goo blog サービス終了のお知らせ 

てつがくカフェ@いわて

てつがくカフェ@いわてのブログです。

伊藤若冲展の後期開始!

2013-06-19 14:41:35 | 文化

スタッフの八木です。

このブログではてつがくカフェ関連の記事以外にも、様々なカルチャーについて言及した記事もポツポツと載せてゆこうと思いますので、お時間のある時にでもご笑覧いただければ幸いです。

岩手県立美術館 企画展「若冲が来てくれました - プライスコレクション 江戸絵画の美と生命 -」の後期が昨日(6/18)から始まりましたね。

http://www.ima.or.jp/ja/concept/news/460-news20130518.html

伊藤若冲は江戸時代の絵師で、「奇想の画家」なんて言われていて、日本の現代美術家である村上隆なんかにも影響を与えている人です。

僕は前期も観に行きましたが、とても面白かったです。

鮮烈な色彩感覚やリアルな実物写生にも圧倒されますが、動物の表情が漫画絵のようになっているものがいくつかあったのは興味深かったですね。キャラっぽいというか。かなりシュールレアリスティックな部分があるなぁと思いました。

後期も観に行く予定ですが、非常に楽しみですね。

 

辻惟雄の『奇想の系譜』http://www.amazon.co.jp/%E5%A5%87%E6%83%B3%E3%81%AE%E5%9B%B3%E8%AD%9C-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E8%BE%BB-%E6%83%9F%E9%9B%84/dp/4480089098/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1371619882&sr=8-2&keywords=%E8%BE%BB%E6%83%9F%E9%9B%84%E3%81%AE%E3%80%8E%E5%A5%87%E6%83%B3%E3%81%AE%E7%B3%BB%E8%AD%9C%E3%80%8F

という本が伊藤若冲を曾我蕭白、長沢芦雪などと並べて再評価した本として非常に有名ですが、これで事前学習してから美術館に行くとより理解が深まるかと思います。

 

あ、上の話とは全く無関係ですが、この本面白そうですね。

『ラッセンとは何だったのか?』

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4845913143/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4845913143&linkCode=as2&tag=fapr-22

クリスチャン・ラッセンにはあまり詳しくないので読むのが非常に楽しみです。(八木)


<てつがくカフェ>とは?

2013-06-14 12:26:16 | 告知

<てつがくカフェとは?>  

1992年、フランスの哲学者マルク・ソーテという人が、パリの「カフェ・デ・ファール」というバスチーユ広場の一角にあるカフェで「てつがくカフェ」を最初に開きました。毎週日曜日、市民がカフェに集い、自由に議論するスタイルが、賛同者たちを生み出し、以来世界各地でカフェが開かれ活発な議論が行われています。日本でも、大阪、京都、東京、仙台、福島などで頻繁に開かれています。
 ひとつのテーマについて自由に話し合いますが、普通のおしゃべりとの違いは、何でしょうか?それは、ファシリテーターという進行役がいるということです。皆さんのさまざまな意見を拾いながら、ある程度方向づけする存在です。といってもこのファシリテーターが絶対的な権威を持つものではなく、主役は参加者みなさんです。てつがくカフェには特権的な人はいません。そのため自分の上司や先生、先輩であっても、カフェではお互いを「・・・さん」と呼び合います。もちろん名前、職業を言う必要もありません。このような「セーフティー」な場が守られ、自分の内からゆっくり紡ぎだされる言葉を大事にします。
 「てつがく」といっても、専門家しか分からない難しい言葉で、相手をやり込めるためにけんけんがくがくと論争するのではありません。知識が多いかどうかを決める場所でもありません。また、何か結論をださなければいけないということではなく、日ごろ感じている<問い>を言葉にしてみたり、当たり前だと思われていることを問いにかけ、その根拠を説明してみる、といった過程をみなさんで創りあげていく開かれた<対話>の場です。<ことば>にすること自体に正解/不正解はありません(たとえば、「被災者とは誰か?」「「復興とは何か?」「体罰はなぜいけないか?」など)。

