サブロー日記

随筆やエッセイを随時発信する

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ひだけた話

2014年01月30日 | Weblog
  ひだけた話だが あけましておめでとうございます 年のこうか 病気のせいか マウスを握る気がおこらない今日このごろです こんな事ではいかない もっと元気をださんと とおもっています まだまだやらねばならん事が沢山ある 頑張るぞ…….
 
 昨年末より 今年も毎年来てくれるメジロの夫婦が我が家の窓のエサ みかんや柿の熟しに毎日日課のごとく来てくれる これを見守るのが小生の日課である このメジロも四月頃になると山に帰っていく 山では何を食べているだろう心配だ・・
 今年もよろしくお願いします またね.....
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死によった・・・・・・

2013年10月26日 | Weblog
          死によった 
それは先日のこと もう近頃は肺がよく機能しないので昇竜の滝へも 川にもよう行かんようになっていたのだが まあーちょっと滝の様子を見て来ようと行ってみた すると何と先日大雨で滝の流れが変わり 主な滝には水がちょぼちょほ゛何百年前に落ちていたと思われる滝口に代わっていた これはいかん 落差が大きく違う それに見た目の美しさが違う これはどうしても元の流れに変えんといかんー予定になかったのだが しんどい体で滝の上に登り流れを変えるべく色々やったがなかなか難しい 少しは変わったが今日の事にはならない 早く帰らんと日が暮れる 息のしんどい体をひきずりながら上の車を置いている道路へといそぐしかし10メートルも歩けばもうつき座って休まなければならない
これの繰り返しだが 遂に歩けなくなる 休むと腰から下に ぶるぶると震えがくる ここは渓が深く早や陽は山に隠れた 山で遭難するのはこういうことか!!でもここで死ぬのはまだ早いーよっしやここで満州で戦闘教錬で習った抱ふく前進で行こうー
暮れかかった森林の中の山道を両腕の肘 両脚のすねで ずびずびやっと車にたどり着いた 服は草の実や泥で哀れな姿た やれやれこれで命だけは助かった もう車にはライトが必要だった 家に電話するも通じない
やがて婿が迎えに来てくれていた。。。。。。。。。晩秋の一日の出来事だった サブロー



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 長年の謎がやっと解けた                                                                                      

2013年09月05日 | Weblog

 
あれからもう何年になるだろう 安居渓谷の開発に大変お世話になった今は亡き伊藤俊実さん 当時樫山の区長を長く勤めてきておられた その伊藤さん曰く 「隣のおんちゃんに聞いたんじゃがこの大きな樹の下に 山番と言う者が短刀を腰にして日がな一日座りよったとー」ここは樫山集落の東の端で安居の御留め山(国有林)への 又安居銅山への主な街道の要衝である 
(旧池川町の古文書にも樫山に山番が置かれていたことが記されている)この山番が座っていたという その木の足元に五基のいかにも古いものであろう墓らしきものがある 不思議なことに この墓すべてお地蔵さんのような形をしている しかも頭の部分が皆壊されてくなっている これはあまり古くなったので自然に壊れてなくなったのだろうと思っていた しかし池川あたりではこんな形をしたお墓は他には一つも見たことがない どうも不思議である 近くのおばさんに聞いてもこの墓の事は知らんという 同じものが五つもきれいに並んで居るということは 何か深い訳がありそうに思う それにしてもどうして頭の部分が無くなっのであろう ちょうど其のころ大津の歴史民俗資料館でお墓に関する展示会が開かれていたので早速この写真を撮って持って行き学芸委員に見てもらったのだが お地蔵さんのような形をしたお墓であろう そして頭の方は古くなって壊れたのであろうとの説明 それ以上の事はなにもわからない しかしこんな墓がそこにあるのは珍しい事だとの説明であった これでは謎ときにはならなかった それか今まで謎のまま何年か時が過ぎてきたのだが つい先日何処かのテレビで 慶応4年即ち明治元年神仏混淆禁止 廃仏毀釈運動が行われた その時全国の仏像が毀されたとの放送をたまたま見ることができた    
ああこれか 私の長年の謎が解けた 当時此の地を支配していた役人がこの墓の首をことごとく毀したのであろう それにしてもこの五基の墓何者のものであろう まだまだ謎は深まるばかり    サブロー
 

