さて、洪門(ほんめん)アジアのフリーメーソンのつぎはこの清幇(ちんばん)です。清幇とは如何なるものなのでしょうか?
清幇。
こちらも近代の歴史上では上海を中心にして、悪のレッテルが貼られておりますが本当のところは?以前の清幇(ちんばん)も洪門(ほんめん)も本当は日本と深い関係にあったことはいまは書物を見当たりません。そしてもっとも注目された列強各国が集まる近代中国の伏魔殿『上海租界』。これを裏も表も支配下に置いた近代清幇の三大首領、「黄金栄(おうきんえい)」「杜月笙(とげつせい)」「張嘯林(ちょうしょうりん)」、この三名とは?
(清朝時代漕業)
清幇は、《青幇》《安清幇》《安慶幇》《青門》とも呼ばれます。当初は《漕幇》とも呼ばれました。身内では、《安清》《安親》と呼んでいる。もとは大陸に広がる運河を使い海運送を営んでいた苦しい貧しい人たちの集まりでした。そこで当時高価だった塩を運ぶことで生計をどうにか立てていたが、これが「悪」としている流通書物が多いですね。
すこし覗いて見ましょう。
隠詩曰く…
「瓶中太滿水須走、青葉紅花白蓮藕」
この意訳は「満人の清朝に反対する幇会。清幇、洪門、白蓮教が三大主力。」
三人の(水夫)が洪門(ほんめん)/天地会に参加し、会員になったことで清幇が生まれたとも言われる。
洪門(ほんめん)と清幇(チンバン)とは似た源泉がある。但し、洪門つまり天地会は義兄弟気質、道教や民間信仰からなり、天と地に誓いを立てる。これは天を父に地を母に例えているからだ。洪門五祖、雲龍等を崇拝対処としている。道教は日本の八百万の神信仰の神道と似ている。
参照サイト「八百万の神々」
こちら清幇は羅教を信仰する。
羅教は禅学に由来し禅宗制度である。
ゆえに洪門の義兄弟気質とは違う。
清幇の組織は釈迦如来、達摩祖師、六祖大師、羅祖等を崇拝対処とする。仏教色が強いといえる。ですので生徒(門下生)は師父(先生)を尊び、絶対的な師弟関係を結ぶ。その中、達磨祖師を祭壇に祀る所が多く、この人物は中国禅の開祖である。
『景德傳燈錄』によれば釈迦から数えて28代目とされている。インドから中国南方へ渡海し、洛陽郊外の嵩山少林寺にて九年もの面壁を行う。
達磨祖師により中国に禅宗が伝えられ、それは六祖慧能にまで伝わったことになっている。さらに臨済宗、曹洞宗などの禅宗五家に分かれる。日本の宗教にも大きな影響を及ぼした。
曰く「師徒如父子」師父と生徒は親子の如し。生徒もまた入門順に兄弟順列とし一師相伝されていく。
この清幇には【安慶】【安清】【安親】の名称や略名がある。これは清幇の幇内奥義文献にもそう記帳されている。
清幇《清門》の始祖の一人、潘氏が当時の異民族支配者である清朝いわゆる『満人』の宗教的な心理を利用したとされる。満人は、宗教に盲信しており、そのせいで幇を宗教に属するとした経緯がある。
なので、『清幇』は正確な呼び名は《佛門 臨済宗 清門》である。
羅教とは、羅教の思想の中心は「空」と呼ばれる宇宙万物の本体にある。「空」は原初から存在し、この世のすべてはこの「空」から流出・生成したとされ、万物は「空」の化体であり「空」と一体無二とであるという。五部六冊は仏教書からの引用が多数みられるが、羅教の「空」は大乗仏教の「空」とは概念が異なり、むしろ老荘思想の「空」に近い。さらに、羅教では「心」の働きを重視しており、「心」こそが仏であり本体であると気付くことで、誰もが悟りを得ることができるとされている。
ウィキペディアより
対外的に、勧善懲悪な宗教的作為をし、清朝を順服や擁護と見せかけ暗中に漢民族思想や組織の発展(清幇)、そして運河を使った漕業の発展を目指した。これは計算高い満人を欺くには必要なことであった。安清とは、清朝を安心させるという意味である。
