羊の見る夢

霊性。

大乗(マハーヤーナ)。

2023-09-05 19:17:41 | 日記
人に優しくしなければならない訳は、自分で自分を救うことが出来ない人がいるからです。

心優しい人達による援助や支援が、現世に於ける神仏の救済事業の実態です。

心優しい人というのは、謂わば慈悲の戦士です。

忍辱が纏う鎧であり、犠牲と献身が救済の手立てです。

愛が動機であり、決して諦めない心が戦う力です。
見棄てられている人達を救うことが、心優しい人達に神仏が与える命令です。

怯えている人、自分で自分を責めている人には優しく接する必要があります。

大乗の御仏の授け賜う修行は慈悲行です。

大乗の修行は慈悲行の実践であり、苦しむ人、困っている人、弱っている人、辛い思いをしている人、悲しみ嘆く人、怨みつらみに凝り固まっている人、思い上がっている人、惨めな人、除け者にされている人、差別されている人、卑しめられている人、これ等の救済を必要とする人達すべてに対して慈悲心を掻き立てるようでなければなりません。

慈悲とは、救済の実践に他なりません。
ただ思っているだけの慈悲は無益な空想に過ぎません。

慈悲の熱い血潮が身体中を駆け巡っているのでなければ、他者の幸せの為に働くことは出来ません。

おん まか きゃろにきゃ そわか。

偉大なる同情心を持つ者に幸いあれ。








神の力そのもの。

2023-09-05 11:34:35 | 日記
新約聖書に、芥子種一粒ほどの信仰(信じる力)が有ったなら、“あの山に動けと命じるならあの山は動くだろう”と言ったイエス様のお言葉があります。

イエスの言が真実であるなら、信仰の力は神の力そのものな訳です。
神以外にそのような事が可能な者は居ないからです。

神と人を峻別する律法の人やパリサイの人はイエスを処刑させましたが、それはイエス様の言動を神への冒涜だと見なしたからに他なりませんでした。

イエス様は、その短いが実り多い生涯で三態の様相を示しました。
1.神の忠実な僕であるイエス様。
2.神の愛し子であるイエス様。
3.父なる神(至高の神)としてのイエス様です。

キリスト教会では、三位一体という形で3.の父なる神としてのイエス様を認めています。

1.と2.に関しては無条件に古来から認められて来ました。

スワミがキリスト教会を学校に喩えて、学校に入学するのは卒業することを前提にしてのことだという趣旨を述べるのも、このような事情があるためです。






歪めてはならないもの。

2023-09-05 00:43:23 | 日記
1.自分の心。
2.スワミの教え。
3.人びとの心。

自分の心が歪むとスワミの教えを歪めて伝えてしまい、スワミの教えを歪めて伝えてしまうと人びとの心が歪んでしまう。

まず初めに自らの心の歪みに気付き、自らの心の歪みを正す。

邪な心は聖なる教えを嘲笑うことしか出来ず、愚かな心は聖なる教えに入ることが出来ない。

混乱した心には聖なる教えの意味もまた混乱したものになる。

聖なる教えは病には薬であり、飢渇には飲食であり、嘆きには慰めである。

恐れが怒りを生み、怒りが暴力を生む。

自信がなければ不安になり、自信を培えば安心を得る。

どのような思いが生じても、それが自分の心であることを否めないように、どのような人が存在しても、それが自らに内在する自己と同一の自己であることを否めない。

存在は自己であり、自己のみが存在している。

自己を何処か遠くに探しに行こうとする人は居ない。
自己を見失ったと思って物陰を彼方此方探し廻る人も居ない。

自己が姿形を変えたものが、魂や心や肉体である。
魂や心や肉体の内に自己を見いだすことは出来ない。

ただ何も言わないで居ることだけが沈黙なのではなく、静かに座り感覚や心や思考を静かにさせることもまた沈黙なのである。