会社の先輩から「京都に住んでいる方は、京都のすべてを知っておられる、笑われないようにせよ」といわれて、勤めているときには本当にいやいや回って、すごい金額のお金と、時間を使った。
今は、京都に関係すること、京に住んでいる方は、生まれた時から目に見えないものまで見えて知っておられるといわれていたが、私にとっては、一生かかっても回れないと思った。破産するとも思った。京都に住む方のように目に見えないものは見えないから。だから、こうして、目に見えるようにこのブログ11月で終了になって消えるから、目に見える形にしている、ほんの一部分にしかすぎませんが・・・これだけ言った上司だから、1知って10~100くらいわかってほしい・・・自分が目に見えなかったものを是非みてほしい・・・(会社の仕事、1聴いて10以上していた。20くらいかな。ほんと手いっぱい。直属の部長などはぶらぶらしていて、お前まえのことしかみえんな、もっと広く見よとよくいわれた。あなたのように給料だけもらって遊んでいるのではないですよといいたかった。ある営業部長は、得意先まいりに行くと主張しておいて、東京ディズニーランドで1日遊び、定時に新幹線にのっていた。私など下っ端は、いつも最終電車だった。乗れなかったとき急遽ホテル探しで、朝一番に乗った。(夜行バスという手もあったが、乗り方その時には知らなかった。カプセルに泊まった同僚もいる・朝一番に日報出せと言われていたので、こういう場合かけなかったのでよく怒られた・一所懸命仕事しているのに)とても忙しかったから、わき目を振る余裕もなかった。私の勤める業界大手のバイヤー2人から、あなたこの業界で一番忙しい方ですよといわれた。振り回されるならやめなさいともいわれた。それでいて査定は、課長が上を付けても、いつも部課長会議で、部長が下をつけた。あほらしい。頑張ってもやりがいない会社だった。がんばればがんばるほど、給料が下がった。やめるまで、大変忙しかった。以前に書いたが、店長や部長級はとても暇だったらしい。営業も売れないので、精神的にはまいるが、暇だったようだ。同族会社だったので、社長や役員級の紹介で入社した社員は会社はいって、誰もがマイペースで暇そうだった。外様というか何の縁もなく実力で入った社員ほど全体的に忙しかった。体壊して辞めざるおえない社員や精神(心)を病む社員も多くいた。会社紹介には人間を社員を大切にする会社とうたっている。ばからしい。
今でも橘 逸勢とその娘が亡くなって、葬られている墓のある静岡の寺院にはいけてない。京都にあった寺院(橘 逸勢とその娘の寺院)は取り壊されて、下桂御霊神社になっている(娘さんのお寺にあった観音像は現存する(洛西33か所洛西観音霊場の観音様のひとつ)が、今は未公開で拝観できませんと言われた・橘 逸勢の霊は、上御霊神社と下御霊神社でも今でも祀られているそうですが、知る方はいない・表看板や石碑、パンフレット、行政が発行する名所パンフレットに一切記載されていない)。それも知る方も、氏子さんくらいかな。橘 逸勢は、同和の本の中では非人の号を授けられ、伊豆に流される途中に静岡でなくなる。若者の武者祭りもあったが、開催されなくなった。現地の方でも、もう知る方はおられない。源頼朝三代の後、北条氏が鎌倉の執権として幕府を操るが、執権だった方の墓は半分ほどしか回れなかった。滋賀県にある池坊の祖小野妹子の墓もいけてない。徳川家康の南宗寺の墓は見たけれと、静岡の正式な墓量(東照宮)にいけてない。日光ある東照宮は3回ほどいった。初めのことは宮は恐れ多く昔からの神社から文句出るということで社だった。同じようなことが京の今の東本願寺にもある。西本願寺が秀吉の頃からあったので、今のような名称ではなかった。
義経が最後に身を置いた藤原氏が本拠を置いた平泉にもいけてない。その時代の京より町が栄えたといわれる。栄華を誇っていた。それをねたんだ後白河法皇が頼朝に全部燃やしてもらうように頼んでいたようである。京都に関係ある個所でいけてないところ数えきれないほどある。本当に会社の上司や先輩が言ったことは正しいのかと思う。
番場忠太郎で有名な滋賀県の番場宿にもいった。新幹線の高架が通ていて、興ざめだった。六波羅探題の人たちが鎌倉のある江戸方面に逃げようとしたら、後醍醐天皇の軍に追い詰められ全員自害される。以前書いた護良親王や楠木正成軍など挙兵。足利尊氏軍が追った。墓に行く道は比較的急な坂になっていた。約430人が自刀され、その坂道は川のように血が多く流れてたと聞いた。北条氏の方も多くなくなっている。全員の方のお墓も残る。本当に京都の方は、京都に関連することすべて知っておられるのといいたい。
番場忠太郎の映画や、劇もいろいろな俳優さんのを見た。目玉の松ちゃんも有名。忍者が暮れするシーンは面白かった。立命館大学で映画上映するというので見入った。無言劇だったので、講談する方がいらした。テレビでは、松ちゃんの葬儀の映画を放映されていた。本当に京都に住んでいる方知っておられるの?
