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カラス vs オオタカ...というか、カラスに追われるオオタカ|画的な条件が悪いとAFは外れがちで、それが...

2022年04月01日 | 野鳥・鳥類
鷹は猛禽として知られて、 野鳥観察や 野鳥写真では 好まれて 期待される種類だろう。
一般には 「速い」「強い」とか...のイメージを持たれていがちなのかも。
「カッコいい」とかも・・・

でも、 写真作品や自然番組などで描かれるイメージは、 “人”の側の嗜好で選別されたハイライトシーンのダイジェスト。
それは、 個々のシーン別には それぞれ正当な事実でも、 他にも膨大にある情景が抜けて構成されたイメージ。

フィールドで実際に見る 鷹の姿は 本当のリアルの一端なので、 カラスに追いかけられているシーンも 少なからずある。
そして、 殆どの鷹は、 はばたいて飛ぶのは、 むしろ遅い。
だから、 一度絡んでこられると 振り切れなくて、 カラスが飽きるか諦めるまで続く。

カラスにとって 鷹は“天敵”なのと同時に、 鷹にとっても カラスは 面倒な相手でもあるだろう。



光の条件が悪く、 ピント感も甘かった x x x

こういう 不意に予想外の動きがあるかもしれないシーンでは、 光の条件が悪くても 一応 シャッターを切っておくこともある。
が、 鳥の飛翔写真では、 経験的に、 逆光で無理に写しても ピンボケのコマが続く結果に終わっていることが多い印象が強い。

他にも、 被写体が小さくしか写らない条件では、 背景が全面青空で AFが迷う対象がない状況でも ピントの精度が低いと感じる。
広い画角で 周囲に余白的な空間がより広くあるほど、 画面内への導入や動きを追う難度は低くて済む、 が・・・
その引き替えに、 たとえピントが合って写っても、 たいていは、 たいして見栄えのする画には なってくれない。

その総合で、 大きく写せるのと 光も良く入るのが揃って より好条件になるほど、 AFが当たってくれる確率は高めになる傾向。
逆に、 望み得る最良に写っても たいした画は期待できない状況ほど、 ピントは合っていても“残念な画”すら 得られ難い。
だから、 鳥の飛翔写真では、 良い条件で狙える状況に居られる機会を多く持てることが 成果に繋がる要所。

でも、 平時の状況でまで、 ド逆光の 砂粒ほどにしか写らない遠くでもお構いなしに 大量連写し続けるのが ありがちな情景。
そんな行動しか知らないと、 “残念な画”も なかなか得られないだけの希薄さが、 あべこべに、 希少な ありがたさに化けて、
「私は、 こんなに『成功』し難い 高度なスキルが必要な撮影にも『挑戦』できるほどにまでも優秀なのだ」
とか
「私は、 こんなにも高度なスキルが必要な撮影にも『成功』したことがあるほどにまでも優秀なのだ」
と 陶酔して、 その“残念な画”のご自慢を たいそう華々しい文言で押し売りにお励みになってしまうお方も 多々。

