VC条項というのは、日本公認会計士協会が出している監査委員会報告第60号『連結財務諸表における子会社及び関連会社の範囲の決定に関する監査上の取扱い』というものの中にある規定です。この中では子会社の範囲は実質的な支配力の基準で決定すべきという原則論に対して『財務諸表提出会社であるベンチャーキャピタルが営業取引としての投資育成目的で他の会社の株式を所有している場合には、支配していることに該当する要件を満たすこともあるが、その場合であっても、当該株式所有そのものが営業の目的を達成するためであり、傘下に入れる目的で行われていないことが明らかにされたときには、子会社に該当しないものとして取り扱うことができる。』と規定していまして、これがこの本にたびたび登場するVC条項というものです。
NPIはベンチャーキャピタルとして投資育成目的で他の会社の株式を所有していたわけですが、その際にはSPCを作り、そのSPCに他の会社の株式を所有させるスキームを用いていたようで、ベルシステム24の株式取得に当たってはNPIHというSPCが作成されたわけです。
VC条項という例外規定が設けられたのは業界の要請があったからだと推測されますが、これを公認会計士協会が認めたのは、投資育成目的で他の会社の株式を所有する場合には、あくまでその会社と一体として事業を行っているのではなく、投資会社と被投資会社は別個の法人として独立的に事業を営むことを前提としており、独立とした法人同士の間に恣意的な会計操作が行われる余地が少ないことをもってこれを認めたのだと考えられます。従って常識的に考えれば、日興にとってNPIとNPIHが実質支配力基準に従い連結子会社となり、ベルシステム24についてはVC条項を用いて連結しないという結論が妥当なものだと思われます。
事実、日興の不適切な会計処理が日経金融新聞で報道されたとき、同業他社の大和證券では日興と同様のスキームを用いて投資を行っている場合、SPCまでを連結対象として、その先の被投資会社のみを非連結としていると紹介されていました。(野村は米国基準のため被投資会社までも連結対象。)
VC条項があるから連結から外せるんだと著者はこの章のあちこちで主張してはいますが、SPCを被投資会社として連結除外するのは、上記規定の設定趣旨を逸脱しているように感じます。「いまの制度会計ルールはとてもきっちりと枠が決められていて、それから逸脱できないようになっていて、会計理論に基づいて考え直すという昔あったようなことが、認められなくなってしまっています。」と主人公は述べていますが、現実の監査はそんなことはありません。もちろんルールとして書いてあることには従わなければなりませんが、そのルールが設定された理論的背景に、実際の会計事象がどの程度あてはまるのかどうかは会計監査人ならば常に考えているのではないでしょうか。
小説の舞台となった監査法人は、三洋減損ルールにしろ日興SPC非連結ルールにしろ、会計基準に関する会社の特異といってもいい主張に対して、会計基準の本質に照らしてどれだけ真剣に検討したんだろう、と考えてしまいます。
それからこの日興の問題に関する著書の記述について、2点ほど強く主張しておきたいことがあります。
1点目は「仮に問題があったとしても、600億円の公表利益が120億円多いだけだ。役員報酬が利益スライドの成功報酬制度になっているので、多くもらったかもしれないが、そんな額などたいしたものではない。」という記述がありますが、言い訳にもほどがあると怒りを覚えます。投資家にとって20%増益の影響は少ないものではありません。また監査においても、利益の20%というのは金額的な重要性は非常に大きいものです。20%が粉飾だとして会社が修正を拒否するのであれば、会計監査人としては不適正意見を表明しなければいけないほど巨額なものです。問題を矮小化したいと考える著者の立場は分かりますが、仮にも会計監査人の立場としてこういう物の言い方は賛成できません。
また2点目は会計処理の継続性の問題についてです。日興の訂正報告書について取引のスキームが変わっていないのに連結の処理を変更することは監査人として継続性違反といわざるをえない、といった記述がありますが、きっとこういう考え方がこの監査法人の根底にあって、不幸な結果になってしまったんだろうなと想像してしまいました。投資会社とSPCとの間に通常でない取引があったということは、これまでの処理を変更する十分な理由になると思われます。百歩譲ってそれまでSPCを被投資会社とする考え方が間違っていなかったとしても、投資会社とSPCとの間に独立した第三者間取引とは言い難い事象(粉飾であると疑われかねない事象)が新たに発生したのであれば、そこで連結の範囲についての考え方を修正することは可能であったはずです。
