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​小説西寺物語 48話 空海従六位文章博士に復活、妻椿御前従六位に 鯖街道・小説鯖街道​⑤完 

2022-08-23 08:14:35 | 日記
​小説西寺物語 48話 空海従六位文章博士に復活、妻椿御前従六位に 鯖街道・小説鯖街道​⑤完

 嵯峨天皇は空海の新妻椿と母親の松を中納言従三位藤原忠克に引き合わようと侍女に忠克と松をここにお連れしなさいと命じていた。侍女は二組に別れて忠克の座敷と松が働いているという神護寺の台所に向った。忠克は同じ宿坊もみじ亭にいるのですぐに天皇の玉の間で天皇と拝謁していた。一方の松を探していた侍女は台所で松姫はどこにいるかと同じ若狭高浜、小浜から手伝いに来ている約80名の魚師の女性たちに聞くが、突然、若くてきらびやかな侍女が台所に入って来たので全員目を丸くしていた。

 その女性の一人に、
「松姫はどこに居られます」
 と聞くが、その聞かれた女性も周りの女性も顔を横に振っている。そこで僧侶を見つけて事情を話したところどうやら椿の母親の松と分かった。侍女は松に再度空海大僧正さまの正妻の椿姫さまの母上かと確認したが、松は、
「正妻?、椿はたしかに空海さまのお世話係りですが…」
 これを聞いた侍女は松を神護寺の別室に案内して椿の教育係りの元侍女とともに松の着ている木綿の着物を剥ぎ取るようにして裸にしていた。そして松の絹の着物に着替えさせながらも別の侍女は松の髪を結、化粧をしていた。

 松はあれよあれよというまに着せ替えられて侍女は松に、
「今から天皇に拝謁しますが、まず、玉の間に私が先に入りますから松姫は私について来てください。私が止まった場所にそのままお座りになって手をついて頭を下げたままにして下さい。すると天皇が、「松、おもてを上げよ」とおっしゃいますから、その時に頭を上げて天皇を見て下さい。さらに天皇がニ、三質問をされますが、それに正直に答えて下さい。分からない時は私がすぐ後ろに控えていますから安心して下さい」

 一方の忠克は先に天皇から査問を受けていた。天皇は忠克に、
「若狭国に赴任している折に梅という侍女に忠克の子を宿らせたのは事実か?」
「はい、梅は私の子供を産むために若狭高浜に帰り無事娘を産んだという知らせで私が梅の娘なら松だと命名しました。その後、長岡京から平安京への遷都が急遽決まり私は長岡京に帰らされました。それから5年後に平安京に遷都され私の屋敷が決まり梅を愛妾として都に迎えようと準備していましたが、梅から都へは行けないという返事がありそのままにしていました」
「そか、それなら松を忠克の子と認めるが、本日のこの大法要の主催者の空海の正妻の椿は忠克の孫姫だということを知っているのか?」

 忠克は天皇の予期せぬ質問に右側守敏の次に座っている空海を見た。そして左側伊呂具の次に座っている椿を見たが、二人して忠克に深々と頭を下げている。そして椿に、
「孫姫ということは松の娘になるのか…そういえば梅に良く似ているが、母の松は元気か?」

 その時に侍女に連れられて松姫が玉の間に入り、松は侍女の合図で忠克の左横に座り頭を深々と下げていた。椿は侍女の後ろの豪華な着物を着た女性がまさか母とは思えず2度見をしていた。天皇が松に、
「松…おもてを上げなさい」
と、同時に松の後ろに控えていた侍女が松のお尻を指で突いた、それと同時に顔を上げると松にすれば色白で派手な衣装を着た男が座っているしか見えない、その色白男が、
「松は若狭高浜の梅の娘に間違いはないのか?」
「はい、梅の一人娘の松になります」
「そか、では松の父親は梅から誰と聞いている?」
「はい、都のお役人さまと昔に聞いたことがあります」
「そか、そちの隣にいる中納言従三位藤原忠克が松の父親になる」

 松は恐恐隣に座っている男を見るが、まだ、もう一つ意味が呑み込めず忠克に軽く頭を下げていた。それよりなにより椿は松の変身に驚き、松は椿が竜宮城のお姫さまの様な変身ぶりに驚き二人は顔を見合わせてこの場の父娘の涙の対面の美談など考えずに母娘と衣装や化粧のことを思い切り朝まで語り合いたいと思っていた。しかし、この話しを隣の座敷で聞いていた皇后や左大臣、右大臣の正妻などは涙なしでは語れない朝廷の美談として話がまたまた膨らみ都の町衆までこの椿母娘の物語に涙していた。

