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あある の どくはく

とやまの観光に期待すること

2011-01-10 | 社会
年末とやまを一時離れて感じたこと。
とやまは観光客のニーズに応えきれていないのではないだろうか、ということ。


県外の人のとやまのイメージを聞くと、「くすり」と「ますずし(ますのすし)」が圧倒的に多い。
とやまの人が前面に売り出そうとしている「立山」ではない。ましてや「白えび」でもない。
もちろんそれを求める県外の人もいる。でもそれはある程度とやまを知ってる人だと思う。
多くの人が抱くイメージ、つまり先入観や偏見でもあるが、それを満たす装置が十分でないように感じる。

反論があろう。
くすりもますのすしも観光として取り上げられている。
CiCにどちらの常設コーナーがあるし、駅弁としてますのすしは売ってるし、
駅近くには数件のますのすし屋があるし、少し足を延ばせば金岡邸もある。
全くそのとおり。
でも先入観を持った観光客を十分満足させていない気がする。


まずますのすし。

以前友達がとやまに遊びに来たとき、ますのすしを食べてみたいと言われた。
困った。
喫茶店かレストランの形でますのすしを食べられるところってあるのだろうか。
富山駅の三階か、インター近くの源の店舗なら食べられるとわかったものの、いずれもアクセス面や入りやすさの面で断念した。

ますのすしは駅弁だ。旅の友だ。
レストランで出すものではない。ましてや寿司屋でますのすしを頼むと笑われるかもしれない。
でもそれはそういうものとわかっている人のセリフ。
「とやまといえばますのすし。せっかくとやまに来たならそれを食べてみたい」
と思うのが観光客だと思う。
で食べようとすると、食べられるところなんて限られているのだ。
観光客は安直だな、何も知らないんだなと、地元の人なら思うだろう。
でもその安直さに耳を傾けて対応すべきだと思う。

また以前東京行の特急に乗っているとき、同車内の半分酔っぱらったおっさんが車内販売でますのすしを頼んだ。
どうやら日帰り出張で北陸に来て、帰りの電車でせっかくだからと「話題の」ますのすしを頼んだような感じだった。
そのおっさんは、ますのすしの開けにくさ・食べにくさに文句たらたらだった。
「パッケージに難がある」「食べやすいように工夫をすべきだ」
単なる酔っぱらいといえばそうだが、開けにくさ・食べにくさには聴くべき点がある。
僕も車内で食べたことがあるが、初めて手に取るとどうやって開けるのかわからず、
狭い座席で太いゴムを飛ばしてしまったり、ますの身が切りにくかったり、何より大量に出るゴミに困った。
今でこそ慣れてスマートに食べられそうだが、初めてだと悪戦苦闘するのは無理からぬことと思う。

「風味を生かし、また伝統を守っているのだ。」
「開けにくさというパッケージの厄介さも、ますのすしの味なのだ」
というのが提供側の理屈かもしれない。
それもわからなくはない。それを求める客も少なくないだろう。
でも、かつてのようにゆっくり電車旅を楽しむという余裕はなく、たとえ指定席でも座席で食事をするのに気を遣わなくてはいけなくなり、
ゴミもきちんと片づけなくてはいけない。
それなら、県内のスーパーで売られているせきの屋の簡易包装ますのすしのようなものを
「入門版」とか「ビジネス向け」とか銘打って車内販売すれば、より身近に手を伸ばしてもらえるのではないか。
全てのますのすしをそうすべきと言ってるのではない。
そういう手軽な商品があってもいいのではないかということだ。

食べやすさでいえば、今やコンビニに一口サイズのますのすしが県外各地にも売られている。
とてもよいと思う。
でもそれをとやまと結び付ける場面でもっと売られてほしい。
「とやまに行ったから一口サイズのますのすし買ってきたよ」と言ってもらえるような。
実際はすぐ近くのコンビニでも同じ味のものが売られていても、観光客はとやまで買ったということに価値を見い出すはずだ。

もっとも、県内では駅弁として売られている源のますのすしは酷評されている。
あれがいいと言う人はほとんどいない。
試みに他の店のますのすしをいくつか食べてみたら、確かにそれぞれに個性があり、
駅弁ますのすしがイコールますのすしだと言うには無理があることはよくわかった。
でも、それでいいと思う。
観光客はバカだねと思っていればいい。
そして何かの機会のときに、これが本当のますのすしなのだと教えてあげればよい。
観光客はそれによってますのすしの奥深さを知ることだろう。
それはそれとして、まずは親しんでもらうことが肝心だと思う。