この内容から、清幇の組織は洪門/天地会の組織よりさらに幇規が厳しく、ひとつひとつの規則も細かく複雑である。その秘匿性は非常に守られている。先で述べた呼び名の《安清》、つまり対外的に清朝(満人)を安心させ、ときの政権に従順と見せかけていつしか政権転覆を画策していたので、秘匿や会規は厳守。何故ならば清政府内に多数清幇会員がいたからである。
こんな言葉がある…
「清幇一條線、洪門一大片」
意は「青幇は運河を使い拡大した。洪門は江南から南洋へ拡大した。」
述べたように清幇の掟は師父と弟子の関係であり、組織の序列はこの「字班」によって分けられている。
「字班輩」(じはんはい)である。
~清幇の字班輩一覧~
(清門 興武六より)
前二十四代 || 清静道德・文成佛法・仁倫智慧・本来自性・元明興禮・大通悟學。
後二十四代 || 萬象依皈・戒律傳寶・化渡心回・普門開放・光照乾坤・代髪修行。
続二十四代 || 緒結崑計・崑芮克勤・宣華轉忱・慶兆報魁・宜燕應存・挽相同流。
(興武六幇派師父)
顧炎武(清代の政治論客、北宋時代にあった「東林書院」を再建した人物)が作った漢詩である。この字班輩または字輩は世代としての解釈ができる。これに則り清幇の師弟序列が決まる。
近代上海を支配下に置いた「杜月笙」「張嘯林」「黄金栄」(下写真左から)別名上海三大亨。各国間が権力を争う「上海租界」で絶大な力を誇示した三名である。
(上海三大頭目)
この三大頭目に目を向けてみよう。
上海における清幇は1919年の懇談会でこんな記録を残している。
当時の最高字輩はすでに17名のみであった「大」字輩だった。この時点ですでに字輩のならびを師弟とする清幇の結社で上海三大頭目が清幇の実質のトップではないことが分かる。
まずは杜月笙。この人物は「通」字輩の大人物、陳世昌氏を老師とした。ゆえに彼の字輩は「悟」になる。次に張嘯林。かれも「通」字輩の裏の大人物、龔謹丞氏を師と仰ぎ、彼もまた「悟」字輩であった。この両者は清幇のなかでの《出生暦史》はきちんとしている。
問題はもう一人の上海三大頭目黄金栄である。清幇のなかでも今だに金輪際ふたりと出ない人物といわれている。なぜなら彼は、師と仰ぐ者がいなければ正式な入幇儀式も受けていない、なんと清幇の掟の「字輩」がないのである。
つまり《空子》だ。
清幇の『家規』と照らし合わせても身分もない字輩もないことは弟子を取ることは厳禁である。しかし黄氏は力で権力を誇った。正式に清幇の会員になるには七年かかるものが、紅包に「黄金栄老師」と書きお金を入れ、本人の面前で頭を下げればすぐに弟子になれた。
こうして簡素化した入幇で会員人数も増えていき二~三千人の人間が清幇の門下生になる。黄金栄氏は無字輩の「空子」でありながら、当然のように清幇「大」字輩の人物曹幼珊や高士奎らを兄とし自分を弟分と公表していた。
権力が最高潮のころ黄金栄はこう話す。「老子(私)が大字輩の上に線を一本引く。そうすると私は「天」字輩だ。」と周囲に豪語していた。
見兼ねた青幇「大」字輩の曹幼珊は彼に同じ清幇「大」字輩の張鏡湖(政府高官)を老師とし正当な会員になるよう勧告した。黄金栄は了解したものの後から行っていないことが分かってしまう。しかし彼が清幇の会員を増やしたことは事実。敬意からか他の二名と同等に《悟》の字輩となる。
じつは、当時の上海にはもう一名の上海大頭目がいた。彼は『江北大亨』と言われ、正統な清幇《悟字輩》の人物「顧竹軒」氏であったが、どこからか彼は黄金栄の門下生だと認識されてしまい会員の出処が常に正しく継承される清幇内では笑い話である。
さて、現代は「通」字班輩が最長老(106才)として君臨し、1世代を30年と考えると最後の続二十四代の「流字班輩」にたどり着くまでなんと1500年になる。しかし、実際はもっと永い継承になるだろう。その悠久な歴史観がうかがえる。
