goo blog サービス終了のお知らせ 

本日、天気晴朗なれど波高し

漫然と過ぎ行き日々へのベンチマーク

野球を考える

2006-08-12 20:00:17 | 雑感
 久しぶりに休みの日にゴロゴロしていた。普段は何かとやることがあって、こういう休日を久しぶりに過ごした。そういう日に、必需品がテレビである。
 とはいっても、定期的に見る番組はないので、見るともなしにチャンネルを変えていく。すると高校野球をやっていた。たまに見ると結構面白い。ワシらが若い頃とは違い(って別に野球部とは無関係だけど)、何か洗練されているような気がする。昔の根性野球ではなくなっているんではないかと直感的に感じる。もちろん、相当根性が入っていないと甲子園にはいけないだろうから、根性野球の代表者であることは間違いないだろう。しかし、ピッチャーの配球なんかを見ると、やっぱり洗練されていると思ってしまった。まあ時代が変われば進化するのは当然なわけで・・。
 これだけ野球自体が進化している一方で、周辺環境は進化していないとも感じるのだ。と思ったのは、NHKの放送体制である。テレビの画面がニュースの時間になると突然教育テレビに切り替わるのだ。これは今に始まったことではなく、何十年続いている光景である。ワシは、高校時代野球部の特別扱いには結構ムカついていた部類の人間なので(といっても甲子園とは無縁の高校であったが)、昔からNHKの放映体制には批判的である。第一、高校生のスポーツは野球だけではないのだ。夏には高校総体があったりして、様々な選手が様々な分野で活躍しているのだ。
 高校野球は一生懸命やるから、見ていて心地よいなどとほざく輩も多い(でも最近この論評は聞かなくなった気がするが)。しかし、これだけマスコミで取り上げられるのは、プロ野球が裏に潜むからに他ならない。であれば、全然さわやかではない。プロが絡まないスポーツの方がカネの面ではさわやかなのは間違いない。
もちろん、甲子園出場者が全員プロにいく訳ではないし、地方予選のレベルになれば、純粋に近い高校生が大半であろう。
 そうであれば、なおさら高校野球を特別扱いするのはおかしいと考えるのである。しかも教育テレビの番組を変更してまで、全試合生中継するというのはどういう神経なのだろうか。NHKの大義名分が全く理にかなっていないと考えてしまうのである。
 それから野球全体についてのポテンシャルについても疑問を感じる。何年か前の近鉄騒動でプロ野球の危機が叫ばれて久しいが、何の改善も見られない部分も強く感じる。
 象徴的なのが巨人である。最近の低迷についてはファンもあきらめ気味だと聞くが、一方で原監督が悪いんではないという意見も耳にする。これって本当にファンの意見なんだろうか?原監督個人云々は別にして、成績が悪いのは明らかに監督の責任である。しかも、巨人が圧倒的に強くなくなってからの手法を踏襲しているのも原監督である。つまり成績が下がると選手を買いあさるのだ。今シーズンの監督就任が決まってやったことも、他球団から主力選手を買いあさることだった。しかもさわやかな笑顔で「来シーズン君と同じグランドに居ることしか想像できない」と口説いていた。別に原監督の悪口を言っているのではない。
 根本的にやり方を変えないと、野球自体がやばいと思うのだ。
巨人から、もう少し枠を広げてセリーグの運営方針にもクビを捻ってしまう。少し前に新聞で読んだが、来期の運営を巡ってパリーグと対立しているという。セリーグの主張は、日本シリーズの改革に関連して、交流戦の試合数を減らせということのようだ。パリーグは妥協案を提示したが納得せず平行線のようだ。
 これも、単に巨人以外の球団が交流戦によって観客動員が減ってしまうという論理での主張である。いまだにこんなことを言っているのだ。一体、新カードに対して、どんな観客動員増の努力をしているのだろうか?と問いたくなる。
一方で、パリーグを見れば福岡ドームを満員にしたホークスの努力、千葉にいたってはビール半額セールを展開したりしているし日本ハムは札幌移転で地元の支持を広げつつあるようだ。極めつけは新規参入の楽天である。スタジアムの改装まで行って新規球団を創設したのである。
 このような、斬新な努力を行うパリーグに対して、昨年のプレーオフについてはテレビ放送がない試合もあった。放送局の態度にもあきれるのである。
これだけネットが発達してくると、別に高い放映権料を払わなくてもネット配信で草の根の野球ファンを拡大する可能性もあるわけで、すでにパリーグの各球団は対応を始めているし、そもそも球団を保有した目的もそこにある企業も多いのだ。
同じ野球ビジネスでも経営姿勢にこんなに差が出てしまうと、結局ツケは球界全体に及んでしまうのではないかと思うのである。パリーグの各球団は、西武以外は創業者が裸一貫で起業した会社が親である。西武にしたって、野球に参入した頃は私鉄ビジネスモデルを根本的に変えた実績があった。
 こういった企業が本気で野球ビジネスを考えているのに対して、既得権益に固執する勢力が融合していかないと、新規参入者は野球から遠ざかる結果を招く。
そうなったとき残った球団で、いったいどれだけファンから支持を得られると考えているのだろうか?もう、野球ビジネスを見直す時間は、そんなに残されていないと考えてしまうのであるが・・・