  
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長年の謎が解けた

2013年09月05日 | Weblog



あれからもう何年になるだろう 安居渓谷の開発に大変お世話になった今は亡き伊藤俊実さん 当時樫山の区長を長く勤めてきておられた その伊藤さん曰く 「隣のおんちゃんに聞いたんじゃがこの大きな樹の下に 山番と言う者が短刀を腰にして日がな一日座りよったとー」ここは樫山集落の東の端で安居の御留め山(国有林)への 又安居銅山への主な街道の要衝である 
(旧池川町の古文書にも樫山に山番が置かれていたことが記されている)この山番が座っていたという その木の足元に五基のいかにも古いものであろう墓らしきものがある 不思議なことに この墓すべてお地蔵さんのような形をしている しかも頭の部分が皆壊されてくなっている これはあまり古くなったので自然に壊れてなくなったのだろうと思っていた しかし池川あたりではこんな形をしたお墓は他には一つも見たことがない どうも不思議である 近くのおばさんに聞いてもこの墓の事は知らんという 同じものが五つもきれいに並んで居るということは 何か深い訳がありそうに思う それにしてもどうして頭の部分が無くなっのであろう ちょうど其のころ大津の歴史民俗資料館でお墓に関する展示会が開かれていたので早速この写真を撮って持って行き学芸委員に見てもらったのだが お地蔵さんのような形をしたお墓であろう そして頭の方は古くなって壊れたのであろうとの説明 それ以上の事はなにもわからない しかしこんな墓がそこにあるのは珍しい事だとの説明であった これでは謎ときにはならなかった それか今まで謎のまま何年か時が過ぎてきたのだが つい先日何処かのテレビで 慶応4年即ち明治元年神仏混淆禁止 廃仏毀釈運動が行われた その時全国の仏像が毀されたとの放送をたまたま見ることができた    
ああこれか 私の長年の謎が解けた 当時此の地を支配していた役人がこの墓の首をことごとく毀したのであろう それにしてもこの五基の墓何者のものであろう まだまだ謎は深まるばかり    サブロー
 
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天命を待つ

2013年07月09日 | Weblog
昨日梅雨が明けたとの事 この池川でも三十二度もあった あついのには困るが雨よりはずっと良い 夏はあついもの 下の川で何処か町外の人であろう一日中アユの囮掛けをしていた しかし掛かったのは見えなかった よほど川の好きな人であろう 自分も行きたくてたまらないのだが この息のしんどいのがなんとも残念である 今年は囮掛けの人にエテをとられて 九月まで網をやられんとの事 だつたら自分も囮掛けで全部獲っちゃろうとおもおちょるが?とにかく体が良くならん事には始まらん そして滝へも行かんといかん やることは何ぼでもある 頭の中は忙しい 人が老いるのは望み捨てた時から老いていくとの事である 死を宣告されても 望み仕事は捨てずに頑張ろう いつ奇跡が起こるかもしれん かってあの特攻隊が「身は軽く勤めはおもく、、、、、、」と言って飛び立っていったが いま吾輩は 「身も軽く心も軽く」この天地の間に浮雲のごとく流れているのだ。。。。。。。サブロー

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2013年05月26日 | Weblog
地球が軽くなった

新緑のすがすがしい今日この頃となりました 今日は久しぶりにマウスを握りました 此の頃ちょっと体調がすぐれないのです 私の同居人前立腺ガン君が今度は骨まで、、骨までー愛してくれだしたのです 「先生僕はまだ渓谷の昇龍の滝公園の開発中です もう少し生かしてください」 先生「、、、、、、、、、、、」先生の返事はなかった 先月撮ったMRで第四脛椎 第八胸椎が白く侵されていた ガン君にここまでしゃぶられていたのか 天はいよいよ私に最後通告をして来た 予期していないこの現実に一瞬深い谷底に突き落とされた想い ガンが骨に来たら終わりだと聞かされていたからこの衝撃大きかった
 「先生何とかして」とお願いする 早速新しく開発されたゴナックスという新薬を腹に注射 風前のともし灯となった私の運命 しかし私は時間がたつにしたがって腹が据わってきた 急にこの地球が軽くなった 家康は「人生は重荷負うて遠き道を行くが如し」とのたまうていたが やはり今迄の地球は重かったんだな と思う   
それから旅支度をし今は身も心もすっかり軽くなった 

