世界遺産となった富士山に登ってみようと計画をして
いる人もいるでしょうが、昔は富士山などの霊山へ登る
際には 「六根清浄」 (ろっこんしょうじょう) という
掛け声が頻繁に唱えられていました。
「六根清浄」 とは仏教用語で、人間に具(そな)わった
六根を清らかにすることです。
六根とは、所謂(いわゆる)五感とシックスセンス
(第六感)と呼ばれる意識の根幹をいいます。
すなわち、 眼根 視覚
耳根 聴覚
鼻根 嗅覚
舌根 味覚
身根 触覚
意根 意識 ― (心) … を指すのです。
これらは世間と触れあう部分であるために汚(けが)れて
いて、そこから罪が生まれるという考えから、それを清める
ために 「六根清浄」 と唱えられていたのです。
六根は人間の認識を掌(つかさど)るうえでの根幹です。
それが我欲などの執着にまみれていては仏教における
正しい道(八正道)の実践がかないません。
そのために執着を断ち、魂を清らかな状態にもどすこと
を 「六根清浄」 と言うのです。
つまり、不浄なるものを、見ない、聞かない、嗅がない、
味わわない、触れない、感じないよう俗世との接触を断つ
ために 山ごもり などの修行が修験者や修験僧を中心に
行なわれていたのです。
【八正道】 とは、
涅槃に達するための修行の基本となる八つの徳で …
正見(真理を知る正しいものの見方)
正思惟(正しく考え、判断をする思考)
正語(悪口雑言、嘘、偽りのない言葉)
正業(殺生、盗み、姦淫を犯さぬ行為)
正命(公序良俗に反しない正しい職業)
正精進(不善を断じて善を生ずる努力)
正念(本質や真理を求める正しい思念)
正定(正しい集中力と精神統一の完成)
となりますが、 正見は ~ の七種の正道によって
実現され、【八正道】 はすべて正見に納まるのだそうです。
なんだか分ったようで、よく分らないサマは、悟ったようで
悟りきれない凡人の性(さが)なのか、業(ごう)なのか
立ち上がったり、座ったり、物を持ち上げたり、荷を降ろす
際に、ついつい頻繁に 「どっこいしょ」 と声がかかるように
なってくると、もう トシ だなぁということになるのですが…
この 「どっこいしょ」 は、登山の際に用いられた掛け声と
しての 「六根清浄」(ろっこんしょうじょう) が音便化
して 「どっこいしょ」 になったという説があるのです。
どうやら、
觔斗雲に飛び乗って世界の果てにまで行って来たつもり
でいる孫悟空の増長ほどの才も力もないままに単に年齢
だけを重ねてきただけの自分は、ただただ、ことあるごとに
「どっこいしょ、どっこいしょ」 と 「六根清浄」 を唱えること
で精一杯のようですね
さて、
觔斗雲の 「觔斗」 とは、「宙返り」 の意で、孫悟空が雲に
乗る術を披露した時に とんぼを切って雲に乗ったのを見た
仙術の師の須菩提が、特別に授けた術が「觔斗雲の術」で
、ひと跳び(宙返り1回)の速さで10万8000里を自在に飛ぶ
とされているのです。
西遊記が書かれた中国の唐の時代の1里は559.8m
(360歩=1800尺)ですので、10万8000里は約6万500km、
宙返り1回を1秒で計算すると、觔斗雲の速度は秒速では
6万500kmですから、およそマッハ17万6000となって、光の
速さのほぼ20%に相当します。
これは地球を一周半する距離を一秒で駆け抜けるわけ
で、さすがは白髪3千丈の国らしい途轍もない誇張です。
「觔斗」の意味を解さない日本では,「金斗雲」や「斤斗雲」
あるいは 「筋斗雲」 と当て字が使われているようですが、
正しくは 「觔斗雲」 です。
【八正道】 でいう正見ですね
真理を知り、正しいものの見方を実践するとなると …
是非や善悪の判断は難しく、特に灯台もとは暗いので、
「ディオゲネスのランプ」 で
脚下照顧 して、己(おのれ)を見つめ直そうか
ふう~ぅ、やれやれ、
どっこいしょ っ と
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