なんと!免許不要、しかも20万円以下のお金で4人乗りの船外機付のお船が買えのですョ~。

スクーター、パソコンと同金額程度で、規制緩和のおかげで免許無くとも、船外機付のお船のオーナになる事が出来た。その航海記。

H24年7月下旬利根川下流航海1

2012-07-24 00:47:32 | 利根川下流域

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最後にボート乗ったのが昨年の3年も後半の11月13日。それから色々大事に巻き込まれ、冬自体はボート乗るのも寒いし、病状も冬は悪化気味だ。そんなこんなやってて、未だに未解決の大問題抱えながらも、久々にボートでロングランを計画した。

予定では約100㎞にも及ぶ坂東太郎こと、日本第2の大河利根川の下流域下りをやろうと思った。予定では我孫子市のゆうゆう公園から利根川を下り、要所要所でテントに泊まり、疲れ蓄積したらホテルか旅館に泊まり、最大で3泊4日かけて銚子から太平洋に出て日本のドーバーと言われる屏風ヶ浦と上手みたいな~でも波半端じゃなさそうだな~とか計画していた。

で、まず自宅出て45分程でゆうゆう公園に到着。

   

左から「ゆうゆう公園駐車場からトイレを見る」。2枚目「トイレと水飲み場と水道確認。」これ舟遊びには重要。3枚目「ゆうゆう公園地図」。とにかく広い。4枚目「駐車場から出航予定していた水上ステージまで、距離が300M以上あって荷物を車でそばに運べないのが辛い。」というのを地図に書いてみた。という事でここ却下。銚子方面に車進める。

   

下流へ車を進めていると、土手になんか良い感じの木下河岸と言う場所に駐車スペースとかあるので偵察開始。左から1枚目はその辺の地図。2枚目「木下河岸跡の看板」昔はかなり賑わっていたそうです。3枚目「木下河岸の周辺見渡すが、跡はその欠片すらもはやない。」強者どもが夢のあと状態。で4枚目「ついに車ですぐボートおろせそうな場所発見。」ただしここは軽量なカヤックか私の様なゴムボートならではの出航地たりうるだろう。でボート組み立て開始、今回は最大3泊の予定と荷物多かったので1時間半出航まで準備に要した。で出航は昼近くとなった。あらかじめ買っておいた昼食はボート上でなく、車の中で食べることになってしまった。で船出。

しかしこの日は、事前に週間天気予報見ていて安全と思っていたのだが、実際大違いの天気で気温が8月近くになる時期とは思えないほどの低さであった。豪雨とか暴風とかはないのだが、東の銚子方向からは3M~5M程度の風なのでこれは大した事はなかったのだが、太平洋が荒れているのだろうか?波が上流に向け押し寄せ、川の表面は三角波だらけであった。以下はその時の動画。(設定ミスで画像が荒くなってしまったが一応参考で張ります。)

 

2馬力船外機スズキDF2平成24年7月利根川下流下り.mp4

 

そんなかんなしながら航行中トラブル発生。舵を動かしスロットルを調整するバーがバキっと折れてしまった。下左一枚目はその部分を夜撮影したもの。2枚目「燃料補給の為、波が荒いので仕方なく砂地に上陸しおこなった。」3枚目。「遠目に何か変な物が見えるので接近したら牛だった!w」

  

と航海をしてても、波は相変わらず収まる気配がない。むしろ夕方にかけて酷くなる一方だった。水門奥の水路が見えたので、本日中に香取市の佐原まで行きたかったのだが断念。そこに避難して時間ももう夕方だったので、この日はこの水路で係留かな?と思って侵入したらプレジャーボートの簡易マリーナみたいなのがあった。とりあえずスロープにボートを引き上げて、隣の家が多分管理者?と思い1晩幾らかのお金払うので使わしてほしい旨を伝えに行く。すると夕食作っている主婦の方が出てきて、そこはうちのじゃないの。でも管理者紹介してあげるから1晩位お金平気よと言った感じで言われる。で管理者に電話してくれて、私が事情説明の為に電話お借りして管理者の方に上記の旨を伝えると、1晩ならそのまま使ってくれてOKと言ってくれた。で奥様に電話返すと、食事どうするの?と聞かれるのでコンビニに買に行くと伝えると、なんと奥様車で連れてってくれると言う。え???だって食事作ってるけど平気なんですか?しかも私船で波かぶりまくりで、濡れてますし、ドロ臭さも少しあるから、流石にそこまでご厚意には甘えるのは辞退した。しかし、このブログでも何度か書いているけど、人口少ない地域の方ってほんと、心に余裕あるとゆうか、互助的考えが凄いしっかりしているというか、困っている人にものすごい協力的なんですよね。この辺は首都30キロ圏の住人としては、すごい恥ずかしくなる。やはり人口多い所の人間は生活は便利だし、色々一見した娯楽等の楽しみも多いけど、反面ぎすぎすしている。