この四月の検査ではPSA(ガンの指数)が驚くほど急こう配で下がっていた 新薬がてきめんに効いたのだ さてこれから神は私の運命どうするだろう か、、、 たのしみだ もう覚悟はできている私には「神よ どうにでもしてくれ!」 との心境である、、、、、、、


今年も池川の山々にアオバズク アカショウビン ホトトギスがやってきた池川の自然は大丈夫だ また川には若アユがのぼって来た楽しみだ しかし川に行ける体力があるかが問題だ 昨年は二回行ったが鑑札代で割ると一匹千円以上になった 今年も鑑札は購入しているがさて? 、、、、   では又  サブロー
                                            

                   
                                  
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お久しぶり サブロー

2012年12月28日 | Weblog
 何もかも押し迫ってきました 小生近頃体調思わしくなくマウスをとるのも気が進まずごむ沙汰しております 気持ちだけは病気なんかに負けるもんかと真正面から病気に戦いをいどんでいます これからは病気を味方につけ家来として進んでいこうと思っております  小生はまだちゃがまられん 安居渓谷の昇龍の滝公園を立派に仕上げせんといかん
この大仕事が残っています 来春になったら体調を整えこれに取り組みたいと思っています 今年は暖冬異変か ふだん三月ごろ訪問のあるメジロさんが早くも毎朝十時頃やってくる ミカンを枝に刺してやらねば  
池川の街のさびれ様 毎日が休日のごとし しもの大型店にお客さんは流れていく この町に生き残るにはたいへんなことだ 大資本攻勢をかわす行政が必要となってきた 新しい自民党何とかせよ!と言いたい ではみなさん楽しいお正月お迎えください サブロー
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よかったー

2012年07月10日 | Weblog

 

今日の新聞 「゜大崎小 池川小に統合 」゜「池中は健在」 よかったよかった 大崎地区の保護者の英断 議会 教育委員会のご努力 近年にない朗報といえよう 過疎を皆の知恵で生き抜かねばならないですよねーー

 くりけいさん yuka さんコメント有難う  サブロー
   
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思うこといろいろ

2012年07月05日 | Weblog
まあ まっこと今の政界何たることぞ 小沢にしろ 鳩山にしろ見苦しいかぎりである 鳩山氏今日のテレビで中学生の質問にも大人の答弁ができん この頭 心のせまさ おやじ一郎さん天国で泣いているだろう 
 また今の大都市の首長三人とも いいこと言っているように聞こえるが 私には全面的には賛成できん この右往左往している社会をわが想いだけで斜めに走ろうとしている もっともっと足を地に着け一歩一歩確かに進んでもらいたい 斜めといえば 昨日テレビで気が付いたのだが 石川さゆりの帯留めの紐がまっすぐに治っていた よかった とにかくまっすぐが良い 線香も真っ直ぐ立てんといかん サブロー



 今年はホトトギスが鳴かないので心配していたがよく鳴き出した すぐ対岸のそこまで降りてきて鳴く また鶯もそこの桜の木で終日鳴いてくれる 過疎のおかげか?

 ここ一週間ほどかけて 下の川 安の河原に 看板を作った 観光の一助にもなればと   「日本一清流仁淀川」と
 日本一貧乏県に 日本一清流とは?有難くないことではあるが 昔のようにかじミツマタはなく 木材木炭人口はガタ減り したがって水はエメラルド・ブルーとなりどこまでも澄み切っている 水清くして魚棲まず だが水清くして金住まずとなった でも少しの年金にすこしの野菜をつくりこの自然の中でカツエずに暮らせることは有難いことよー






 yukaさんサブローブログ覗いていただき有難う 椿山の虫送り行っていましたか  
これからもよろしく  サブロー

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池川の商店街は全滅か

2012年06月15日 | Weblog
池川の街は全滅か・・・・
 今日の新聞(仁淀川町議会の記事)を見ると 町の中学校を吾川へ統合するよう1440の署名をもって請願している これを池川は指をくわえてみていたのでいいんだろうか ええかげんさびれてきたこの池川 池中がくなったらどうなるだろう 皆で統合当時の条件を思い起こそう 
 昔し大西の駄賃や米蔵さんに 「米蔵さん 今日はえらい帰りが遅いがどのへんから暮れたぞよ」と聞くと「そうそう四方八方から暮れてきた」 池川も万方(まっぽ)が暗がってきた、、、 サブロー
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