過去の監査結果を翻すことは監査人にとってなかなか困難なことではありますが、継続性違反をことさらに言い立てて過去の監査結果を正当化するのは、不幸な未来をもたらすだけです。
カネボウの教訓(もっといえば山一證券の飛ばしに関しての過去の監査経験)が最後まで活かされなかったんだなぁ、という読後感でした。
NPIはベンチャーキャピタルとして投資育成目的で他の会社の株式を所有していたわけですが、その際にはSPCを作り、そのSPCに他の会社の株式を所有させるスキームを用いていたようで、ベルシステム24の株式取得に当たってはNPIHというSPCが作成されたわけです。
VC条項という例外規定が設けられたのは業界の要請があったからだと推測されますが、これを公認会計士協会が認めたのは、投資育成目的で他の会社の株式を所有する場合には、あくまでその会社と一体として事業を行っているのではなく、投資会社と被投資会社は別個の法人として独立的に事業を営むことを前提としており、独立とした法人同士の間に恣意的な会計操作が行われる余地が少ないことをもってこれを認めたのだと考えられます。従って常識的に考えれば、日興にとってNPIとNPIHが実質支配力基準に従い連結子会社となり、ベルシステム24についてはVC条項を用いて連結しないという結論が妥当なものだと思われます。
事実、日興の不適切な会計処理が日経金融新聞で報道されたとき、同業他社の大和證券では日興と同様のスキームを用いて投資を行っている場合、SPCまでを連結対象として、その先の被投資会社のみを非連結としていると紹介されていました。(野村は米国基準のため被投資会社までも連結対象。)
VC条項があるから連結から外せるんだと著者はこの章のあちこちで主張してはいますが、SPCを被投資会社として連結除外するのは、上記規定の設定趣旨を逸脱しているように感じます。「いまの制度会計ルールはとてもきっちりと枠が決められていて、それから逸脱できないようになっていて、会計理論に基づいて考え直すという昔あったようなことが、認められなくなってしまっています。」と主人公は述べていますが、現実の監査はそんなことはありません。もちろんルールとして書いてあることには従わなければなりませんが、そのルールが設定された理論的背景に、実際の会計事象がどの程度あてはまるのかどうかは会計監査人ならば常に考えているのではないでしょうか。
小説の舞台となった監査法人は、三洋減損ルールにしろ日興SPC非連結ルールにしろ、会計基準に関する会社の特異といってもいい主張に対して、会計基準の本質に照らしてどれだけ真剣に検討したんだろう、と考えてしまいます。
それからこの日興の問題に関する著書の記述について、2点ほど強く主張しておきたいことがあります。
1点目は「仮に問題があったとしても、600億円の公表利益が120億円多いだけだ。役員報酬が利益スライドの成功報酬制度になっているので、多くもらったかもしれないが、そんな額などたいしたものではない。」という記述がありますが、言い訳にもほどがあると怒りを覚えます。投資家にとって20%増益の影響は少ないものではありません。また監査においても、利益の20%というのは金額的な重要性は非常に大きいものです。20%が粉飾だとして会社が修正を拒否するのであれば、会計監査人としては不適正意見を表明しなければいけないほど巨額なものです。問題を矮小化したいと考える著者の立場は分かりますが、仮にも会計監査人の立場としてこういう物の言い方は賛成できません。
また2点目は会計処理の継続性の問題についてです。日興の訂正報告書について取引のスキームが変わっていないのに連結の処理を変更することは監査人として継続性違反といわざるをえない、といった記述がありますが、きっとこういう考え方がこの監査法人の根底にあって、不幸な結果になってしまったんだろうなと想像してしまいました。投資会社とSPCとの間に通常でない取引があったということは、これまでの処理を変更する十分な理由になると思われます。百歩譲ってそれまでSPCを被投資会社とする考え方が間違っていなかったとしても、投資会社とSPCとの間に独立した第三者間取引とは言い難い事象(粉飾であると疑われかねない事象)が新たに発生したのであれば、そこで連結の範囲についての考え方を修正することは可能であったはずです。
過去の監査結果を翻すことは監査人にとってなかなか困難なことではありますが、継続性違反をことさらに言い立てて過去の監査結果を正当化するのは、不幸な未来をもたらすだけです。
カネボウの教訓(もっといえば山一證券の飛ばしに関しての過去の監査経験)が最後まで活かされなかったんだなぁ、という読後感でした。