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シロガネの草子

華子妃殿下のお祖母様の手記 其の2 ~華さま、やさしく素直なお心で


お出かけ前、着付けを終わって

~この数日風邪を引いてしまい体調が悪くて手記の続きを書けませんでした。やっとこさ元気が出て参りまして、書くことが出来ますが、この時期ですので、訪問される方々もお身体に気をつけて下さい。シロガネ~

♠足袋を洗ってくださった華さま

お姉さま方が次々にご縁づきになり、そのたびにお部屋が空いていくのは寂しゅうございました。お姉さま方の場合も、おたあさまは、ご当人同士のお気の済むまでお話合いをおさせになって、皆さん全くの自由意志で生涯の夫を選ばれました。家柄などというものには何のかかわりもなくただお互いの愛と誠実に心をよせあって、そしてその結果は、お三人とも誠にお幸せな家庭を持たれました。いまではお婿さん方も、おたあさまを本当の母のように思われ、下落合の家を憩いの場として集まっていらっしゃるので、小さな家は、幼いお子さんたちも交えて、また賑やかにふくれ上がっていますね。

私は歌人の故佐々木信綱氏を通して、東洋大学教授児山放一氏と知り合い、昭和十六年にこの大原日在(千葉県)に疎開しました。いまだに児山さんの別荘の一部屋をお借りしたまま好きな歌や花作りをして静かな生活を楽しんでいますがときに、やはり東京が恋しい。そんなとき、両国駅に出迎えて下さるのは、あなたでした。

東京に出ると、郷愁というものでしょうか、ふと柔らかい椅子に腰かけて映画を見たり、銀座を歩いてアイスクリームが食べたくなります。そういう場所に連れて行って下さるのも、あなたでした。

昨年の暮れは、ヘレン・ケラーの生い立ちを見ましたね。そして翌日、また出掛けようとしたら、足袋が見つからず、乱れかごをごそごそ探していたら、

「あら、まだ召すのでしたの、少し汚れていたので、華、洗っちゃって」

「まぁ、すいません」

よく気が付いて、手まねにさっさと実行してしてしまわれるのにわたしは恐縮してしまう。ハンケチ二枚も、いつ洗って下さったのか、きちんとアイロンまでかけて・・・・。

そうそう、もう十年ほども前でしょうか、日在に見えたおたあさまが、こんな話をされました。

「華も大きくなりました。昨日も出掛けて、つい夕方遅くなり、さぞ晩の食事を待っているでしょうと家に駆け込みました。ところが華は、もう済まして安楽椅子で本を見ています。ご飯は?どきどきしましたら、おかずを探しましたが何も何もなかったので、鶏小屋に行ってみたら、チャボの卵が二つありましたから、それを持ってきて、ポンポンと割って、目玉焼きをこしらえて食べましたって。」

そのチャボ、長靴を履いたように脚に羽が生えた珍しい品種で、おたあさまがお友だちに孵化してあげるお約束がしてあったのだそうです。おたあさまは、

「もう私が留守にしても、華は飢え死はしないでしょう」

と笑っておいででした。そんなお話、覚えていらっしゃいますか。

♠まれな御縁(おんえにし)に結ばれて

きのう、青森の、元一門といわれた方からお手紙がきて、あなたの結婚祝いにはやっぱり津軽塗がよいでしょうかとのご相談でした。うるし工芸は、代々のご先祖が、寒い国にふさわしい工芸をと、力を入れて奨励されたもの、見た目には余り華やかさはありませんが、普通の漆塗りの幾倍か丈夫です。いつもお身近にお使いになれる品を贈ってくだされば、遠い故郷をお思い出しになるよすがになるでしょう。

五百年余前に、藩祖為信公によって築かれた弘前城は、あなたもたしか三、四年前に、おたあさまと訪われたことがありましたね。あの本丸の跡に立たれたとき、十二代にわたるご先祖のことが、しんしんと胸の底から湧いてきたことと思います。

春日八郎 1974年発売 《ああ弘前城》
『あゝ弘前城』

老松のさやか白壁を

おほりに写す天守閣

あゝ戦国の名勝が

津軽はおろか蝦夷地まで

その名をはせし弘前城

本丸はるか雪のみね

夕陽はまぶし岩木山

あゝ雪を恋い花にめで

はぐくむ夢に酌む酒に

風情に生きる津軽富士

桜の春や秋のもみじ

昔をしのぶ下城橋

あゝ津軽路にいまもなお

ほまれ高き名城と

勇姿をほこる弘前城


いそいそと義宮御殿へお出かけの華子さん

戦災で焼ける前の、落合の家を覚えておいでですか。それよりももっと広大だったのは、維新後、津軽邸として残った本所太平町の家で、私が嫁いできたのも、この四町歩(三九六00平方メートル)もある邸でした。二千坪(三三00平メートル)ほどの池が常盤木や花木に囲まれて、美しい林泉を作っていました。いまもあなたをお連れすることが出来たら、どんなに喜んでボートを漕ぎまわされることでしょう。秋になると、何百羽という鴨がこの池に来ました。

水鳥は声かなし 笛のやうに むらさきに花咲く水にうかべて

母上よ 母上よ 泣きつれて鴨の そらのかなたに

この本所の邸は、いまの錦糸町駅のすぐ下です。美しかった林泉の跡形もなく、鴨のなきつれた辺りのその面影はどこにあるのでしょう。すでに半世紀以上も過ぎているのですもの、変わるのは当たり前です。自然も人も。

華さま、あなたのこれからは、いままでとは全く違う生活がひらけましょう。こうした我が家の歴史が、何かのおりお心の裏付けになることもあればと、これを記しました。

いかに年月と共に世の中の現象は変わっても、真心というものは変わりません。この度結ばれましたまれなる御縁、私には先の世からのお約束としか思えません。どうぞ、それをお思いになって、皆さまのお慈しみのもとに、優しく素直な宮さまのお力になり、幸多い朝夕をお過ごしになりますよう祈っております。

華さま。近く私はおめでとうを申し上げる為に上京します。その日、駅にむかえて下さるのは、もうあなたではありませんが、それを私は寂しいとは思いません。ただ、かずかずの思い出が懐かしいばかりでございます。



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