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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 脱構築(改)

 「脱構築」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、

100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。

記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつもりですが、

正直、皆目見当のつかない画像も多々あります。

ダ・ヴィンチの罠 脱構築 - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 脱構築 - 透明人間たちのひとりごと

このページの画像は、故あって表示されませんが、連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、別途、新しく作り直すことにしました。同じ内容ですが、画像はその限...

goo blog

 

 url『ダ・ヴィンチの罠 脱構築』

 上記のように、連続性を維持することは、このシリーズの

重要なファクターですので、時間がかかっても復活・再生を

果たさなければならないのですが、漸くこれで84作目です。

 さてと、それでは、ここからが、

『ダ・ヴィンチの罠 脱構築(改)』

 の記事になります。

 (以下、本文)

 

 『脱構築』(Deconstruction)とは、何ぞや❓
 
 と、そのまえに ・・・
 
 存在とは『恒常的現前』であるとする形而上学では、
時間の一様態としての「現在」を出発点として考える
ことにより、「過去」も「未来」もその一変様として
理解されるわけで、
 

        『記憶の固執』(1931年) サルバドール・ダリ

 ダリの代表作である『記憶の固執』での
ふにゃふにゃのやわらかい3つの時計は、
それぞれに異なる時刻を示していますが、

 それを現在・過去・未来の象徴だろうと
想像するのは鑑賞者の勝手でしょう。
 
 しかしながら、
 
 最終的には、すべての差異性は解消され、時間性は
失われて、絶対知に収斂されるのです。
 
 こうした、
 
 「世界は永遠不変の真理=ロゴスによって成立する」
とするプラトン以来の形而上学の命題が、それですが、
 
 なんらかの絶対なる真理を打ち立てようとする者と
、反対に絶対なる真理を解体しようとする者たちとの
鬩ぎ(せめぎ)合いの中で、唯一絶対の真理とされる
ものを批判し、解体しようとする思想が、19世紀末の
ニーチェや20世紀半ばのハイデガーにより起こり始め
、20世紀後半には盛んに論議されるようになります。
 
        「ヒトラーとハイデガー」www.youtube.com
 
 このような、
 
 唯一絶対の真理とされるものを批判し解体しようと
する思想は「形而上学批判」と呼ばれ、2つの対立軸
を同時に読み取っていくことは「脱構築的読解」とも
呼ばれるもので、「現前の形而上学」を解体し再構築
する意味をもっています。
 
 二律背反する言語・論理は二項対立的な発想の上に
成り立っていますが、こういった発想に潜む自己矛盾
を暴くことによって、論理を内側から崩していくこと
が可能であることに着目し、それらを新たに組み立て
直すわけです。
 
 現在では、
 
 『脱構築』は、脱構築の作業そのものを最終
の目的とするのではなく、その手法を別の目的のため
に応用するという形で使われることが多いようです。
 
 したがって、『脱構築』を簡潔に表現すれば、
 
 伝統的な哲学(形而上学)の、統一的な全体性と
いう考え方や二元論による説明を批判し、その枠組
ゆるがせながら新たな構築を試みる哲学的思考の方法。
 
    (精選版 日本国語大辞典より) 
 
 統一的な全体性や二項対立枠組みを解体して、
新たな構築を試みる思考法。

        (デジタル大辞泉より)

    ・・・ ということになります。  

  
    ふぅ~む ・・・

 ところで、

 知ってか知らずか、おそらくは気づいて
いないのだろうと思われるのですが、

 
 サルバドール・ダリ euphoric-arts.com

 サルバドール・ダリは、ダ・ヴィンチから
何らかのメッセージを受け取っていた
のではないかと思われるほどに「罠」
の解析における補助線的な役割を担う
ような作品を数多く残しています。

     
     サルバドール・ダリ  
     
 それらはキリスト教的世界観を現代的な
タッチで表現していますが、妙に「罠」
の構造や組み立てにマッチするスタイルで
色濃く表象されているようです。

 フリー百科事典

 『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、

 自分の制作方法を 「偏執狂的批判的
方法 (Paranoiac Critic)」と称し、写実的
描法を用いながら、多重イメージなどを
駆使して夢のような作品(主に風景画)
を描いていたダリでしたが、


   『十字架の聖ヨハネのキリスト』部分 archives.bs-asahi.co.jp
 
 第二次大戦後にはカトリックに帰依し
宗教画を連作するようになります。

絵画鑑賞を楽しむ ~視点が変わる~ by baikinman - potaru(ぽ ...
         『イエスによるキリストの昇天(ピエタ)』 potaru.com

 そんなダリのキリスト教的宗教作品の
数々と「ダ・ヴィンチの罠」における
構造上の類似点とを相互に比較・検証し
ながらキリスト教的世界観が放つ虚構
からの『脱構築』についての思索を
深めてみたいと考えますが、