私は東京の浅草と上野と秋葉原の中間の中御徒町で生まれ育ったけど、もちろん都会の住人でも生まれ育ちの江戸っ子は情に厚いし、商売っ気も薄くて客から金多く取りたがらないから、あまり商売してても金持ち居ない。しかしこの辺は全国から人が上京してきて、上京したモン同氏は実にギスギスしている。都会もんが冷たいとかいうのは、都会の地元民が冷たいんじゃない。日本中から上京してきた者同士隣近所になって、挨拶もしないという地方の人のせいである。また悪さするのも9割が上京者でもある。で私も都内離れて今千葉に引っ越している訳だが、なんとなく地元の農家の方と新興住宅の住人には見えない壁があるし、そういう意味でのよそ者はやはり、今時を反映してか、マンションでも戸建でも、隣近所とは最低限の付き合いしかない人がほとんどだろう。そういう意味では、こうやって旅に出て、人情に触れると、東京で仕事してたりして自分もいつの間にかギスギスだらけだ、これはいけないと反省させられる。心にもっと他人への思いやりを持ちたいと思う。

  

話戻すが上左から「簡易マリーナみたいな係留所の地図」。2枚目は「簡易マリーナっぽい所のスロープからボート引き上げて、寝床作りする。(ボートをベッド代わりにするのだ)」。3枚目は「簡易マリーナっぽい所から利根川方面を見た所」。

でとりあえず奥様にはコンビニの位置だけ聞いて、あとは歩行兼用カーナビでコンビニに向かった。で翌日の食料等調達し、この日はボートで寝る事に。しかし・・・先ほども少し書いたがこの日の最低気温19度ってなんですか?ありったけの服を重ね着してポンチョをシュラフ替わりにしてくるまってボートを寝床に睡眠を試みる。そう私は、今回ボートへの荷造りの段階で夏だからテントのシュラフも要らない。簡易蚊帳と防虫スプレーあればボートで野宿し、雨が降れば民宿に泊まる気だった。しかしもう眠るのも寒いからと言って滑川という町には民宿なんて無いと言われ、成田空港関係のホテルに行くしかないと判明した時は、もうボートで寝るしかないと思った。で寒さに震えながら何とか寝る。・・・しかしここでもさらに眠りを妨害するのがあった。成田空港の飛行機である。日頃航空機ファンの自分としては「成田も24時間にしないと日本の航空行政お陀仏だぞ」なんて思っていたが、この滑川と言う場所、成田空港のほぼ真北でほぼ滑走路の延長上10キロといった感じである。そしてその距離の音が寝るにこんなにつらいとは空港そばに住んだことない私は知らなかった。今まで自衛隊の航空祭とかさんざん行ってたくせに・・・。

成田空港の運営は、現在23時まで飛行がある。上記ではないが、これじゃハブ空港競争に勝てないなんて言ってたけど、滑川あたりの人集団移転でもさせない限り無理だ。もちろん騒音対策費とかもらっているだろうけど、春や秋、網戸で窓開けてなんか寝れない。ハッキリ言って近くを通過している国道を通るトラックの爆音の3倍はきつい。これでは病気になる人が出ても何ら不思議ではないと思った。なんかある程度年齢行くと予測能力がそれなりに付くから、多分~だろうと決めつけしやすい所があるが、やはりそこで経験しないと分からない事ってまだまだ沢山あるのね。これは反省材料です。でそんなかんなで23時になり飛行機ももう来ない。あとは寒さとの戦い。もう冬眠のリスの様にくるまって眠りについた。太陽黒点数12年周期のピークみたいだけどさ。利根川下流でこの温度寒すぎ。東北の太平洋側は親潮異常南下で気温が下がるヤマセ現象があるけど、それなのかね?

H24年7月下旬利根川下流航海2に続く。

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