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京都御苑・明治維新150年記念連続講座の対処は面白くない!

2018-04-23 19:18:27 | 日記
 京都御苑・明治維新150年記念連続講座の第1回が4月25日の午後から「大政奉還と王政復古」という話でミヤコグサのメンバーが話される。
 以前から都草の深草支部長から京都に住んでいるだけで京都の歴史、文化、伝統、祭などすべて見えて当たり前、さらに京都に関連するべきことは京都を問わずすべて知っていて当たり前。京都の方はすべて知っておられるのだから知っていて当たり前と言われた。

 予約しなくても空いていたら講義に参加しようと思っていました。京都市民の方はよく知っておられるといわれるのだから少し遠慮して、他府県の方や観光客の方を優先しようと思っていました。

 しかし、新聞を見ると京都市民の大半の方でもうすでに予約が終了。おかしな話で、都草の深草支部長の言う話と全く違うからまったく面白くない。予約しておけばよかったと思うほどです。京都人はあほか。常識はないのか!と言いたくなる。

 三条実美の七卿都落ちから始まる。妙法院にはその歴史が廊下つたいに資料が飾られていました。
 大政奉還の裏には、水戸藩士の武田 耕雲斎(天狗党・尊王攘夷派)が近江の井伊家に陳情に行く途中、敦賀で幕府に殺害されること。悲しい秘話があるが、京都人に知る方は非常に少ない。

 福井藩藩主などの画策で徳川慶喜が最後の将軍になるが、維新軍(特に西郷隆盛)の戦争なくして維新なしという信念で、江戸城の無血開城をして平和的に移行するところを、慶喜の短気を見越して戊辰戦争まで持ち込んだこともよく知られた話である。

 戊辰戦争の始めの清水寺本堂の柱の鉄砲の傷跡や戦争の真ん中にあった伏見の妙教寺の本堂を見れば、その激しさが偲ばれる。横大路の千両ヶ辻には、慶喜が逃げるときに軍用金の千両を埋めたという伝説がある。

 大政奉還を二条城でするが、明治政府には国を治める力がないと見切って、全国の大名を集めて簡単に大政奉還した。

 明治政府は、政府を運用するために、西洋や米国などの技術を導入。紡績工場なども欧米の同じ寸法の工場や機械を導入。技師も高給で雇った。まったく同じ建物を作り、機械もそのまま導入、当初技師や従事者もそのまま日本で高給で雇って、産業を始めたという。

 無理して、欧米化したものの日本国内に目が向かなかったので、ようやく明治政府が軌道に乗り出した20年後くらいに嵐山で会食を催したら、ほとんど桜がなく想像以上にさびれていたので驚いて、日本各地の名所などの復興にお金を使いだしたという逸話がある(木戸孝允だったかな?)

 蛤御門の変の門は今と位置が違う。禁門の変の時の長州の藩士は少なかったこと。会津藩士が野ざらしにされ、任侠の会津小鉄が葬ったこと。
 蛤御門の前に町内は、丸焼けになったので、町ごと壬生に移されたこと(在家町⇒新在家町)。

 幕府の和宮の裏話(公武合体)。勝海舟や横井小楠、才谷梅太郎、中岡慎太郎などの活躍など

 都草の支部長がいわれる通り、京都に住んでおられる方は勉強しなくてもすべて遺伝子的に京都の事柄は全て奥深く、全国の関係する事柄も全て知っておられるのだから、新聞を見て大変おかしいなと思った次第です。募集要項がおかしいのか、支部長の考え方がおかしいのかよくわかりません。

 ちなみに私の母は滋賀県出身だから、私は滋賀県生まれです。それなにのノイローゼになるくらい毎週26年間言われ続けた経験があります。都草のレベルがよくわかる話です。

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