A-story

私が生きた証

⑥闇

2021-02-13 22:30:00 | 私の話
友達だと思ってた人達が離れてく怖さ。
悪口が聞こえた。
クラスで余った。
小学6年の時が1番の闇で地獄だった。
めちゃくちゃイジメにあってたわけではない。
過酷な人に比べたら私は、そこまでではないけど、自分がイジメ、仲間外れそう感じたなら、それは、そうなんだよ!
比べなくていい!
私はそういう思いを味わったから。

お父さんにさ、嘘をついても本当の事を言っても怒られた事があった。
お父さんは嘘が嫌い。
でも嘘を言った方が怒られない時が多かった。
子供なりに考える。
お父さんには嘘をつく事で自分を守った。
だって嘘をついた方がその嘘がばれなきゃ叩かれないだもん。
お母さんには本当の事言ってた!
絶対的味方だったからね!
私を受け入れてくれるし!

そして、だんだん友達の顔色を伺う子供になって、だんだん中々友達にも自分の感情を伝えるのが下手というか考えて話すから無言になってしまう時も多々あって、それは友達にとって?で。
何で喋らないの?って気味悪がる人もいた。
ひかれてるのが、分かるから、どんどん話せなくなる。
悪循環。

それでも少しは仲良い友達もいたけど。
でも仲良い友達は少しずるいなぁと思うとこもあった。
私が一緒にトイレ行く時になぜか、トイレ行こうって言えずに後をついて行った感じになっちゃって、その時に違う友達が「気持ち悪い」って言ったら仲良い友達も賛同してた。
ショックだった。
でも私が気持ち悪いからいけない喋らないからいけない。
そう思った。
その仲良い友達は一緒に帰ってくれるし、一緒に朝も学校行ってくれる。
その行動は、ふざけんなって思う人もいるかもだけど、その頃の私には救いでもあったんだと思う。

⑤初恋

2021-02-11 00:30:00 | 私の話
そして現実では、ちゃんと恋できてる!
そう今から暴露すると、私は付き合ったのも遅かった。
恥ずかしい事だと思い、付き合った事あるよってな感じで話した時もあった。
何かこの歳で付き合えてないって恥ずかしいと思ってた。
まぁ、徐々に振り返ろうと、思う!
彼氏って自然に出来るものなのかと思ってた💦
高校生ぐらいになったら出来るかなぁとかね😅
初めて彼氏ができたの、34歳の冬だよ!
色々、婚活の事とかも、書いていくけど、先の話!

両思いになれないけど片想いはしてきて、好きになると一途で、この人だけーってなるんだけど消極的すぎて告白はするんだけど相手はビックリするよねって話!
好きな気持ちが、どんどん大きくなって、ふられても良いから自分の気持ちは相手に言いたいし伝えたい人だ私は!
友達にも、行動力あるよねは、今も言われるし!
安心して下さい、ストーカーにはなりません!
でも、相手と仲良くならない内に告白するから、相手はハテナだよね!
これも、今思えばね😅

で、私の初恋は、これまた、曖昧なんだけど、小3の3学期ぐらいだったと思う!
その相手は人気があった!
顔も、かっこ良かったし、スポーツも出来て、かっこ悪い事をしない人っていう印象!
サッカー部だった!
人を馬鹿にしたり、見下さない人だったと思う!
何かその人を好きになった理由は言葉だった!
私は消極的だったけど、女友達とは話したり笑ったりするんだけど、小3ぐらいから、男子が苦手だった。
小2とかまでは、普通だったんだけど。

今思うと、とか、今思えばって言葉、多々言うと思う😅

今思うと、やっぱ男子が苦手になった理由もお父さんにあるような気がする!
物心ついた時に怖いって思ったのがお父さんだったからね!
男じゃん。

その初恋の人、Kは、私に言った。
何で女とは話したり笑ったりするのに、男とはしないの?風に言われたんだよね。
何か本当の私に気付いてくれたような、そんな気持ちになったのを覚えてる!
意識するのに時間はかからなかった!
Kの事を、かっこいいって話してる女子がいて、その時に自分の気持ちに気付いた!
私の方がKを、かっこ良いと思ってるしって!
そして、やはり顔もタイプに入ってた!

