案内板文面
蕨本陣跡
蕨宿は江戸時代に中山道第二の宿駅として栄えたところである。
慶長十一年(1606年)蕨城主渋川公の将、岡田正信の子息正吉がはじめて蕨宿本陣問屋名主の三役を兼ねたとつたえられる。
その後その役は子孫にうけつがれ明治維新まで続いた。
蕨本陣の建物は今は同家にのこる本陣絵図面などによって知る外はないが公家、大名などが休泊し、文久元年(1861年)皇女和宮が御降嫁の折には御休息の場となり、ついで明治元年(1868年)同三年には、明治天皇の大宮氷川神社御親拝の際の、御小休所となった。
現在岡田家には古文書、古記録、歴史的遺品など、わが国近世交通史の研究に重要な資料が多数保存されている。
撰文 大野 晋
蕨市教育委員会
蕨本陣跡
蕨宿は江戸時代に中山道第二の宿駅として栄えたところである。
慶長十一年(1606年)蕨城主渋川公の将、岡田正信の子息正吉がはじめて蕨宿本陣問屋名主の三役を兼ねたとつたえられる。
その後その役は子孫にうけつがれ明治維新まで続いた。
蕨本陣の建物は今は同家にのこる本陣絵図面などによって知る外はないが公家、大名などが休泊し、文久元年(1861年)皇女和宮が御降嫁の折には御休息の場となり、ついで明治元年(1868年)同三年には、明治天皇の大宮氷川神社御親拝の際の、御小休所となった。
現在岡田家には古文書、古記録、歴史的遺品など、わが国近世交通史の研究に重要な資料が多数保存されている。
撰文 大野 晋
蕨市教育委員会