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てつがくカフェ@いわて

てつがくカフェ@いわてのブログです。

てつがくカフェ@いわて 広告文アーカイヴ ③

2013-06-24 11:10:21 | アーカイヴ

                                                                     2012/07/22

 

第3回 てつがくカフェ@いわて -シネマ編―

 

<テーマ>

『声の届き方』(制作:伊藤照手)から「届く」こと

 

 2011年3月11日に発生した東北太平洋沖地震と地震に伴って発生した津波により、福島第一原子力発電所1~4号機はすべての電源を失い、大量の放射性物質が大気中に放出されるという未曽有の悲惨な大事故が起きてしまいました。現在も福島住民の方々は長期にわたる避難生活を余儀なくされています。まだ酪農水産物の一部出荷規制など、周辺地域の深刻な状況が続いています。

 そんな中、昨年11月13日仙台市定禅寺通りで<反原発ウォーク・デモ>が行われました。今回取り挙げる伊藤照手さん制作の映画は、その<反原発ウォーク・デモ>に対する仙台市民の反応のインタビュー記録(今年1月実施)です。そこに登場するのは様々な層の市民の方々の率直な反応です。反原発、親原発はもちろん、原発という高度な科学の専門性が絡むことが原因で、態度決定すること自体に躊躇している方々など、リアルで多様な声が記録されています。それはそのままタイトル通り「声の届き方」を象徴しているように思います。

 では、親原発にしろ、反原発にしろ、二者択一的な態度決定のパフォーマンスを声高に叫べば叫ぶほど、そこに一種の怖さを感じる人がいるのは何故でしょうか?また発信しているメッセージが、意図と真逆に受け取られたり、その逆で、伝えようとしてなくてもうまく伝わったりするのは何故でしょうか?そして自身の思いやメッセージを伝えるために、なぜ<デモンストレーション>という表現手段を取るのでしょうか?

 このインタビュー記録は、私たちが日常的には信じて疑わないけれどもコミュニケーションに内在している本質的な問題を呈示しているのかもしれません。

 シネマてつがくカフェでは、監督論や映画の技術の優劣を論じ合うのではなく、映画の中にある普遍的なテーマを抽出し、そこに問いを立ててみなさんで議論することにその趣旨があります。また、自身の態度が決定されてから、その主張でもって相手を説き伏せることに目的があるのでもありません。立場に固着し思考停止するのではなく、その動機や根拠を問い直し、自由に話し合い、もう一度自分自身の言葉で捉えなおす作業に意義を見出します。

 皆さん、ご承知のように、関西電力大飯原発3・4号機(福井県おおい町)の再稼働が始まり、それに反対するデモも各地で行われています。この状況の中で、通算3回目のてつがくカフェ@いわては、シネマてつがくカフェのスタイルをとり、みなさんでデモに関する映画をてつがくしてみたいと思っています。

                                                            (文責:加賀谷昭子)

※この回は映画を作成した伊藤照手さん(当時東北大学)とその制作に関わったご友人にお越しいただき、カフェに参加していただきました。ファシリテーターは岩手大学農学研究科の八木晧平さんでした。その様子は2012年7月23日付けの岩手日報、8月17日付けの朝日新聞で知ることができます。

 


てつがくカフェ@いわて 広告文アーカイヴ ②

2013-06-24 10:42:50 | アーカイヴ

                                                                                       2012年 3月10日

第2回 てつがくカフェ@いわて

 

<テーマ>

■ あなたにとって<故郷>とは?

 

 今回のテーマは「故郷」です。故郷とは単なる「土地」か、幻想か。それとも「今、ここの自分」にとって大切なものなのか。

 盛岡を故郷とする人にとって、「故郷の盛岡」とは何でしょうか。岩手川や石割桜などの自然、盛岡城跡やちゃぐちゃぐ馬っこなどの歴史・文化。もし、これらのどれかが消えてしまったら、寂しさや違和感がありませんか。以前。桜山神社の参道整備計画で生じた問題には故郷についての問題が含まれていたのではないかと思います。

 2011年3月11日、大きな地震がありました。津波が街を流し、原発は爆発しました。住み慣れた土地の変わりようを目の当りにし、離れることを余儀なくされる人々がいます。これまでのこと、そしてこれからについて人々が向き合うとき、「故郷」の問題が浮かび上がります。

 同年6月26日、平泉が「世界文化遺産」に登録されます。「平泉を岩手のシンボルに!」という言葉も聞かれます。しかし、平泉という一つの地域が岩手県という全体に結び付くことは、実はとても不思議なことに思います。また、世界にHIRAIZUMIとして発信されること、観光の対象となること、これらは平泉町住民にとって、あるいは日本人にとって、どのような意味があるのでしょうか。

 故郷とは単なる土地のことでしょか。市町村合併の結果、故郷の名前が変わってしまったとき、寂しさを感じた人も多いと思います。故郷の風景、故郷の思い出、故郷の味・・・・。これらの言葉に違和感がなければ、故郷には土地だけではない、他の意味があるように思われます。

