ふっとそんな思いを起こさせる漫画はいくつかありますが、
そのなかのひとつに 『はだしのゲン』 があります。
原爆で焦土と化した広島で、貧困と相次ぐ家族の死を
乗り越えて、たくましく生きていく少年の物語です。
小学2年で被爆した主人公の中岡元が広島の自宅で
姉や弟とともに炎に包まれて死んでいった父の言葉 …
「麦のように強く生きろ」 という教えを胸に、
母や原爆投下当日に生まれた妹らと助け合って生活を
するのですが、貧困のなかでの家族の死という悲しみを
乗り越えて、中学校を卒業後に絵描きを目指し東京へと
旅立つ姿を描いています。
その 『はだしのゲン』 が今年、連載40周年を
迎えました。
作者の中沢啓治氏は昨年(2012年)12月に亡くなりました
が、単行本は学校や図書館に置かれ、世界各国の言葉に
翻訳されています。
週間少年サンデー・少年マガジンで育った小・中・高から
大学を経て、社会人1年生になったばかりの1973年6月4日
号の 「週間少年ジャンプ」 で始まった連載の第1話は当時
の人気作品を押しのけ、巻頭カラーを飾ったそうですが …
その頃になるとようやく漫画から卒業しつつあったことも
あって週間漫画雑誌の購読をしなくなっていたので、少年
ジャンプで連載が始まったということは知りませんでした。
「漫画は子どもの娯楽」 とされていた時代に、偏見を乗り
越え、読み継がれる礎をつくったのは 「作品を埋もれさせ
てはならない」 という周囲の信念だったといいます。
「もっと描きたいことがあるでしょう」
それを 「描けるのはあなたしかいない」
自らの体験を描くことをためらう中沢氏を説得したのは、
ゲンの前に発表された短編の原爆漫画に涙した集英社の
長野規編集長(2001年死去)でした。
担当編集者だった山路則隆氏(65)は、「原爆への認識
が甘かったと思わされた。 心の叫びが描かれていた」
と語ります。
子どもたちからは、息をのむ描写に 「苦しみが分かった」
「もっと知りたい」 などの感想が寄せられたのですが、重い
テーマは人気を得られずに連載は1年4ヶ月で終わります。
「先生の思いはちゃんと届いていた」
前述の山路氏はそう振り返ります。
元朝日新聞の記者、横田喬氏(78)も心を揺さぶられた
ひとりです。
連載の終了後、中沢氏の自宅に通い、ダンボール箱に
いっぱいとなった反響の手紙に目を通すと、故郷の富山
が空襲で焼け野原になった幼い頃の記憶が重なり、涙が
溢れた出してきたのです。
単行本化を連載元である集英社が断り、「汐文社」 という
小さな出版社が引き受けた事実を知った横田氏は75年3月
「原爆劇画、単行本に 若者の間で静かな支持」 と大きな
見出しが付いた記事を執筆します。
「漫画は見下されていた時代だったが、ゲンは素晴らしい
作品だから埋もれさせてたまるか」 と思ったのだそうです。
平和教育に活用され、学級文庫や図書館に並ぶように
なったゲンは、「学校に入り込んだ最初の漫画で、70年代
以降に生まれた人は 『戦争のイメージ』 の中心にゲンが
ある」 と、その果たしてきた役割の大きさを語るのは京都
精華大マンガ学部の吉村和真教授です。
中沢氏はその後も知人のツテなどを頼りに、共産党系の
論壇誌など、およそ漫画とは無縁と思われる場所でも描き
続けて連載開始から14年後の1987年、全10巻に及ぶ物語
が完結します。
続編の構想も練っていたそうですが、「戦争の恐ろしさを
伝えるにはどう描けばいいか。 執念で描いていた」 と振り
返るのは妻のミサヨさん(70)です。
中沢氏は …
「俺が死んでも 『はだしのゲン』 は残っている。
読んでもらえれば本望だよ」 とよく語っていたといいます。
― 以上 ―
静岡新聞夕刊 記憶が伝えた 『原爆作品』 ①
中沢啓治 『はだしのゲン』 より適宜引用しました。
凄惨な体験から生まれた文学や芸術が被爆の実態を
広く世の中の人々に知らしめる。
そんな作品のひとつが 『はだしのゲン』 ですが、
戦争の悲惨さとやり切れない虚しさが漂うなかで、一瞬の
輝きと潤いを与えてくれた蛍舞う憩いのひとときを過ごした
年端のいかない少年である兄と妹、そして、幼い妹の死 …
無残で非業で無情な世界に止めを刺すように、どうしよう