 こうして空海の神護寺再興大法要というより空海と椿の結婚披露宴は大成功してからは高雄神護寺のもみじ狩りが皇族や貴族まで大流行して宿坊もみじ亭は紅葉ばかりか月見の宴、雪見の宴まで予約が殺到していた。また神護寺前の鯖街道も東北や北陸からの商人の荷車が昼夜の区別なく都へ年貢や物資を運ぶ国の大動脈となり、橋の掛け替えや峠の整備なども朝廷から金がでるようになったが、そうなればさらに鯖街道は通行量が増えて旅人が神護寺の長い階段を上がらずとも神護寺にお参り出来るお堂と茶店を清滝川をまたぐ高雄橋の街道脇に建てていた。お堂では「同行二人道中安全」のお守りが売られていたが、これは空海が同行して旅の安全を守るという意味として椿が発案したもので、これが京の都を代表するお土産になり茶店、宿坊もみじ亭の儲けとともにこれらの資金で空海は全国から弟子1000名を大募集していた。

 一方、娘と孫との奇跡と涙の対面をした中納言従三位藤原忠克は朝廷にこの二人を貴族としての官位の申請書を書いていた。朝廷の慣習では貴族の妻は夫より2階級下の官位、子は3階級下になる。忠克は従三位だから松は正五位で椿は正五位藤原松の子で3階級下の従六位になる。この松の正五位は中級貴族の最高位で位階米(給金)も現在の貨幣価値では1億円になり正五位では200坪程度の屋敷を構えて家来、侍女など約30~50名が雇用できる位階米になる。

 高級貴族は従四位からで位階米も跳ね上がり約3億円。さらに1階級上がる度に倍々に増え従三位の忠克は約12億円だが、中納言という役職手当で約20億円にもなる。高級貴族にもなると私兵の武士団を500名ほどを雇い自分と家族の身を守らなくてはならないための資金としての必要性が位階米にあるために莫大な金になっていた。ただこれらの私兵はしばし貴族と貴族の権力争いにも使われていた。(薬子の変、応仁の乱)

 この二人への官位申請書を書いてはいるが、この貴族からの申請書を決済する役目が中納言の仕事にもなり自分の娘と孫の官位を申請者本人が決済するのはなにかと誤解を生むと忠克は嵯峨天皇に決済を願った。天皇は忠克に、
「それは、分かったが、私は忠克の娘の松に正五位藤原若狭御前、椿には従六位藤原椿御前と命名したいが忠克はどう思う?」
「それは誠に有り難くございます。しかし、空海の正妻が官位従六位で空海が無位ではと若狭御前も椿御前も案じていますが?」
「ささ、それだが、こないだの大法要で比叡山の最澄が私にぼやいていたが…」
 と天皇は忠克に胸の内を語っていた。

 もみじ亭での宴会では天皇が空海に謝意を表すためになにかの褒美を授けることは朝廷内では常識でそれは空海の官営東寺官主内定の取り消しを解除して再び東寺の官主に内定して従六位の貴族に復活することだったが、これを最澄に告げると最澄は、
「いや~それが、私の高弟5人組が官営東寺の官主は比叡山仏教から出すもので空海は一度私から破門されてその破門は解かれたもののもはや空海は神護寺が本山で比叡山仏教とは仏教上の敵対関係になる。もし、空海が官営東寺の官主に内定するならば僧兵1000名を再び組織して空海を討つとして今回の大法要ても貴賓客として空海から招待されていたが、5人組は空海に抗議するために無断で欠席している」

 そこで松尾神社の酒公が、
「比叡山が僧兵を組織すれば奈良仏教も対抗上同じ数だけ僧兵を組織することになる。それに空海も武器を持ち防衛しなければならない。そうなれば三者が偶発的にでも衝突すればどちらも引くに引けなくなり都は宗教戦争の煽りを受けて火の海になる可能性があるが…」
 天皇は、
「そか、比叡山はそんなに荒れているのか?最澄」
「はい、世の中が平和になりますと緊張感がなくなり、人間本来が生まれながらに持っている、妬みや嫉妬が湧いてくるようです。朝廷もかなりの間平和が続いていますからここらで緊張感を持たなくてはなりません」
「そか、それで最澄はこの後、比叡山に帰るのか?」

 その最澄の返事を待たずして稲荷神社の伊呂具は、
「最澄が山に帰れば二度と下りては来られないと思うので山に帰らない方が良い。反逆した高弟というが、比叡山に最澄のような指導者がいなくなるとさらに権力争いが起こり僧兵の組織どころか内部崩壊が起こり自滅する。それまで最澄はゆっくり京見物でもしたら?」

 そこで酒公が、
「空海夫婦が10日ほど新婚生活をした広隆寺の貴賓室が空いているので使ったら?」
 酒公のこの一言で最澄はこの法要に付いてきた僧侶5人とともに広隆寺に入ることになり、空海の官営東寺の内定は一時保留されていた。

 この話を忠克に一通り話した後に天皇は忠克に、
「そなたの孫の椿御前の夫の空海に官位を与えるいい方法はないのか?忠克!」
「ささ、それなら空海は都一の筆の達人と聞いていますが、丁度、文章博士の従六位菅原義春が高齢のために文章博士引退の願いが私に届いていますが、その義春の後釜に空海を採用すれば比叡山の坊主どもも文句のつけようがありません」
「そか、忠克でかした。それなら空海を従六位文章博士に任命する」

 こうして空海と従六位椿御前夫婦は夫婦揃って貴族になったが、この夫婦の貴族としての位階米は年5000万円にもなりその金のすべても弟子1000人募集の資金となった。一方の比叡山では伊呂具が予想した通りに内部崩壊が起こり比叡山で修行している約500名の僧侶の内200人が山を下りて最澄が籠もる広隆寺に駆け込んできたが、広隆寺は比叡山の幹部を批判して山を追われた僧侶の駆け込み寺となっていた。

🦊鯖街道⑤完 小説西寺物語49話に続きます。⛩️







ツイコラムとツイ川柳で一つの作品になります。自薦8選 585〜593 ツイ川柳 ツイコラム 音川伊奈利

2022-08-21 16:37:51 | 日記
ツイコラムとツイ川柳で一つの作品になります。自薦8選 585〜593 ツイ川柳 ツイコラム 音川伊奈利

#ツイコラム 585
年取ったせいか、#食の先祖返り で昔の食べ物が欲しくなる。 #伏見とうがらし #鯖の塩焼き などです。この #とうがらし も時々口にバチッとくる来る辛いのに当たります。これも遺伝子の #先祖返り なんです。
#ろく助塩鯖 これ旨い。
#ツイ川
・お盆です 私もいずれ 先祖さま
🦊⛩️


#ツイコラム 586 #お盆
初盆の先祖さまに限りあの世からこの世への無料バスが出るそうです。京都なら京都駅に到着して各自家に、帰りは16日の20時集合となりますが、それに乗り遅れると巷をさまよう幽霊になるそうです。ベテランは往路はバラバラに復路は大文字山に集結して一緒に帰るそうです😁
🦊⛩️


#ツイコラム 587
○○を買わねば #地獄に堕ちる などの #霊感商法 に加担した政治家どもが地獄に堕ちて来て #閻魔さま や赤鬼、青鬼が忙しくて #過労死寸前 そこで #働き方改革 としてせめて #お盆 と正月は #地獄の釜の蓋も開く 休業になったとさ!
#ツイ川柳
#国葬 の 是非閻魔さまに 聞くがいい
🦊⛩️


#ツイコラム 588
休日のスーパー、妻の後ろを金魚の糞のごとく腕を組んでウロウロする中年男性が邪魔で邪魔で💢…この #物価高 の対策を #丁寧な説明が大事 という #岸田総理 だが、 #国葬 #旧統一教会 を含めて早急に説明してほしい。
#ツイ川柳
・たかが西瓜 値引きなしでは 食えません
伊奈利🦊⛩️


#ツイコラム 589
特売で冷凍出来る食品を買う #冷凍生活 が流行っている。この #ごっつ旨い豚モダン も普段は300円税込で安売でも278円今回は213円と安いので3個買った。独身では食材買って料理するより冷凍のほうが無駄がない場合もある。
#ツイ川柳
・安くする 知恵を使って #ボケ防止
伊奈利🦊⛩️


#ツイコラム 590 #淡麗
#夏の一品 #酒の肴 にはあっさりした物が多いので… #かつお削り節 の利用が多いが、 #花かつお は #香辛料 #薬味 #調味料 ?このパックは2gだが、これは一人前の料理にかける量を科学的に判断したものらしい?… #知らんけど
#ツイ川柳
・2gで 贅沢気分 味わえる
伊奈利🦊⛩️


#ツイコラム 592
いつもは #イオンビール500ml121円だが、少し贅沢してツーランク上の #淡麗 にしたが、この #メリハリ が安いビールを旨く飲むコツになる。このメリハリは漢字では「減り張り」で邦楽から来ているらしく音の高低差で抑揚感を出すことらしい。
#ツイ川柳
・古女房 たまの化粧で 惚れ直す
伊奈利🦊⛩️


#ツイコラム 593 #本日のランチ
家で食べるのにカップ麺は必要がない。どうせお湯を沸かすならそこに #チキンラーメン を入れれば良い。と、思いつつ #懐かしい味 1個だけ買った(118円税込)1958年8月25日が誕生日で #チキンラーメン祭り  
#ツイ川柳
・あの頃の チキンラーメン 高かった
伊奈利🦊⛩️

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​​​​​​​​​​​​​小説西寺物語 47話 椿の一言で神護寺都唯一の紅葉の名所に、空海椿の結婚披露宴・小説鯖街道​④話

2022-08-21 05:08:19 | 日記
​​​​​​​​​​​​​小説西寺物語 47話 椿の一言で神護寺都唯一の紅葉の名所に、空海椿の結婚披露宴・小説鯖街道​④話