 故郷とは、定住を前提とした場所なのかもしれません。子どもの頃に歩いた畦道、カエルの合唱、キンモクセイの香り・・・・故郷と言われて思い出す、私たちの身体に基づいたこれらの記憶も、故郷に関連があるのかもしれません。

 故郷とは幻想に過ぎないのでしょうか。今回は、岩手県山田町役場(建設課建築住宅係)で勤務され、現在仮設住宅の運営を担当されている横田龍寿さんに、ご自身の故郷・山田町の現状を語っていただき、みなさんと<故郷>について考えてみたいと思います。
                                                         (文責:山田修司)

 

※第2回目の広告文は、当時岩手大学の学生だった山田修司さんに作成していただきました。カフェの様子は2012年3月11日付けの岩手日報で知る知ることができます。

 

 

 

 


てつがくカフェ@いわて 広告文アーカイヴ ①

2013-06-24 09:50:06 | アーカイヴ

                                                              2011年12月10日
第1回てつがくカフェ@いわて

<テーマ>

 
善意」とは何か?


 東日本大震災の発生から、9か月が経とうとしています。この間、私たちは深い悲しみに向き合うと同時に、今まで当たり前とされていた生活様式やものの見方に対し、「本当にこれでいいのか」と疑問を抱かざるを得ない状況に、何度も直面してきました。そして、それらの疑問のほとんどは今も答えが出ないまま、頭の中に残りつづけているのではないでしょうか。
 
 そのような中、かつてないほどの「善意」が、国内にとどまらず世界中から被災地(者)に向けて発せられたことの、私たちが目にしてきた事実のひとつであると思います。被災地でのボランティア、物資の提供、チャリティー・イベントの開催、「がんばろう」「絆」といったメッセージなど、形はさまざまですが、実に多くの人が「自分にできることを」と何らかのアクションを起こしていました。
 
 しかし一方で、そうした「善意」が必ずしも被災地(者)の実情をくみ取っておらず、需要と供給のミスマッチが生じたとの報道も聞かれました。この話から連想されるのが、私たちが日常的に遭遇する「ありがた迷惑」「大きなお世話」「偽善」といった事態です。他人からの「善意」に対し、たとえ迷惑でもありがたく受け取らなければならない、と義務感を感じたり、他人への思いやりを「お節介」「偽善」と受け取られそうで、行動にブレーキをかけたりした経験が誰しもあるのではないでしょうか。そして、これに近い感情の抑制が、今回の震災における「善意」の送り手と受け手にも、数多く生じていたのではないかと思います。
 
 そもそも「善意」とは、行う人を主体とする概念であり、「他人のためを思う心。好意」と定義されています。他者を対象とする以上、分からない部分は想像力で補うしかなく、祖語が生じるのは仕方のないことだといえます。しかし、良かれと思ってさえいれば、受け手がどう思うかに関わらず「善意」として成立するのでしょうか。あるいは、相手のことを全く思いやっていなくとも、結果として受け手のためになればそれは「善意」となり得るのでしょうか。こうした問題について皆さんとともに考えたいと思います。
 なお今回は特別に、今回の東日本大震災による約40mを記録した津波で、曾祖母、お母さま、お子さまを一騎に亡くされ、現在も保育士を続けておられる宮古市田老地区の佐藤梨里さん
をゲストに迎え、被災者の立場で発言していただくことにしています。

                                                                          (文責:吉田美紀)

 

 ※第1回てつがくカフェ@いわての広告文は当時岩手大学の学生だった吉田美紀さんが作成してくださいました。岩手で初めてのてつがくカフェということで、岩手日報の取材を受け、多数の参加者でのてつがくカフェとなりました。その様子は2011年12月11日付けの岩手日報で知る事ができます。ファシリテーターは@せんだいの西村高宏さん(東北文化学園大学准教授)、グラフィックは近田真美子さん(東北福祉大学講師)にお手伝いいただきました。 


南相馬市でのてつがくカフェの回想 1

2013-06-19 19:09:27 | イベント

南相馬市でのてつがくカフェの回想

私(加賀谷)は6月16日に行われた南相馬市でのてつがくカフェに参加してまいりました。
ファシリテーターは、(大阪大学出身で臨床哲学を勉強なさった)現在中学校の先生をなさっておられる方でした。
場所は原町生涯学習センターの一角。参加者は全部で9名。

