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『小説 会計監査』(2)

2008年01月31日 | 読書
第2章 ABC銀行消滅
この銀行が消滅するにあたっての経緯については多くの書籍が出ているので、今更この本を読んで感じることは多くはないですが、それでも金融庁検査官の行動が事実なのだとすれば、政治マターとなってしまった企業において会計監査人が果たせる役割は微々たるものなのだと再認識させられるには十分でしょう。
学者出身の大臣の下で行われた当時の金融庁検査が実態を無視するほどに厳格であったというのは、その後の大手銀行が多額の貸倒引当金戻入益を計上した歴史が物語っているわけでして、当時の金融機関関係者にしてみれば、大臣に対する評価が非常に辛いものになるのは当然のことだと思います。

また金融庁は繰延税金資産の評価についての正確な会計的な知識を持ち合わせていたのかどうか、当時から個人的には疑問を持っていました。銀行としては自己資本比率が重要な指標なわけでして、公的資金注入やむなしと判断できるほど自己資本比率を人為的に低下させるには、繰延税金資産を否認することが最も手っ取り早いわけです。しかし貸倒引当金を積み増せば積み増すほど、繰延税金資産もまたそれに比例して積みあがっていくわけで、しかも厳格な金融庁検査が想定したように貸出先の状況が悪く、その後の貸出先の倒産等により銀行の課税所得が減少するのであれば、繰延税金資産の資産性というのはより強固になると考えられます。
すなわち、抜本的な不良債権処理を行うことを意図して検査を厳格にし、貸倒引当金を大幅に積み増すことは、銀行の赤字体質をその時点で打ち止めにするという効果をもつと考えられますが、にも関わらず繰延税金資産の計上を認めないということは、将来的に銀行に収益(正確には所得)が生じないと判断しているということになり、基本的に両者は矛盾しているわけです。
これについても大手銀行が、現在多額の利益が生じているにもかかわらず、ようやく納税を始めた住友信託銀行を除いて、繰越欠損金の繰越控除により法人税を未だに払っていないという歴史が証明しているのではないでしょうか。繰越欠損金も税効果会計の対象となり繰延税金資産の計上根拠となりますから、繰延税金資産を多額に否認させた当時の金融庁は非常にナンセンスだったと思わざるを得ません。

そうは言っても、著者のように当時の金融庁検査を強く否定するものではありません。個人的には、大手銀行を潰すことも辞さないという強い意志を持っていた当時の金融庁の存在が、バブル崩壊後の「失われた10年」を終わらせた重要なファクターであったと思うからです。
金融の存在は経済にとって重要なものであり、金融機関がふらふらすれば実体経済にも影響が出てくるわけです。(もちろん実体経済になんらかの問題があるから金融機関がふらふらしてしまうわけですが。)アメリカのサブプライム・ローンの問題は日本におけるバブル崩壊を思い起こさせますが、ここでのアメリカの対応は90年代初頭の日本より遥かに対応が早かったといえるのではないでしょうか。もちろん現時点でのアメリカの対応が十分であるのかどうかについてはなんとも言えない段階ではありますが、アメリカにおいて今後10年間にわたってリセッションの局面が続くと予想する人は皆無であると思います。
金融機関による早期の損失処理、財務会計審議会によるSIVの連結処理検討とそれを見越した金融機関によるSIVの連結化、監査法人によるサブプライム・ローン関連資産の評価厳格化といったアメリカにおける対応は、会計・監査的には非常に素早い対応であると思っています。
翻ってバブル崩壊後の日本では金融機関による不良債権処理は遅々として進みませんでした。これは表現としては適切でないかもしれません。正確には、処理が常に中途半端で、既存の不良債権を処理する前に新たな不良債権が発生し、いつまで経ってもその処理が終わらなかった、と言えばいいのでしょうか。

これは金融機関の監査をしていた監査法人にも責任の一端があるように思います。護送船団方式の上に安住していたのは、銀行監査を担当する監査法人も同じだったのではないかと想像しています。金融機関の早期是正措置が導入されたのは1998年からでしたが、自己査定の制度が導入される前であっても、金融機関監査において貸出金の評価は重要な論点であったはずです。バブル崩壊後において、監査法人はこの重要な論点について会計・監査的に早期にかつ適切な対応をしたと言えるのでしょうか。

著者は「銀行のように当局検査のある業種には、もう公認会計士監査は要らないといっています。アホ臭くてやっていられません。」と書いていますが、経済において重要な役割を果たしている金融機関に対する外部監査を否定してしまっては、公認会計士が経済において果たすべき役割自体を放棄してしまっているように感じられてなりません。


第3章 大日本郵便公社民営化
この章では、結局著者が何を言いたいのかよくわかりませんでした。民営化に向けて大きな貢献をしたはずの監査法人との契約を、不祥事があったからといって切り捨てた役人の頭は固いと言いたいのかわかりませんが、この時期は大企業ほど他の監査法人への乗り換えに積極的だったわけですから、公社の行動だけが異常だったわけでもありません。


第4章 これはまた次回に


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