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鈴木彩子『あの日に帰ろう』(ミニアルバム)

2022年03月26日 | その他(鈴木彩子,アマビエ様風味?,雑記など)
忘れた頃に... というか、 忘れ去ってから また出てくるシリーズ x x x
このアーティストの認知度ということでは、 かなり限定されていそうなイメージがある。
その割には 意外と...というのもナンながら、 アクセス解析を見ていると、 一連の過去記事に、 そこそこの頻度で、 機械的な巡回収集の類ではなくて 実際に“人”のアクセスだろう記録が あったり。

このところ、 もう2ヶ月以上位のずっと、 頭の中で 『この道の上』が回り続けていたりしながらも・・・
今回は、 これまでの順番通りに、 鈴木彩子【すずきさいこ】名義での アコースティックミニアルバム『あの日に帰ろう』について。

演奏が全て (電子楽器ではない)“生音”の楽器で制作されているのが、 この作品のコンセプト。
サウンド的には 他のアルバムとは毛色が違う感はあっても、 メッセージ性が強く感じられるところや その方向性のような、 特徴的なスタイルは変わらない。


導火線に火をつけろ!
このアーティストのアルバムでは、 1曲目に インパクトが強い曲が入っているパターンが いくつかある。
これも、 その1つに入るのでは。
これより後のアルバムでは 冒頭から いきなり「!」な言葉をぶつける構成があるのとは違って、 曲全体でのメッセージ性や、 使われている言葉の選び方・・・

 札束で布団を叩きましょう
 落ちる 落ちる 世の中のほこりが落ちる

と 皮肉とか 揶揄ったような表現のインパクトが強い感じ。

この曲が冒頭にあるのは、 アルバムと同名の曲が最後に配されているところまで繋がっている、 全体での表現としての構成だろう。
だから、 アルバム全体を通して聴くのと、 個々の曲を“バラ売り”だけで聴くのとでは、 内容の受け取り方から 大きく違ってくるのかも。
そういうところで、 複数曲を 曲順を決めて纏めた“アルバム”のスタイルは、 音楽でのメッセージ表現を厚くする意味を持てる 必要な様式だと思う。


あの素晴しい愛をもう一度
ALL TIME BEST ALBUM』の時にも 挙げましたが・・・
幅広い層に お薦め度が高い一曲。
元曲とは かなりイメージが違う、 とても力強いアレンジになっている。
“鈴木彩子”を知らない人には、 広く知られた曲のカヴァーだからこそ 「あの曲が、こんな曲になる」というところで、 このアーティストの個性的な特徴が 鮮明に感じられると思う。

カヴァー曲では、 元曲のイメージを なるべく無難に踏襲するのも、 それはそれでよいのだろう。
対して、 複製的に模倣して演じるだけではないアレンジには、 賛否が分かれたり、 特に 元曲に好感を持っていた人は 批判的な印象を持つこともあるのだろう。

でも、 カヴァーするからには、 新しい見え方がある表現をできることが、 創作活動として より一層の意味がある作品になると感じる。
そういうところでも、 一聴してみる価値がある曲だと思う。


恋ってさ
こちらは セルフカヴァー。
このアーティストでは いかにもなラブソングの比率は あまり多くない中で、 この曲は タイトルの通り、 ラブソング。

アルバム『明日へつながる道』に収録されていた元曲は、 個人的には あまり意識する曲ではなかったが・・・
元曲では 青臭さもある若々しさような軽いイメージが、 こちらは、 かなりスローテンポにアレンジされて、 数年程度とはいえ 歌い手自身の年齢での部分もあるのだろうが、 ずっと大人っぽく、 心境の より深いところを意識させる 厚みがある曲に成熟しているように感じる。
メロディーも詞も「同じ曲」でも、 思い浮かぶ情景が ずいぶん違ってくるのが「別の曲」でもありで 興味深く、 また、 このアレンジがあることで、 元曲の方も印象が強くなった相乗効果があるだろう。


砂の城
最後の曲の1つ前に配されている、 “社会”とか“世の中”と表されるものへの 批判や反発での攻撃性があるような部分が多い曲。
一応、 詞で描かれるのは それだけではないのだが・・・、 歌い出しから

 崩れかけた砂の城を見つめて
 世の中の未来と重ねてみた
 うわべだけの城に群がる人が溢れる

といった風で、 サウンド的にも 前奏からサビまで 軽さや明るさとは縁遠い。
それが、 曲の後半、 急に 曲調に明るさが射して

 大空に向かって 雲を突き抜けて

と、 勢いがある言葉が現れる・・・が、 ここでも、 一般にはありがちだろう 安易な“救い”や “明るい未来予想図”を描くわけではない。
こういうところも、 アルバム全体での表現としての意味合いも強く持つ曲でもあるだろう。

