僕と空と真っ赤なウソとホント

幅広い志向と視線でクラクラするほど遠くまで見渡す事を試みる美しき日々

指輪(navy&ivory)

2006-02-26 10:55:27 | エッセイ

証拠は残さないタイプでした。

どーも、僕です。



友人の結婚式に出席しました。



それまでの僕は
「結婚式なんて、公衆の面前でオナニーをするようなものだ。
 ほとんど猥褻物陳列罪で、軽犯罪法違反が適用されてやむなし」

そう思っていた。




違った。違ったよ。







僕、間違ってた。
ごめんね。



結婚式があんなに感動するものだなんて、知らなかった。




なんか知らないけど、
僕の頬を伝う涙が熱くて辛くて爆発するぜ。



思い出も、
「俺は証拠は残さないタイプだ」
なんて言わずにゴンゴン残すべきだと思った。

そこに至るまでの二人の足跡として
二人が育んできて、これからも育っていく
二人の道程の中継地点、ステップの途中段階は
残しておくべきだと思った。

思い出の途中で二人はとってもいい顔をしてるわけ。

そんないい顔した瞬間なんて、
気づく間もなく過ぎて行っちゃうでしょ?




ただね、イケメンと美人の結婚式だったのさ。

そりゃ、写真も映像も栄えますよ。





たとえば僕が結婚するとして、僕の顔を映して、
そのスクリーンは耐えられるのか・・・モニターは耐えられるのか・・・
その前にプロジェクターが壊れやしないかい?
映像を編集する人は途中、食あたり以上の不快感を味わうだろう。

「映像の編集ですが、今回はご遠慮いただけませんか」
なんて、こんな風に申し訳なさもなくお願いされて
僕のほうが、イヤな気持ちにしてスイマセン、とか言うんだ。


こう考えると、やっぱり自分で不快な気分になりそうで
いろんな証拠って残しづらい。






凹むなぁ~、結婚式って。



約束します。
僕(の顔写真)を残して、僕は死ねません。






オジャパメン(オジャパメン)

2006-02-22 15:02:29 | ミステリー・サスペンス


期待はしない。裏切られるとツライから。

どーも。
青春タウンページ・僕です。



僕が半島や大陸の人たちを良く思わない理由は
半島の人たちが、誤った歴史や歴史観を鵜呑みにしているだけでなく、
正しいことや間違っていることばかりに目を向けて
我々が未来に向けて進むべき方向にいたずらに「置石」をするからです。

考えれば簡単にわかってしまうようなことも
しっかりと見つめればわかることも、
わからないフリと聞こえないフリばかりで
「歩み寄りましょうよ」って言っても、
「歩み寄りたかったらこっちに来いよ」などと
意味のわからないことを言ってきやがるもんだから
結局、話し合いが平行線になってしまう。





あと、声がでかい。

嫌いなんだ、でかい声。


でかい声の奴と分からず屋、嫌いなんだ。

ん?分からず屋さん?
行かない 行かない 離れよう

分からず屋?
外人だ

分からず屋?
頭を使えよコノ野郎w






頭を使えよコノ野郎。


そうなんだ。
少し頭がおかしいんだ。



中田英寿のセリエAでの最初の年。
ユベントス戦で2ゴール1アシストと鮮烈なデビューを飾った。

その衝撃的なニュースはアジアを中心に全世界に走った。



【日本のメディア】
「中田ヒデ 鮮烈セリエAデビュー!」

【台湾のメディア】
「日本のMF中田 世界の中田へ」

【ヨーロッパのメディア】
「若き日本の侍 華麗なそのプレー」

【韓国のメディア】




「ナカタは韓国人だ」




何の話だw
突然何をのたまう。

気でも触れたか、デフォルトでミョウチキリンなのか。

どっちでもいいけど、笑ってしまった。



え?何?先祖がってこと?
国籍は日本だしなぁ・・・
何が韓国人なんだろう。




沈めばいいのに。



中村俊介のセリエA 最初の年。
エースナンバーをつけて司令塔で活躍する
彼の姿を見て再び、日本国内だけなく
各国のメディアは熱狂的にその勇士を伝えた。




【日本のメディア】
「俊介 鮮烈セリエAデビュー!」

【台湾のメディア】
「日本のMF中村 世界の中村へ」

【ヨーロッパのメディア】
「若き日本の侍 華麗なそのプレー」

【韓国のメディア】




「中村は韓国人だ」





バカかよ!!




