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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 遺言状

 フランスの国王フランソワ1世に招かれたダ・ヴィンチは、
アンボワーズ城の近くのクルーの館に住み、1519年5月2日に
この地にて客死し、アンボワーズの聖フロレンティーノ教会
に葬られました。

 
  アンボワーズ城 & クルーの館(クロ・リュセ城) ja.wikipedia.org

 死の直前の4月23日に弟子のメルツィや副司教・神父らの
立会いのもとにダ・ヴィンチは自らの遺志を伝えます。

 ちょっとばかり堅苦しい言い回しの「遺言」ですが、
その顚末の次第(一部)を見てみることにしましょう。

 
         【遺 言 状】

 この場に今、居合わす人々も、後の人々もみんな次のこと
をはっきり知っていただきたい。

 すなわちアンボワーズの我が国王陛下の法廷にいる我々の
目の前で、アンボワーズ郊外のクルーと称する地に現住する
王室画家レオナルド・ダ・ヴィンチは死の確かなことと死ぬ
日時の不確かなことをつらつら考えて、上記法廷に立会人と
しての我々の前で、彼の遺言状を作成し、最後の意思の表明
を次のように成したことを認め、且つ、声明したこと。

 まず第一に、彼はおのれの魂を我が主である偉大なる神と
光栄に満てる処女マリア、聖ミカエルおよびありとあらゆる
天国の至福なる天使、聖徒、聖女に委ねまつる。

 同じく、上記遺言人はアンボワーズの聖フロレンティーノ
教会の境内に葬られ、その遺骸は同教会付きの司祭らの手で
運ばれることを希望する。

 同じく、前記の遺言人はミラノ生れの紳士フランチェスコ
・ダ・メルツィには、過去を通じて遺言人に対してなされた
忠勤と厚意の報酬として、上記遺言人の現在、所有せる書籍
全部そのほか彼の芸術および画家の仕事に属する道具および
肖像画類を贈与し譲渡する。

 フィレンツェ市の聖マリア・デ・ノヴァの財務係の手元に
貯金せる太陽貨400スクーディの全額は 積立てられるべきで
ある利子利息全額とともにフィレンツェに居住せる彼の肉親
の兄弟に与えられるように手続すべきことを遺言する。

     日付 1519年、復活祭前の4月23日

 これは遺言の一部分ですので、もう少しだけ補足すると、

 自身の体力の衰えから自分の死期を悟ったダ・ヴィンチは、
誕生日からわずかに経過した1519年4月23日(ユリウス暦)に
アンボワーズの宮廷付き公証人他、弟子のメルツィたちの前
にて、口述で遺言状を作成します。 

 遺言状は当時の慣習に従って、自分の魂を神と聖母マリア
と聖ミカエルおよびすべての聖人・聖女に委ねるという宣言
から始まります。

 宣言に続いて、ダ・ヴィンチは自分の葬式の次第について
詳細なる希望をしたためます。

 ● アンボワーズの聖フロレンティーノ(聖フロランタン聖堂)
の教会内に埋葬され、その遺骸は教会の司祭に運ばれること。

 ● 聖フロレンティーノ教会までは、同教会の教区長や主任
司祭、アンボワーズの聖ドニ教会の副司教と礼拝堂の司祭、
および同地のフランチェスコ修道士に随行されること。

 ● 聖フロレンティーノ教会で助祭と副助祭により、3回の
大きなミサがおこなわれ、聖グレゴリオで30回の読誦ミサが
唱えられること。

 ● 聖ドニ教会でも同じ様式の儀式が執り行なわれること。

 ● 聖フランチェスコ会でも同等の儀式が行なわれること。

 等々、なんとも仰々しくも子細なる注文が並びます。

 さらには、

 ● その葬儀に際し、60人の貧しき人の手で60本の松明が
捧げられ、運ばれることを希望し、同貧者には、この役務
によってメルティから金銭が付与されるとし、その松明を
4つの教会に分けることを希望しています。

 ダ・ヴィンチがメルツィに譲渡した彼の手記(手稿類)は
現在、約5000枚がミラノのアンブロジアーナ図書館にあり、
他にはトゥリヴルツオ伯爵家やパリのアンスティテュート・
ド・フランスおよびイギリスのウィンザー王宮、大英博物館
、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館などに散在して
いますが、

 

 これらはダ・ヴィンチの手稿類のおよそ3分の2にあたり
、残りの3分の1については消滅(煙滅・湮滅)したと推定
されています。

 こうした終活の締めとも言うべき葬儀の進行までを細かく
指定した「遺言状」は極めて稀であって、浮世離れした
芸術家の趣味的な指向というイメージが浮かびますが、彼は
「万能の天才」らしく、最終局面でも実に有能だった
ということが出来るのかもしれません。

 つまり、それは、

 ここに最後の「罠」が仕掛けられているということです。

 孤独の中で誰からも理解され難かったダ・ヴィンチが今迄
生きてきたのと同様に、自由と真理の中で死ぬことを願うと
同時に、世間の風評を裏切って、カトリック教会の忠実なる
僕(しもべ)や子として死ぬことを欲したかのような最期を
見せることによって、
         

 実生活では芸術家にありがちな奔放さよりも真面目で堅実
な対処ができる人であったと思わせるための最終的な完結版
としての演技であったわけなのです。

 ダ・ヴィンチが、この葬儀方法に異様に拘っていたことは
遺言状の後半で何度も遺言を実行するように訴え続けている
ことからも十分に想像できますが、葬儀についての希望だけ
ではなく、財産の配分についても細かく記載されています。

