80k700m タイトルはまだ考えてない(旧 安全靴をはいたタヌキのホームペヱジ)

自称“流川市民”の、鉄道橋梁&トンネルと北海道の国鉄(JR)廃線跡が好きな人間がブログに挑む。(最近は迷走の日々…)

2012年08月10日 製版会社時代の行きつけの店 その1

2012年09月08日 | グルメ…じゃなくてたべもの
 板橋区加賀の東京家政大学裏の製版会社在籍当時、朝が早くて夜が遅いので、食べる店は大体決まっていて、朝食は赤羽線(埼京線)十条駅近くの松屋で食べるか、おにぎりまたはサンドイッチを購入するか、パン屋でパンを購入し、夜は、家政大から十条駅へと続く道のりの途中にあった甘味処で少々食べてから、十条駅近くのラーメン屋か京浜東北線東十条駅近くの立ち食いそば屋で食べ、夜の環七を原付で帰るのが常だった。
 早上がりの時には食堂か洋食店という事もあったが、徹夜が当たり前だった会社では、土曜日以外は早上がりなんて考えられず、大抵はラーメンかそば(うどん)のどちらにしようかと考えていたものだ。

 08月10日に東十条駅近くを通り掛かったら、当時行きつけだったそば屋“そば谷”が目に飛び込み、数分後には冷やしたぬきそばを注文している自分がいた。





 歯ごたえのあるそばを食べながら、店のおやっさんに残業の不満をこぼして、転職するんだとよく口にしていた事を思い出し、久しぶりの歯ごたえのあるそばを味わった後に、昔散々愚痴をこぼしていた事を詫びて、転職が曲がりなりにもうまくいった事を報告したところ、弟に伝えておくよと言われた。
 私は知らなかったのだが、昼の部と夜の部で店を切り盛りする人が入れ替わって、夜の部は弟さんがやっていたらしいが、今は療養中との事であるそうだ。
 早く良くなって、再び店に戻ってきて切り盛りして欲しいと願いつつ、十条駅近くの十条踏切へと向かった。



 赤羽起点3km358m地点の十条踏切のところにある“まりっぺ”は、工場長がよく買い求めているのを目撃したもので、いつもカラシ色か緑色のジャケット姿だった。
 以前、日本国有鉄道職員だった(と聞いた気がする)こっちのおやっさんは変わらず元気そうで、一昨年の光が丘公園ぶらぶら以来久しぶりという事もあって、ちょっと長話になってしまい、かつて、徹夜が予想される日に買い求めていた鰻の海苔巻を筆頭に色々と買い求めてしまった。

 踏切を渡ったところから線路伝いに続く、当時の会社までの道のりの途中にあった甘味処の跡を眺めながら、路地の突き当たりまで進んだところで、目の前に広がる異質な光景に息を飲んだ。
 広大な荒れ地があったはずの場所に、家政大の建物が並んでいる上に、大きくて綺麗な門が口を開けているではないか!!

 そのような訳で、埼京線の列車が見えるかつての荒れ地の生まれ変わった姿を眺めながら、買ってきた海苔巻を食べる事にした…。



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