 季節は813年12月6日、この秋から冬は暖冬で高雄神護寺の紅葉も色付き始めで見頃は12月中旬だと造園が専門の僧侶が空海に説明をしていた。中旬なら10日もあるから宿坊もみじ亭の建物と庭園の整備を急がせ17日に真言宗本山神護寺の再興大法要を行うと内外に宣言していた。空海の弟子300名の内50名を当日の朝には高浜、小浜から新鮮な魚が神護寺に届けるための僧侶として派遣。残りの250名で宿坊もみじ亭の整備と牛車が本堂まで通れる階段以外の脇道の道路工事となった。

 また都から宮大工50名、造園師50名を呼んで嵯峨天皇が着座する玉座と貴賓室の装備を依頼していた。この旧和気清麻呂の別荘の広大な庭には四季の木々があるが、もみじ以外は他に移植してから高雄山に自生していた樹齢50~100年で枝ぶりのいい紅葉を庭に移植していた。空海はこの神護寺再興大法要には嵯峨天皇、橘嘉智子正妻など皇族。攘夷大将軍坂上田村麻呂と幹部武将5名、従三位以上の高級貴族30名、比叡山仏教の最澄と高弟の高僧5名、奈良仏教の守敏と高弟5名稲荷神社の伊呂具、松尾神社の酒公など貴賓招待客80名に招待状を出していたが、貴賓客以外のお付きの官女、侍女、武士、牛方まで入れるともみじ狩りの客は500名を予定していた。

 この空海の招待状にいち早く反応したのが、嵯峨天皇で宮中はこの天皇の高雄神護寺行幸には驚いてはいたが、天皇が行幸するとなればどんなに急でも皇族も高級貴族も従うしか道はない。それも10日先では天皇や皇族の警備の用意に宮中中が湧きだっていた。そして天皇の行幸の準備をするのは従四位程度の貴族と部下の下級貴族で皇族や高級貴族の牛車の手配、通り道の警備や整備までどの貴族も日頃働いていないのに17日の行幸までは徹夜を覚悟をしていた。

 若狭高浜、小浜の漁民たちもこの空海の神護寺再興法要を全面的に支援することを漁港組合で決議した。空海がいう嵯峨天皇や皇族、高級貴族たちに若狭の新鮮な魚介類を食べてもらうというのは最高の名誉で先の若狭鯖寿司道中の成功で若狭の魚介類は高値がついて高浜や小浜の漁港では都からの魚仲買人が大勢押し寄せて漁民ばかりか浜で魚を加工する主婦や高齢者、15歳以下の子供まで総動員した結果貧しい漁村からかなり裕福な漁村に生まれ変わっていた。

 ただ、新鮮な魚介類となるとかなりやっかいで越前カニやあわび、さざえなら冬場なら元気なまま神護寺に運べるが、鯛やひらめ、イカやぶりなどは生きたまま都に運ぶことは今まで考えたことはなかった。そこで僧侶50人と高浜、小浜の漁民の役員30人で作戦を練っていた。そこで小浜の村長の種吉が、
「以前、若狭国の国司が鯛の活造りを食べたいというので冬場だったが、大きな木樽に海水を入れて鯛を泳がして小浜から若狭国府(福井)まで25里を25時間かけて運んだことがあるが、その時には5匹の鯛の3匹は無事生きていたが、それから比べると神護寺までは16里で16時間だから鯛は楽にいける」

 また別の漁師は、
「聞けば貴賓客にだけ生魚をお出しするというが、その数は80名だそうだ、そうなると活造りの鯛だけでも20匹はいるが、途中で死ぬ鯛も計算に入れなければならない」
 種吉は、
「鯛や越前ガニ、伊勢海老、あわび、さざえは網の生簀でも数日は生きているから問題はない。他の魚は定置網の水揚げを夕方にして船に木樽を積んでそのまま陸揚げすれば大抵の魚は生け捕りができる。輸送中に弱かった魚はその場で絞めて血抜きをするので焼き魚や煮付けでも新鮮なままで無駄がない」

 一方の椿は広隆寺には空海が手配した元皇族や高級貴族に仕えた侍女10名を雇い椿をどこに出しても通用する貴婦人にする教育を受けていた。これは空海の妻というより10日後に開催される神護寺再興大法要の後には宿坊もみじ亭での嵯峨天皇、皇后を招いての大宴会では空海の妻としてまたもみじ亭の女将として接待するには貴族の習わしごとを知り絶対に失敗は許されないための訓練であった。

 椿は10名の専門分野の元侍女がそれこそ歩き方から座り方、箸の上げ下げまで厳しく教育されたが、椿はこれを難なくこなしていた。この合間には呉服商の高島屋から番頭と手代数名が椿の長襦袢から着物羽織10枚の柄選びに採寸、さらに小間物屋からも化粧道具一式持ち込まれ元侍女の化粧係りから宮中の社交貴婦人に相応しい化粧と肌の手入れ、髪型まで特訓していた。椿は生まれてからこの日までは木綿の着物しか着たことがなく、絹の着物と羽織を着ても軽すぎてなにか裸で歩いているかの気分に顔を赤らめていた。この過酷な教育は16日の深夜まで行われて17日当日の早朝に宿坊もみじ亭に入っても元侍女の10名とともに天皇、皇后、高級貴族の座る場所を確認しながらの訓練は休みなく大法要が終わり、宴会に入る直前まで続けられていた。

