Guitars On Broadway

洋楽とエレクトリックギターの旅路

イタリアン・グラフィティ

2009-01-15 18:10:45 | ROCK
イタリアン・グラフィティ

よく観ると非常にハイセンスなジャケットのニックデカロの「イタリアン・グラフィティ」。AORの名盤中の名盤。全てカバー曲だがアレンジで原曲を超える作品に仕上げるスーパーアレンジャーのセカンドソロアルバム。

ニックデカロは60年代からA&M、ワーナーでの仕事で頭角を現し、70年代に入りアメリカの名盤といわれているポップス、ロックのストリングスアレンジには必ずニックデカロが絡んでいたといわれるぐらいの売れっ子アレンジャー。そんな中1974年にリリースした全曲自身のヴォーカルをフューチャーした作品。70年代のフュージョンブームを作った旧友の名プロデューサー、トミーリピューマとの共同プロデュース。当時のブラコンやフュージョンの独特のサウンドを作り出したエンジニアのアル・シュミットなど音楽制作のプロ中のプロたちが完璧な仕事をしている。

全体がメローでスウィートなアレンジだがどこか角があってテンションがある。それは起用しているミュージシャンの力も大きい。ドラムにポールハンフリーとハービーメイソン、ギターがデビットTウォーカー、アーサーアダムス。ベースがクルセイダーズのウェルトンフェルダーとマックスベネット。それだけでも黒いファンクネスだ。打ち込みなんて一切無い、完璧なスコアを解釈するミュージシャンの出音まで考えられたセッティング。その生のセッションを捉えるエンジニアと本物の音楽制作はどういうものかがこれを聴くと理解できる。

妙なヒネリやメッセージは全く無く、あくまで王道のアメリカンミュージック。その後のAORの元祖のようにいわれているがこれは60年代からのスタンダードのポップスの凝縮版だ。選曲のセンスの良さとアレンジの質感の素晴らしさ。同じ製作スタッフでその2年後にリリースされたマイケル・フランクスのデビュー・アルバム『The Art Of Tea』とは肌触りが違う。

こういう作品はちょっといいオーディオセットでちょっとだけヴォリュームを上げて聴くと最高だ。

でも一番ヒネリが効いているのはこのジャケットと自身の非力でスウィートなヴォーカルでした。


ライブ!

2008-09-18 14:00:22 | ROCK

Live!

誰もがレゲエの入り口になったアルバム。70年代にこのアルバムがリリースされたときはあくまで激しいロックとして聴いた。それは今も変わらない。現在のダンスホールスタイルのレゲエと一緒にしてもらっては困るし、クラシックレゲエなんてカテゴライズされるのも真っ平御免だ。

もちろんアナログ盤をスリ切れるほど聴いてCD盤になった。より鮮明になったがアナログの力強さが無くなりパワーダウンした。しかし、このリマスター盤は解像度が増してアナログのパワーが復活した。原盤には入っていなかった「Kinky Reggae 」がボーナストラックになっている。一度、このライブの完全版が出るという噂があったがそれが無くなり、その前後の未発表ライブ音源がリリースされた。しかし、その音源もこの「ライブ!」のテンションにはかなわない。

1975年7月にボブマーレイ&ウェイラーズが先進国へ進撃した瞬間を捉えた実況盤。アイランドレコード側も70年代のライブ名盤を録り続けたローリングストーンズのモービルユニットを持ち込んでの録音だからかなり力が入っていた。バンドも荒々しい。ダンスレゲエじゃなく無心に体を揺り動かされるファイティングレゲエだ。このライブ後、マーレイはゆったりとした、より精神的な方向に進む。

このアルバムはこの時代のファンクとブルースが高いテンションの中で合体して新しいロックと変貌している。結局、このハードなバンドサウンドレゲエも80年代に入り機械演奏化していきブラックコンテンポラリーに吸収されていった。結局、ボブマーレイのスタイルを継承したのがジャマイカではなくブリッテッシュパンク勢やイギリスのジャマイカンだったというのも複雑だ。

バレット兄弟の強烈なリズム。アルアンダーソンのブルースギター、バンド全て支配するマーレイのリズムギター。それら全てが会場の空気を通ってレコーダーに刻み込まれている傑作。

何度聴いてもいいものはイイ。


グレイト!ベンチャーズ

2008-07-31 13:25:32 | ROCK
ザ・ベンチャーズ コンプリート・ライヴ・イン・ジャパン’65

今まで聴かなかったことを後悔するアルバムだ。最近、この時期のジャパンビンテージを入手したのでそのお手本となるトーンを捜してこのCDにたどり着いた。「ベンチャーズ」は熱狂的な世代があまりにも強烈なのでそこに絡んでいない世代は距離感を感じてしまっていた。しかし、何だこのパワー!驚いたなんていう次元じゃない。この時期にこんなテンションのバンドはブリティッシュロック勢にもなかった。激しく突っ込むがタイトなメル・テーラーのドラミング。ジャズから派生した匂いのハードなロックドラム。8ビートがこんなにグルーブしているとは。極上な真空管アンプのザックリしたドライブトーンのノーキーエドワーズのスピード感とテクニック。こんなライブを魅せられた当時の日本でブームにならないわけがない。メンバーも30歳前後の脂の乗り切ったパワー全開の時期。70年代の欧米アーティストの「ライブインジャパン」物の先駆けといえる音源。こんな熱い演奏をしているのに同時期のビートルズの来日公演の演奏のなんてユルいことか。

