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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 預言者(改)

 「預言者」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、

100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。

記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつもりですが、

正直、皆目見当のつかない画像も多々あります。

 

ダ・ヴィンチの罠 預言者 - 透明人間たちのひとりごと

このページの画像は、故あって表示されませんが、連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、別途、新しく作り直すことにしました。同じ内容ですが、画像はその限...

goo blog

 

 url『ダ・ヴィンチの罠 預言者』

 上記のように、連続性を維持することは、このシリーズの

重要なファクターですので、時間がかかっても復活・再生を

果たさなければならないのですが、漸くこれで37作目です。

 さてと、それでは、ここからが、

『ダ・ヴィンチの罠 預言者(改)』

 の記事になります。

 (以下、本文)

 

 「それゆえ、主みずから、あなたがたに
 ひとつのしるしを与えられる。
 見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、
 その子を『インマヌエル』と名づける」

    (イザヤ書7章14節)

 『受胎告知』の場面における聖母
マリアの身近にあるアイテムのひとつに、
読みかけの『聖書』がありますが、


       『聖告(受胎告知)』 ルーベンス(1609年)

 大抵の場合、それは、
 
 真ん中からやや後ろあたりのページが
開かれたかたちで描写されています。

 冒頭での一節 ・・・

 「それゆえ、主みずから、あなたがたに
 ひとつのしるしを与えられる。
 見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、
 その子を『インマヌエル』と名づける」

    (イザヤ書7章14節)

 旧約聖書における『イザヤ書』
の記載が大体その辺りにあるからですが

 それは、


                画像元:blog.goo.ne.jp

 「神はわれらと共におられる」
という意味を持つ『インマヌエル』
こそが他ならぬイエス・キリスト
誕生であると明示したいからなのです。


 聖書のなかで、ただ1度きりしか登場
しない「猫」ルーベンスは宗教画
のなかに1度だけ描きます。


   『受胎告知』 ルーベンス(1628年)

 それも、もうひとつの『受胎告知』
と題する絵画のなかに眠った姿で ・・・

 

 さて、

 『受胎告知』テーマである
この二つの作品の制作年には約20年
ほどの開きがあります。

 ウィーンの美術史美術館が所蔵する
『聖告(受胎告知)は 西暦1609年
に制作されたもので、地上に舞い降り
た大天使ガブリエルは跪拝するかたち
で聖母マリアと対面するという伝統的
なスタイルで描かれていますが、

 
 『聖告(受胎告知)』 ルーベンス(1609年)

 降臨する大天使ガブリエルが聖母の
背後にあって、驚いて振り返る彼女に
空中から受胎を告げるといった構図を
採用した1628年の作品には「猫」
マリアの足もとでうずくまっています。


  『受胎告知』 ルーベンス(1628年)

 この『受胎告知』はアントワープ
にあるルーベンスハイスの所蔵で、
ウィーンの作品を描いた翌年には制作
に着手していたとされています。

 ところが、

 ルーベンスは右半分を描いたまま、
20年近くも放置をした挙句の1628年から
1629年にかけて、スペインのマドリッドに
滞在中に左の半分を描き上げ、さらには
聖母マリアを修正して、絵を完成させたと
いうことですが、

 果たして、

 「猫」がいつの時点で描かれたのか
正確にはわからないと ・・・

   
 作家 多胡吉郎氏のサイト

 『美路歴程』MY ART ODYSSEY
http://www.arch-club.net/my-art-odyssey

 では語っています。

 「猫」の登場がオーソドックス・スタイル
ではないことは確かでしょうが、

 それでは、

 このときに読まれていた『聖書』
箇所はそれぞれどこのページでしょう

 『聖告(受胎告知)では中央やや
後ろのあたりですから『イザヤ書』
での件(くだん)のページが濃厚です。


 『聖告(受胎告知)』の聖書(左) 『受胎告知』の聖書(右)

 それから19年後に完成することになる
『受胎告知』では左の半分ほどが
影になっていて、判別しにくいのですが
「哀歌」の続編における「猫」
登場シーンだと仮定すると、



 ダ・ヴィンチの『受胎告知』での
隠されたシグナルに対して、

 

 ルーベンスは、唯一「猫」が登場
する『聖書』でのページと「猫」
尻尾に隠匿したシグナルで返答して
みせたのでしょうか!?