もない時代の不条理を代弁するかたちで迎える雑踏のなか
での兄の最期 …
野坂昭如氏の 『火垂るの墓』 もまたアニメ映画
としては印象深い作品でした。
太平洋戦争末期(1945年)の神戸が舞台、エリート軍人
を父に持つ兄妹(清太と節子)が主人公です。
父は海軍軍人で巡洋艦にて出撃中であり、母と兄妹は
神戸で暮らしていましたが、B29の爆撃で家を失い、母も
大ヤケドを負って無残にも亡くなってしまいます。
兄妹は叔母の家にひきとられますが、日毎に邪険となる
扱いに耐え切れず家出を決意し、使われなくなった洞穴の
ような防空壕で二人だけの生活を始めます。
しかし、ろくな食べ物も口にすることができずに栄養失調
となった節子は日を追うごとに衰弱していきます。
食料を確保しようと畑泥棒をする兄の思いもむなしく妹
の節子は幼い命をおとしてしまうのです。
清太は山で節子の亡骸を荼毘にふし、その骨をドロップ
の缶にそっとしのばせます。
父はとうに戦死し、母も妹も亡くした清太は浮浪児となり、
人混みに賑わう駅構内でひっそりと一生を終えるのです。
あらすじは、ザッとこんな感じですが、
松島菜々子が出演していた実写版も含めると、3~4回
ほどは観ているだろうか
観るたびに登場人物の印象が違ってくるのも、この物語
の特徴なのかもしれません。
最初に観たのがいつ頃だったか もう随分と昔のような
気がしますが、その時は親戚のおばさんが憎たらしくて …
次の時は、海軍のエリートの家庭で育った清太と節子は
裕福だったせいか、少しわがままで、幼い妹は仕方ないと
しても軍人である父親のプライドを引きずった清太は我慢
という発想がなく、周囲の大人の助言も拒否して結局は妹
を死なせてしまったんじゃないか 節子の死の一因には
兄の清太の自尊心と思い上がりがあるのでは …
なんて、感じで観ていたような気がします。
終戦60年目のスペシャルドラマ版では、叔母の久子役が
松島菜々子だったこともあって、食糧難の戦時下に子ども
二人をひきとって面倒をみるのは大変だ、小言のひとつや
ふたつは仕方ないし、当時の状況からはむしろ清太や節子
の言動のほうが非常識だとも感じたりしていました。
恐ろしき哉、松島奈々子ですが、
『やまとなでしこ』 の彼女は大嫌いですけどね …
ところで、駅の構内で衰弱死した清太の所持品は錆びた
ドロップ缶で、中には節子の小さな骨が入っています。
缶を見つけた駅員はそれを拾って無造作に草むらに放り
投げると缶からこぼれ落ちた骨片のまわりに蛍がひとしきり
飛び交い、やがて何事もなかったように静まりかえります。
身寄りもなく、希望の光も見えないままに、駅で寝起きを
する戦争孤児のひとりとして、清太は垂れ死んだのです。
『はだしのゲン』 と 『火垂るの墓』 は
対照的なかたちで終わりを迎えます。
凄惨な過去をバネにして希望を胸に抱いて上京するゲン
と、ただ虫けらのように死んでいく清太 …
それでも、
赫奕(かくやく)たる光明に包まれたかのように乱舞する
蛍の群れは精一杯に生きた兄と妹を象徴しているようで、
幼くして母を失いつつも無邪気に生き、やがて衰弱死する
節子の哀れさと誰にも振り向かれずにひとりで野垂れ死に
する清太のやるせない姿は、どこかで戦争の悲惨さと現代
の豊かさとの歪(ゆが)みを表現しているようで ―――
明日からは8月です。
8月は歴史を直視して日本人たるを自覚する月です。
6日には広島に、9日には長崎に原爆が投下されました。
そして15日には 「終戦記念日」 がやってきます。
今回は原爆の犠牲者と戦没者を追悼する意味合いも
込めて 『はだしのゲン』 と 『火垂るの墓』 に
スポットをあててみました。
先日の東アジア・カップ最終日の日韓戦でのことです。
「歴史を忘却する民族に未来はない」 と
書かれた横断幕が韓国の応援スタンドに掲げられました。
忘れ去っていい歴史などあろうはずもありません。
原爆投下を怨み続けるより、原爆そのものを無くしたいと
願うのが日本人というものです。
清太や節子に涙するように、悲しい家族の死を乗り越えて
ゲンの瞳はいつだって未来を見つめているのです
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