 16日の夕方5時に高浜を大八車12台に木樽の生簀24個を積み出発した。これには僧侶が50名、高浜、小浜の漁師12名が加わり生簀の魚を管理していたが、定置網から直接魚をすくい船に積んだ木樽に入れたためか弱かった魚は少なかったが、鯛同士が喧嘩して約2割程度は死んだ。予定通りの10時には神護寺に到着して下ごしらえが始まった。大法要が空海、最澄、守敏の読経で始まるが、通常この手の大法要は2~3時間が相場だが、空海は若狭から運ばれた新鮮な魚をより新鮮に食べられるようにと法要を30分に短縮していた。

 異様に短い法要が終わり宿坊もみじ亭に案内された貴賓客75名は広大な庭の紅葉に全員、息をするのを忘れるほどの自然の錦絵に感動の声が出ずに拍手で応えていた。庭の裏山の槇尾山の自然な紅葉を借景にしての雄大なもみじの庭には簡易の神楽舞台が設営されて松尾神社と稲荷神社の巫女ら20名が神楽の舞と演奏で貴賓客を出迎えていた。

 貴賓客が全員指定された席に着くと予定された時間だが、客は紅葉の余りにも見事な華麗さに見とれて庭園と座敷の間の回遊廊下に座り込み時を忘れていた。だが、新鮮かつ温かい料理の配膳をする裏方をやきもきさせていた。しかし、それは高級貴族らが紅葉の庭園を気に入った証拠だとこの庭を造った造園師と造園専門僧侶らの裏方は反対に大喜びをしていた。

 庭園に面した座敷は四部屋あり一番奥の座敷を玉の間として一段高い玉座がある。ニの座敷には皇后など従三位以上の公卿や貴族の正妻の女性ばかりの席になり、接客するのは神護寺の若手で選抜された美男子僧侶が担当する。三と四の座敷は貴賓客の男性ばかりで稲荷神社と松尾神社の巫女が接客することになっていた。本来なら四部屋の襖をすべて開放して天皇と皇后は玉座に座り天皇がお言葉を述べる儀式があるが、空海はそれをすべて省き襖は閉めたままで貴賓客が着席すると同時に豪華なお膳が運ばれてそれぞれの座敷の年長者が形ばかりの乾杯で大宴会が開始された。

 料理の主役はやはり新鮮魚介の舟盛りでまだピクピク動いている鯛と伊勢海老、越前ガニ、ウニになる。お膳の焼物はあわび、さざえ、寒ブリ、越前ガニで接客役は舟盛りの魚を貴賓客の注文で皿に取っていた。嵯峨天皇は玉座の間には座らず最澄らといつも神泉苑離宮や六条河原離宮で車座での宴会になった。正面には嵯峨天皇、左側には攘夷大将軍坂上田村麻呂、松尾神社宮司酒公、稲荷神社宮司の伊呂具、右側には比叡山仏教の最澄、奈良仏教守敏、本来は守敏の次の席に空海が座る定位置だったが、天皇と向かい合って座ったのは本日の主催者の空海が座った。その後ろには椿が控えていた。

 この玉座の間には天皇の侍女10名が両脇で控えていたが、どの侍女も若くて美しく光輝いていた。本来ならこの宴会でも主催者の空海か法要の参列のお礼を述べた後に天皇のお言葉と最澄の乾杯となるが、この簡易的な形式の儀式さえ天皇の意向で省いていた。そして今回は天皇自らこの宴会を進行すると言い出していた。その天皇が侍女に、
 「これこれ、何をしているのだ、椿のお膳を持て…」

 すると打ち合わせをしていたのか侍女5名が座布団とお膳を持って来て、侍女が空海に椿さまを横に座るれるように促し空海を右側に移動させて椿の席を確保していた。椿も空海もこのとを知らされていないためにお互い目を合わせていた。そして天皇が、
「本日は空海と椿の結婚披露宴にご列席して頂きありがとうございます。まずは空海、椿の祝福を祝って乾杯いたしたいと思います」
 と、同時に侍女が披露宴招待客に酒を注いで回り、最澄の乾杯の音頭で宴会は始まった。空海も椿もこの天皇の温かい配慮にはお返しする言葉が見つからなかった。

