見えなかった世界

アジアのフリーメイスン洪門(ホンメン)とは?

哥老会·袍哥会とは

2015-03-18 04:46:45 | 日記
(参考)
~軍人集団・哥老会~
(一部情報の省略あり)

洪門(ほんめん)、すなわち天地会は 「順天行道」《じゅんてんこうどう》(天に順い、示された道を進む)を掲げている。洪二和尚が創立したとして、これは南少林寺を基に、五祖の話を洪門五房の由来とした。

洪門正統伝承の宗家、またの名を天地会では、会簿(會簿)の名前は「衫仔」と呼ぶ。

つぎに「哥老会(袍哥)」の会簿名は、 四川や長江流域で発祥した幇会であり、哥老会袍哥会(両同系統)の会簿(「海底」または「金不換」)の名称とは違う。この会派では、「替天行道」《たいてんこうどう》(天に替わり、道を進む)を掲げている 。


これには少し触れてみたい。


なぜならば、こちらの「哥老会(袍哥)」幇会は元来、洪門つまり天地会と違う組織だからである。現代はこの組織系統の違いが分からず、主に台湾と日本で混同している。洪門と名乗る団体ですら中にはこの区別に気付いていない団体がある。

この事を解明するには、混乱の時代へ遡らないといけない。

会派の区別が混同してしまった理由、洪門(ほんめん)の団体のなかに実は哥老(袍哥)会系統が入り込み、今もなお違う技法、詩句を用いているところがある。

それは例えば、開山した個々の「山」を、それぞれが最上級と見なしたりするルールや、開山したトップ(山主)を龍頭と言ったり、鄭成功を祭り上げたり、梁山泊108将のこれらは全部哥老(袍哥)会の流儀系統である。

これについてだが、洪門(ほんめん)が、四川の哥老会(または袍哥会)へ共闘の申し出をし、両会は明確に「反清復明」へと変化し合流していくなかで、当時の洪門が哥老会へ会談を数回申し込んだ際の資料も残っていて、さらに当初の哥老会は共闘を渋っていた記録もあって間違いようのない信憑性がある。

そして、共闘したのち、その過程で哥老の人たちは洪門の規模の大きさや力を知り、組織の融合を希望していった。

しかし、洪門すなわち天地会は秘密結社ゆえに、秘密技法やその他の隠語などはもちろん伝わらず(伝わっても表面のみだったため)、おのれの元のままの会派のしきたりや技法が残ってしまった。

やがて、民国初期の混乱や蒋介石(青幇)国民党の会党(秘密結社)への行動制限などもあって、いつしか 分からないことが分からないままに、世代が変わり、「誤」を解釈したと推測できる。

現実、本家の大陸の正統哥老会の会員らは、台湾に渡ったとされる哥老の人たちの手勢技法などをみて、「なぜ自己流?」と思っている。正統が伝わらず、自らが作り出していったためと推測ができる。

なおかつ、台湾に渡った残りすくない正統「漢留哥老会」の大長老も、現代の「利」をもとめる時代の悲しい流れに、哥老会建立当時の崇高の精神を懐かしむ。

なお、今も一部から洪門すなわち天地会から秘密技法や隠語、秘密詩句などを盗み取ることを画策している者たちがいることを私たち洪門宗家は知っているし、その情報も上がっている。

とはいえ、時代というものが、再び両派の「共同」や「協和」を望んでいるのだとすれば、正当な形でもって、洪門すなわち天地会も哥老会と合同共和できる策を講じていくことだろう。