日本だけじゃなく世界各国の歌謡曲まで演奏してしまうプレイに対しての貪欲さとエンターテイメント。こんなバンド、後にも先にもベンチャーズしか見たことがない。世界中にコピーバンドは星の数程あるが、継承しているバンドはない。それだけ強烈なオリジナリティ。かなりフュージョンしたJAMバンドだ。40年以上プレイし続けて今だ現役というのも凄すぎる。

ノーキーエドワーズのギタープレイはギタリスト、レスポールあたりからのモダンジャズギターとカントリー・ロカビリーのルーツにトレモロを駆使したトリッキーなプレイだ。スクイーズするブルースギターではないが今で言うとブライアンセッツァーに近い。ナチュラルに歪んだチューブアンプとモズライト。このアルバムを聴くと欲しくなるセットだ。

往年のヒット曲の目白押しだが全て演奏がハードでドライブしまくりだ。数年前、日本でもサーフロックブームがあったが、これは団塊の世代だけの音楽ではない。インストエレキサウンドは永遠に。


トミーボーリン

2008-07-03 20:09:26 | ROCK

カム・テイスト・ザ・バンド

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ハードロックを通ってきていないエレクトリックギタリストは何かパンチに欠ける。70年代中期に活躍したロックギタリストのほとんどがブルースから発展したハードロックを作り上げた。その根源はヘンドリックスでありクラプトン、ジェフベック等のギタリストということに誰も異論は無いだろう。そのパンチとはテクニック、スピード感、歌心。この時期そんな匂いプンプンなギタリストがたくさんいた。日本ではアンダーグランドな存在だが当時、最先端のギタリストがこの「トミーボーリン」。

当時、悪評高いディープパープルの75年「ラストコンサートインジャパン」がリリースされ、日本中がこのギタリスト「トミーボーリン」をこき下ろした。左手を寝違えたとかでプレイが出来ない為、ボトルネックでお茶を濁したプレイ。後になって来日前の東南アジアツアーで質の悪いドラッグの注射による麻痺が原因だったらしい。しかし、最近になって出た日本公演後のアメリカツアーでのプレイの音源は素晴らしい。ドラッグが原因かもしれないがリッチーブラックモアの人気が高い日本で演奏することが気に入らなかったのか。今更、「バーン」や「スモークオンザウォーター」のリフなんか恥ずかしくて弾きたくなかっただろうし。

トミーボーリンは既にアメリカではジャズフュージョン界からロックまでカバーする人気セッションマン。ジェイムスギャングのリードギタリストだったりと売れっ子だった。74年には名盤ソロアルバム「ティーザー」をリリース。その参加メンバーはジェフポーカロ、フィルコリンズ、ヤンハマー、グレンヒューズ、デヴィッドサンボーン、ナラダマイケルウォルデン等草々たる面々。そんな人が何でパープル参加なのか。その契約には多額のギャラがあって自身のセカンドソロアルバムの制作費を稼ぐ為もあったらしい。

しかし、この75年のリッチー脱退後のパープルを見事に復活させたこのアルバム「カムテイストザバンド」は素晴らしい。トミーボーリンは全てのソングライティングに参加しファンクエッセンスを取り入れ上質なロックアルバムに仕上げた。曲が全編傑作ばかり。バンドもタイトで最高だ。どんなジャンルにも対応するイアンペイスとジョンロードの上手さには改めて敬服する。トミーのギターも重いファズトーンで粘りつくソロワークとファンクカッティング。一本調子のリッチーとは180度違うタイプ。シングルノートの切れはジェフベック以上かもしれない。当時の日本ではまだこんなハイセンスなロックは受け入れられずこの作品はたいした話題にもならなかった。様式美ベッタリの第2期パープルを期待するファンには理解不能だったのだろう。そもそも日本人はファンクが苦手である。だからヘンドリックスもいまひとつ日本では過小評価だ。わかりやすくベタな感じで軽くないと日本人にはウケけないのである。その状況は30年以上たった今も同じ。

そんなトミーもこの後の76年7月にパープルは解散し、念願のソロツアーを始動する。同年12月ジェフベックのツアーの前座として参加していた時、フロリダのホテルでドラッグのオーバードーズで死亡。享年25歳。

トミーボーリンがその後のジェフベックのフュージョンインスト路線の原型に少なからず影響を与えたのも理解できる。