もう、死ねばいいのに。



【スポーツナビ】より

「本当の親がテレビで見てくれていたかもしれない」-。
15日、当地で行われたフリースタイルスキー男子モーグル。
銅メダルを獲得したトビー・ドーソン選手(27)=米国=は、
記者会見の席でしみじみと語った。

韓国・釜山生まれのドーソンは、孤児院にいた3歳のとき、
養子として米国に渡った。
引き取り先のドーソン夫妻は、ともにスキーのインストラクター。
その影響もあり、ドーソンは4歳からスキーを始め、
12歳でモーグルに転向した。

15日の試合には養母デボラさん(56)も応援に駆け付け、
息子の雄姿を温かく見守った。
「トビーは子供のころ、とてもおとなしくシャイだった。
 どこに行ってもハローと言わなきゃ駄目、と教えたの。
 でもスポーツなら何でも好きで、上手だった。
 本当に彼がうちに来てくれてよかった」。デボラさんは目を赤くした。

「家族や友達がたくさん来ていたし、顔も見えていた。
 期待に何とか応えたかった」とドーソン。



なるほどなぁ、いい話じゃないか。

ちょっと感動さえするよ。




小さいころアメリカの市場で親とはぐれてしまって
そのままずーーーっと会えずじまい。

「有名になれば本当の親が自分を見つけてくれるはず」

そういう思いもあったそうな。


育ての親に愛され、ドーソンもその里親を愛していた。
それでもやはり、郷愁というものはある。

韓国を訪れたり、韓国の文化をアメリカで紹介したり、
韓国人としてのナショナリズムも忘れていないアメリカ人として
アメリカの地で自分を確立していった韓国人のドーソン選手。
訪れた韓国ではホントの親を探したりもした。

苦しい練習、血反吐を吐くほどの努力が実を結び
トリノ五輪ではモーグルで銅メダルを獲得。

すばらしいよ。



本当の親が自分を見つけてくれるはず。

有名になって、立派になって。
本当の親が自分を見つけてくれるはず。



この話題は各国のメディアを通して全世界に報道された。


【日本】
「ドーソン選手の感動秘話」

【アメリカ】
「自分のため 国のため 故郷のため」

【イタリア】
「メダリストはあふれる思いを口にした」

【韓国】






「ドーソンは韓国人だ」






うん。そうだよ。バカかよ。
だからホントのお父さんとお母さん。

ドーソン選手を見つけてあげて。
ドーソン選手、だいぶ大きな体をしていそうだけど、
ギュッて抱きしめてあげて。





でも、そんなに何人も
「自分が本当の親だ」
って名乗り出てくるような国の人間て
とってもじゃないけど、まともな頭をしているとは考えられない。



なぜに
「自分がホントの親だ」
って名乗り出る人間が10人もいるんだよ。





頭がおかしいとしか思えない。



「自分がホントの親だ」
と、名乗り出る人間が10人もいるんなら
ドーソン選手は結局自分の親を探さなきゃならない。


それに10人中9人はウソをついている。





韓国人の10人に9人はウソをついている。









帰ろう歌(mihimaru GT)

2006-02-18 21:20:16 | 恋愛


チョロQ実車版
どーも、僕です。




ん~・・・
何だかドス黒いモンが垣間見えるねぇ。。。

永田民主党議員は言う。
「メールの写しがここにある。疑惑はもはや疑惑ではない」と。

当の武部幹事長、及び小泉首相を始めとする自民党幹部は言う。
「根も葉もないガセネタだ」と。

そしてもう一人の当事者、取調中の堀江は言う。
「メールもお金も送ってない。心当たりもない」


言った言わない、の話と同じこの形は
確実にどっちかがウソをついている。


本来裁判においてもメールは確かな証拠として扱われる。
しかし、このメールの写しは確かな証拠とは採用されない。
きっと、ログやらなんやらが記載されていないのだろう。


でも、誰かがウソをついている。


こういうことがあるから、政治は不信感をぬぐい去られない。



まぁ、どうでもいい。

結局、この場合の自民と民主の勝利は
次の選挙や支持率で見えてくる。

彼らにとってはそれがウソかホントかは関係ない。

総選挙で議席確保のための党の「イメージ」を上げる
もしくは相手の「イメージ」を落とす、事が目的。

ヘタしたら、この話でどちらがウソをついているかなんて
有耶無耶の中に放り込まれたままになり
僕達国民には正しいもの、正しかったことは
知らされないまま「イメージ」だけが残されることになる。

結局、「信頼」や「信用」が足し算されることのないまま
今ある「信頼」や「信用」からの引き算での関係になる。

政治と国民の関係がね。

悲しいねぇ。この信頼関係、悲しいねぇ。

これはもはや「信頼関係」なんて呼べないねぇ。



なんでこんなことになるんだろう。
なんでこんなことになってしまうんだろう。。。

悲しいよね、こんな引き算の関係。




政治家に向いている人間はきっと
「完璧なウソをつける人間」と
「他者のウソを見抜いて指摘して突っ込める人間」。

「指摘して突っ込める」ってのがポイント。
「他者のウソを見抜」くのなんて誰にでもできる。




「正直者」と「ウソツキ」がいる。


「正直者」はウソをつかない人。
「ウソツキ」はウソをつく人。

うん。


でもね、これ(「正直者」と「ウソツキ」)は第三者からの評価。
そうすると「正直者」はウソをつかない人だけじゃない。


そう。「ウソをつき通す人」もだね。
誰にも悟られることなく、完璧にウソをつき通す人。

完璧にウソをつき通せる人。


すごいね、驚異的だわ。



「正直者」に僕はなりたい。
他者からの評価が「クリーン」なら、僕は「正直者」になりたい。


僕は全く政治家には向いていない。








月のない夜 道のない場所(Crystal Kay)

