千本釈迦堂 (大報恩寺) 京都市上京区今出川通七本松上ル溝前町1034
(1227)義空上人によって開創された寺。本堂は創建時そのままのものであり、応仁・文明の乱にも両陣営から手厚き保護を受け、奇跡的にも災火をまぬがれた京洛最古の建造物として国宝に指定されている 義空上人は、藤原秀衡の孫にあたり、19才で比叡山澄憲僧都に師事、拾数年ののちこの千本の地を得て、苦難の末本堂をはじめ諸伽藍を建立しました Home page
内陣
応仁の乱の銃創跡
おかめ塚 由来 大報恩寺の本堂が建築された時に、この大工事の棟梁であった「高次」が大切な柱となる木材を短く切り過ぎて憔悴しきった姿に、その柱を使うために枡組という技法で継ぎ足すように提案し、夫の窮地を救った妻「阿亀(おかめ)」を偲んで設けられた。
おかめ桜
十一面観音
釈迦如来 鎌倉 重文
北野経王堂
山名陸奥太守氏清の碑 山名氏清の反乱(明徳の乱)が終結した後、足利義満が、氏清とその一族や亡くなった敵味方の供養のために北野天神の社頭に大堂を建立し、北野経王堂願成就寺と名付けて仏事をおこなった。この行事は毎年の行事となり、北野経会と呼ばれた。江戸期になって荒廃したため、縮小して移転されたのがこのお堂で、現在は、千本釈迦堂の南にある。
参考 京都浪漫TV