 こうして空海と椿の結婚披露宴は始まったか、天皇はことの他喜んだのが、鯛の活造りと越前ガニで好きな酒もそこそこに越前ガニを食べ終わったころに天皇は椿に、
「椿は魚師の娘だと聞いているが、この越前ガニが捕れた若狭の生まれか?」
「はい、私の生まれは若狭ですが、祖父は都のお役人さまと聞いています」
「ほう?、都の役人とは?」
「はい、私の祖母の梅は若い頃、若狭国国司の従五位藤原忠克さまに侍女としてお仕えしていましたが、その梅が忠克さまのお子を宿り、産まれたのが私の母の松になります」
「ほう、忠克か?、忠克はたしかに20年ほど前は若狭国の国司だった。今では朝廷の重臣で中納言従三位藤原忠克となったが、椿は忠克の孫姫、松は忠克の姫になる。その梅と松姫は元気なのか?」
「はい、梅は先の若狭鯖寿司献上道中の鯖寿司を監修いたしました。母の松は毎月5の付く日に若狭の鯖を担いで都に行商に来ています。本日もこの宴の料理の下働きをしています」
「なに!、中納言忠克の姫が行商、下働き…それは何とかしなければならないが、椿姫は祖父の忠克に会いたいのか?」
「はい、忠克さまにお会いしたく存じます」

 天皇はこの大法要には忠克も政府の重鎮の貴賓客として別の座敷には居るが、ここで会わすのが妥当なのかを暫く考えていたが、しかし、孫姫と空海の目出度い披露宴ならいいかと判断して侍女に、
「忠克と松姫をここにお連れしなさい」

 この椿の話しを空海は初耳で驚いてはいた。椿の祖母の梅が「椿を嫁にもらうと必ずいい事がある」とはいってはいたが、この事だったのかとなんとなく納得していた。
  
鯖街道④、鯖街道⑤完につづく


​​音川伊奈利


ツイコラム ツイ川柳 自選7選 これはツイッターに投稿したものでツイコラムとツイ川柳のコラボになります。

2022-08-20 09:36:39 | 日記
ツイコラム ツイ川柳 自選7選 これはツイッターに投稿したものでツイコラムとツイ川柳のコラボになります。

#ツイコラム 577
またまた #イオンタイムサービス に遭遇…見れば私の病気の #安物買いの銭失い #衝動買い になる。とはいってもTシャツは何枚あってもいいと自己弁護して買った。定価は税込1518円⇒365円なら #半額の半額 で罰は当たらない。
#ツイ川柳
・買い物で ストレス発散 ボケ防止
🦊⛩️


#ツイコラム 578 #散歩中の草花
植物の中でこれほど虐げられている花木はない。名前は #イヌホオズキ でナス科だが、別名 #バカナス 花言葉は #役立たず #嘘つき …
この花は唯一、和歌、短歌、小説、書物などの日本の文化歴史に縁がない雑草。
#ツイ川柳
・役立たず 嘘つきなんて 俺のこと
伊奈利🧡🦊⛩️


ということは私がこの #イヌホオズキ #バカナス の小説を書けば日本で最初にこの花を取り上げた作家になる〜書こう♫🦊⛩️

#ツイコラム 579 #バナナの日
#レジスタントスターチ の #バナナ を買った後に調べたら〜これは消化されないデンプンが含まれている。だから太らない食品だというが、私は栄誉と健康のために毎日バナナを食べている、しかもいつものより倍高いのに。
#ツイ川柳
・このバナナ 栄養ないの そんなバナナ
伊奈利🦊⛩️


#ツイコラム 580
#4回目のワクチン を #予約センター で予約。私なんかはまだ他の区や少し遠い医院でも行けるが、もっと高齢者は知らない町への移動は大変だと思う。○○区○○町○○医院へ○日○時です…これだけで行ける?…
#かかりつけ医 も順番ではなく患者の健康具合にも配慮が必要になる。
🦊⛩️


#ツイコラム 581
#京野菜 31品目は #加茂なす #鹿ヶ谷かぼちゃ #伏見とうがらし のように市内産が多いが、この #万願寺とうがらし は京都北部の舞鶴の万願寺地区特産になるが、他には 黒豆 、栗しかない。
この肉厚のとうがらしを油で炒めた。
#ツイ川柳
・ブランドが 手に入るのは 野菜だけ
🦊⛩️


#ツイコラム 582
#京都の老舗 #お肉処弘 の串カツは旨い!豚串カツは150円税込でいつもは豚2本で満足、でもたまには精力が付く #牛串カツ を食べたいが290円で2本は贅沢になる。ここの串カツは肉が大きく玉ねぎ少しで牛肉、豚肉そのものを味わえる。
#ツイ川柳
・1本の 牛串カツを 3本とする
伊奈利🦊⛩️


#ツイコラム 583
わずか半年前に空地となった場所に #イヌホオズキ 別名 #バカナス が、晴天が続き弱っているのと近く工事が始まるので持って帰ってきました。暫く元気になるまで花瓶で
養生しますが…生き返る?微妙
#ツイ川柳
・バカナスを 活け花にする 世界初
伊奈利🦊⛩️

