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楽しい出来事

私の楽しい出来事、うれしかった出来事日記

勤めていた会社はブラック企業?!

2025-07-29 06:59:55 | 日記
 いろいろと言動がとてもひどい会社でした。親しい先輩から言葉で人を殺すことがあるといわれたこともありました。
 その先輩に、「無理難題の言う先輩がいますどう対処したらよいですか」と尋ねたら、「仮にも先輩だから聞いてやれ」といわれました。そこが今から思うと間違いでした。毎週京都のどこどこへ行けとか機内のどこどこを見て来いと言われ、毎週どこかに出かけていました。「目に見えないものを見てこい」「寺社仏閣は、パンプレットに書いてないことを見てこい」と言われ続けました。一つもパンプレット見たことないのにどうせよということでしょうか。今では「京都のこと、地元のことを知らなくてもよい」と思っています。何人の方にも聞いても「知らない」「わかりません」という回答ばかりです。
 その親しくしていた先輩も会社都合でやめさせられ、精神的にまいられて、今では家に引きこもっておられるようです。言葉の暴力も務めているときによくあったとも聞いていました。
 私がいた課の課員ですが、売り上げが業界で日本1になったとき、チーフが過重労働で50歳で、血液の癌になられ、3年闘病の結果亡くなられました。まだ若い奥さんや、中小学生のお子様を残して亡くなられました。会社が個人とは別に保険を掛けられていて、後に保険金がたくさん入って喜んでおられたという噂を聞きました。情けない会社です。チーフがなくなって翌月から売り上げががたんと減り、給料もボーナスも激減しました。
 その下にいたのちに亡くなられたチーフの後にチーフになられた方は、退職後筋肉萎縮症になられて2年前くらいに亡くなられたと聞いています、家族の介護が大変だったようにも聞いています。
 私の1つ上の先輩は今、脳梗塞で半身不随になりリハビリをされています。課長だけは、奥様が看護師なのでお元気なようで、会社のかつて役員だった方とゴルフなどされているときいています。
 課員ほとんど病気持ちで、亡くなったり、難病になられたりで、これはブラック企業にいた関係でしょうか。社長は中堅企業で、人を大切に、質素倹約などあげられていますが、現実はばかげるほどかけ離れた内容の勤務でした。
 亡くなられた課員の方にお悔やみ申し上げます。脳梗塞で半身不随の先輩には早く治るように祈っております。私の一生ひきづらないといけない腰痛、筋肉硬化症なんとかやわらいでほしいものです。
 

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人間は壊れる

2025-07-28 20:14:19 | 日記
 人間は強いと自分は思っていても、あまりに理不尽な言葉や上司や会社命令で簡単につぶれるものです。言っている会社や上司、先輩は何も感じていない。言いっぱなしだから困ったものですね。
 なかなか超理不尽な命令や言葉にトラウマになり、人間が壊れてします。いったん壊れたななかなか治らない。一生死ぬまで引きずっていかなければならない。
 仕事の与えられすぎ(重過労労働)と腰痛もぎっくり腰のようになって、いくつもの大きな病院で検査したがそんなに痛くなるはずがないといわれ続けました。原因不明が約10年。
 母の紹介で日本の名医の心療内科の良い先生にめぐりあえて、頭の先から足のつま先までの全筋肉を触られ、押したりされて、今までの重過労仕事の蓄積で肩の筋肉がものすごく固くなり、全身に回って腰痛になっています。腰痛がひどいから頭の頭蓋骨の周りにある痛みの感じる器官がマヒしていて、ずっと痛く感じられるんです。とはっきりした診断を始めて受けました。
 直すにはなにもしないでください。と指導されました。頭の痛みの感じる器官が正常につかずいたのが約15年から20年かかりました。カロナールやロキソニンを飲んでも、座薬の痛み止めを飲んでも、ブロック注射の濃いものを打ってもらっても、目が回るだけで、痛みが全く取れなかった。
 あまりのもひどい扱いを受けたと思う。人間は、重過労や長時間労働(休みなし)、理不尽な命令や言葉によって潰れすことを身をもって知りました。
 今でも体の筋肉が全身に回り固く、理学療法士さんに診てもらっています。胃腸の筋肉も固いようで、横になるとげっぷが仕切りなしに出てくる。夜間寝られない。心療内科の先生によると自律神経が正常に機能していませんとのこと・・・

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人(人間)に決して言ってはならない言葉

2025-07-28 17:38:41 | 日記
 私の勤めていた会社の先輩諸氏は、人に決して言ってはならない言葉をたくさんいって、人を傷つけてきた。今でいうパワハラにあたると思います。
 「わからない」「わかりません」というと「この世の中にはわからないことはない。調べなおしてこい」と投げ捨てことばで、言われて、決して答えを教えてくれなかった。
 営業で重たい荷物ばかり持たされて、大きな音で骨が潰れた。直ぐに激痛が来て、1週間ほどとても痛かったが、休むなと言われて激痛でもはいつくばって出勤した。その時整形外科に受信したときはこんなきれいな骨は見たことないといわれました。 
 半年後痛みも取れて痛みとれましたと部長に進言したら、また、重たい荷物ばかり持たされてまた、大きな骨の潰れる音がした瞬間に激痛。整形外科をすぐに受診したしたら、2番目と3番目の軟骨場潰れていて、次同じようなことが起きたら、一生激痛に悩まされますといわれた。部長に進言したら営業外され、事務に移動させられた。
 ※営業から事務に移されて1年経った頃、前にいた営業課に言ったらアルバイト君が台の上で寝転がっていました。聞くと、私と一緒で重たい荷物をたくさん持って今まさに激痛になっている状態でした。
 また、その1年後に同じ課にいったら、1年上の先輩がアルバイト君の寝ていた机の上で寝転がっていました。聞くと重たい荷物を持って今まさに激痛の状態でした。何も過去の経験から学ばないあほな会社だと痛感しました。同じような過去から学ばなくて、同じ過ちをしている会社で人を人と思わない言葉をかけるブラック企業でした。