2006-02-08 13:51:33 | 小説


寝言なら寝て言うし、世迷い言なら世迷いて言う。

どーも。覚醒まであと一歩・僕です。



先日の話。雪が降りました。

一夜明けてると、そこには雪が積もっている。




通勤途中にある小学校の校庭には早くも雪だるま。

都会にあっては、本来真っ白な雪だるまも泥だらけ。
白いものは汚れていくし、汚される。



通勤途中の道路に積もった雪。

都会にあっては、本来真っ白の雪も排ガスで煤(すす)だらけ。
白いものは汚れていくし、汚される。



この町に降り積もる雪。

都会にあっては、本来真っ白に街を包む雪でさえ、その姿を覆いきれない。
優しく包むだけでは足らず、きつく縛れば反発する。



たまにしか降り積もらない雪。

僕は春を思う。

暖かな風が舞い、緑がそよぐ春を思う。
鳥がさえずり、柔らかな陽光差し込む春を思う。

芽が膨らみ、花が咲き、青葉が繁る。




春まで眠り続ける木。
葉の落ちきった欅や桜の枝の広がりが木の雄々しさを垣間見る。

こんな季節だからこそ気付く裸のその姿。



雪が降ると色んなことが分かる。色んなことに気付く。





ネタがないってこととかも。






路上のルール(尾崎 豊)

2006-02-02 17:59:05 | エッセイ

意外かもしれませんが、
中学生の多感な時期に、尾崎豊を聞きまくっていました。

どーも、焦りすぎたのか無闇に何もかも捨てちまった僕です。



法社会学という立場から考えればとても分かり易い。

法治国家にあって我々人間は、法律の中で法律に縛られて生きている訳ではない。
法律が我々人間の中にあり、人と人とをつなぎ、結び合わせてくれている。

というのも、そもそも法律とは我々の生活上のルール(ローカルなものが主)を
明文化し、折衝を重ね、妥協点を模索し、人々がそれぞれ同一の基準の中で
生活する環境を作り上げるためのものです。

集団と集団、延いては個人と個人の関係をつなぎ合わせてくれる
お好み焼きの小麦粉や卵のような役割をするものなのです。


「悪法も法なり」
と、そう言われるように、しかし一方では人々を苦しめるだけの、
一部の人間だけが甘い汁を吸うためだけの おぞましい法律もある。

だからこそ考えなければならないことがある。

ルールやきまりの中で縛られて生きるのは苦しいと感じるかもしれないけれど、
ルールやきまりが僕たち人間を結びつけ、守ってくれていると考えれば、
僕らの法律に対する意識も自ずと変わってくる。

その意識の変化は政治に対する考え方も変えてくれるはずである。



「人を殺してはならない」


なんで?

命はかけがえのない大切なものだから

悲しいから

倫理上当然

わからない



うん、僕はわからない。

殺しちゃいけないことは知っている。


でも、誰かを殺してやりたくなる時はある。

でも、殺さない。



なんでか?

法律で決まっているから。


なんで人を殺してはいけないか、僕は知らない。
でも、法律はそれを知っている。

その法律、条例でも刑法でも、が制定される裏には
たくさんの人々のたくさんの議論が重ねられている。
色んな人の色んな意見が交わされている。

その中で出てきた答えが「法律」である。



人が人を殺してはいけない理由は法律が知っている。



なぜルールを守らなければならないか。
それは僕たち人間が同いつの共通概念と価値観を持った
限定された集団の中で生活している個だからである。



でもね、人が人を殺したらいけない世の中になって
それほど日は経っていない。その歴史は浅い。

中世ではヨーロッパも日本も帝政が敷かれていた。

日本において言えば、江戸時代が終わるまで
上級士族には生殺与奪の権利が与えられていた。


無礼や非礼はそれだけで「死刑」であった。
そしてその刑は裁判することもなくキル側の人間の裁量次第であった。


その後、「自由」「平等」「民主主義」の考え方が
世の中に広まり、それを人々は手に入れた。



そして今、僕たちはそれを当然のように与えられ手にしている。

しかし、人々はそれを手に入れたが、

手に入れるまで、それまでにはたくさんの血が流れ、涙が流れ、命が消えた。



僕らは、その多くの犠牲を知らない。



たくさんに人々の犠牲の上に悠々と土足で飛び回る僕たち。

僕たちが立つ幸せな世の中に至までの悲しくつらい歴史。

この幸せを未来につなげ、橋渡しをするためにも
そこに目を向け、それを学び、それを感じ、
様々なことを知って行こうとしなければいけないと思う。



それを知った上で、でも、どう生きて行こうとするか、
それは結局、個人の考え方次第になってしまうのだけれど。