聖書と共に

栄光を受けたイエスの御霊

アンドリュー・マーレーの本を、私は20歳代から読んでいますが、どれだけ理解出来たかは?です
今70才代ですが、今でも「キリストの御霊」は
度々読んでいますが、何回読んでも、理解出来ていなかった所があります。ボケかな
今日も、「キリストの御霊」から抜粋します。

「罪は私達と神の律法との関係ばかりでなく、神ご自身との関係までも乱しました。そのため神の恩恵と共に、神の命をも失いました。
キリストは人を、律法とそののろいから救い出す為だけでなく、人間性そのものを、再び神の命との交わりに入れるため、神の性質にあずかる者とするために来られたのです。

神のひとり子の御霊は、今、私達の心の中にあって「アバ、父よ」と呼ぶ御霊となったのです。
この御霊について、「イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかった」と言うのは、極めて当然の事です。
しかし、神はほむべきかな、イエスは既に栄光をお受けになりました。今は栄光を受けられた御霊
があります。
「私を信じる者は、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」
との約束は今、成就され得るのです。イエスが栄光を受けられた時に、行われた偉大な取引は、今や永遠の事実となりました。

キリストが私達の人性と肉体とを持ったまま
至聖所に入られた時、「神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今、あなた方が見聞きしている、この聖霊をお注ぎになったのです。」が行われました。
私達に代わって、又、私達の為に、人として、更に人の頭として、イエスは満ち足りた栄光の中に受け入れられ、彼の人性は神の御霊を受け入れる器となり、しかも、それを分け与える者となりました。

聖霊は、神ー人の御霊、つまり、真に神の御霊であり、同時に人の霊でもあるものとして下る事ができたのです。彼は栄光をお受けになったイエスの御霊として下り、イエスを信じる人々の内におられて、イエスの個人的生命であり、その臨在の
御霊である、と同時に信徒の個人的生命の霊となられるのです。

イエスにおいて、神と人との結合はなし遂げられ
彼が御座にお着きになるに及んで、ついに完成されました。今、御霊の命と働きにも、新しい時代が始まったのです。
聖霊は今、神ー人の全き結合を証しする為に来られ、私達の命となって、私達をそれにあずからせて下さいます。

栄光を受けたイエスの御霊を受ける事を願うならば、私達は信仰をもって、イエスとの関わりを持たねばなりません。単に十字架と、その赦しを信じる信仰をもって足れりとするのでなく、栄光を受けたイエスの御霊が、これを証しし、これをもたらす人性にある新しい命、栄光の命、神的な力を求めなければなりません。
これは歴世歴代、隠されていた秘密であって、今、聖霊によって顕されたものです。

第二位におられる御子イエス・キリストが御父を啓示する為に来られ、御父が彼の内にあって、お語りになった様に、
第三位である御霊は、御子を啓示するために来られ、御子はその内におられて、私達の内に働かれるのです。

御霊の内住は、まず何よりも徹底的に信仰によって、認められなければなりません。
私が、その働きの証拠を、ほとんど認めない時でさえも、静かに敬虔に聖霊が内に住んでいる事を信じるべきなのです。
聖霊により頼みつつ、その働きを待つのです。
その最初は、この上なく弱く、ひそかであって、
それが聖霊から来たものである事を、ほとんど認める事が出来ないかもしれません。
それは、良心のささやきとか、聞きなれた聖句の
響きに過ぎないと思われるかもしれません。
この様な時こそ、信仰をもって主のお約束と、父なる神の賜物をしっかりとらえ、聖霊が内にいまして、導いて下さる事を信じるべきです。
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