千葉県柏市五条谷にあるこの神社は、撮影に少々手こずってしまい、撮影期間が長引いてしまったが、充実したひと時を過ごす事ができた。
大正10年4月に、女性を含む五条谷地区の住人が伊勢神宮に参拝したらしい事が、大正10年11月に奉納された神使の狐像の台座に彫られていた。伊勢神宮に参拝した大正10年4月に常夜燈が奉納されたようだが、いつしか狐像は破損して、常夜燈は二宮像と共に先の東北地方太平洋沖地震で倒壊したらしく、新しいものに取り替えられていた。
以前の二宮像は、ずんぐりむっくりとしていたらしいが、そもそも何故二宮像が奉納されたのか、エピソードを知りたいものだ。
彫り物が素晴らしい事はわかるが、それだけに、老人が嘆き悲しんでいる場面とか、彫られているものの内容がさっぱりわからなくて困る。
すっかり風化して、昔の面影が失われてしまった天保十一年十月建立の像だが、下部には、五條谷村以外に何か彫られており、門の文字らしいのが読めるので、人名ではなかろうか?
童子や童女と彫られた像が多く、死亡率や平均寿命の言葉が思い浮かび、七五三とかの行事が、いかに親にとって喜ばしい事だったのかと思いを巡らせる。
文政二年三月吉日建立の石碑の下部には、十七人の文字と講中らしき文字が見えるものの、肝心の部分は十九の数字しか読めないが、どうやら十九夜講らしい。
十九夜講とは、19日の夜に女性が集まる行事であるそうで、初めに念仏を唱えるとか宗教的な要素はあるが、それが終わると皆で飲食をしたらしく、いわゆる女子会のような事をやっていたのだろうか?
その2へつつぐ!!
大正10年4月に、女性を含む五条谷地区の住人が伊勢神宮に参拝したらしい事が、大正10年11月に奉納された神使の狐像の台座に彫られていた。伊勢神宮に参拝した大正10年4月に常夜燈が奉納されたようだが、いつしか狐像は破損して、常夜燈は二宮像と共に先の東北地方太平洋沖地震で倒壊したらしく、新しいものに取り替えられていた。
以前の二宮像は、ずんぐりむっくりとしていたらしいが、そもそも何故二宮像が奉納されたのか、エピソードを知りたいものだ。
彫り物が素晴らしい事はわかるが、それだけに、老人が嘆き悲しんでいる場面とか、彫られているものの内容がさっぱりわからなくて困る。
すっかり風化して、昔の面影が失われてしまった天保十一年十月建立の像だが、下部には、五條谷村以外に何か彫られており、門の文字らしいのが読めるので、人名ではなかろうか?
童子や童女と彫られた像が多く、死亡率や平均寿命の言葉が思い浮かび、七五三とかの行事が、いかに親にとって喜ばしい事だったのかと思いを巡らせる。
文政二年三月吉日建立の石碑の下部には、十七人の文字と講中らしき文字が見えるものの、肝心の部分は十九の数字しか読めないが、どうやら十九夜講らしい。
十九夜講とは、19日の夜に女性が集まる行事であるそうで、初めに念仏を唱えるとか宗教的な要素はあるが、それが終わると皆で飲食をしたらしく、いわゆる女子会のような事をやっていたのだろうか?
その2へつつぐ!!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます