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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 縄文人

 『ダ・ヴィンチの罠 大噴火』からのつづきです。

 従来から提唱されていた渡来人が縄文人を追い出して
大和王権を樹立したとする説は、最近の核ゲノムなどの
DNA研究の結果から判断すると、どうも誤った言説で
あったようですし、縄文人がそのまま大和王権の中心に
なっていったとする話もまったくの眉唾物だとすると、

 天孫族(日本神話において天から降臨しヤマト王権を
つくったとする古代勢力)は、一体どこからやってきた
のでしょうか!?

 という疑問についての考察から今日は入ってみたいと
と考えていたのですが、この際だからと思い、大風呂敷
を広げてみることにしました!

 そこで、ここでは、

 『ダ・ヴィンチの罠』というタイトルを冠しているのに
もかかわらず、何故『縄文人』をテーマにするのか?

 そんな疑問を感じている方々に、まずは、お答えする
ことから始めてみたいと思います。

 最も一般的な質問として、そもそもダ・ヴィンチは日本
を知らないだろう!?ということが挙げられますが、

 レオナルド・ダ・ヴィンチと日本とは、決して無関係
なものでも無縁でもないのです。

 何故かと言えば、

 2013年に筑摩書房から発行されたトビー・レスター著
『ダ・ヴィンチ・ゴースト(ウィトルウィウス的人体図
の謎)』の中で、「ダ・ヴィンチと日本」とを結びつける
決定的ともいえる史実と推論が紹介されていたからです。

 以下は、英語版の骨子についての説明となります。

 ・・・「一四七四年にポルトガルの友人に宛てた手紙で、
トスカネッリは、ヨーロッパから極東に達する最善の経路
アフリカ大陸の南を回って東へ航海するのではなく、海図
にない未知の大西洋を西へ横断することだと提案した。

 数年後、クリストファー・コロンブスがその手紙に目を
とめ、さらに詳しい情報をくれないかと手紙で要請した。

 これらの情報を合わせると、驚くべき考えに行きあたる。

 死のわずか一、二年前の一四八二年に、トスカネッリは
レオナルド・ダ・ヴィンチとクリストファー・コロンブス
両者に助言を与えていたかもしれないのだ。」・・・

 (トビー・レスター著『ダ・ヴィンチ・ゴースト』
     筑摩書房2013年106~107頁)

 パオロ・ダル・ポッツォ・トスカネッリ(1397~1482) 
は、イタリアの地理・天文学者でフィレンツェの人です。 

パオロ・ダル・ポッツォ・トスカネッリ - Wikipedia
 パオロ・ダル・ポッツォ・トスカネッリ ja.wikipedia.org

 「地球球形説」を信じて西方航路を主張し、コロンブス
にその見解を伝えて、自作の世界地図を贈りました。

 トスカネッリとレオナルド・ダ・ヴィンチは、ともに
フィレンツェの出身です。

 フィレンツェで修業中だった若きダ・ヴィンチが晩年
の老思想家トスカネッリとのあいだに交流があったこと
は複数の文献で、たびたび紹介されているのですが、

2度目の登場コロンブス  
 クリストファー・コロンブス www.japanjournals.com

 同世代の北イタリア人で、ジェノバ出身のコロンブス
(1451年頃~1506年)と、ダ・ヴィンチ(1452年生)の
あいだに交流があったことはあまり知られていません。

 ダ・ヴィンチとコロンブス、後の世界を決定的に変革
した2人の巨人たちが、わずか 200キロ圏内で同じ時期
に生を受けていたとは実に驚くべきことですよね!

 さてと、今回のテーマは『縄文人』です。

 ダ・ヴィンチと日本との係わりに関しては、これから
おいおい話を進めることにして、 

 ここは、一旦、 大風呂敷をたたみ、タイトルにある
『縄文人』についての記事に話を移すことにしましょう。

 今や、世界の遺跡や神話、そして最新のDNA研究の
結果などから、日本を〝起点〟とする新しい歴史として
〝本当の人類のルーツ〟を探るムーブメントが起こって
いるように感じています。

 畢竟するに、たとえ贔屓目に見なくとも、どうやら、
文明のルーツとやらは、この日本にあるらしいのです!

    日本地図 - Wikipedia
     日本の地図 ja.wikipedia.org

 イランもエジプトも中国もインドも「ちょっと待って
くれ!」と叫んでいるようですが、証拠は静かに粛々と
そして、確実に日本を指さしているのです。

 なぜ、縄文人のDNAが遠くアラスカのイヌイットや
ネイティブアメリカン(エスキモー)に似ているのか?

 DNA以外にも、アラスカで発見されるペトログリフ
(岩面彫刻)の文様のデザインが似ているとか?

 南米エクアドルの地下遺跡から発見された黄金版には
日本語の出雲文字が使われていたり、バルディビア遺跡
では5000年前の縄文土器が発見されているとか?

 なぜ、イースター島には青森で見たような土器と同じ
かたちのものが埋まっているのか ・・・ とか?

 これらを偶然と呼ぶのは余りに話が出来すぎています。

 もう、そろそろ気づいてもいい頃かもしれませんね!

 たとえば、

 最新のゲノム解析によると、日本列島に暮らしていた
縄文人のDNAが、ユーラシア大陸を突っ切り、はるか
南米やポリネシアにまで似た遺伝パターンを残している
ことが分かってきましたが、遺伝子は嘘をつきません!

 彼ら縄文人は、何万年も前にシベリアの氷原を越えて
アリューシャン列島を渡り、北米の大地を歩いていたの
でしょう!? 

 「きっと」と言うか、現段階においては「多分」としか
申し上げられませんが ・・・

 さらに言えば、

 太平洋を縦横無尽に航海して、ハワイ、ミクロネシア
、イースター島、果てはアンデス山脈の麓にまで足跡を 
残しているようなのです。

 これは日本列島を中心にして放射状に広がるDNAの
拡散ルートを示しているようで、日本から始まった人類
の拡散地図を見る思いがします。

 エントロピーは物質の乱雑さの尺度ですが、曼荼羅の
ようなこの拡がりを何と表現すればいいのでしょうか!

両界曼荼羅 文化遺産オンライン
       両界曼荼羅図 bunka.nii.ac.jp

 ところで、 その昔、小生は、子供心に ・・・

 旧石器時代に始まった竪穴式住居が縄文、弥生、古墳
を経て、飛鳥、奈良時代になると五重塔が建ってしまう
のは、何かがおかしいと思っていました。

 歴史の授業にしても、

 縄文時代は、まるで原始人が暮らす世界のような感じ
で、日本列島では石器から漸くにして土器がつくられる
、そんな如何にも日本が遅れた国であるかのような印象
を植え付けるだけの時間だったように記憶しています。

 現代の我々は、見た目こそ今風の身なりで、スマホを
ポチポチ弄っていますが、その体内には縄文人の記憶が
しっかりと刻み込まれているのです。

 そう、神が記した設計図と言われるDNAの中身です。

 前回の繰り返しになるかも知れませんが、ここでまず
注目したいのは、mtDNA(ミトコンドリアDNA)と
y染色体のハプログループで、前者は母親から、後者は
父親から受け継がれます。

 つまり、

 この2つを調べれば、父方・母方のそれぞれの先祖の
ルーツが辿れるわけです。

 縄文人の mtDNAは、ネイティブ・アメリカンの一部
と極めて近いというデータがあるうえに、ネイティブの
中でもアラスカの先住民族や中米のマヤ系統の先住民に
特有の「ハプログループX」と日本の古代人にみられる
特定のハプログループが系統的にリンクしている可能性
が指摘されています。

 さらに、y染色体でも、日本人の男性の中に見られる
ハプログループD1bが、チベット人、アンダマン諸島の
部族、そして古代シベリヤ系の民族と一致するのです。

 このことは、

  縄文人のイラスト 
   縄文人の顔のイラスト irasutoya.com

 縄文人が極東アジア最後の「孤島民族」などではなく、
ユーラシア大陸全体を結ぶ巨大な遺伝子ネットワークの
ハブであったことを示しています。

 そして、この説を補完するのが、氷河期に海面が現在
より 100m ほど低かった時代に、アジアと北アメリカは
陸続きで、そこを人類が渡り北米に進出したというのが
〝ベーリング海峡越え仮説〟ですが、この移動に縄文人
が含まれていたわけです。

 しかも、

 2019年にアメリカで発見された約1万5千年前の遺跡
から出土した鏃(矢じり)や土器のかけらが、青森県で
見つかった縄文の道具とほぼ同一の形状をしていたわけ
で、それは似ているというレベルを遥かに超え、まるで
設計図をコピーしたのではないか?と疑ってしまうほど
に〝そっくり〟なのです。

 そこに、先のDNAのデータと頭蓋骨の形状データが
が重なると、もはや偶然では済まされずチェックメイト
となる公算が高まるでしょう!

 縄文人の身体的特徴は、顔が立体的で彫が深く、鼻も
高いうえに顎はしっかりしています。

 
 「彫りが深く体毛が濃い縄文人」 blog.livedoor.jp

 これらの特徴は、アイヌ民族や沖縄の原住民、そして
北米の一部のネイティブ・アメリカン(インディアン)に
引き継がれています。

 特に、頭骨の前後の長さと左右の長さの比率が縄文人
とネイティブ・アメリカンとで酷似し、極めて一致する
データとなっています。

 小生の仮説ではこうです!

