となりのとなかい

サッカー関係の密かな部屋にしよう!!

すべて抜粋ですが

2004-12-21 22:18:36 | 海外サッカー関係
■イタリアが生んだ最も偉大なスポーツジャーナリスト

12月19日が近づいてくると、12年前のこの日に交通事故が原因で73歳の生涯を閉じた、
ジャンニ・ブレラのことを思い浮かべてしまう。
第16節のビッグマッチ、ユベントス対ミランの話に入る前に少し、この人物について触れたい。

ブレラはイタリアが生んだ最も偉大なスポーツジャーナリストだった。
アメリカの文豪ヘミングウェイを穏かにしたような風貌のブレラは
「スポーツジャーナリストのふりをした作家」と形容されていたように、
サッカーや自転車競技、陸上競技関係の書物や記事のほかに、
生まれ故郷のパダーナ地方(ロンバルディア地方のポー川周辺)についての
随筆、小説なども多く残している。
しかし彼が後世に残した何よりの大きな功績とは、
数多くのサッカー用語を考え出したことだろう。

例えば、ミッドフィルダーを意味する「チェントロカンピスタ」、
監督が相手チームやマスコミをあざむく時に発表する偽りの情報を意味する「プレタッティカ」、
見るからに容易いゴールチャンスを意味する「パッラゴール」、
相手を攻撃で圧倒している状況を意味するイタリア製英語「フォルシング」など、
彼が考え出したサッカー用語はイタリアのスポーツ新聞サッカー欄で
頻繁に目にすることができる。

こうした彼が生み出したサッカー用語の中でも、
最も有名なのは「リベロ」だろう。
この言葉は、イタリアを飛び出して国際的なサッカー用語となった。

74年の9月にイタリアにやって来た僕は、国営テレビ局
(当時民放テレビ局は存在していなかった)のスポーツ番組やスポーツ新聞等でブレラの存在を知った。
もっとも、当時のイタリア語の理解力では、ブレラの話す会話の意味の半分も理解できていなかったが、
それでも知者然とした風貌と、聞くものを引き込んでいく話術に、僕は徐々に魅了されていった。
そのころは、まだ3階スタンドがなかったサンシーロの反対正面2階席でよく観戦していたのだが、
持参した双眼鏡をのぞいては、記者席でパイプを吹かしているはずのブレラの姿を探したものであった。


■批評家と監督の役割の違いが分かるエピソード

そんなブレラに関する伝説は、いくらでも挙げることができる。
74年のワールドカップカップで大旋風を巻き起こしながら、
決勝で開催国・西ドイツに敗れたオランダについて
「もしネレオ・ロッコ(60年代のミラン監督。守備的サッカーでミランを
 チャンピオンズカップ獲得に導く)が率いていたなら、オランダは優勝していただろう」
と語っていたブレラ。

アリゴ・サッキが、これまでのイタリアサッカーのメンタリティーを変える
システマティックなサッカーでセンセーショナルを巻き起こし、
サッカー界の寵児(ちょうじ)ともてはやされていたころにも、
ブレラは
「シーズンを通じて常にこのようなプレーを維持することは絶対不可能だ」
と発言し、唯一サッキのサッカーに対して疑問を投げかけている。

これらの談話でも分かるように、イタリア的なディフェンシブサッカーの信奉者だった
ブレラのすべての意見に、僕が納得していたわけではない。
しかし最近のテレビで大声を張り上げる、知性のかけらも感じさせない
ジャーナリストたちを見ていると、会話の隅々から常にイタリアの上質なエスプリを
醸し出していたブレラがいないということが残念に思えてならない。

ブレラの事故死から7年後、毎年優れたスポーツジャーナリストに対して
ジャンニ・ブレラ賞が与えられるようになった。
今年受賞したのはフランコ・ロッシ。

ロッシについては日本語のホームページも開いているのでご存じの人も多いと思う。
ロッシはこの栄誉に対して感激のあまり涙を流してしまった。
しかしロッシにしろ、他のジャーナリストにしろ、残念ながら
まだまだブレラの領域からは程遠く、彼が逝(い)った後の空席は
12年経った今も埋められないでいる。

ブレラの思い出を書き始めたら、それこそきりがなく、
ユーベ-ミラン戦について書くスペースがなくなるので、最後にひとつだけ。
20年以上も前に古老のインテリスタから聞いた、ブレラの影響力が
どれほど大きかったかを物語るエピソードを紹介したい。