 事務事務で、たくさん給料もらっているから、女性の3倍の量をこなしてもらわなければならないといわれ、15年間一息も付く暇がなかった。眼精疲労、腱鞘炎。残業ばかりで病院にいけないので、接骨院にいったら、同じ姿勢で長時間仕事していると自分の体重で自分の脊椎を痛めます。また、1から2時間に1回ほど首を回してくださいと指導を受けました。
 接骨院の院長さんに指導を受けて、初めて首を1分ほど回していたら、部長が「首回すな。首を回す暇があったら1枚でも伝票を処理せよ。お前が首を回している時間も会社が給料払っているのだからな。」としかられました。次の日ももう一回したら同じ言葉が返ってきました。私の心は壊れてしまいました。
 この部署にいるときに、家内が重病になり、救急車で国立病院に運ばれ、緊急手術を受けることになりました。なかなか手術が決まらず、朝10時頃に国立病院について、空き次第手術しますということで、会社としては上司と報連相を重視されていたので逐一報告していました。結局「手術が終わり次第に会社に戻ります。」と一言言っていたので、夜7時くらいから手術が始まり、8時過ぎにおわりました。妻は手術中危篤状態で、命も危なかったと担当手術医師から告げられました。すぐに会社に電話すると上司(部長)からは、「お前、会社に戻るといったやろ。戻ってこい」と叱咤を受けました。会社に戻るには約2時間かかる場所で、戻っても会社にはだれ一人おらずからアラームがかかっているにもかかわらず、思いやりのかけらもない言葉でした。
 いくつも人に言っては決していけない言葉を言われ、今は人間が潰れています。

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現在の京都平安京の条理は北からずれています!

2025-07-27 21:57:54 | 日記
 多くの京都人の方にお聞きしましたが、「知らない」「わからない」という言葉しか返ってきませんでした。
 昔、京都大学の足利健亮教授は、鴨川が京都の条理の基本のような説だったと思います。船岡山が玄武、鴨川が青龍(加茂氏と秦氏によって治水、今日の部分はまっすぐに通された)、白虎は足利健亮教授の説では蚕ノ社の前に木嶋(このしまおおじ)がこれにあたる。一般的には山陰街道を指すようです。朱雀は、城南宮とも池があったともいわれています。
 京都西山にある善峯寺や三鈷寺から京都を眺望するとやや北から条理がずれています。京都の方ほとんどがそのことをしられないし、わけを聞いても100%「わからない」という返答でした。先輩の話と全く違う。
 答えは、都草へ電話してお聞きしました。平安京の条理を作るときに船岡山の上で、基点を決め、北極星を目印に影を見極め、杭を打っていったのが最初で、その後平安京の条理にができたそうです。地殻変動、北極星の移動などで月日が経つにつれてずれてきたようです。感謝!
 これで桓武天皇も中国思想の善政を行えば、北極星に住むという雌雄の麒麟が夢枕に降りてきたことでしょう。実際は、父方の百済王氏を起用したために、あまりよく思われなかったようです。これから。1000年の平安につきますが、半年間だけ平清盛が福原京(雪の御所・安徳天皇)に移されたこともあまり京都に住む方に聞いても返答がありませんでした。一の谷の上の安徳天皇の御座所には、モルガンお雪の寄進された燈籠がありました。これも教えていただけなかった。分銅屋のところに住んでおられたようですが、いくつか家があったようです。

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先輩に京都に住んでいたら、京都に関連することはすべて知っていて当たり前と言われた!

2025-07-27 17:44:34 | 日記
 会社に勤めているときに、9歳上の先輩に京都に住んでいたら、京都に関連することは皆さんご存じだから、笑われないように京都に関連すること、目に見えないことすべて知っていて当たり前と言われた。
 部の部長には、「この世の中にはわからないことはない。」「もっと勉強せよ」と言われた。
 京都の樫原には、大名行列が洛中に入れないので、洛外に洛西に樫原本陣、東に伏見本陣があった。
 樫原は現在も現存しており、二条陣屋のように忍者屋敷のように隠し部屋がいくつもある。
 どうしても伏見本陣のことがわからいので、先輩の所属する都草、伏見区役所地域課、京都市歴史資料館に問い合わせた。いずれもどこにあったかわからないということであった。都草はこちらが電話かけているにも関わらず一方的に「わかりません。あなたの方がよくしっておられますよ」とガシャンと切られた。一番偉い理事長さんのように感じた。理不尽なことをいう先輩より偉い方だと思いました。その方もわからないようでした。 

 私の理不尽なことをいう先輩は、無理難題を後輩に押し付けたのであろうか?誰かどこにどのようにあったか教えてください。
 都草のガシャンの切られなかった親切な方からは、はっきりはわかりません。京都に伏見本陣より今は現存しない大津本陣は、琵琶湖の景色がきれいで、好んで大名が宿泊されたと教えていただきました。感謝。
 また、大津から伏見本陣に行く大名行列の道筋は幕府で決められていたようです。また、本陣に泊まる際には、先に宿泊札を届けなければ、宿泊できなかったようです。誰も京都の方に聞いても知っておられると先輩は言われていましたが、知りませんという返答ばかりでした。あなた、物知りですねといやみばかり・・・


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