清幇の性質は洪門のように「反清復明」は強調せず革命活動もそれほど積極的ではなかったようである。それ故、さきに洪門に入会した人間はその後清幇に入ることは厳禁とされる。
この詩のように…
「由清轉洪、掛綵披紅、由洪轉清、剝皮抽筋。」
意訳は、「清幇から洪門に転じることはまるで華やかで自由を感じる、洪門から青幇に転じることはまるで体の皮を剥ぎ取られ筋も抜かれる。」
ところで、この二つの秘密結社が敵対衝突しないよう両大派閥は「清洪一家」を盛んに謳い、いわゆるこの詩…
「紅花綠葉白蓮藕,三教原來是一家」
に現れている。
紅花は洪門、緑葉は清幇、白蓮藕は白蓮教とそれぞれ指している。
そして、清朝末期には起義(革命)思想がさらに広がりを見せ、そのうち清幇の弟子らも大多数が反清活動に転じ、両大派閥の争いは次第になくなっていった。
~清幇(清門)の口條~
●只有千里交情,沒有千里威風。
|| 有るのは千里の友情、千里の威風(威張り)は無し。
●三分安親,七分交情。
|| 安親(安清)三割、友情七割。
●千金買不進,萬金賣不出。|| たとえ千金積んでも入会はできない、たとえ万金積んでも引き抜きはできない。
近年になり清幇には中華民国総統だった「蒋介石」も清幇の一員であることがはっきりしている。彼はさきに述べた黄金栄を師とし、つまり字輩は『學』である。ただ蒋氏は中華民国の総統の座を獲得したのち自ら一字繰り上げをした。家規では出来ないところではあるが、「悟」字輩となった。
(左 頭山満 中 犬養毅 右 蒋介石)
上記の記念写真の際のように《義》や《礼》《孝》を重んじる蒋介石は青幇の人物らしく同じ段に立たなく土の上に立っている。
以上、軽く見て参りましたが、現代の清幇は存在するのかしないのかという論がこの日本にございますが、これは『有る』と申し上げましょう。過去には日本人も入会している。現代、国際的なマフィア集団などと揶揄もされていることは事実ですが、しかし正統本体は、悠久な時のながれの中で相互扶助や忠義千秋(「ちゅうぎせんしゅう」意味は、義に対して真心を持って永遠に尽くす。)を守り続けている。
さて、水運発祥清幇です。ですので帆船のマークをロゴとしたり、船旗印をロゴにしたり、中でも一例として、会章には船を照らす光として『太陽』のモチーフがあってそして進路を指す三角形。この三角形の頂点もしくは三角形の中心に太陽マークがあります。
太陽は、明光または光明を指します。
ここで思いを馳せるのが、西洋の『イルミナティ』(光明会)のマークでは太陽を目に例えるところを考えますと、こちら清幇は《東洋のイルミナティ》ではないでしょうか。
洪門(ほんめん)のマークにはコンパスと定規があり、清幇(ちんばん)には太陽の光のマーク。
洪門=フリーメーソン=共済会
清幇=イルミナティ=光明会
当たらずとも遠からず、洪門(ほんめん)は東洋のフリーメーソン、清幇(ちんばん)は東洋のイルミナティ。
そんな思いがしてやみません。
そして一説では、これらは日本の秘密地下組織(烏、飛鳥)ともつながり、大アジア主義を標榜し邁進していたことは忘れ去られた過去でもある。
洪門天地會青蓮堂日本總會
Facebookページも宣伝
#青幇 #清幇 #安清幇 #安慶 #安青 #安清 #イルミナティ #秘密結社 #アジアの秘密結社
#清朝 #中華民族 #辛亥革命 #清門 #洪門 #洪幇
清幇。
こちらも近代の歴史上では上海を中心にして、悪のレッテルが貼られておりますが本当のところは?以前の清幇(ちんばん)も洪門(ほんめん)も本当は日本と深い関係にあったことはいまは書物を見当たりません。そしてもっとも注目された列強各国が集まる近代中国の伏魔殿『上海租界』。これを裏も表も支配下に置いた近代清幇の三大首領、「黄金栄(おうきんえい)」「杜月笙(とげつせい)」「張嘯林(ちょうしょうりん)」、この三名とは?
