(榎本保郎著)からです。
愚かな者は心の内に「神はいない」と言う。
心とは、人間全体をさす。
愚か者は、生活の中で、神はいないと言うと分か
りやすい。我々も実際の生活になると、神の贖い
とか、愛とかが少しも自分に迫って来ない。
善を行なう者はいない。これは、まさに現代の姿
だと思う。神を恐れない、人間の都合が第一にな
り、そうゆう事が絶対視されていく。
又、神を認めない自己中心の生き方からは、
決して本当の親切は生まれてこない。たとい
人の為に何かをした様に見えても、それは自分の
心を、その事によって慰めている自己満足に、
過ぎない。そういう自己中心、エゴイズムからは
決して、善い行いは生じて来ないのである。
ヨハネ福音書15章には、
「私はぶどうの木、あなたがたは、その枝である。
もし、人が私につながっており、又、私が、その
人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶ
ようになる。」と書かれている。
幹につながっている枝が結ぶ実、それが善い行な
いなのである。
ところが、今日の人は、枝だけで実を結ぼうと
するから、実を結ばない。善を行なう事ができな
いのである。
しっかりとキリストに連なっている、その事に
よってのみ、私達は善を行なう事が出来るので
ある。
心の内に神が無い生き方、神の存在を認めない
生活からは、いかに努力しても善は生まれて
来ない。
神を心の内に認めない者は、善を行う事は出来な
いと言うのは人間の本質であり、これは古今東西
を通しての鉄則である事を忘れてはならない。