脱構築主義建築(フランク・ゲーリーのビルバオ・グッゲンハイム美術館)ja.wikipedia.org

 2次元の目で捉えた対象物を脳の機能
が勝手に補正操作をして 3次元(3D)の
世界を見せているように、


   脱次元イメージ(脱構築主義建築) oshiete.goo.ne.jp

 思考実験的に、2D以上の「脱2D」
すなわち、「脱次元」を目標において、
新たな『次元枠』を模索しているのが
「ダ・ヴィンチの罠」における特徴の
ひとつだということを、まずは 始めに
ご理解していただきたいと思います。

 サルバドール・ダリの作品については、
 
 url『ダ・ヴィンチの罠 失望感(改)』
 url『ダ・ヴィンチの罠 継承者(改)』
 
 においても、いくつか紹介していますが、
記事の一部を引用してみましょう。

 数々の奇行と逸話で名を馳せたダリは、
フロイトの精神分析や哲学書を読みあさり、
幻覚や夢などにおける錯乱的な精神心理
を独自の写実手法で捉えた超現実主義の
画風で知られていますが、


        『記憶の固執』(1931年) サルバドール・ダリ

 ダリの代表作『記憶の固執』での
ふにゃふにゃのやわらかい3つの時計は、
それぞれに異なる時刻を示しています。

 それを現在・過去・未来の象徴だろうと
想像するのは鑑賞者の勝手でしょうが、

 問題は4つ目の時計であろうと思われる
オレンジ色の懐中時計の存在です。


『もっと知りたいサルバドール・ダリ』村松和明著の表紙

 DALIの文字のⅮの上にある一品ですが、
リューズ(竜頭)が見えるので懐中時計だと
思いますが コンパス(方位磁針)の可能性
もゼロというわけではではありません。

 表面に屯(たむろ)する蟻のように見えて
アリではないナノテクノロジーで開発された
超機械的な異物 ・・・ 


        『記憶の固執』部分

 何千ものナノ・マシンが連動して機能する
ひとつの機械生物(昆虫型のミニロボット
やマイクロ・ロボット)たちの集まりのように
見えなくもありません。

 だとすると、

 未来世界を先取りした予言めいた作品
とも言えるわけですが、

 美術批評家たちによれば、

 これは蟻で、ダリの絵画ではアリやハエ
などの虫は腐敗や死の象徴なのだそうで、
 
 現在の自分から見れば、記憶に残る過去
の時間はゆっくりと崩れて溶け出し、腐敗
した時間の中で残った記憶は「過去の残滓」
あるいは残渣物として、心に留まっただけの
残りカスであって、それが自己を固執させる
深層を形成してゆくのだとか ・・・


         『記憶の固執』からの 『溶ける時計』

 ふにゃふにゃの時計はアインシュタインの
『一般相対性理論』を下敷きにして
導かれる空間の歪(ゆが)みや時間の遅れ、
いわゆる時空の歪(ひず)みを取り入れた
もので、互いに時間の異なる 3つの時計は
夢や幻想の中で現在・過去・未来が一体化
している状態を表現したものであると評して
いますが、

 まあ、

 ダリから言わせれば、徐々に溶けていく
カマンベールチーズを見て「進行する時間」
と「溶けてゆくチーズ」の様子が同じものの
ように思えただけのことで、

 あくまでも

 そこにヒラメキがあっただけだとか



 さすれば、
 
 「ダリの作品は誰にもわからない」

 たぶん、

 「本人自身にもわかっていない」

 ということなのでしょうか

 然は然りながら、

 それから23年後に描かれた続編となる


        『記憶の固執の崩壊』(1954年) サルバドール・ダリ

 作品では、それぞれの時計が変化・変容
して、懐中時計は消えてなくなり、かわりに
第4の時計がキューブの海に沈んでいます。

 これらのキューブは、ハイパーキューブと
呼ばれ、原子と宇宙を象徴し量子論的には
原子核の分裂を表わすものです。

 言わば、原子爆弾による核分裂と破滅の
イメージなのでしょうか

 少なくとも小生には、ダリの方程式による
計算され尽くした作品であって、
 
 「ダリの作品はダリにもわからない」
のではなく、方程式の変数がダリ以外
には不明なだけなのだと思われます。

 いやいや、そうではなく、

 そこには遠大で深淵なるダリの世界
があるという人がいるかもしれませんが、

 「誰にもわからない」 

 は少々言い過ぎであって、ダリの奇行は
ハッタリであり、一種異様なパフォーマンス
であったのだと思われます。

「自分の芸術を真に理解できる
    のは数学者だけである」

   (レオナルド・ダ・ヴィンチ)