(清朝時代漕業)
清幇は、《青幇》《安清幇》《安慶幇》《青門》とも呼ばれます。当初は《漕幇》とも呼ばれました。身内では、《安清》《安親》と呼んでいる。もとは大陸に広がる運河を使い海運送を営んでいた苦しい貧しい人たちの集まりでした。そこで当時高価だった塩を運ぶことで生計をどうにか立てていたが、これが「悪」としている流通書物が多いですね。
すこし覗いて見ましょう。
隠詩曰く…
「瓶中太滿水須走、青葉紅花白蓮藕」
この意訳は「満人の清朝に反対する幇会。清幇、洪門、白蓮教が三大主力。」
三人の(水夫)が洪門(ほんめん)/天地会に参加し、会員になったことで清幇が生まれたとも言われる。
洪門(ほんめん)と清幇(チンバン)とは似た源泉がある。但し、洪門つまり天地会は義兄弟気質、道教や民間信仰からなり、天と地に誓いを立てる。これは天を父に地を母に例えているからだ。洪門五祖、雲龍等を崇拝対処としている。道教は日本の八百万の神信仰の神道と似ている。
参照サイト「八百万の神々」
こちら清幇は羅教を信仰する。
羅教は禅学に由来し禅宗制度である。
ゆえに洪門の義兄弟気質とは違う。
清幇の組織は釈迦如来、達摩祖師、六祖大師、羅祖等を崇拝対処とする。仏教色が強いといえる。ですので生徒(門下生)は師父(先生)を尊び、絶対的な師弟関係を結ぶ。その中、達磨祖師を祭壇に祀る所が多く、この人物は中国禅の開祖である。
『景德傳燈錄』によれば釈迦から数えて28代目とされている。インドから中国南方へ渡海し、洛陽郊外の嵩山少林寺にて九年もの面壁を行う。
達磨祖師により中国に禅宗が伝えられ、それは六祖慧能にまで伝わったことになっている。さらに臨済宗、曹洞宗などの禅宗五家に分かれる。日本の宗教にも大きな影響を及ぼした。
曰く「師徒如父子」師父と生徒は親子の如し。生徒もまた入門順に兄弟順列とし一師相伝されていく。
この清幇には【安慶】【安清】【安親】の名称や略名がある。これは清幇の幇内奥義文献にもそう記帳されている。
清幇《清門》の始祖の一人、潘氏が当時の異民族支配者である清朝いわゆる『満人』の宗教的な心理を利用したとされる。満人は、宗教に盲信しており、そのせいで幇を宗教に属するとした経緯がある。
なので、『清幇』は正確な呼び名は《佛門 臨済宗 清門》である。
羅教とは、羅教の思想の中心は「空」と呼ばれる宇宙万物の本体にある。「空」は原初から存在し、この世のすべてはこの「空」から流出・生成したとされ、万物は「空」の化体であり「空」と一体無二とであるという。五部六冊は仏教書からの引用が多数みられるが、羅教の「空」は大乗仏教の「空」とは概念が異なり、むしろ老荘思想の「空」に近い。さらに、羅教では「心」の働きを重視しており、「心」こそが仏であり本体であると気付くことで、誰もが悟りを得ることができるとされている。
ウィキペディアより
対外的に、勧善懲悪な宗教的作為をし、清朝を順服や擁護と見せかけ暗中に漢民族思想や組織の発展(清幇)、そして運河を使った漕業の発展を目指した。これは計算高い満人を欺くには必要なことであった。安清とは、清朝を安心させるという意味である。
この内容から、清幇の組織は洪門/天地会の組織よりさらに幇規が厳しく、ひとつひとつの規則も細かく複雑である。その秘匿性は非常に守られている。先で述べた呼び名の《安清》、つまり対外的に清朝(満人)を安心させ、ときの政権に従順と見せかけていつしか政権転覆を画策していたので、秘匿や会規は厳守。何故ならば清政府内に多数清幇会員がいたからである。