小説「 #バカナスの女 紫乃」の主人公の紫乃が公園で #バカナス を見つけて自分の人生に重ねてこの花を家に持ち帰るというシーンがあったが、その明くる日の今朝の散歩で弱ったバカナスを発見したが、私も同じことをしている奇偶に…驚いています。
🦊⛩️


#ツイコラム 584 #散歩中の草花
#朝の散歩 と言っても目的がなければかなり過酷…私の場合は美人ママの喫茶店でモーニング、それにコンビニのネーチヤンに挨拶、この途中に見つけた草花をパチリ、これで約5000歩でイオンでこの花の名前を検索、コラムの編集で #脳活 花は #ビタミンカラー など4種
🦊⛩️


私のツイッターは「音川伊奈利」で検索できます。




​​​​​​​​​​小説西寺物語 46話 空海日本初の新婚旅行…嵯峨天皇が鯖街道と命名 鯖街道 小説鯖街道③

2022-08-20 05:09:38 | 日記
​​​​​​​​​​小説西寺物語 46話 空海日本初の新婚旅行…嵯峨天皇が鯖街道と命名 鯖街道 小説鯖街道③

 若狭の鯖寿司を朝廷に献上した若狭鯖寿司道中は大極殿前で解散して100名の僧侶と若狭高浜小浜女性行商隊は神護寺に引き上げ女性行商隊は少しの仮眠をしてから高浜、小浜に帰る。空海は世話係りの椿と二人で太秦の広隆寺に向かった。この二人は松尾神社の宮司酒公の配慮で広隆寺の貴賓宿坊を一ヶ月ほど借りていた。この一ヶ月というのは東寺南大門前の九常寺の裏庭に空海の宿坊「奥の院」の建立までの仮の宿坊だった。この奥の院に椿が入って空海の世話をする名目だが、これは事実上の空海の妻になり、今回の若狭鯖寿司道中は空海と椿の新婚旅行となっていた。

 この奥の院に女性の世話係りを置くというのは比叡山仏教も奈良仏教も事実上認めているからこそ宗派の高僧から各地の末寺の僧侶まで世襲制で寺の跡継ぎが決まっていた。この奥の院の女性のことを僧侶も檀家の人たちも〇〇寺のまたは住職の「奥さま」と呼ぶようになっていた。その空海との新婚旅行の初夜を向かえることになった椿は空海に、
「あの高浜寺のおもしろい住職の空海さまが、まさか、日本国を代表する大僧正さまとは椿は信じられません」
「いや~椿のお婆さんの梅さんに孫の椿を嫁にもらってくれるなら若狭で古くから伝わる鯖寿司の極意を伝授すると言われて承知したが、私は椿をひと目見て一目惚れしていた」
「やっぱり梅さんの悪巧みだったのネ、でも、私のような田舎の娘に空海さんのお嫁さんは務まるか心配です」
「いや~私だって15歳で四国の山奥から出て来た田舎ものです。お互い田舎者同士仲良く暮らしましょう」
「嬉しい~空海さま~」

 この広隆寺の建立時はまだ奈良仏教と比叡山仏教がいがみ合い双方が僧兵1000名を組織して宗教戦争が勃発する前夜だった。そんな折に都の洛外の太秦にこの地の先住民で大陸からの渡来人「秦氏」の守り寺として広隆寺の建立が桓武天皇から許されたが、寺の貫主の僧侶を奈良仏教、比叡山仏教のどちらから誘致しても宗教戦争に加担することになる。

 そこで同じ秦氏一族の氏神でもある松尾神社に広隆寺の管理が任されていた。秦氏一族からすればこの広隆寺の貫主にはやはり秦氏を祖先とする僧侶を希望していた。この秦氏を祖先とする僧侶は奈良仏教に多くて比叡山仏教にはいない。その秦氏を祖先に持つ代表的僧侶といえば西寺の守敏僧都になるが、守敏は西寺の官主に決まっていたので貫主がいないまま広隆寺は松尾神社の神職と巫女が守っていた。当時は寺と神社との区別もさほどなく同じ一つの宗教団体でしかなかった。ちなみに嵯峨天皇の正妻の橘嘉智子は秦氏の末裔の橘氏、稲荷神社の伊呂具も秦氏の末裔の荷田氏になる。

 若狭の鯖寿司と一塩の鯖を献上された嵯峨天皇と公卿や貴族の屋敷ではこの日の夕餉に出されていた。大きな塩鯖の鯖は100本で切身にすれば600~800切れになるが、これが洛中に散らばっている貴族の屋敷で一斉に焼かれたものだから、都中に秋サバの脂が火に落ちていい香りとなり庶民の住んでいる地域にも届いていた。嵯峨天皇は空海から献上された鯖寿司と焼塩鯖に満足したのか?官女に、
「この若狭の鯖は天下一品だが、この鯖はどの街道から来るのか?」
「はい、なんでも空海さまの高雄神護寺の前の高浜街道(周山街道)を整備されて高浜、小浜から運ばれて来ます。今後もこの街道から若狭の鯖が大量に都に運ばれて来るそうです」
「そか、それなら庶民もこんな旨い鯖を食べられるのか?、それなら神護寺前の街道を鯖街道と命名する」