迷惑メール

2006-07-26 21:38:52 | 雑感
 相変わらず、迷惑メールが日々迷い込む。しかも、大半が下ネタである。下ネタというか「出会い系」である。正直言って、もうこの手の話に浮かれる歳でもないので迷惑極まりないのだ。
 一時は、あんまり多いので法律文を探してきて警告メールを返したりもしたが効果は逆で、益々増えたりもした。確かにISPの対策ページを見れば無視することが原則と書かれている。
 また、文面がバカにしている「月に50万円で付き合ってください。」なんてことが平気で書かれていたりもする(そんなわけあるか!!)。パソコンを立ち上げるたびに怒りがこみ上げてきて、あやうく自分のPCを破壊しそうになったこともある。
 で、冷静になって、迷惑ボックスにあるメールには目もくれず捨てるように習慣ずけた。でも、迷惑ボックスに登録していないのも日々入ってくる。結局、いたちごっこなのだが・・・。そんなメールの文面を久しぶりに読んでみたら、傑作な文章が書かれていた。「私、吉永小百合に似てるって言われます・・・・」絶句である。確かに吉永小百合さんは美人である。しかも年齢を重ねられても相応の気品が漂う方であろう。
 しかし、言うに事欠いて「吉永小百合に似ている」はないだろう??彼女の旦那は確か70台後半に突入するはずである。いわゆる「サユリスト」だって団鬼世代までではなかったか?
 近頃の出会い系は、シルバー世代をもターゲットにしているんだろうか???
でもなあ、そんなにインターネットを見ている比率が多い世代とは思えんのだけどなー。
 あれだけ、しつこく迷惑メールを投げかけるってことは、それなりの数のサイトがあって、そこそこ金を稼いでるって言うことなんだろうな~(良く理解できん!)
 ちなみにワシは、サユリストという言葉は知っているが実感の湧かない世代である。
 どうでもいいけど、お願いだから迷惑メールはやめてくれ~