どこにでも、 日頃の日常から あらゆる何でもが わかりようがなくて暮らしている面々は 無数にいるもの。
そして、 聞こえた単語を真似て口走るのが“わかっている”こと、と理解してしまっているのが、 生活上で編み出される浅知恵。
そんな言葉遊びだけで暮らしている面々は、 鳥写真でも、 優れた作品と 自身の写真に 同じ文言を充てられる要素を探して、
「飛んでいる○○が写っている」
果ては
「○○が写っている」
とまで 極度に要約しすぎた短文に“僅かすぎる断片の単語だけの共通”があるのが “同じもの”に化けて 舞い上がって
「~~の撮影に『成功』した」
と 口走るのを、 自身も 優れた作品と同等...どころか、 なぜか 遥かに凌駕する超絶な才覚がある証明にしてしまう。
・・・すると・・・
そんなお方の下に 同類さんだけが群がった『集い』が形成されるのが、 各地で無限に繰り返され続ける 定型の情景。
それは、 そのお話に倣えば 互いに称え合って 自身をご都合良く祀り上げていられるのが ありがたがられるだけの ご事情。
実態は稚拙な自身を 優秀なことにしたい願望では、 ご都合が良い『集い』に閉じ籠もり続けるしかないだけの ご事情でもあり。
例えば、 飛び去って行くツバメを 200mも遠くまで 間断なく連写し続けて得意げなお方のご指導を仰いでいる実例もある x x x
そのお方には、 逆光で飛び去るミサゴを 150mから始まって 1㎞以上の遠くまで 数千コマ規模で 延々と連写し続けた実績も x x x
そんな類の奇行自慢を羨望で崇めていられる『集い』では、 オオタカのような 特に好まれる種類だと、 150mとか 200mでも
「ここまで近くでは まだ誰も撮影に『成功』していない、 全世界の歴史上ダントツ最高の究極チャンス!」
「にめ~た~ぁ(2m)もない! 危ない! ここまで近いと、 はばたいている羽が レンズに当たってしまうぞ! 気をつけろ!」
などとの滑稽なお話に 本気で熱狂しているような情景も、 残念ながら、 全く珍しくもない、 いつも通りの日常 x x x

また、 “逆光”は、 知り得る知識が数少なすぎる面々には、 口走ることが好まれる単語の1つでもあって・・・
それは、 無知すぎるご自慢での自己顕示欲では、 なんだか専門的そう...な用語を口走れるのが 魅惑のプレイ、といったところ。
何でも無知すぎるから、 単語の連呼だけで陶酔して、 それしかできないから 延々と繰り返し続けて重宝される ご事情もあり。
たとえば、 狂乱的に色めきたって 延々と連写している『集い』の面々に、 “独り言”の体裁で わざと聞こえるように
「そんな 砂粒の逆光まで写して 何になるのやら・・・」
と言うと、 モニターに表示した画像を見てから
「△☆※◇~~、 “逆光”! これは“逆光”! “逆光”だから 真っ黒にしか写らないよ!」
と 大きなお声で周囲に教えてあげて、 それを
「“逆光”ほどもの とっってっつもない超~ぉ~高度な専門用語までをも知っているのは 私だけ!! ということは・・・」
「アンタが先に“逆光”だと言ったのは、 私が先に気付いて教えてあげたのを後から真似したと 私はちゃんとわかっている!」
と、 残念なご自慢を語って 優秀を気取っていられてしまうお方が 無数にいてしまうもので・・・
その後は、 毎度のお祭り無限ループが、 爆写しては 皆で“逆光”を含めた文言を得意げに口走り合う 2段階構成に発展 x x x

でも、 “逆光”は、 「写真はスマホだけ」のレベルでも 何も特別ではない程度だろう、 一般でも日常にある 初歩的な知識。
そして、 状況が逆光なのは 写さなくても判断できるもの。
他にも、
昼間の順光側でも 日差しが陰っている時は 陽が射した写真にはならない、
遠すぎる鳥は 小さくしか写らない、
飛び去って行く鳥は 後ろ姿しか写らない、
・・・、
これらも、 写さなくても、 そして、 他者が その撮影者から離れた場所から見ても 最良で どう写るのか推測できるもの。
この程度のことは、 言うのも馬鹿馬鹿しすぎる、 写真に限定されない 一般にも 誰にでもわかる 当たり前すぎる道理・・・
でも、 そんな簡単なことでも わかりようがなくて 想像すら できようもない面々は 無数にいるわけで・・・
だから、 各地で無数に盛況の『集い』では、 いつでも
“今こそ 夢見る写真が写せるのでは”
と、 実際は その可能性などない状況にも 皆で 待ち望んでいるシーンを賑やかに語り合って 期待に胸躍らせていられる、が・・・
それは、 周囲より優れているつもりで 嬉々としていられるほど、 そのお幸せでいるお姿の哀しさが 一層 際立ってしまう情景。