こういう方向性・・・、 自身が どうこうして直接的に変え得る範疇よりも大きすぎるように見える “社会”の現状への否定的な言葉を伴う表現は、 ネガティブな社会的メッセージ性の印象で見られがちで、 それが そのアーティストに対してもネガティブな印象になって 嫌厭する向きもある...らしい。
でも、 本当の実際に制作されている曲は 幅広くあって、 同時に、 こういう曲での社会的なメッセージ性も、 それだけが このアーティストのメッセージの全てではない。
だから、 最後の曲で・・・


あの日に帰ろう
直前の曲で 危惧や愁いを描いたような“社会”の中でも、 僕(←詞での一人称)は・・・
そんな、 このミニアルバム全体での表現としても サティスファクションのメッセージが込められた曲。

曲名は、 最後の結びの言葉。
同じ言葉が 『愛があるなら』でも 同じ趣旨で使われているなど、 この 社会的状況の立ち位置と 心境の方向性が、 『VOICE~明日への滑走路』が源流になっている、 このアーティストのメッセージ表現での 特に主要なテーマだろう。

この「あの日」は、 詞では 具体的な情景というよりは、 抽象的な色合いが強い「あの」日。
自身が 過去のどこを振り返っても 苦労や努力をしたつもりでいる実体験が 軽薄でしかなければ、 自身相応の軽薄な志向に当てはめることしかできないだろう。
すると、 自身では成立しないものは、 断片的に切り出した短文を 全体での連続性もなく 単語だけで“和和翻訳”した羅列で、 “後ろ向きな感情”と解釈して、 ここでも ネガティブな心境の印象を持たれがちらしい。

この曲の詞からは外れる話ながら・・・

ポジティブ(明)・ネガティブ(暗)で表される感覚では、 一般的に、 ポジティブを充てられる方が 良い印象で受け取られがちだろう。
そして、 (ここで 鳥関連で度々書いている類のような、) 平易すぎる成果で得意げになって、 自称の文言では いかにも立派そうな、 ~~を達成した、~~に成功した、と はしゃいでいるだけの 稚拙な言動でも、 その外面的な活況の様が 好ましく見られがち。
でも、 外面的な明るさが「好まれる」ことを あたかも「優れている」かのように取り違えて、 軽薄な目標しか持たないからこそ 何でもすぐに達成感に満たされていられることが “自己肯定”や“ポジティブシンキング”など 印象が良い表現にすり替わって 賛美されて、 指導的にまで奨励されがちな風潮も 目につく。

当然ながら、 自画自賛に興じている 外面的なポジティブ感の印象と、 もっと大きな達成を目指して努力できる 内面的な部分の前向きさや積極性での ポジティブな志向とは、 同じ単語を充てて形容でき得るからといって、 そもそも何の関連性もない 全く別なもの。
努力の情景は様々で、 その少なからずで 「黙々と」と形容される状況が 必然的に続くように。
そして、 安易な自己満足での完結を正当化するだけの自己肯定と、 すぐには成果に繋がるはずもなく 結果の保証もない未来への努力を ひたむきに続けられる信念のような 自己肯定とは、 全く正反対のこと。

この曲の詞に戻って・・・

 むかし見た未来は こんな色じゃなかった
 すべてをやりなそう
 大切な瞬間をからっぽになるまで

 誰も知らない場所を目指し そうさ歩き出せ
 恐れを知らずに生きていた僕を取り戻せ
 あの日に帰ろう

この「あの日に帰ろう」と表されている言葉は、 望む未来に進もうとしていた あの日のような気持ちを取り戻して また進み出そう、といった意味でのもの。
だから、 自身の中に、 その「あの日」としてイメージできる、 長く困難な状況でも進もうとした 深く篤い実体験の経緯と、 未来への前向きな思いがあれば、 このアーティストの作品に 厚く共感できるだろう。
そして、 そこが、 このアーティストでは、 その作品に共感する人、 つまり、 いわゆる“ファン”に相当する位置付けの言葉として “仲間”と表すことが多い感覚が共有されている 大きな要素の1つだろう。


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1 コメント

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通りすがりの… ()
2022-03-29 11:07:59
鈴木彩子さん…初めて知りました。
きょうが50歳の誕生日なのですね。
尾崎豊の歌を思いました。
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