災害と公共事業

2006-07-23 10:21:19 | 雑感
 豪雨の被害が連日報道されている。被災地の方々へはお見舞い申し上げる次第である。また各行政機関の方々も不眠不休での監視、救助作業、本当にお疲れ様です。
 こういう普段は想定し得ない規模の災害が起きると、公共事業との関係性は改めて見直される必要がある。これは単純に、予算復活の材料にすることではない。すでに国家財政も地方財政も、民間企業であれば完全な破産の域にいるので、無駄な投資は避けるのは当然である。
 一方で、これまでの公共投資が防災に果たした役割は否定できない。こういった安全投資は、なければ大災害を引き起こし、あることによって未然に防がれたときは平穏な日々を重ねるだけで、だれもその重要性には気づかないものである。防衛予算なんかも同じで、自衛隊は軍隊ではないという国内議論とは裏腹に、外国から見れば突出した軍事力であることは間違いなく、そこの力の違いが安定をもたらせている面もあろう。中国の軍事力増強は、彼らの視点では日本との軍事的アンバランスを解消しようという目論見とも考えられる。最も、防衛力は様々なオプションがあってもよいが、行使することだけはあらゆる方法で回避する必要があることは言うまでもない。
 防災に話を戻そう。例えばダムである。長野の知事が脱ダム宣言をしたことは記憶に新しい。最近ではダムは百害あって一利なしという極論まで聞かれる。最近クローズアップされるネガティブな側面として、海浜の消滅、生態系の破壊などがある。海浜の消滅はダム(砂防ダムを含む)に砂が堆積してダムの寿命を縮める一方で、海に運ばれていた砂が減少して砂浜が消滅しているというものだ。これが大きな環境破壊につながっている。また、河川の護岸がコンクリートで固められた結果、ダムと護岸というコンクリートの水路と化した河川を流れる水は飲用には適さなくなったという指摘もある。
 最近では、山の自然保水力に注目が集まり、広葉樹による原生林の復活や河川護岸を自然湿地化するような検討も行われていると聞く。一方で、今回のような集中的な豪雨が降った場合、こういった自然回帰の方法が有効な対処法とは思えない。もちろん統計的に考えた場合、予想を超えた豪雨の降る確率は数年に一度であろう。しかし、そうなったときの被害は甚大なものとなる。今回の災害で土石流の恐ろしさを改めて見たが、山の谷間に無数に作られた砂防ダムが土石流の発生を未然に防いでるという実態もあるのである。
 一方でダムによって、用水の確保、安定的な河川流量の管理、洪水調整という恩恵も普段の生活にもたらしている。また地球温暖化防止という視点では、水力発電は有効なものであるし、電力ピーク時の発電量調整機能という意味でもダムはクリーンなエネルギー源でもある。総合的な意味での公共事業を考える必要がある。
 水災害に強い地域というと、やはり東京を中心とした関東地方を思い浮かぶのであるが、治水に関しては徳川家康の江戸入城以来、数世紀にわたって延々と対策が取られて来た。利根川の大改修は、その顕著な例であるが、中世の江戸湾には無数の大河川が注ぎ込み、大雨と満潮時が重なったりしたときには大きな水害をもたらせてきた。ここに幕府の財政(地方外様大名の役普請が大多数を占めるというが)を注ぎ込んで作ったのが、安全な水の都「江戸」だったのである。
 もっとも最近では、都市の排水設計能力を上回る局地的豪雨による被害というものも起きているが・・
 そうえいば数日前の韓国メディアに日韓の防災費のかけ方の違いについての記事があった。それによれば、防災予算について日本では予防的に事前対策として使われる比率が91.2%なのに対して韓国では55.4%に留まっているという指摘であった。海外に比べれば、やはり日本は防災先進国なのだろう。とはいうものの、今一度、有用性、プライオリティ、投資効果を再検証してみる必要性を強く感じたのであった。
 

ものの見方

2006-07-20 01:18:34 | 雑感
 株価がどんどん下がっているな~ 19日は少し持ち直したみたいだけど、全般的には下降の一途という感じ。 何日か前にNY市場が下がったのと、イスラエルのドンパチが関係しているかと思いきや、NYは戻し気味にも関わらず東京市場は追いつかずである。原因云々はここで語っても根拠は何一つない話なのでやめておく。
 こんな状況で、マスコミに登場するのが経済専門家である。決して、個々の発言に難癖をつけるわけではないが、率直な感想は「言いっぱなし」である。
しかも、ワシはこいつらの言うことが当たるなんぞと思わないのである。もちろん当たることもあるんだろうけど、どうも聞いていると学術的に根拠があって言っているのか、勘で言っているのかわからんのである。学術的な根拠というのは、経済学者得意の「需要がどうたら、供給がどうたらの原則に照らせばこうなる。」ということで、それならそうで筋が通るんだろうが、でもそうはならない。まあ、原則論で予測は不可能ということなんだろうが。(でも、そうなると金利政策なんて最早通用しないんじゃないかとも思う。)
 そこで適当な勘を交えて言い切る奴もいる。「間違いなく円安になるでしょう」とか「どこどこの紛争は日本経済に影響はあります」何で言い切れるんだよ??
 中には、元高級官僚なんぞもおって平気で責任のないことをのたまう。もしかして役人時代もそんな調子で他人事みたいに政策立案していたのかって疑いたくなるのである。
 何かの雑誌だか本に、経済学者の予測の統計を取った人がおり、予測の結果が当たったためしがないと結んでいた。(どういう基準での統計であったかは忘れた。)
 翻って、経済学はいくら高等な数学を使ったとしても社会科学である。
何かの本(これも本の名前は忘れた。近頃やばい)に「社会科学とは、ものの見方を提供するもの」と書かれていた。そういう意味では、多義性があっていいんだろうけど・・・だとすれば、「言い切る予測」はやっぱりまずいんではないかと思うのである。
 話は全く変わるが、ものの見方といえば、今日韓国の新聞をWeb上で日本語で読めることを知った(遅い?)。やはり先日のミサイルの記事が多いのであるが、この問題をめぐって「当事者」である韓国がつんぼ桟敷におかれているという論評を多く見た。日本では、「米中に相手にされていない日本」のような論評もあるけれど、韓国のマスコミでは逆に、ミサイル問題で国際的議論を牽引したのは、「日米」「中露」で「当事者」韓国は国際的に孤立を深めているという危惧が書かれていた。
 また、この問題を契機に日本の軍拡に口実を与えるのが懸念されるようなことも書かれていた。(現状でも日本の軍事力は脅威であるような書き方であった。)
 いろいろな、ものの見方があることを改めて実感したのである。(話がそれまくった・・・)