Kとの1番の思い出は雪合戦したなぁって😄

小3ぐらいから中3の終わりまで、ずーっと好きだったなぁ!

Kとの思い出は又書く!

言葉って大事だよね!
悪くにも良くにもなる!
言葉で繋ぎ止めれる事ってあるよ!
繋ぎ止めれない事もあるかもしれないけど、私は言葉の力を信じてる!
私は自分の心では、おさまらない怒りや、暴言をノートに書いて発散するようになった!
そして良い言葉も書く事で光を見つけれた。
闇を歩いてたのは私自身だった!
まずは、自分を許して、自分を好きになろうって!
自分を大切にしようって!
自分を大切にしてないから光を探せなかったんだって!
どんなに傷ついても、傷ついても探すしかなかったから!
探す事を諦めたら何も変わらない!
私は傷ついても探して良かった!


④今思えば

2021-02-10 01:35:00 | 私の話
私が物心ついた時に、かっこいいと思った人って、光GENJIの佐藤敦啓さんだったと思う!
年上好きだったのかな😅
あっ君て呼んでた!
でも恋とかじゃなくて、普通に、かっこいい男の人って思ったのって、あっ君だった!

それで小3だったか小4だったかは曖昧だけど!
人間失格っていうドラマで初めて堂本剛さんを観た!
ビビッてのは、この事だろう!
もう本当にビックリするぐらい顔がドストライク中のドストライク❤️
その時から今も1番好きな芸能人は堂本剛さんは、ぶれてない!
最初、俳優なのかと思ってた!
でも芸能人だし恋愛の好きではないって思ってたけど、今思えば、一目惚れだったのかもなぁ!
つよと、呼ばせてもらってます!
つよに本当に恋をする日がくるのは、まだ先の話!
芸能人に恋とか気持ち悪いですよね!
でも、それを認めた時に私は楽になれたから、つよに、恋した事誇りに思ってる!

自分の中でやっぱ顔って大事で、誰もがストライクゾーンというのは、持ってると思うし!
顔は全く気にしないって言う人いるけど、嘘だと思う😅
まぁ本当にそういう人はいるかもだけどストライクゾーンが広いんじゃって!
勿論、性格とか一緒に居て落ち着くとかも大事だよ!
でも、それでも私は顔が微塵もタイプじゃないのは無理だな!
どんなに大事にされても、一緒にはならないかなぁって!
あくまでも個人の意見だから、そういう考えもあるんだーぐらいに思って下さい!

勿論、光一君も好きです!
つよの、相方が光一君で、ありがとうって思ってるぐらい好き!
ただ、つよが別格すぎて、つよの話ばかりになるのは、ごめんなさい!
度々私の人生には、つよは、でてくる!
なんせ、つよは私の心を救ってくれた1人だから!
それは今も昔も変わらない!
つよと、同じ時代に生きれてるだけで、幸せって思うほどの存在!
だから、かれこれ30年、つよが好き!
一途なのだ☺️
つよは、ラブファイターだから🥰


③お祭り

2021-02-09 11:45:00 | 私の話
小学3年ぐらいの時に、大好きだった従姉妹のお姉ちゃんと、いきなり会えなくなって毎日の様に泣いてたなぁ。
今となってはMちゃんが何歳かも知らないし、誕生日も知らない。
多分3個か4個上かな。
本当に、その時から今も会えてない。
二十歳までには絶対見つけてみせるって思ってた。
だから二十歳が近付くのが嫌だった。
ずっと子供で居たいとか思ってた。
だって、ちっとも会えないんだもん。

Mちゃんとの思い出。
プールにも行ったし、花火もした、お泊まりして、ゲームして、ぬいぐるみで遊んだ!
一輪車、ローラースケート!
公園行った!
その頃住んでた私のマンションの屋上でも良く遊んでたなぁ!
茨城の海にも行った!
茨城はお父さん親戚が住んでた!
お父さんは九州出身!
九州に居た親戚が茨城に住んでたから茨城は良く遊びに行ってた!

お母さんに「何でもう、Mちゃんは来ないの?」って聞いた時に一言、「お父さんが‥弟と喧嘩した」って言われて、小さいながらに全てを悟って、本当にもう二度と会えないかもしれないと悲しかった。
友達といるより正直その頃はMちゃんと居た方が楽しかったから!
学校から帰って来るとMちゃんが来てると凄く嬉しかったのを今でも覚えてる!
嫌な事があっても、Mちゃんの顔見ると元気がでた!

Mちゃんに会えなくなったのは一緒にお祭り行ったのが最後だったのかな。
最高に楽しかったのに、悲しい日にもなった。
Mちゃんは、もう会えなくなるの分かってたのかもしれない。
いつも私達は、「またね😊✋」でバイバイしてた。
その日、私が何度も、またねって言ってもMちゃんは答えてくれなかった。
それでも別にお祭り嫌いにはならなかったけど複雑は複雑だったかな。

感情はボロボロだよ!
楽しかったのに、もう二度と会えないって何?

この頃から青空見るのが好きになったのかな。
生きてるMちゃんの街まで空は繋がってるって思ってたから!



②天使と悪魔

2021-02-08 01:50:00 | 私の話
お母さんが天使で、お父さんが悪魔。
そんな対象的な2人に育てられた私は小学校6年生ぐらいに不安定になった。
もしかしたら小3ぐらいから心はボロボロだったのかもしれない。
とても深く考える子供になったから本当の友達なんていなかったのかもしれない。
仲良い子はいたし、遊んだりはしてたけど。
何だか消極的すぎて嫌われてたと思う。
消極的になった理由はお父さんが関係してた。

それと同時に自分が嫌いだった。
お父さんの血が入ってるってだけで好きになれなくなってたのかも。
お母さんの血より、お父さんの血の方が濃かったら、どうしようとか。

今でも鮮明に覚えてる。
確か小学校3年生か4年生だったような。
お父さんに頬を✊で殴られた事が1度だけあって。
それは確かに嘘をついた私が悪かったかもしれない。
でも✊で殴るほどでは絶対にない。
その頃苦手な友達がいて、遊ぼうと言われて連続で遊んでたし今日は嫌だと思って用事があると断ったのをお父さんが聞いてて嘘をついた、遊んでこいとか言われた。
殴られた後に遊ぶの?
そんなの言葉で言えよ!
私はお父さんからの愛の言葉が欲しかっただけ。
優しい言葉が欲しかっただけ。
さすがに泣いた。
私はお父さんに負けたくないと思うようになって不良とかにはならなかったけど、お父さんに歯向かうようにはなってた。
泣かないって思った!
どんなに殴られても怒鳴られても私は泣かなくなった。
お父さんの前ではね。
影では泣いてた。
お父さんに言われた言葉で嬉しくないと思ったのは「Aは泣かないで偉いな
H(弟)はすぐ泣く」
はっ?
泣いてんだよ後で!
Hは泣く?
悪魔が叩きすぎだからだろ!
普通泣くんだよって思った。
Hの頭をサッカーボール蹴るように、蹴ってたのは私も怖くて守れなかった。
本当は、庇いたかったけど出来なかった。

お母さんは、私がお父さんに殴られてた時、身を寄せて庇ってくれた!
守ってくれた!
だから尊敬してる!
勿論、お母さんも離婚とか考えた!
でも子供2人を育てるのは簡単じゃないし、暴力は毎日ではなかったし、お父さんが離婚届け破ったらしい。
ある意味、私達の大黒柱は精神を支えてくれた、お母さんだと思ってる!