60年代の半ば、イタリアサッカーというよりも世界のサッカーに君主していたインテルで、
当時世界最高の攻撃的フルバックと形容されていたのジャチント・ファケッティ(は現インテル会長)。
まるでアタッカーのようにゴールを決めるファケッティについて、
ブレラは
「ファケッティはFWとしても十分通用する。試す価値あり」
という持論をテレビで語り、そのアイデアは紙面にも登場した。
そしてインテルの名監督HHことエレニオ・エレラは、とうとうある試合で
ファケッティをFWとして起用。
しかし、結果は失敗に終わり、以後ファケッティがFWとして起用されることはなかった。

ブレラの影響力、そして批評家と監督の役割の違いが分かるエピソードとして面白い。


■ミランが負ければスクデット争いの興味が失せる

さて18日の夜に行われたセリエAの天王山ユベントス対ミランの一戦である。
セリエAのスクデット争いは、すでにユーベとミランの2チームに絞られていると言ってよいだろう。
開幕早々からハイペースでポイントを積み上げてきたユーベに、
ミランだけが4ポイント差で何とか離されずに追いかけている。
しかし、もしこの試合にミランが敗れてしまうと、早くもスクデット争いの興味が失われる可能性もあった。

だからユーベファン以外のほとんどのサッカーファンは、ミランの勝利を望んでいただろう。
ただし、両チームにポイントをやりたくない僕のようなインテリスタにとっては、
少し複雑な心境である。

ユーベのホームスタジアム・デッレアルピには5万5000人という
久しぶりに満員に近い観客が入った。
とはいっても、最大収容人員は6万7000人。
イタリアで一番の人気を誇るクラブにしては寂しい気がする。
イタリアの他の都市に比べ、冷めたイメージがするトリノだが、80年代後半まで使用していた
以前のスタジアム「スタディオ・コムナーレ」では、
ミラン戦のようなビッグマッチともなると、超満員になっていたように記憶している。

もともとデッレアルピは、90年のワールドカップ・イタリア大会のために建設された競技施設で、
以後はユーベとトリノのホームスタジアムになった。
しかし、スタジアムまでの交通の便の悪さ、そしてあまり観客の熱気が伝わらない
冷たい雰囲気もあってか、トリネーゼ(トリノ市民)の足は遠のいたままであった。

さて試合は、開始早々からペースを握ったのがミラン。
直前に足の筋肉を痛めたマルディーニに代わって、コスタクルタを起用するという選択を
余儀なくされたミランであったが、ユーベに全く攻撃の糸口をつかませないままゲームが進んだ。
4ポイントをリードしている、首位チームのホームゲームとは思えない展開だ。

選手の質の高さで中盤を制したミランは、右サイドからカフーのオーバーラップで
揺さぶりをかけ、守ってはカラーゼが左サイドで対峙(たいじ)する今シーズン好調の
カモラネーゼを封じ込め、ほとんど仕事をさせない。

ミランの2トップ、バロンドール(欧州最優秀選手)を受賞したばかりの
シェバ(シェフチェンコの愛称)とクレスポの動きも、シャープで何度もブッフォンを脅かす。

まず開始4分にミランが最初のゴールチャンスをつかむ。
右サイドでマークするカンナバーロを抜き去ったシェバが、ゴール前へ低くて速いパスを出し、
クレスポが合わせようと走りこむ。
だが一瞬、出遅れたゼビーナがクレスポを手で引っ張ったため、
クレスポがボールに合わせられずに仰向けに倒れた。
抗議をするクレスポだが、主審のベルティーニはこれを無視して試合は続行。

その6分後には、ユーベ陣内ペナルティーエリア内で、右サイドからピルロが蹴った
フリーキックにカラーゼがヘッドで合わせようとする。
しかし、またしてもゼビーナに押さえ込まれ、カラーゼはジャンプできずに転倒。
しかしこのエピソードもまた、ベルティーニ主審に無視をされてしまう。

何度もミランに攻め込まれるユーベは、相手ゴール前に近づくこともまれで、
まったく攻撃の形を作ることができない。
それでも前半15分には、イブライモビッチが右サイドからゴール前に
クロスを切り返えすシーンが見られたが、ペナルティーエリアからわずかに外にいた
コスタクルタが、明らかにハンドでボールをストップした。
この決定的な瞬間でさえ、主審のベルティーニは無視したのである。


