拝していると実際に災難
を招く場合があることは分かります。

 たとえば、

 「知らないで礼拝するサマリア人」として似たような
話が『ヨハネの福音書』第4章22節に載っていますが、

 日本の、否や、日本人の場合には、根本的な相違点が
そこにあるように思えてなりません。

 日本人は古くから「この国を治めている天皇はこの国
を創った神々の末裔であって天皇の統治の正当性は神の
正当な末裔であることによって担保され、我々の先祖も
そうした天皇家から分かれた一族であり、代々奉仕して
きた、あるいは古くから随従してきた一族である我々の
先祖は、この国を統治する天皇家の一員なのである」と
するそんな意識が垣間見えるだけはでなく、そのように
思い込んでいるのかもしれません。

 小生はこの思い込み(思い違いかも)を否定しません
し、むしろ積極的に肯定したい気持ちでいます。

 当然ながら、天皇を本気で「現人神」だと思っている
わけではありませんが「八紘一宇」の精神は大事な要素
だと考えています。

 ちなみに、

 ★ 八紘一宇(はっこういちう)、または、八紘為宇 
(はっこういう)とは、全世界を天皇のもとに一つの
家とするという意味で、「八紘」は四方と四隅つまり
世界・天下のことで、「宇」とは家のことです。

 要は、「天下を一つの家のようにすること」または 
「全世界を一つの家にすること」を意味する四字熟語
で「天皇総帝論」や「唯一の思想的原動力」などとも
表現されます。

 ですから、自分が本当に知っているものを崇拝して
いるかどうかはとても大切な事柄になるわけです。

   むむう!     

   この男は、何も、わかってませんな!
「現人神」とは、〇〇〇なんじゃ! 

  戦前の天皇のこととされておるが ・・・
  
      それは間違いなんじゃよ!
  
  男が男らしく、女が女らしかった時代の話ね!
  
   「お前さんは、どう思うんじゃ
 んん  
  
  「 彼らは、いったい何を望んでいたの?」
 
    〝LGBT-Q〟の普及じゃな!
  
       またもや、そっち!

       日本は端から、LGBTの先進国だったのに ・・・!?
       
  (だよね!)               う~む  (^▽^;)(^^ゞ 
   
         なんだかなぁ!      

  
          祭祀王 卑弥呼 ameblo.jp

  … to be continued !! 
    
    銅鐸祭祀のジオラマ(橿原考古学研究所附属博物館)daredoku.net

 このつづきとして『祭祀王』と題するテーマでの記事を予定しています。

卑弥呼
          祭祀王 「卑弥呼」 www.meihaku.jp

     symbol2 ダ・ヴィンチの推理は続きます。

コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

小吉
少し疑問に思ったのが「戦争責任」というもの。なんとなく当たり前かのように「そうだよね、戦争を起こした責任があるよね、裁かれないといけないよね」と思わせられますけれども本当にそうなんでしょうか?
そこから「東京裁判」のこととか国連のこととか天皇のこととかいろいろ話は広がりますが天皇の話に絞るとどう考えても国民を戦争に賛成させるために「天皇」という神を利用したように思います。おそらくですが現代の若者は「八紘一宇」なんて言葉知らないでしょう。

面白いなと思ったのは少し前ですが今の上皇様の誕生日にある女の子がSNSで写真をデコレーションさせて「天皇誕生日おめでとう! あんま絡みないけど、素敵な82歳にしてね♡」という投稿をして大炎上したことがあって、私はそれを「いい時代だな」と思うのですがおそらく戦時中だったら軍刀で斬られていたでしょう。

私は神道を信じているので天皇家が天照大神と関係があり、天皇は神の系譜なのだと信じて疑わないのですが、現代の象徴としての天皇というのはとても素敵だなと思います。

日本と言う国の歴史や世界的にみた天皇の立場(emperor・皇帝)というものは日本人として誇りに思えることだと思います。

とかなんとか語るとコメント欄では埋まらないので割愛します。
aidman
コメントありがとうございます。
興味を持っていただいて感謝しています。

天皇を戴く日本に誇りを感じている者のひとりとして、まかろんさんのおっしゃるところの日本の「神話」についての私見を述べるとすれば、おそらくそれは、「武士道」ではないかと思われます。

当ブログにも『ダ・ヴィンチの罠 武士道』という記事がありますので、是非、一読していただけると幸いに存じます。
https://blog.goo.ne.jp/aidman/e/cf7a9b67af2cdbd9da2b7715f8707a87/?img=d8e76f0f7ab5eb41aef1a957f485d766
macaronteaparty
興味深く読みました。
かつて我々は天皇を担ぐことで
大きな戦争に突き進んでしまった経緯があるとは言え、
個人的には、

・・それでも天皇制(天皇を尊いと戴く制度)は
日本に必要だ、と考えています。

国として団結することは、悪ではありません。
刃物が良くも悪くも使えるように。

国として人々が団結できない国に、
いったいどんな世界貢献ができるでしょう??

道徳も崩れるでしょう。

今の日本の人々の道徳心が薄れているのも、
その辺りが関係していると思えてなりません(あくまで個人の意見ですが)

どんな国にも、その国特有の「神話」があると聞きました。
ここでいう神話、とは神様たちの話のことではなく、
人々が信じてる、俺たちの国ってこういうもの、という概念です。

例えばアメリカの神話とは、
アメリカンドリームです。フロンティアスピリッツです。

日本の「神話」とはなんだろう、と考えたのですが、
よく分かりません(サムライとか真面目とかでしょうか)。

ただ、それが何であれ、
天皇制を崩したら、その日本の美点も崩れていく、

私はそう確信しているのです。

ダ・ヴィンチさんのご意見と違っていたら
申し訳ありません。どうか聞き流してください。

これからも考察をお進めください。
失礼しました🙇‍♀️ by まかろん
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