サブロー日記

随筆やエッセイを随時発信する

晩酌の後  サブロー日記

2006年08月26日 | Weblog
子猫殺し
 昨日からテレビ 新聞の報道、子猫殺しに異常な反応に驚かされる。たかが子猫殺しに?とはいってみても、誰しもその場を想像すると良いイメージはわかない。ヤフーのサイトには早や23000の投稿がある。発信もとの直木賞作家はどんな女か知らないが。これがきれいでかわいい女なら、あああの人がと驚嘆もしょうが、男気のある、ごつい女なら、この騒ぎにもならなかったかもしれない。
 女性はえてしてこのような行為について、女らしく、まあかわいそうにと、表面ではおっしゃいますが、心底は男より怖い女もぎょうさんいる。 そうな?(後が怖い) サブローの子供のころ、家でも母が猫大好きで大きなのを飼っていた。ある日父親が、わらを積んであった小屋から子猫を4.5匹袋に入れて持ってきた。「お父さんその子猫どうするの?」「むごいけんど川に流すのよ」父は何の迷いもなく、この時化の大水を狙っていたのであろう、この数匹の子猫を家に引き取って飼育する環境ではないからであろう、子猫殺しは昔からの当然のなりゆきであると思う、それにしても猫好きの、くりけいさんのおふくろさんの評論は?....。聞きたいね。


晩酌の後サブロー日記  8月5日

2006年08月05日 | Weblog
晩酌の後 サブロー日記晩酌をやると(ビール1本と ちょっと酒)吾が想いを訴えたい思いがつのる。「やっぱり気が小さいのだ。」アルコールの勢いで、思ったことを言いたい。今晩7時のニース、総務庁は橋本竜太郎の葬儀に合わせて各市町村に黙祷をするように、との通達を出したとのこと。それはそれも良かろう、しかしこんな知識、良識しかない、国のえらい人しかおらんのかと残念でたまらない。      早く終わらないと酔がさめる。

草鞋を履いた関東軍

2006年08月05日 | Weblog
  草鞋を履いた関東軍  サブロー日記j. 平成18.8.3   4
 各県各中隊が次々と現地、満州に渡って行く、しかしわが高知第33中隊には一向に渡満命令が出ない、早や6月にもなるのに、と思っていると、高知中隊は、内原で一年間の残留部隊と決まった。さてこれからの一年間、ここでどのような訓練を受けるのであろう、広漠千里の満州を夢見ていた三郎、腰を折られた感である。
300棟もある日輪兵舎も空舎が目立ってきた。しかし其処へ入って来たのが、食糧料増産推進隊であった。全国的に食糧危機が深刻になり、食糧増産に国を挙げて取り組まねばならなくなった。都道府県に食糧料増産推進隊を結成し、この推進隊をこの内原訓練所に入所させ、短期に加藤完治の農民魂を練成し、以って国威を宣揚し食糧増産に邁進すべく国策がとられた。次々と各県より入所して来た。その数、終戦までに六万五千人と言われている。 
 間もなく、わが中隊、国内あちこちと所外訓練が始まった。最初は、陸軍の、水戸航空通信学校へ一日入隊となった。三郎は嬉しかった。一日とはいえ、本当の軍隊へ入隊出来るとは、、、。皆緊張と好奇心をもって衛門をくぐった。其処には、何機もの飛行機が並んでいた。しかも今、日本の最新鋭機、二式戦闘機「鐘馗」(しょうき)が居るではないか。まだ幸運なことに、今まさに、この「鐘馗」に飛行服に身を包み白いマフラーをなびかせ、軍刀を片手に颯爽と乗り込む飛行兵がいた。間もなく発信、われわれも、ちぎれるほどに手を振り感慨こめて見送ったのである。ニュース映画では良く見る光景ではあったが、実際この目の前で起きたこの現実。今も瞼に焼き付いている。また居並ぶ機種の中、00式重爆撃機「呑龍」(どんりゅう)も居た。この飛行機は海を渡って中国本土を爆撃した歴戦のつわもの、しかし格好が良くない、蛇が龍を呑んだように胴が太く尻の方が急にくびれている。戦闘機の格好良さとは比べ物にならない。その他の機種も並んでいたが、三郎の知らないものばかりであった。この学校は、飛行機と地上基地、飛行機同士の通信連絡を教育する学校である。宿舎に入ると、何もかも義勇軍とは格段の差、当然のことではあるが、寝台は、毛布で寝台を包んだ封筒のような格好をしている。就寝はその穴にもぐりこむのであった。一泊二日の訓練であったが、生涯心にのこる体験であった。     来月につづく