 公卿や貴族があまりにも多すぎて家来に官女ら侍女、下級の貴族には若狭鯖寿司道中の噂話や焼き鯖の匂いだけで若狭の鯖を口にすることは出来なかった。貴族でもそうだから大店の主や庶民まで若狭の鯖を食べたいと思うのは人情になる。そこで公卿や貴族の屋敷に出入りしている魚屋に若狭の鯖寿司と塩鯖の注文が殺到していた。

 洛中や洛外の魚屋は七条の公設西市場で魚を卸してもらうが、この魚仲買人も殺気立ち若狭高浜、小浜の魚を仕入れるために大八車と番頭や手代を若狭に向かわせた。若狭までの街道は嵯峨天皇が命名した鯖街道が使われ鯖街道は昼夜を問わず賑わったが、この若狭街道には一里ごとに番屋があり番屋の六畳ほどの休憩所では急病や大雨などの避難場所になるなど、空海の弟子が旅人を守ってくれるので女、子供だけでも安心して旅が出来る日本一の1級国道になった。これを一人旅でも空海が見守ってくれるので安心と「同行二人」という言葉が生まれ、空海の信者が鰻登りのごとく増えた。

 空海の今までの信者と末寺を布教する武器とは奈良仏教の利権宗教を批判した上で比叡山仏教の「民衆を救い、民衆を幸せにする」ためには比叡山仏教の全僧侶に農業から土木工事、医療までの専門僧侶を育成してその僧侶を貧しい農村に派遣して末寺を増やしてきた数は全国で600寺院を越えていた。つまり、信者のすべては比叡山仏教を信じたものでその比叡山仏教とは最澄そのものだった。

 空海はその最澄から独立しょうと真言宗を立ち上げたが、最澄の怒りをかって空海は破門になった。空海が全国を駆け巡り布教した600寺院のある農村のすべてが空海より比叡山仏教の最澄を選んでいた。幸い空海は最澄からの破門は解かれたが、残った末寺は九常寺だけで失望から一時は自殺も考えていた。

 一方の空海が強烈に批判していた奈良仏教は守敏僧侶の奈良仏教改革が成功して奈良仏教の伝統ある仏教の元々の信者である公卿や貴族の九割方を取り返したものの農村部で弱かったが、守敏は比叡山仏教の根本である「民衆を救い、民衆を幸せにする」を最澄から学び比叡山仏教と同じように全僧侶に専門技術を持たせた。この最澄と守敏を仲良くさせたのは嵯峨天皇であり、もはや空海は正一位、つまり、日本一の仏教教団樹立は夢の夢だと思うのは当然になる。

 椿との新婚初夜にこんな私の失敗談を披露して不粋な男だと前置きしてから空海は過去の出来事を椿に話しをしていた。お膳には椿の祖母の梅さんが、丹精込めて作った鯖寿司やカレイの一夜干しが並び二人で酒を飲んでいた。椿はまだ22歳だというのに酒は強くて笑い上戸だった。その椿が、
「空海さまは高浜や小浜の人々にとっては正一位どころか神さまになります。空海さまが若狭で漁民を指導したのと同じことを日本中ですれは空海さまが目標としている日本一の宗教教団などすぐにできます。私もその日本一の空海さまの嫁に恥じない教養を身につけるますから安心して民衆を救い、民衆を幸せにして下さい」
「そか、梅さんが椿を嫁にすれば私の夢が叶うと言っていたが、私にすれは梅さんが愛染観音に見える」
「ハハハ…梅さんが観音さん?、私には強欲婆さんにしか見えません」
「明日から一ヶ月もここで暮らすが、椿はどこか行きたい所はあるか?」
「はい、高雄神護寺の紅葉が見たいです。あの鯖街道から見る高雄渓谷の自然の紅葉は息を呑むほど綺麗で雅です。都の人々はどうして紅葉の素晴らしさがわからないのか椿には不思議でなりません」
「たしかに、梅や桃の名所はあるが、屋敷や寺の庭木になる。雄大な山の自然な高雄神護寺の紅葉か~いや~あの神護寺は和気清麻呂の私寺で境内には広大な庭の別荘があったが、その別荘を宿坊料亭にして若狭の新鮮な魚と紅葉狩りの名所にすれば高級貴族の遊び場にもなるし、庶民も神護寺で紅葉狩りが楽しめる、椿ありがとう」

 空海は思いついた日が吉日と早速九常寺の奥の院の建設工事を中止にして宮大工を神護寺に集め料亭への改修突貫工事に入った。当初予定していた椿との新婚生活の場を九常寺でもなく神護寺でもなく宿坊もみじ亭にした。そしてもみじ亭の女将には当然ながら椿になる。
   鯖街道④につづく​​