今は、京都に関係すること、京に住んでいる方は、生まれた時から目に見えないものまで見えて知っておられるといわれていたが、私にとっては、一生かかっても回れないと思った。破産するとも思った。京都に住む方のように目に見えないものは見えないから。だから、こうして、目に見えるようにこのブログ11月で終了になって消えるから、目に見える形にしている、ほんの一部分にしかすぎませんが・・・これだけ言った上司だから、1知って10~100くらいわかってほしい・・・自分が目に見えなかったものを是非みてほしい・・・(会社の仕事、1聴いて10以上していた。20くらいかな。ほんと手いっぱい。直属の部長などはぶらぶらしていて、お前まえのことしかみえんな、もっと広く見よとよくいわれた。あなたのように給料だけもらって遊んでいるのではないですよといいたかった。ある営業部長は、得意先まいりに行くと主張しておいて、東京ディズニーランドで1日遊び、定時に新幹線にのっていた。私など下っ端は、いつも最終電車だった。乗れなかったとき急遽ホテル探しで、朝一番に乗った。(夜行バスという手もあったが、乗り方その時には知らなかった。カプセルに泊まった同僚もいる・朝一番に日報出せと言われていたので、こういう場合かけなかったのでよく怒られた・一所懸命仕事しているのに)とても忙しかったから、わき目を振る余裕もなかった。私の勤める業界大手のバイヤー2人から、あなたこの業界で一番忙しい方ですよといわれた。振り回されるならやめなさいともいわれた。それでいて査定は、課長が上を付けても、いつも部課長会議で、部長が下をつけた。あほらしい。頑張ってもやりがいない会社だった。がんばればがんばるほど、給料が下がった。やめるまで、大変忙しかった。以前に書いたが、店長や部長級はとても暇だったらしい。営業も売れないので、精神的にはまいるが、暇だったようだ。同族会社だったので、社長や役員級の紹介で入社した社員は会社はいって、誰もがマイペースで暇そうだった。外様というか何の縁もなく実力で入った社員ほど全体的に忙しかった。体壊して辞めざるおえない社員や精神(心)を病む社員も多くいた。会社紹介には人間を社員を大切にする会社とうたっている。ばからしい。
今でも橘 逸勢とその娘が亡くなって、葬られている墓のある静岡の寺院にはいけてない。京都にあった寺院(橘 逸勢とその娘の寺院)は取り壊されて、下桂御霊神社になっている(娘さんのお寺にあった観音像は現存する(洛西33か所洛西観音霊場の観音様のひとつ)が、今は未公開で拝観できませんと言われた・橘 逸勢の霊は、上御霊神社と下御霊神社でも今でも祀られているそうですが、知る方はいない・表看板や石碑、パンフレット、行政が発行する名所パンフレットに一切記載されていない)。それも知る方も、氏子さんくらいかな。橘 逸勢は、同和の本の中では非人の号を授けられ、伊豆に流される途中に静岡でなくなる。若者の武者祭りもあったが、開催されなくなった。現地の方でも、もう知る方はおられない。源頼朝三代の後、北条氏が鎌倉の執権として幕府を操るが、執権だった方の墓は半分ほどしか回れなかった。滋賀県にある池坊の祖小野妹子の墓もいけてない。徳川家康の南宗寺の墓は見たけれと、静岡の正式な墓量(東照宮)にいけてない。日光ある東照宮は3回ほどいった。初めのことは宮は恐れ多く昔からの神社から文句出るということで社だった。同じようなことが京の今の東本願寺にもある。西本願寺が秀吉の頃からあったので、今のような名称ではなかった。
義経が最後に身を置いた藤原氏が本拠を置いた平泉にもいけてない。その時代の京より町が栄えたといわれる。栄華を誇っていた。それをねたんだ後白河法皇が頼朝に全部燃やしてもらうように頼んでいたようである。京都に関係ある個所でいけてないところ数えきれないほどある。本当に会社の上司や先輩が言ったことは正しいのかと思う。
番場忠太郎で有名な滋賀県の番場宿にもいった。新幹線の高架が通ていて、興ざめだった。六波羅探題の人たちが鎌倉のある江戸方面に逃げようとしたら、後醍醐天皇の軍に追い詰められ全員自害される。以前書いた護良親王や楠木正成軍など挙兵。足利尊氏軍が追った。墓に行く道は比較的急な坂になっていた。約430人が自刀され、その坂道は川のように血が多く流れてたと聞いた。北条氏の方も多くなくなっている。全員の方のお墓も残る。本当に京都の方は、京都に関連することすべて知っておられるのといいたい。
番場忠太郎の映画や、劇もいろいろな俳優さんのを見た。目玉の松ちゃんも有名。忍者が暮れするシーンは面白かった。立命館大学で映画上映するというので見入った。無言劇だったので、講談する方がいらした。テレビでは、松ちゃんの葬儀の映画を放映されていた。本当に京都に住んでいる方知っておられるの?