■主審ベルティーニの愚かな判定

主審の名前が発表される前、ミランのアンチェロッティ監督は、コッリーナが
この試合が担当する事を希望していた。
対するユーベ側も、アンチェロッティの希望に異論がないことを表明していた。
しかしコッリーナは、インテル対ブレシアの主審を担当することが決定。
代わりに選ばれたのが、すでに今シーズンに判定ミスを犯していたベルティーニであった。

さて、上記した3つのエピソードのうち、
 1)クレスポが倒されたエピソード
 2)コスタクルタのハンドのエピソード

この2つに酷似したシーンが、実は今節の他の試合でもあった。
しかし、それらの試合では、ベルティーニが下したものとは、まったく正反対の判定が下されている。
 
レッチェ対サンプドリ戦での、1)に似たエピソードでは、主審はPKを与え、
ファウルを犯した選手に対してはレッドカードを与えた。
また、インテル-ブレシア戦では、2)と同様のエピソードがあったのだが、
主審を担当したコッリーナは迷わずハンドの判定を下している。

実はこれらのエピソード以外にも、もうひとつ重大なミスジャッジがこの試合にはあった。
後半、テュラムのパスをカカがカットし、ドリブルで攻め込んだところを
テュラムがファウルで止めたシーンである。
カカは倒れずに、ユーベ陣内に攻め込もうとしたところで、ベルティーニの笛が鳴った。
結果として、フリーキックは与えられたものの、ミランの絶好のチャンスに水をさす、
なんとも愚かな判定があった。

イタリアサッカー協会のカッラ-ロ会長は、試合の判定にビデオを導入する用意がある
と発表したが、この発言はただ単に、間近に迫った次期会長選挙を意識してのものであることは
一目瞭然(りょうぜん)だ。

しかし、もし現実にビデオが導入されるようになったとしても、実際問題として
活用できるのは(FIFAのブラッター会長も発言しているように)
「ゴールが入ったかどうか」だけなのではないか。

それはともかく、今シーズンもこれまでと同じように、審判の判定問題が
毎節のように持ち上がっている。
そして昨シーズン同様、おそらく何の解決策もないまま、
最終節まで問題が持ち越されるのだろう。


■自信を得たミラン、耐え抜いたユーベ

さて、前半はミランがユーベを圧倒したものの、シェバのシュートが
ゴールポストに当たる不運もあり、0-0で終了した。

前半のゲーム内容を総合格闘技にたとえると、常にマウントのポジションから
ミランが圧倒的にパンチを繰り出しているが、ユーべの強固なディフェンスに
決定的パンチを当てられないまま、ラウンドが終了したという感じだ。

後半、ロッカーでカペッロとゼネラルマネージャーのモッジから叱咤(しった)を受けた
ユーベが反撃するのかと思ったが、後半も前半ほどではないにせよ、
ペースは相変わらずミランが握ったままであった。
しかし、この日はミラン選手のシュートの精度が悪く、結局はスコアレスのまま試合は終了した。

ここ数試合、ユーベの選手たちのコンディションは明らかに低下している。
これについては、チャンピオンズリーグの予選が8月から始まったために、
コンディションの調整を1カ月早めたことが関係しているという意見がある。
確かにそのとおりだろう。

しかしそれを考慮しても、首位を行くチームがホームでほとんど攻撃ができなかったことは、
今後のカンピオナートを占う上で、決して無視できないことのような気がする。
それでもユーべは、主審の誤審にも助けられ、何とかミランの猛攻をしのいで
4ポイント差を維持できた。
疲れの出てきた選手を休養させることができる、約2週間のクリスマス休暇もまた、
大きな助け船になるだろう。

一方で、内容で圧倒しながらユーベとの4ポイント差を詰められなかったミランは、
絶好のチャンスを逃したことになる。
だが、この試合内容はチームに大きな自信を与えたのではないか。
ポイント差は縮められなかったが、それでもユーベに対して精神的なプレッシャーを
かけることができたことだけは確かだ。


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1 コメント

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Unknown (オレンジな生活)
2004-12-23 22:03:07
不躾なトラックバックにコメントありがとうございました。となりのとなかい様のコメントのおかげで自分がイメージしていたことを確認できました。ありがとうございました。もう一度ですがトラックバックさせていただきます。失礼しました。



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