 たとえば、最愛の弟子フランチェスコ・ダ・メルツィには、
それまでの務めと厚意の報酬として、すべての書籍、芸術や
絵画の仕事道具と肖像画を遺贈し、また彼を遺言状の執行人
として指名しているほかに、自分の不動産や貯金、衣類など
を細かく列挙し、それぞれ肉親や使用人などの誰に渡すかを
指示しています。

 例を挙げれば、ミラノの城壁外に所有する庭園(ブドウ園)
の半分を、使用人のバッティスタ・デ・ヴィラニスに、また
同庭園の残り半分を同じく使用人にして弟子のサライに遺贈
するほかにも侍女のマトゥリーナに、毛皮の裏の付いた黒の
上等な布地の外套を贈与するとしています。

 なお、     この「遺言状」は、 

 ダ・ヴィンチが死を迎える9日前に作成されたものですが、
残念ながら原本は失われてしまいました。

 しかしながら、

 後に作成されたイタリア語の写しは現存しているそうです。 
   よかったよね!   

 ダ・ヴィンチがミラノ生まれの貴族の出身だったメルツィ
に、所有するすべての書籍と美術および画家としての職業に
関する諸道具および肖像画類を遺贈するとしたうえで、彼を
遺言状の執行人として指名したのは、彼が貴族の出身である
ことと無関係ではありませんでした。

 ダ・ヴィンチは、金銭目当てによる絵画や手稿類の流出に
よって「罠」が散逸してしまうことを恐れていたのです。 

 その点において、

  
   フランチェスコ・ダ・メルツィの肖像

 貴族の出身であれば、金銭に流される心配はなく、また
サライと違い人物的にも信頼のおける人間であったことが
、遺言状の執行人の指名につながっていたのでしょう。

 1519年の復活祭に先立つ4月23日に作成された遺言状は
残念なことに、その原本は失われてしまいましたが「罠」
は現在においても、しっかりと生き残っています。

 ところで、

 この「遺言状」における「罠」の肝胆 (きも)は
いくつかの意味不明な数字の中に隠されているようです。

 なな、なんと、それは、

  実に「オルタナティブ」見解だよね!

 

   ・・・ っておいおいおい、    

 葬儀に際しては、アンボワーズの聖フロレンティーノ教会
に埋葬され、その遺骸は同教会付きの神父たちの手で運ばれ
た後に、助祭と副助祭による3回の大きなミサが執り行われ、
聖グレゴリオで30回の読誦ミサを唱えるとしています。

 つまり、3回のミサと30回の読誦ミサです。

 そして、聖ドニ教会や聖フランチェスコ会でも同様の儀式
をおこなうとなると、(3回のミサ+30回の読誦ミサ)×2が
増えるということになるのでしょうか?

 さらに、

 60人の貧しき人たちの手で60本の松明が捧げられ、4つ
の教会に運ばれることを希望しているとしていますが、

 こちらは60人の人々と60本の松明に4つの教会ですよね。

 どう考えても、なんらかのメッセージが秘められている
としか思えませんが ・・・

       ふむ    ふむ    ふむ

    
       画像元  www.pinterest.jp          

 要するに、ここで取りざたされるのは、

① 遺骸は、同教会付きの神父たちの手によって運ばれる
② 同教会の教区長や主任司祭及び聖ドニ教会の副司教と
  礼拝堂の司祭、同フランチェスコ修道士に随行される
③ 助祭 副助祭による3回の大きなミサと30回の読誦ミサ
④ 聖ドニ教会や聖フランチェスコ会で同様の儀式を行う
⑤ 60人の貧しき人たちの手で60本の松明がささげられる
⑥ この役務によって、貧しき者たちに金銭が付与される
⑦ その松明を、4つの教会に分けることを希望している

 等々の意味や意図が全く不明で計り知れないわけです。

 果たして、実際のところはどうなのでしょうか!?

        
        (う~む・・・)

 そこには「罠」のグレードの違いや偽装工作など
の疑いがあるのでしょうか❓

 次回では、その辺りを焦点にして、新たなる推理や
考察を加えてみたいと考えています。
       
    なるほどね!     
    

 果たして、いったいどうなることやら❓

  それにしても、  
 
  奇妙な「遺言状」よね!   
     
    実に不可解じゃのぉ!?
 
     おそらくは、なんらかの、 
 
  「罠」があるんじゃろな❓ 
 
「問題はそこよね !!」 (むむむむ)


   ダ・ヴィンチが描く素描のイメージ ameblo.jp

    レオナルドー知られざる天才の肖像ーシーズン1-5話 ABEMA


   コンタクト (Credit- Kendall Hoopes from Pexels)sorae.info 

 
     なんだかなあ❓

     … to be continued !!

     

コメント一覧

aidman
いつもいつも、コメントをいただきありがとうございます。

それにしても、唐突に〝田吾作さん〟ですか???
小吉
ときどき江戸時代に生きていたであろう田吾作さんのことを考える。

田吾作さんは死ぬ前に何を思ったのだろう。

田吾作さんはどんな人生を生きていたのだろう。

田吾作さんは何を食べ、何を喜びとしていたのだろう。

田吾作さんは、何を思っていたのだろう。

そういうことを考える。
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