パウロらは、色々の国で、ユダヤ人と異邦人
に福音を語りました。
ユダヤ人は、聖書を知っていますから、聖書
から、預言された救い主は、主イエスである
と語りました。
しかし聖書を知らない異邦人には、一般啓示
から話す必要がありました。
この所を、「静まりと黙想の朝に」では
「人の心(例えば良心)、自然、歴史などを通
して知られる神の知識を一般啓示と言い、
キリスト、聖書などで知る知識を特別啓示と
言う。
一般啓示では、漠然とした理解はできるが、
救いへの明確な理解は、特別啓示によって
得られる。
キリストが救い主と分かると、一般啓示が
意味深くなり、自然の恵みが深くなる。」
とある。
パウロはリステラ、デルベの町々だけでなく
回りの村々にも回り、主イエスを伝えた。
ここからバックストン「使徒行伝講義」です
。テモテはこの当たりの信者でした。
他にも、この時から忠実にパウロに従った
信者が起こった事が分かります。
「パウロらに同行していたのは…デルベ人
ガイオ、テモテ、アジア人のテキコと
トロピモであった。」
第一回の海外伝道を終えてパウロとバルナバ
は、母教会のシリヤのアンテオケ教会に返り
ました。
ところが、エルサレムから来たユダヤ人の
キリスト者が、アンテオケの教会に来て
言った。
「あなた方も、モーセの慣例に従って割礼を
受けなければ、救われない。」と説いた。
そこで、パウロやバルナバと彼らとの間に
紛糾と論争が生じた。
パウロ、バルナバと数人の者がエルサレム
に行き、使徒達や長老達と、この問題に
ついて協議した。
特に、パリサイ派からキリスト者になった
人々が立って言った。
「異邦人にも、割礼を施し、またモーセの
律法を守らせるべきだ。」と主張した。
これは、主の十字架のみによる救いに、
異物を混ぜてしまう、危険な意見でした。