てつがくカフェの前に、夜回り先生で有名な「水谷修」さんの講演会があった影響もあり、テーマは「いのち」。
テーマをその場で決めるスタイルのアット・ホームなてつがくカフェでした。
そして特徴的なのが、「コミュニティーボール」という、いろんなカラーの入った毛糸の糸がぼうぼうでているボールを発言者にパスして、発言者はそのボールを触りながらしゃべりだす。口ごもったら、言葉にならなかったら、手で指で毛糸を撫でて、自分の言葉が零れてくるのを待つ・・・。その待つしぐさが、少しはにかんだ所作が雄弁に流暢に語る・・・・。音声はなくても均質な沈黙はなく、空間には逆に表現が過剰なほどあふれていた。「しゃべらなくていい。それでいい。」とファシリテーターはおっしゃっていた。参加者の15歳の少女は言葉はしゃべれなかったけど、彼女の身体は全身で豊かに語っていた。その不器用さ、躊躇、逡巡、大胆さ、迂回・・・不連続な動き、・・・彼女の思考が言葉へと受肉する前の、その彼女だけの<かたち>が美しかった。

以下、てつがくカフェで話された会話を断片的に紹介します。

会話では岩手、仙台のてつがくカフェでは見られない「線量」が日常会話の中で普通に出てくることに正直戸惑う。
あそこの地区はちょっと線量が低い」、「神社とか高地では高い」・・・
そういえば今日、近くの公園で放射能を測定する機器を初めて見た。線量を表す数字は秒ごとに微妙に変化しつづけていた。
これが今の福島の日常。

>水谷先生の講演会で食べる「餃子」を作ってきた女性への電話での問い合わせ。「どこの産地の食材を使ってるの?」

>東日本大震災の義援金が集中したときは、UNISEFへの募金が集まらなかったという事に対する複雑な思いを語る女性。

>臓器移植手術を待っている知人がいる女性の複雑な思い。「誰かが死ぬのを積極的に待っている」ことに対する負い目。
臓器をもらって助かったとしても大きなプレッシャーがある。

>「反原発/原発推進」と表立って言えない雰囲気。「あの地域は原発推進派が多い」「私の子供は原発で育てたもんだからね~、と言われると何もいえないよね~」、奇妙なお互いへの無関心。線量を気にする人、気にしない人、そのどちらか人を見て意見を変える。

>自主避難する人、地元にとどまる人、仕事を持つ父親と避難した母子の二重生活、いろいろな選択があった。

>自分の思いを語れる<安全>な場所がない

などなど、話しはいろいろな方向へゆっくりそれぞれの口から紡ぎだされていった


「いのち」という事で、水谷先生の話にもあった沖縄戦での防空壕での民間人虐殺を思い出す。
700人いて助かったのは、一番年少のこども14人。
最年長のものから順に爆撃に向けて身体をはり、大きな<人の壁>を作って必死に「身代わり」になり、小さな命を守った。

「今ここにある命は、圧倒的に多くの「捨てられた」命の犠牲の上に成り立っている」、そう水谷先生は言っていた。

「なぜ、あの人が犠牲になって、私は生き残っているのか?」と強く問いかけた女性は「震災が私を哲学者にした」と語っていた。

答えはもちろん出ない。でも誰かに<対して>形にならなかった何かをかたちにしていく作業、いや言葉を「発した」という出来事自体、私はその行為自体が何か芸術的な表出のように見えて、とても美しい行為に思えた。


【追加宣伝】 第5回てつがくカフェ@いわて [岩手×宮城]編

2013-06-19 18:40:34 | 告知

―【追加宣伝】―

第5回てつがくカフェ@いわて  [岩手×宮城]編

先日お知らせしました、来る7月7日の「第五回てつがくカフェ@いわて(和スタイルでの<和室で坐カフェ>)」の追加宣伝です。
今回のファシリテーターは「てつがくカフェ@せんだい」さんで活躍中の房内まどかさん(東北大学大学院文学研究科)です。
いわてのてつがくカフェ@いわてのメンバ―である私(加賀谷昭子)は、現在東北大学在学中で仙台在住でして、一昨年
仙台に来てから、@せんだいのメンバーの方々とも親しくさせていただき、今回このようなちょっとしたコラボが実現いたしました。

房内さんは仙台のてつがくカフェで「分断線」や「震災の終わりとは?」といったテーマでファシリテーターをやったこともあり、
「語る」ことの大事さ、てつがくカフェの意義などを理解していらっしゃるエネルギッシュな女性です。
今回の岩手とのコラボも快諾してくださいました(房内さん、ありがとうございます)。

そして、今回のテーマ『震災後の共同体のゆくえ』の広告文を考えてくれたのは、岩手のメンバーの一人でもある岩手大学農学研究科在学中(兼音楽ライター)の八木晧平君です。彼は第一回目のてつがくカフェから力強くてつがくカフェの企画・運営に協力してくれ、また多岐に渡る活躍をしているバイタリティーあふれる男性です。この方の好奇心の射程はいまだに未知数です。

この組み合わせだけでも考えただけでわくわくいたします。

そして色々と影で私たちの活動を支えてくださっている先生、今回新たに協力してくださる一女性とともにいつもと一味違った<てつがく>を楽しみたいと思っております。

7月7日、七夕の日green tea?を飲みながら「てつがくカフェ」でお会いしましょう!!