こんな言葉がある…
「清幇一條線、洪門一大片」
意は「青幇は運河を使い拡大した。洪門は江南から南洋へ拡大した。」
述べたように清幇の掟は師父と弟子の関係であり、組織の序列はこの「字班」によって分けられている。
「字班輩」(じはんはい)である。
~清幇の字班輩一覧~
(清門 興武六より)
前二十四代 || 清静道德・文成佛法・仁倫智慧・本来自性・元明興禮・大通悟學。
後二十四代 || 萬象依皈・戒律傳寶・化渡心回・普門開放・光照乾坤・代髪修行。
続二十四代 || 緒結崑計・崑芮克勤・宣華轉忱・慶兆報魁・宜燕應存・挽相同流。
(興武六幇派師父)
顧炎武(清代の政治論客、北宋時代にあった「東林書院」を再建した人物)が作った漢詩である。この字班輩または字輩は世代としての解釈ができる。これに則り清幇の師弟序列が決まる。
近代上海を支配下に置いた「杜月笙」「張嘯林」「黄金栄」(下写真左から)別名上海三大亨。各国間が権力を争う「上海租界」で絶大な力を誇示した三名である。
(上海三大頭目)
この三大頭目に目を向けてみよう。
上海における清幇は1919年の懇談会でこんな記録を残している。
当時の最高字輩はすでに17名のみであった「大」字輩だった。この時点ですでに字輩のならびを師弟とする清幇の結社で上海三大頭目が清幇の実質のトップではないことが分かる。
まずは杜月笙。この人物は「通」字輩の大人物、陳世昌氏を老師とした。ゆえに彼の字輩は「悟」になる。次に張嘯林。かれも「通」字輩の裏の大人物、龔謹丞氏を師と仰ぎ、彼もまた「悟」字輩であった。この両者は清幇のなかでの《出生暦史》はきちんとしている。
問題はもう一人の上海三大頭目黄金栄である。清幇のなかでも今だに金輪際ふたりと出ない人物といわれている。なぜなら彼は、師と仰ぐ者がいなければ正式な入幇儀式も受けていない、なんと清幇の掟の「字輩」がないのである。
つまり《空子》だ。
清幇の『家規』と照らし合わせても身分もない字輩もないことは弟子を取ることは厳禁である。しかし黄氏は力で権力を誇った。正式に清幇の会員になるには七年かかるものが、紅包に「黄金栄老師」と書きお金を入れ、本人の面前で頭を下げればすぐに弟子になれた。
こうして簡素化した入幇で会員人数も増えていき二~三千人の人間が清幇の門下生になる。黄金栄氏は無字輩の「空子」でありながら、当然のように清幇「大」字輩の人物曹幼珊や高士奎らを兄とし自分を弟分と公表していた。
権力が最高潮のころ黄金栄はこう話す。「老子(私)が大字輩の上に線を一本引く。そうすると私は「天」字輩だ。」と周囲に豪語していた。
見兼ねた青幇「大」字輩の曹幼珊は彼に同じ清幇「大」字輩の張鏡湖(政府高官)を老師とし正当な会員になるよう勧告した。黄金栄は了解したものの後から行っていないことが分かってしまう。しかし彼が清幇の会員を増やしたことは事実。敬意からか他の二名と同等に《悟》の字輩となる。
じつは、当時の上海にはもう一名の上海大頭目がいた。彼は『江北大亨』と言われ、正統な清幇《悟字輩》の人物「顧竹軒」氏であったが、どこからか彼は黄金栄の門下生だと認識されてしまい会員の出処が常に正しく継承される清幇内では笑い話である。
さて、現代は「通」字班輩が最長老(106才)として君臨し、1世代を30年と考えると最後の続二十四代の「流字班輩」にたどり着くまでなんと1500年になる。しかし、実際はもっと永い継承になるだろう。その悠久な歴史観がうかがえる。