大学入試を廃止する?

2006-07-14 01:43:33 | 雑感
 今日、たまたま教育テレビにチャンネルを合わせたら、青色ダイオードの中村修二さんが、「大学入試を廃止せよ」というタイトルでしゃべっておられた。発言の趣旨は、今の日本の教育制度の元凶は大学入試であるということのようだ。つまり教育現場の評価基準(教員の)は、小学校では、有名中学に入れた実績、中学校では有名高校、ひいては一流大学に入る実績に教育者の評価が決まってしまうということになる。その結果、子供の個性を重視する教育はなくなり、画一的な人間しか社会に輩出しなくなるということのようだ。
 ではどうすれば良いか? ここからが面白かった。とどのつまり、最高偏差値の大学=東大医学部に無試験で全員入学させれば良いと仰る。そして講義を受けるのは、先着順。講義を受けたければ、教室前にテントを張って徹夜で並べばよいという。事実、サッカーの試合、有名アーチストのコンサートに若者は徹夜で並ぶではないか!! 確かに。さらに学科試験は、最高に難しい問題を出せばよく解答できるものだけが残る。一方で落とされたものは悲観する必要はなく、自分にあった学校に再入学すれば良いのだ。そこも難しいときは更に、自分にあった場所を見つければよい。そして各自の個性を最大限に伸ばせばよいという。
 そうさせない元凶が大学入試というわけだ。学生は、一旦入学すると授業中は寝てる。そして何がしたいかわからずまま就職期を向かえて、体裁の良い大企業に入っていく。その結果、10年、20年してから仕事帰りに文句たらたら酒をのんで上司の悪口を言っていると斬る。(私自身、その類なのだが・・でも上司の悪口ほど、うまい酒の肴もないもんだが)
 結果、日本でのベンチャーは50過ぎが多い。一方でアメリカでは、大学入試は内申書中心で行われ、個性を伸ばす教育が行われている結果、大学卒業後、即ベンチャーという選択をするものも多いという。両者を比較すると方や50代、方や20代では起業の成功率は後者がはるかに高いと結ぶ。
 なるほど、やはり世界を相手に成功した人は、発想そのものがユニークである。
しかし、起業が若いうちの方が有利というのは、専念できる時間、挑戦・失敗できる回数といった統計的な視点では仰る通りであるが、年代が高いと背負ってるものが違うので、より慎重・繊細な対応になると思うのであるが。それを承知でチャレンジできる人がどれだけいるかという視点になると、中村先生の言うように、やはり教育制度に諸悪(?)の根源があるんだろうか?
 でも、確かにアメリカのベンチャーは日本より多いんだろうけど、双方の企業(大企業、ベンチャー問わず)力を比較した場合、むしろ日本企業のほうが競争力があるような気がするし、最近では独創性、開発力も優位にあるような気がするんだけどな~。統計的な資料がないので、あくまで私の感覚なのだが。
 できるやつは何処行ってもできるんだよね。ただ、大企業は一旦入社しちゃうと、できないやつもちゃんと給料もらっているっていうことなんかな。