 てつがくカフェは時間をかけて丁寧に言葉にしていく過程を大事にし、思考を逞しくしていく作業です。物事の白黒、善悪、真偽を決める場でもないし、凝り固まった結論ありきの態度で思考の自由な動きを停止する場でもありません。その代わりにもう一度前提を疑って、崩して、さまざまな意見を取り入れ、自分自身の言葉で考えを築いていく、このようなプロセスが思考をたくましくしていくと考えます。もしその場で考えがまとまらなければ、何もしゃべらず聞いているだけでもいいし、逆に家に帰ってから問題を「考え続ける」ことの方に重点を置きます。

皆さんそれぞれの目に映る日頃の具体的な出来事と、それからちょっと離れて他人のさまざまな視点を取り入れ、やりとりをしてみる、このような自由な<語り>の場へぜひお気軽にお越しください。お待ちしております。


てつがくカフェ@いわては今回で5回目を迎えます。
今までの経緯は

第一回 「善意とは何か?」               (盛岡市 「アイーナ」)
第二回 「故郷とは何か?」               (    〃       )
第三回 「映画<声の届き方>から届くこと」    (     〃      )
第四回 番外編 「<喪失>の言葉/<和解>の言葉」 (宮古市「りあす亭」) 
                             ↓

第五回 「震災後の共同体のゆくえ」    (於 盛岡市 「アイーナ」) 
開催日時:7月7日(日曜)14:00~2時間程度  
場所:アイーナ(岩手県盛岡市盛岡駅西通り1丁目7番1号)
    6F和室(606 607 608)


第5回てつがくカフェ@いわて開催のお知らせ

2013-06-13 16:55:50 | 告知

第5回  てつがくカフェ@いわて開催のお知らせ

 

テーマ:『震災後の共同体のゆくえ』

場所:「アイーナ」(岩手県盛岡市盛岡駅西通1丁目7番1号)6F和室(606 607 608)

日時:7月7日14:00~(2時間程度)

ファシリテーター:房内まどか(東北大学大学院)

【広告文】

『震災後の共同体のゆくえ』

「震災でぼくたちはばらばらに なっ てしまった。(中略)ぼくはさきほど、震災でぼくたちはばらばらになってしまったと記した。正確にはぼくは、震災前からぼくたちはばらばらだった、震災はそれを明らかにしただけだと記すべきだったのかもしれない。」

 思想誌『思想地図β』の編集長である東浩紀は、この雑誌の震災特集号の巻頭言で上のような文章を書きました。東浩紀の文章にあるように震災は、地域の差、貧富の差、被害の差、年齢の差など、あらゆるところで、残酷なまでにクリアな分断線を引いてしまったのかもしれません。そしてその分断線の表出は人々に対して「連帯」の必要性を促すものであったこともおそらく間違いありません。

 その証拠として、あらゆるメディアで「絆」の必要性や「共同体」の重要性が説かれました。それは「がんばろう、日本」というスローガンなどにもよく表れています。一方で、そういった「連帯」を志向する言葉に対して反発を覚える声も多く聞こえてくることも事実です。その反発は、メディアで「連帯」が説かれ過ぎていることへのアレルギーという面もあるでしょうが、中には本質的な批判もあります。その批判というのは「私たちはばらばらだから容易には連帯できない」というものです。

 例を挙げましょう。釜石市では、同じ市内でもその地域によって被災の度合いが全く異なっています。ですからそこで「同じ被災者として連帯を」と言われてもそれは困難だ、という意見を耳にしたことがあります。おそらくこれに似た意見は釜石のような被災地だけでなく、それ以外の地域にも数多く存在していると思います。  

 震災によって、「ばらばら」に気づき、「連帯」を求め、さらにそこで「ばらばら」を再認識する。おそらく、今現在、私たちが置かれている状況はこのような円環構造だと思います。私たちは震災前、「なんとなくの一体感」によって「なんとなくの共同体」を形成することで日々を過ごしていました。しかし震災後には、その「なんとなく」の部分が取り払われて剥き出しの現実に放り出され戸惑っています。この「なんとなく」はおそらく二度と戻っては来ません。では、この「なんとなく」が失われた後に私たちはどのような「共同体」を作ることができるのでしょうか。そのことについて話し合ってゆきたいと思っております。   

                      (文章 岩手大学大学院農学研究科 八木晧平)