清幇の性質は洪門のように「反清復明」は強調せず革命活動もそれほど積極的ではなかったようである。それ故、さきに洪門に入会した人間はその後清幇に入ることは厳禁とされる。
この詩のように…
「由清轉洪、掛綵披紅、由洪轉清、剝皮抽筋。」
意訳は、「清幇から洪門に転じることはまるで華やかで自由を感じる、洪門から青幇に転じることはまるで体の皮を剥ぎ取られ筋も抜かれる。」
ところで、この二つの秘密結社が敵対衝突しないよう両大派閥は「清洪一家」を盛んに謳い、いわゆるこの詩…
「紅花綠葉白蓮藕,三教原來是一家」
に現れている。
紅花は洪門、緑葉は清幇、白蓮藕は白蓮教とそれぞれ指している。
そして、清朝末期には起義(革命)思想がさらに広がりを見せ、そのうち清幇の弟子らも大多数が反清活動に転じ、両大派閥の争いは次第になくなっていった。
~清幇(清門)の口條~
●只有千里交情,沒有千里威風。
|| 有るのは千里の友情、千里の威風(威張り)は無し。
●三分安親,七分交情。
|| 安親(安清)三割、友情七割。
●千金買不進,萬金賣不出。|| たとえ千金積んでも入会はできない、たとえ万金積んでも引き抜きはできない。
近年になり清幇には中華民国総統だった「蒋介石」も清幇の一員であることがはっきりしている。彼はさきに述べた黄金栄を師とし、つまり字輩は『學』である。ただ蒋氏は中華民国の総統の座を獲得したのち自ら一字繰り上げをした。家規では出来ないところではあるが、「悟」字輩となった。
(左 頭山満 中 犬養毅 右 蒋介石)
上記の記念写真の際のように《義》や《礼》《孝》を重んじる蒋介石は青幇の人物らしく同じ段に立たなく土の上に立っている。
以上、軽く見て参りましたが、現代の清幇は存在するのかしないのかという論がこの日本にございますが、これは『有る』と申し上げましょう。過去には日本人も入会している。現代、国際的なマフィア集団などと揶揄もされていることは事実ですが、しかし正統本体は、悠久な時のながれの中で相互扶助や忠義千秋(「ちゅうぎせんしゅう」意味は、義に対して真心を持って永遠に尽くす。)を守り続けている。
さて、水運発祥清幇です。ですので帆船のマークをロゴとしたり、船旗印をロゴにしたり、中でも一例として、会章には船を照らす光として『太陽』のモチーフがあってそして進路を指す三角形。この三角形の頂点もしくは三角形の中心に太陽マークがあります。
太陽は、明光または光明を指します。
ここで思いを馳せるのが、西洋の『イルミナティ』(光明会)のマークでは太陽を目に例えるところを考えますと、こちら清幇は《東洋のイルミナティ》ではないでしょうか。
洪門(ほんめん)のマークにはコンパスと定規があり、清幇(ちんばん)には太陽の光のマーク。
洪門=フリーメーソン=共済会
清幇=イルミナティ=光明会
当たらずとも遠からず、洪門(ほんめん)は東洋のフリーメーソン、清幇(ちんばん)は東洋のイルミナティ。
そんな思いがしてやみません。
そして一説では、これらは日本の秘密地下組織(烏、飛鳥)ともつながり、大アジア主義を標榜し邁進していたことは忘れ去られた過去でもある。
洪門天地會青蓮堂日本總會
Facebookページも宣伝
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#清朝 #中華民族 #辛亥革命 #清門 #洪門 #洪幇