を書くように指図をされた ボク は、日本的なトップダウン
(上意下達)に もののあわれ を知るという日本人の
心根よりも 「部下のあわれ」=「下の者(もの)のあわれ」
を感じないわけにはいかなかったのでした
![ase](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/ase.png)
『もののあわれを知る心』 をアップして以来、
![exclamation](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/exclamation.png)
そんなうっ血したようなドス黒い不満が燻(くす)ぶる気分
ではテーマに沿った記事のアイデアなど浮かぶはずもなく
いたずらに日にちだけが過ぎて行きました。
パワハラと呼ぶほどには大袈裟なものではないにせよ、
勝手にテーマを決められるのはどうかとも思うし、同一の
テーマで先に1号 さんや 2号 さんがエントリーしたあと
では記事のネタも限られてくるし、ほとほと困り果てていると
「以前に『三島由紀夫と北朝鮮』というタイトル
で1号 さんのひとり舞台劇をメインに据えた対話形式の
記事をアップしてたじゃないか」
「えっ
![exclamation2](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/exclamation2.png)
「あれに材をとったらどうなんだ
![eq](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/eq.png)
![exclamation](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/exclamation.png)
と、2号 さんが声をかけてくれたのです。
「三島といえば、キモいぐらいに「愛国心」が似合う
感じの人物じゃないか」
「その辺りを混ぜ込んでさっさと仕上げちゃえ」 ということ
で、どうやら浮かない様子を見て取った 2号 さんに釈然
としない心のモヤモヤを見透かされていたようなのですが、
それにしても 2号 さんの魂胆がよくわかりません。
三島由紀夫と「愛国心」は似合うと振っておきながら
ボクの耳もとで 「実は三島は 『愛国心』 という言葉
が大嫌いだったらしいよ」 などというようなことをこっそりと
つぶやくわけです。
義に殉ずるが如き愛国者然とした狂気の割腹劇を演じて
みせた男を題材に使えば、この窮状から手っ取り早く脱出
するエッセンスが見つかるとでも言いたかったのか
![question2](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/question2.png)
まあ、三島の短編を映画化した『憂国』は、「切腹」 を
モチーフにしていて、あの市ヶ谷での割腹事件の素地にも
なっていると言われているので、是非にも 観て見たいとは
思っていたけど、三島由紀夫と「愛国心」を語る
ことで何かがインスパイアされるとでもいうのだろうか
![nose7](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/nose7.png)
![ase2](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/ase2.png)
「自分を日本人だと信じて疑わないボク だけど自分を
日本人だと認識させているものとは、なんだろう」 という
素朴な思いを 「日本人の両親から生まれて日本で育った
人間は、皆、日本人ですよね
![question2](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/question2.png)
質問を 『もののあわれを知る心』 の冒頭で、
2号さんに訊ねてしまったボク ですが、正直、自分を
日本民族だと自覚したことはこれまでなかったし、今後も
きっとないと思うのです。
「愛国心」 には自国を良くしたいという心情が伴なう
ように ボク は思っていたけど … 言い換えれば自分に
とっての「よい国」のイメージを自らに重ねて「憂国の士」
の如くに何事かを訴えるような、いかにも自分は純然たる
「愛国者だ
![exclamation2](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/exclamation2.png)
、(三島由紀夫を想像して言っているのではありませんョ)
他者に対しても「愛国心」を強要するものでもありません。
ボク にとっての「愛国心」 の本質は帰属意識だと
思うのです。
何の変哲も面白味もないけど生まれ育った国の文化や
伝統に加えて有形・無形の価値観や精神的に培われた
価値体系からは逃れられないと思うからです。
そして ボク の思う 「愛国心」 とは、いい意味での
アンカー、つまり 船の錨 のようなもので、それなしでは
単なる根なし草のように漂流するだけの流浪の身となって
しまいますから …
![ase2](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/ase2.png)
さて、
話を三島に戻せば 『若きサムライのために』
において … 「ナショナリズムというのは民族の生の衝動で
あり、それと背中合わせに死の衝動がある。この死の衝動
の方をうまく担保するものを政治が与えるかどうか、それが
政治の一番の問題になると思う」 と三島は述べています。
つまりそのことは、国の存亡(国防)にかかわる国家的な
死の問題と精神的な死(従属的な国家体制)を言っている
わけです。
国を守護すべき軍隊(自衛隊)が米国の傭兵と化してから
何十年も経つのに自立することも適わないのが現状です。
現に、「自衛隊の最終指揮権がどこにあるか」の問いに
政治はまともに答えていません。
果たして、
それは総理大臣にあるのか いや待てよ 米国の
大統領じゃないのかとさえ思えてならないからです
ボクの知る三島由紀夫は 『憂国』 を観るまでもなく
「楯の会」 という結社を組織した時点で「愛国心」
はともかくも強圧的な国家主義を標榜したナショナリストで
あるという印象が拭えませんでしたが、こうして記事を書き
進めてみると三島が「愛国心」という言葉を嫌っていた
とする2号さんの耳打ちの意図が少しだけわかったような
気がします。
昭和の時代に三島由紀夫が抱いた日本という国の将来
に対する憂いと40数年を経た平成の世に蔓延(はびこ)る
「お茶漬けナショナリズム」とのギャップです。
… 私が言いたいことは、口に日本文化や日本的伝統を
軽蔑しながら、お茶漬けの味とは縁の切れない、そういう
中途半端な日本人はもう沢山だということであり、日本の
未来の若者にのぞむことはハンバーガーをパクつきなが
ら、日本のユニークな精神的価値を、おのれの誇りとして
くれることである(『お茶漬けナショナリズム』三島由紀夫)
自決の4年前(昭和41年)に「文藝春秋」に寄稿した一文
ですが …
やたらと外国の素晴らしさを喧伝しては日本の因習的な
伝統文化を貶(けな)す一方で「やっぱお茶漬け最高」
などと口を突いてしまうようなメンタリティの持ち主を三島は
「お茶漬けナショナリズム」と称して馬鹿にしていました。
そうしたお茶漬け的 「愛郷心」 を皮肉る要素を三島
は 「愛国心」 という言葉のなかにも見つけ出して嫌悪
していたのかもしれません
平成の世では、軽さとノリが売りの「ぷちナショナリズム」
や三島が侮蔑する「お茶漬けナショナリズム」 だけでなく、
工業製品からイデオロギーに至るまで軽薄短小が好まれ
、鬱陶しく重苦しいばかりの重厚長大なものは避けられる
傾向にあります。
当時も今も三島の思想や行動はとても危険で、凡人たる
ボク にはすんなりと受け入れられるものではありません
が、その思いの丈は40数年が経過した今もなお生き続けて
いると思います。
その意味では、三島は予言者として自らの義に殉じた
というべきかもしれません。
まもなく43回目の「憂国忌」(11月25日)が
やってきます。
それなのに、切腹までして憂いた国では、あろうことか
食材の偽装(虚偽表示)に大手、一流どころ何するものぞ
と、上から下まで、官も民も、揃いも揃って収拾がつかない
ありさまに「憂国の士」は、草葉の陰から
一体、何をどう思っているだろうか
![ase](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/ase.png)