2012/07/22
第3回 てつがくカフェ@いわて -シネマ編―
<テーマ>
『声の届き方』(制作:伊藤照手)から「届く」こと
2011年3月11日に発生した東北太平洋沖地震と地震に伴って発生した津波により、福島第一原子力発電所1~4号機はすべての電源を失い、大量の放射性物質が大気中に放出されるという未曽有の悲惨な大事故が起きてしまいました。現在も福島住民の方々は長期にわたる避難生活を余儀なくされています。まだ酪農水産物の一部出荷規制など、周辺地域の深刻な状況が続いています。
そんな中、昨年11月13日仙台市定禅寺通りで<反原発ウォーク・デモ>が行われました。今回取り挙げる伊藤照手さん制作の映画は、その<反原発ウォーク・デモ>に対する仙台市民の反応のインタビュー記録(今年1月実施)です。そこに登場するのは様々な層の市民の方々の率直な反応です。反原発、親原発はもちろん、原発という高度な科学の専門性が絡むことが原因で、態度決定すること自体に躊躇している方々など、リアルで多様な声が記録されています。それはそのままタイトル通り「声の届き方」を象徴しているように思います。
では、親原発にしろ、反原発にしろ、二者択一的な態度決定のパフォーマンスを声高に叫べば叫ぶほど、そこに一種の怖さを感じる人がいるのは何故でしょうか?また発信しているメッセージが、意図と真逆に受け取られたり、その逆で、伝えようとしてなくてもうまく伝わったりするのは何故でしょうか?そして自身の思いやメッセージを伝えるために、なぜ<デモンストレーション>という表現手段を取るのでしょうか?
このインタビュー記録は、私たちが日常的には信じて疑わないけれどもコミュニケーションに内在している本質的な問題を呈示しているのかもしれません。
シネマてつがくカフェでは、監督論や映画の技術の優劣を論じ合うのではなく、映画の中にある普遍的なテーマを抽出し、そこに問いを立ててみなさんで議論することにその趣旨があります。また、自身の態度が決定されてから、その主張でもって相手を説き伏せることに目的があるのでもありません。立場に固着し思考停止するのではなく、その動機や根拠を問い直し、自由に話し合い、もう一度自分自身の言葉で捉えなおす作業に意義を見出します。
皆さん、ご承知のように、関西電力大飯原発3・4号機(福井県おおい町)の再稼働が始まり、それに反対するデモも各地で行われています。この状況の中で、通算3回目のてつがくカフェ@いわては、シネマてつがくカフェのスタイルをとり、みなさんでデモに関する映画をてつがくしてみたいと思っています。
(文責:加賀谷昭子)
※この回は映画を作成した伊藤照手さん(当時東北大学)とその制作に関わったご友人にお越しいただき、カフェに参加していただきました。ファシリテーターは岩手大学農学研究科の八木晧平さんでした。その様子は2012年7月23日付けの岩手日報、8月17日付けの朝日新聞で知ることができます。