また、 こういう“~~がわからない”での行動には、 どうすればよいのかわからずに まごつくばかり、と勘違いされがちのよう。
当の 何でもわかりようがない面々こそ、 戸惑うことなく 自信満々に行動できることを、 正しくわかっている証拠にしてしまう。
でも、 実際は、 自身が わかっていないことは、 その自身には「わからないこと自体が わからない」のが 当然の道理。
理解が間違っていても、 それが正しくわかっているつもりで、 疑いもせず 倒錯した行動に邁進し続けるもの。
あるいは、 知らないことで 認識もせず 行動しようともしないことにも、 まごつく状況はないところは 同じ。
そして、 言動が 明白な矛盾を連ね続けていても、 自身では気付けないし、 他者から指摘されても その現実が理解できないもの。
これらは、 その当事者には、 “現実とは無関係なことが 現実かのように見えている”ということ。
それを、 他者の視点からの感覚で “○○がわからない”と表して 客観的事実を正しく説明しても、 話が噛み合うはずもない。
「わからないこと自体が わからない」のが わからない、 また更に それが わからない、 また更に、が 無限に重なり続けるだけ。
しかも、 あべこべに、 自身こそが 他者には理解できないことまで知っているとして、 より優れている証明にしてしまうのが 常。

当然、 簡単すぎること程度はわかる撮影者なら、 望み得る最良に写っても無価値な状況では、 何事もなく スルー。
いちいち写す必要もなく、 写さない理由を いちいち大声で叫ぶ必要もなく、 ただ平然と 静かに スルー。
だから、 無価値な状況と気付けずに 色めきたって爆写している時点で、 もう既に、 周囲に 自身の無知を 明確に証明提示済み。
その上に、 写した後になってから“逆光”を連呼し合うことを またご自慢し合っていては、 無知自慢の上塗りでしかない。
そんな『集い』の面々は、 日々 延々と待ち望み続けてきた 狂喜乱舞の歴史的シャッターチャンスを 周囲に教えてあげて、
「良い写真を写されたんでしょうね」
「良かったですね」
と、 にこやかなご挨拶で 軽く受け流されて、 その相手自身は なぜか 写そうともしない、 とか、
「そんなものまで 教えてくれなくていいんですよ」
「そんなものまで 写そうとする必要はないんですよ」
それとも、 会釈したような...違ったような... あるいは 「聞こえなかった?」かに 一言も発さずにスルーされても、 ご勝手に
“教えてもらっても、 私では 撮影に『成功』できるはずがないから、 写そうとすることも諦めるしかないんです”
と、 言われてもいない どこでもどれでも一律に定型のお話が聞こえてしまって、
“私は、 周りの誰もが『挑戦』しようとすることすら諦めるしかない高度なことまでも『成功』できるほど 優秀なのだ”
と化けて、 ますます 自身が超絶に優秀なのだと 確信を深めてしまうだけ。
そんな同類さん同士だけでの『集い』に隔絶されていれば、 その外からは見えている実態に気付けずにいられる、が・・・
それは、 より滑稽なお姿を晒すほど よりお幸せでいられる、 あべこべな優越感での倒錯した幻想世界に暮らしているだけのこと。

鳥写真では、 自慢にもならない ほんの最低限の理解さえあれば、 行動の全ても、写せる結果も、 根本から別の世界になるもの。
そこで何をどう喜ぶかは、 それぞれのご自由でもあり、 かといって、 望んでも ご自由に選べるとは限らないものも あるだろう。


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1 コメント

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初めまして。 (あほうどり)
2022-04-03 17:37:11
鳥は皆かわいいですが初めてカラスを触りました。人を見分けたり言葉は理解するし、こんなにカワイイとは思いませんでした。

私のブログに載せたときのです。よかったら見ていただければ・・・https://blog.goo.ne.jp/700646kanagawa/e/5d6c21ef744ab9cdcaf8dd10e7d11142

https://blog.goo.ne.jp/700646kanagawa/e/fae1889512ef99bd4b9493b3db52b2d3
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