ますのすしは今でも駅弁ランキングで一位だと聞くが、その理由は何なのだろうか。
味云々でバカにするより、そのマーケティングのうまさを称賛したい。
そしてそのネームバリューをもっと活かしたい。


もう一つはくすり。

これも以前、県外友人を招待したとき薬膳料理を食べてみたいと言われ困ったことがある。
結局池田安兵衛商店2階で食べたが、予約をして、値も張り、接客態度もちょっと嫌だった記憶がある。
もう少し気軽に食べられないか。
もっと店の数があってもいいのではないか。
いや、薬膳料理というのはそーゆーもんじゃないと言われたらそうかもしれない。
でもますのすしのところでも書いたように観光客のニーズを満たしてやればある程度なんちゃってでいいと思う。
ふつうのメニューが600円~800円くらいとすると、薬膳料理と称して1000円~1200円くらいで売ればよい。
いや、内容同じでプレート掛け替えるだけでいいなんて言ってない(それは詐欺)。
要は薬膳料理なるものにもっとアクセスしやすくして欲しいと思う。

もっとも、薬膳料理についてはそこそこ動きがあるようだ。(自分が知らないだけで。)
レトルトの薬膳カレーも売られている、けっこうな価格で。
あれはあれですごいと思う。
でもそれをとやまに来た観光客が楽しむ場所はない。
レトルト薬膳カレーをその場で温めて出すような店があってもいい気がする。

池田安兵衛商店も、地元では酷評されているようだ。
金もうけ主義だと。
でも、さっきの源と同じく、マーケティングの巧さを称賛すべきだと思う。
学ぶべきだと思う。
ちなみに京都は一級の観光地とされ、中でも近年鈴虫寺というお寺が話題を集め、
若い女性を中心に大人気だそうだが、地元の人にはあんな寺なんてと酷評されている。
別に歴史があるわけでもなく、住職が趣味か何かで鈴虫をバカみたいに飼って特色をつけた上で、
そこでお祈りするとなんたらというテキトーな効能を謳ったとか何とか、
よく知らないけれどなんだそりゃ的なことが、京都というブランドとシンクロしたらしい。
ナマグサ坊主の金儲け主義に比べれば、商店が金をもうけて何が悪いと思いたい。
少なくとも池田安兵衛商店は、観光客の安直なニーズ・先入観をきっちり満たす努力をしていると思う。

「とやまの土産何がいい」と訊いたら「くすり買ってきて」と言われた。
またむちゃな。
でもそういうのがあってもいいと思う。
例えば小さな菓子箱程度のくすり箱に、本物のくすりが三包ずつくらい入っている、とか。
その包装はまさに昔ながらのラベルで、昭和な香りがするとか。
そこにシリーズものの富山の歴史カードを入れるとか。立山信仰とかの。
そういうなんちゃって的なおもちゃもいいが、実用的なものもあってよい。
詳しく知らないが、とやまの人(女性?)は小さな巾着袋に常備薬を入れて持ち歩く習慣があると聴いたことがある。
もしそれが本当なら、それこそ土産に最適だと思う。


誰しも、先入観や偏見を嫌う。
とやまってこうでしょと言われると、いやそうじゃない、もっとここを見て欲しいと、自分たちがいいと思っているところを自慢したくなる。
当然だと思う。
そしてそれはそれでいいと思う。
でもそれだけでは独りよがりの観光振興ではないか。
まずは観光客の先入観や偏見というニーズを満たしてやる。
それで大満足して帰ってしまう人は、それでいいじゃないか。(徒然草にそんな話あったね)
そしてもう一度訪れた際、新しいとやまを発見してもらえればよい。

その意味で、市がイタイイタイ病資料館を整備しようとしているのはとてもいいことだと思ってる。
イタイイタイ病は富山が教科書に載る数少ない先入観の源泉である。
それから目を逸らしてどうするか。
健康パークでもいいが、駅でも積極的に取り上げ、特に「こんな対策をして今はもう安全なんだよ」とアピールしてほしい。