見えなかった世界

アジアのフリーメイスン洪門(ホンメン)とは?

九宮とは

2014-11-11 14:50:41 | 日記
東洋占星術または西洋占星術は、天文観測または、それにかわる天文計算によって得られています。

『天の流れを見る地の脈を読む』
占星術はいまでは、占いにカテゴリー化され一部の気持ちをすがる人用の頼るもののように感じます。

古代では、国の国家行事にも準ずる行事や儀式の開催にはこの術は不可欠でした。現代の算出法よりもかなり複雑でありました。だが、覚えて欲しいことは大きな出来事の発生するとき、実はいまも《こだわる》人たちがいることは間違いないです。



『九宮の数を論ず』より
http://homepage1.nifty.com/haruakira/library/gogyoutaigi/f_09.html
(文抜粋)
九宮は上は天を分け、下は地を分けるのにおのおの九つの方位をもってする。

天は二十八宿と北斗九星で分けており、地は四方と四維と中央に分けている。分けて九に配しているが、それぞれを宮というのは皆、神の行くところだからである。だから、宮と名付けている。

てい司農(ていしのう)は「太一(北極星)は八卦の宮を巡り、四ごとに中央に入る。中央は地神の居るところであり、これを九宮と言うのである。」と言っている。

「易緯乾さく度(えきいけんさくど)」
には「易は陰と陽の道理をもって表すものである。だから、太一はその陰陽の数にしたがって九宮を巡るのである。」とある。

易経(繋辞上伝)には「天は一、地は二、天は三、中地は四、天は五、地は六、天は七、地は八、天は九、地は十」とある。


天地の数は合計すると五十五になる。


九宮で用いる数は天の一、地の二、人の三を除いたものであり、余りは四十九となる。これは筮竹の数にあたる。また、四時の四を除くと余りは四十五になる。五とは五行のことであり、四十とは五行の成数である。この二つを合計すれば四十五となり一節の数となる。

これを分けて五方におくと各々が九となり、一時(四季のそれぞれ)は九十日の数であり、四方は四時となる。三つの宮は縦・横・斜めで足し合わせると十五となり、これは一気の数であり、(足し合わせると)二十四節季(一年)となる。

~中略~

ある者が「八卦はどこから生じるのか」と問うた。答えて言うには「天地から生ずる」と。
また、「天地は何から生じるのか」と問うた。答えて言うには「太一より生ずる」と。
次に「太一は何から生じるのか」と問うた。答えて言うには「易から生じる」と。だから、「周易」では「易に太極があり、これが両儀(陰陽の法則)を生じる。」と言うのである。

だから、易の字は変化して太一の字となる。太一の字が変化して天の字となる。天は一を生じ、地は二を生じる。天の字が変化して水の字となる。天は水を生じるのである。水の字が変化して木の字となる。水は木を生じるのである。木の字が変化して火の字となる。木は火を生じるのである。火の字が変化しの字て土となる。火は土を生じるのである。土の字が変化して金の字となる。土は金を生じるのである。金の字が変化して八卦の字となる。

八卦は五行によって生ずるのである。八卦の字が変化して十二月の字となる。十二月は八卦の主(つかさど)る月である。十二月の字が変化して地の字となる。万物を出し尽くして最後に地に戻ってくるからである。
これが、九宮・八卦創制の法である。

宮は九宮があるだけである。十宮ないのは、八方と中央にしたからで、数は九で終わる。

上は九天・九星・二十八宿に配当され、下は五岳・四とく・九州に配当される。

「黄帝九宮経」には「一は恒山を主り、二は三江を主り、三は太山を主り、四は碓水を主り、五は嵩山を主り、六は黄河を主り、七は華山を主り、八は済水を主り、九は霍山を主る。」とある。

また、「一は冀州(現在の河北・山西・河南)とし、二は荊州(現在の湖南・湖北・広西・貴州)とし、三は青州(現在の山東、東北地方)とし、四は徐州(現在の山東の南部、安徽、江蘇の北部)とし、五は予州(現在の河南、山東の西南、湖北の北部)とし、六は雍州(現在の陝西、甘粛、青海)とし、七は梁州(現在の四川、雲南、貴州)とし、八はえん州(現在の山東、河北)とし、九は揚州(現在の江蘇、安徽、江西、浙江、福建)とするとした。」とある。