   美の巨人たち「三者三様のフマガッリ」

『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』

 と綴ったレオナルド・ダ・ヴィンチが
仕組んだ、緻密な計算のもとに綿密に設計
され組み立てられた「罠」の重層的な迷宮
に比べると ・・・



 ダリのそれは同じような「騙し絵」や
「隠し絵」にしてもそうですが、


           『サルバドール・ダリの騙し絵』

 誰にでも理解可能な範疇のものであり、
そこが奥深い「謎」を秘めたダ・ヴィンチの
絵画との大きな相違点かもしれません。

 とはいえ、いや、だからこそ、

 ダリの作品には誰もが惹かれる魅力が
あるのであって、特にカトリックに入信して
からの宗教画には魅了されるばかりです。


  『Christ of Saint John of the Cross』
    『十字架の聖ヨハネのキリスト』

 ハイパーキューブでつくられた十字架や


           『ハイパーキューブの十字架』1⃣

 そのシンボル(十字架)が故に磔られた


   『ハイパーキューブの十字架』2⃣

 イエス・キリストの磔刑図にしても、


      『Crucifixion(磔刑)』

 『最後の晩餐』の特異な構図や


        『最後の晩餐』(1955年)

 正十二面体を模った世界観にしても、



 実に興味をそそられる作品なわけです。

 ここまでの引用で、ハタと気付かれた
方もいるかもしれませんが、

   
      「んっ !!」

 ダリの描くキリスト教(カトリック)絵画は、
まるで、『ダ・ヴィンチの罠』の設計図や展開図
を見るかのようにシンクロします。

 たとえば、


   『ハイパーキューブの十字架』1⃣
 
 ハイパーキューブが象る十字架の1⃣は、
原爆による戦争や原発などの登場により、
中心に据えられた「地球」の荒廃が進み、
「死の惑星」となる未来図をキューブの
墓碑が象徴しているような構成です。

 今日の新型コロナ(感染爆発)の脅威は
自然への挑戦による驕った“人間の欲望”
に対する自然界の「しっぺ返し」なのか
 
新型コロナウイルス (COVID-19) パンデミックに対する予防措置 ...
     新型コロナウイルス(COVID-19)
 
 はたまた、増長した“人間のエゴ”が引き
起こした人為的な恐怖なのかは別にして、

 
      新型コロナウイルス(COVID-19)knowledge.sakura.ad.jp

 つまり、人工的な細菌兵器による謀略説も
含めての人災的な出来事であるにせよ。
 
 要は、

 人間のレベルで正否や是非を識別し、正邪
や正誤を判断し、善や悪を論じたとしても、



 結局はエゴという枠から抜け出せない以上、
自然破壊にストップがかかるということはなく、
いずれは手痛い「しっぺ返し」を食らわされる
ことになると、そう予見していたと受け取れる
言葉がダ・ヴィンチの手稿に散見されます。


       新型コロナウイルス感染症(COVID-19)www.mri.co.jp
 
 「人間の巧妙さが、自然が創造するものより
 も美しくシンプルな、あるいは 正確な発明を
 することは決してできない。 なぜなら自然の
 女神の創造物には 何ひとつ欠けるところが
 なく、何ひとつ過分なものがないからである」

    (レオナルド・ダ・ヴィンチ)
   
新型コロナウイルス感染予防対策(covid19)www.snbl.co.jp
 
 今で言うエコロジー(ガイア理論)の思想
を持っていたダ・ヴィンチは、

 「自然は自己の法則を破らない」

 要するに、

 「法則を破るのは、常に人間だ」

 と言いたかったのです。

 さて、

 環境汚染や自然破壊、急激な気候変動
や資源の枯渇等々、現代社会が直面して
いる諸々の問題は、どれをとっても地球
規模の全世界的な問題で、かつての人類
が経験したことのないものばかりですが、


    出典:blog.goo.ne.jp

 我らがレオナルド・ダ・ヴィンチも
過去の地球の姿から未来の地球の情景
までを『モナ・リザ』の背景に描写して

   

 自然破壊が引き起こす悲惨なる結末
を警告していましたが、終末思想や
終末預言の解釈には懐疑的でした。

    

 それ故に、人類に対して、

 神(サムシンググレート ➡ 自然)からの
鉄槌が振り下ろされることがあるとしても、
そこに反キリストの存在やサタンなど
の影を見ることはありませんでした。

 それは今現代において、現実に体験する
新型コロナの騒動とも共通します。
 
コロナめぐり「陰謀論」が横行 | 独立メディア塾
       コロナによる陰謀論 mediajuku.com
 
 ひょっとすると我々は何者かが演出する
虚構のパンデミック・シナリオに踊らされ、
振り回されているだけかもしれません。

 それはさておき、


  『ハイパーキューブの十字架』2⃣

 ハイパーキューブが象る十字架の2⃣は、
一見すると、正六面体(立方体)の展開図
そのものですが、

   
   正六面体(展開図) xrea.com

 よく見ると何かがおかしいのです!?