 要するに、

 

 「猫」尻尾に見せかけた隠し絵



 としての「蛇」で応じたということです。



 symbol2 「猫科の一番小さな動物、
つまり猫は最高傑作である」


   (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 というダ・ヴィンチの言葉の持つ本当の
意味とは何なのでしょう

 彼が思う最高傑作「猫」である
とするならば、


          猫、ライオン、ドラゴンの素描部分

 何故、ダ・ヴィンチは最高傑作
あるはずの「猫」姿をデッサンの
なかにしか残さなかったのでしょうか?

 このことは重要なポイントです


    『猫のいる聖母の素描』 1478-1481年

 「猫」聖母子のスリーショットの
デッサンは6枚もあるのに絵画として
完成品がないのはなぜでしょう?
 
 あるいは、そこには

 『聖書』との関連性を抜きには
語れない特殊な理由(わけ)でもあるので
しょうか?

 「猫」を、として描くことに、躊躇
せざるを得ないような特別な何かが・・・

 ダ・ヴィンチが描く、『受胎告知』での
『聖書』を見てみましょう。


  『受胎告知』マリアの右手 tabitobijutsukan.com

 これまでは、まったくもって、気にも
止めていなかったのですが、

 『レオナルド・ダ・ヴィンチの小部屋
 url https://blogs.yahoo.co.jp/sonosono159

 というブログサイトを運営されている
みのるさんという方からいただいた
 
 url『ダ・ヴィンチの罠 変身譚』

 における2017年7月13日(19:52)付
のコメントに、



 「(聖書を)最後のページまでめくり
 あげるマリア(中略)受胎の告知と
 ともに、その子(イエス)の最後まで
 を告知しているんじゃないか」

 という趣旨の指摘がありました。

 聖母マリアは『イザヤ書』のなか
の例のページがどこにあるのか探して
いるものとばかり考えていた小生には、
        
 

 このコメントは大きな示唆とアイデア
(気づき)を与えてくれました。

 視点(解釈)はまったく異なりますが、
最後のページをめくろうとする動作に
ダ・ヴィンチの意図が読めたのです。

 『旧約聖書』の最後に置かれている
一書は『マラキ書』です。

 マラキという名の預言者が著した書
という位置づけで、預言書のなかでは
『ゼカリヤ書』の後として、旧約
の正典の最後に配置されていますが、

     
   『ゼカリヤ書』wikipedia

「マラキ」とはヘブライ語で「私の使者」
、「私の天使」という意味ですので、

 現在では、

 単純に神の使者を意味するだけで
あって、「マラキ」自体は特定の人名
ではなく、匿名の預言者によって、
この書が著されたとするのが通説に
なっています。  (Wikipediaより)

 そこで、

 
        マラキ書

 『マラキ書』の内容を抜粋して
現代風にわかりやすくすると、

 「見よ、わたしはわが使者を遣わす。
 彼はわたしの前に道を備える。

 またあなた方が求めるところの主は、
 たちまちその宮に来る。

 見よ、あなた方の喜ぶ契約の使者
 が来ると、万軍の主が言われる」 

   (マラキ書3章1節)

 紀元前400年~440年頃に書かれた
とされる『マラキ書』の預言以降、
イスラエル(ユダヤ)の民には「神」
からの言葉が与えられないまま400年
という長い沈黙の期間が訪れます。

 「見よ、主の大いなる恐るべき日が
 来る前に、わたしは預言者エリヤを
 あなた方に遣わす」 

   (マラキ書4章5節)

 「彼は父の心をその子供に向けさせ、
 子供の心をその父に向けさせる。

 これはわたしが来て、のろいを持って
 この地を打ち滅ぼすことのないように
 するためである」
 
   (マラキ書4章6節)