 日本列島を中心(拠点)に、縄文人が北上して東西に
アラスカとシベリアを横断し、それぞれに南下します。

   縄文人のイラスト(全身)   

  彫りが深く体毛が濃い縄文人 irasutoya.com

 東では、アメリカ大陸全土に展開する「縄文航路」説
となって、アメリカ・メキシコ・エクアドル・ペルーなど
につたわる古代文化や文明として、その痕跡(足跡)を
残します。

 たとえば、

 中南米の神殿建築、ジャガー信仰、漆を使用した道具、
貝のアクセサリー、歯を削る文化 etc・・・

 それらの一部始終が、縄文人が太平洋を越えてもたら
した文化の変異した姿なのではないでしょうか!?

 また西では、北上した縄文人がシベリアから南下して
中央アジア付近から東を目指し、満州や中国を経由して
朝鮮半島にまでやってきます。

 そうしたシベリアからの南下組と、およそ7300年前の
アカホヤの大噴火などで列島から外に飛び出した一部の
縄文人が、東アジアやオリエント(小アジアから中近東)
地域で新たな文明に関わりながらも、それぞれ異なった
タイミングで最終的には日本列島に帰還したものとする
考え方が『ダ・ヴインチの罠』における小生の仮説です。

見出し画像
       アカホヤの大噴火(鬼界カルデラ)想像図 note.com

 そうです。 かれら縄文人たちは、長い長い年月を経て、
地球に大きな変革を起こしてきたのです。

   むむう!     

   この男は、まったく何も、わかってませんな!
縄文人はアクティブなんじゃよ! 

でも、DNAのハブの方が〝大風呂敷〟じゃないの!?
  
うむ、別のかたちで〝大風呂敷〟を広げたんじゃな?
  
  それで結局、日本では女性が主役なのよね!
  
  「お前さんは、どう思っとるんじゃ
    
  
   「きゃ、やだぁ、わたし妊娠したの?」
  
       そ、そっちかい!?

       なんでやねん!
       
  って、おいおい!            う~む  (^▽^;)(^^ゞ 
   
         なんだかなぁ!      

  
          祭祀王 卑弥呼 ameblo.jp

   … to be continued !! 

    
    銅鐸祭祀のジオラマ(橿原考古学研究所附属博物館)daredoku.net

  ★ このつづきとして『卑弥呼』と題するテーマでの記事を予定しています。


          祭祀王 「卑弥呼」 www.meihaku.jp


             大仙陵古墳 mainichi.jp

     symbol2 ダ・ヴィンチの推理は続きます。


  「アカホヤの大噴火」想像図(写真 iStock.com/AZ68) www.gentosha.jp

        

 アカホヤの大噴火で、一旦、日本から外に出ていった
縄文人の末裔たちが、再び日本に帰って来たことなどが
邪馬台国や『卑弥呼』などの存在と密接に関連している
ようなのですが、果たしてどうなのでしょうか?

ダ・ヴィンチの罠 大噴火 - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 大噴火 - 透明人間たちのひとりごと

『ダ・ヴィンチの罠君子国』からのつづきです!さて、諸説あるのですが、少なくとも5万年前位には日本列島に人類が住み着いていたものと思われます。Yハプログループでは...

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 ★『ダ・ヴィンチの罠 大噴火』


       女王にして巫女でもあった卑弥呼 mag.japaaan.com
        
            卑弥呼 mag.japaaan.com

コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

小吉
えー!!!!!!!

人類の起源の根底を覆しちゃったwww

たしかアフリカ発祥でそこから世界各地に広がっていたと記憶しておりましたが。

まさかの日本列島(の縄文人)

たいへん面白い記事でした。

いま(現代)縄文時代というものを改めて見直している人たちがいます。
私の記憶でも、歴史の授業でならった縄文時代は原始人とほぼ変わらない文明でしたが、もしかしたら縄文人や縄文文化というものはとても素晴らしいものであったのかもしれないという見方です。

ときどき私はこう思います。

現代では文明が発展しすごく便利で昔からしたら神の領域に達しているようでありますが、すっごく根本的なことをいうと、
「でも人類ってメシ食ってうんこしてセックスして子育てしてるだけでしょ」
形はどうあれ、やっていることはただそれだけのような気がします。
メシくってうんこしてセックスして子育てしている周りであれやこれやが複雑にまとっているだけで、根本的にやっていることは原始人と変わりはないわけです。

だとした場合、「文明」とはいったいなんなのか。

もしかしたら「楽園」「エデン」「理想郷」というのは大きな争いのない縄文時代だったのではないか、というものが私の考えるところです。

思い返せばこのブログも壮大で膨大でしたがダヴィンチと日本がこんなところで繋がるとは目から鱗が落ちた気分です。

ありがとうございました。
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