 3次元(3D)の遠近法では起こり得ない
構図(有機的結合)での描写が為され、
前正面が2次元(2D)で 奥行きに広がる
3次元(3D)の空間は 明らかに整合性に
欠ける歪みがあって内的必然性の齟齬を
容易に感じさせています。

 我々の目に真実は、たった一つだけの
ように見えますが、今、我々に見えている
世界は現実の一部分で、「真実」は一つ
ではないのです。



 ダ・ヴィンチは、そうした考えを基本ベース
に数々の「罠」を作品に組み込みました。

 この「罠」は、実際に感知可能な現実の
世界とオカルトの世界のほかに 解析能力の
有無、言わばリテラシー(読解力)の優劣
によって、その理解に大きな違いが見られる
という特徴を持っています。


   『洗礼者聖ヨハネ』 の鏡絵 deskgram.net

 但し、ここでは情報を伝える側のリテラシー
(適切なる表現)は完全に度外視され、むしろ
誤解を生む恐れのあるような微妙なタッチの
描写に終始しています。

 これを指して、

   
  『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

 最近のマス・メディアの報道姿勢を揶揄して
いると受け止めていただいても構いませんが、

 それこそが、「罠」としてのダ・ヴィンチの
狙いでもあったのです。

 たとえば、もし、仮に、

 キリスト(救世主)がイエスではなく、
また、十字架上での贖いの「死」も、


      出典:blog.goo.ne.jp     

     


         磔刑(十字架刑)objapan.org

 復活の奇跡もパウロが紡いだ虚構のドグマ
(シナリオ)もなかったとしたならば、

   
       使徒パウロ

 果たして、

 我々の住む世界での歴史や出来事は
どのように変わっていたでしょうか?


イスラミック・ステート militarywardiplomacy.blogspot.com

 おそらくは劇的に違った景色と空気が
流れていたはずです。


  イスラム国(ISIS)www.aajtak.in


  ISIS イスラミックステート Wikipedia


 ここに
 
  レオナルド《糸巻きの聖母》あれこれ : Art & Bell by Tora
 
 『糸巻きの聖母』、あるいは、『糸車の聖母』
と呼ばれる2つの作品があります。
 
 
「バクルーの聖母」
 
「ランズダウンの聖母」
  
 別名では、これらの作品の持ち主だった公爵の
名前に因んで、それぞれ、
 

        『ランズダウンの聖母』と『バクルーの聖母』 amazing-trip.xyz
 
 『ランズダウンの聖母』や『バクルーの聖母』
とも呼ばれていますが、
 
 なにゆえに、ダ・ヴィンチは、『〇〇の聖母』
と呼ばれる作品を複数枚にわたり描いたのか?

 作品数の少ないダ・ヴィンチが聖母子だけを
何枚も描いたというのはどうしてなのか?

 これは、大きな「謎」と言えるでしょう。

 そこに、キリスト教的世界観からの『脱構築』
に関する重要なヒントが隠されていると、
 
 先の、
ダ・ヴィンチの罠 失望感(改) - 透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 失望感(改) - 透明人間たちのひとりごと

「失望感」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつも...

goo blog

 
 url『ダ・ヴィンチの罠 失望感(改)』

 において、案内いたしましたが、
 
 今回もまた、紙面の都合上、残念なことに
『脱構築』が、かないませんでしたので、
次回以降の解説に委ねたいと考えます。
 
    ・・・ って、おいおい、
 
 要するに、今回もまた、

 『脱構築』をキャンセルするわけか!

米国で広がる「キャンセル・カルチャー」と、その危険性
                        画像元:newspicks.com

    なんちゃって !!

     
    むむむ (本記事3度目の登場)

 ココだけの話だけど、本当の聖母子像は
ひとつだけのような気がしますが ・・・

      
      (ホンマかいな)


  『ミラノの貴婦人の肖像』部分 jugem.jp

 この貴婦人の目がそう言っているように
見えるのは小生の気のせいでしょうか❓


   多分それが正解かもね!

 
   今更だけど、こんなんで、ホントに、

   
  『脱構築』を脱構築できるの❓
 
   
    「そ、そうじゃのぅ ・・・」
 
  現在では『脱構築』は、脱構築の作業そのものを
 最終目的とするのではなく、その手法を別の目的の
 ために応用するという形で使われることが多い。
   
    モヤモヤしますなぁ www.irasutoya.com
      
       脱構築 (Deconstruction)

 … to be continued !!

コメント一覧

小吉
写真は「現実」を映すかもしれないが、それはその人が「見ている」現実ではない。

絵画の世界には真の「現実」があらわれているのかもしれない。
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