 新約聖書の福音書ではイエスの前に
洗礼者ヨハネが登場しますが、

 要は、

 このときの「マラキ(神の使者)
洗礼者ヨハネであり、


    『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

 洗礼者ヨハネこそが預言者エリヤの
再来であって、先駆者(先導者)と
して、その道を整え、あなた方の喜ぶ
契約のために「神」はそのひとり子
であるイエスを賜って十字架のうえで
罪を贖い、新たな契約を完了させる
というシナリオを確認しているのです。

 「神は、実に、そのひとり子をお与え
 になったほどに世を愛された。
 
 それは御子を信じる者がひとりとして
 滅びることなく、永遠のいのちを持つ
 ためである」

  (ヨハネによる福音書3章16節)

 このように記された新約聖書の内容
に少なからざる違和感を覚えていた
ダ・ヴィンチは後に、その手記に、

 「解剖して分かったことだが、
人間は死ぬように出来ている」


   (レオナルド・ダ・ヴィンチ) 

 と綴っていますが ・・・

 
 ミラノ・スカラ広場のダ・ヴィンチ像

 『受胎告知』において、聖書を
めくる聖母マリアの右手をダ・ヴィンチ
が意図的に長く描いたのは、


  『受胎告知』マリアの右手 tabitobijutsukan.com

 アナモルフォーゼ(歪像画)と
しての技法だけでなく、

 

  アナモルフォーゼについては、

 url『ダ・ヴィンチの罠 蓋然性』
 url『ダ・ヴィンチの罠 無頼漢(改)』 


 などを参照してみてください 

 ダ・ヴィンチの『受胎告知』での
聖母マリアのポーズが、

 

 旧約聖書における「哀歌」の後続
小編6章21節(エレミヤの手紙)の中での
「猫」が登場するページを押さえつつ

 

 聖書の最後にある『マラキ書』
の預言にあるとしての「先駆者」
(預言者のエリヤ)を探している仕草だと
仮定すると、

 

 大天使ガブリエルが示す右手のサイン
に応じるマリアの左手の仕草(手ぶり)に
も新たな解釈が生まれることになります。

      

  ジャン・ケン・ポンで、



 チョキに対してパーを出したということ
ではありませんよ

     
     (しょうもな、言わずもがなやで)

 キリスト教美術で手の表情が重要視
されるのは「手は口ほどにものを言う」
からで、手の動きだけで会話や意思の
疎通が可能なのです。

 この場合に、

 一般的には、ガブリエルのチョキは
「祝福」を意味し、マリアのパーは
「驚き」をあらわすとされます。

 まあ、チョキはピースサインpeacepeace
だから分からないでもないけど、

 手のひらをガブリエルに向ける落ち
着き払ったマリアの顔に驚きの表情は
微塵も見られません。

  

 むしろ、「ちょっと待って !!

       


 「それ以上近づかないで」
と拒否する「接近禁止」のサイン

    
  
 あるいは、また、

 裁判の法廷で聖書に手を置いて
宣誓するときのポーズのようです。

 そうです。

  

 これは、「契印」ポーズです。

  

 『聖書』に唯一、登場する「猫」
偽預言者(偽メシア)のメタファです。

 聖母マリアとイエスという偶像の前に
「猫までやって来ます」という
隠喩でもあり、『マラキ書』における
「預言者」再来と ・・・
   
  
 「MALACHI RETURN TO ME」

 新約聖書真実を問うもので、

 ダ・ヴィンチの描く『受胎告知』



 契約(密約)を確認する宣誓
場面であって、

 すでに「ダ・ヴィンチの罠」
このときから始まっていたのです

 そのことを痛烈に物語るシグナルが



 長い右腕と丸印に見られる描写です。

 つまり、この場面では、

  

 大天使ガブリエル(ダ・ヴィンチ)の
告知(暴露)に対して、冷静に密約
いをたてるマリアの姿はシニカルで
辛辣なアレゴリー(寓意)の塊です。

 その演出トリックを見抜いていた
のが他ならぬルーベンスであって、

 
 ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像

 彼は母に対する不貞をはたらいた父を
軽蔑しつつも どこかで父を愛し尊敬して
いるという自己撞着を抱えながらも ・・・

 おそらくは、プロテスタントとして
洗礼を受けたであろう彼の生い立ち
を振り返ってみたときに、


    ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像

 敬虔なるカトリック信者としての対面を
保ちながらも、すっかりと「マリア教」
と化してしまったカトリック教会とは深層
において、すでに決別していたとの推測
が十分に成り立つわけです。

 この辺りの経緯がわかりにくい方は、

 url『ダ・ヴィンチの罠 舞台裏(改)』

 を参照してみてください。

 ルーベンスの『受胎告知』における

    
   『受胎告知』 ルーベンス(1628年)

 大天使ガブリエルの右手は、ダ・ヴィンチ
の作品によく見られる天を指し示す
ポーズでマリアの背後に舞い降ります。

   
 『洗礼者聖ヨハネ』部分 1513-1516年
  
 この構図は、ダ・ヴィンチのサイン
「応答します」という意味でしょうか、

 驚いて振り返るマリアの動きは、さらに
「返信」の意図を明確に伝えています。

 アレゴリーメタファのなかには
「マリア教」に対する痛切なる批判が
込められていますが、
      

 床を這う鋲状の留め具が、ガブリエル
とマリアに向かって続く、「猫」の足跡
のようにも見えますねase2

 関連記事として、

 url『ダ・ヴィンチの罠 サイン』
 url『ダ・ヴィンチの罠 謎の肢』
 url『ダ・ヴィンチの罠 堕天使』 

 なども参考にしてください。



 スヤスヤと眠っている「猫」の姿にも
きっと意味があるのだと思われます。

 畢竟


   『受胎告知』 ロレンツォ・ロット

 ロレンツォ・ロットの『受胎告知』での

 
 『受胎告知』 ロレンツォ・ロット(部分)

 「やだー」 と逃げるマリアが読んで
いたと思われる聖書のページも ・・・

 冒頭における『イザヤ書』の一節
と考えられますが、

 それを踏まえたうえで考察すると、

 「見よ、処女が身ごもって男の子を産み
 その名をインマヌエルと呼ぶであろう。

 これは、『神はわれらとともにおられる』
 という意味である」

  (マタイによる福音書1章23節)

 「乙女(おとめ)」を「処女(おとめ)」とし、
その子の名が「インマヌエル」と呼ばれる
「イエス」であるとする新約聖書の付会に


      (ゲロゲロ ・・・)

 ロットの描く「猫」も怪訝そうですが、

 「疑わしきは徴税人の利益じゃ」

    

 「それ、マタイの弁護なの」

 

 「偽預言者の言葉じゃよ !!

  

  ジャン・ケン・ポン !!



 「ガブリエルの勝ちニャ~」

  

 url『ダ・ヴィンチの罠 猫物語(改)』
 url『ダ・ヴィンチの罠 メス猫(改)』

 「よろしくなのニャー」



 結局、ジャンケンだったのね

 ・・・ って、

        
      (んなわけないやろ)

 真の勝負は、

 「これから脱皮(だっぴ) !!  


 「悲嘆にくれる預言者エレミヤ」レンブラント・ファン・レイン

     By 預言者一同

   

     

  … to be continued !!

コメント一覧

小吉
あまり関係がないかもしれないけれど、ネコがなぜ完璧なのかというと、大人になっても顔が丸いというのが挙げられる。
他の動物は子どものころは顔が丸いけれど大人になると長くなる。だが、ネコ科の動物はみな大人になっても顔が丸いそうだ。
それは進化の最終形態なのだそうだ。その他人とネコがなぜ一緒に暮らしているのだとかなぜ躾ができないのかとかいろいろあるけれど長くなるので省きます。
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