庶民に愛されてこそ #国葬 になる。
「 #桓武天皇 の #生前葬儀 と桃の花見大会、一般庶民参加の大宴会~ #桃山柏原御陵 #伏見稲荷大社の物語 38話」
桓武天皇は御前会議で突然「予の生前葬儀を開催する」ということを言い出した。この天皇はいいだしたら聞かないのでこの通りになったが、朝廷の事務方はなにせ歴代天皇でこんな生前葬儀をしていないので困り果てていた。そして天皇の命令で洛中、洛外の主要な辻に葬儀の内容を駒札に書いて提示していた。
それによると「桓武天皇の生前葬儀及び桃の花見大会を805年3月3日に桃山御陵でとりおこなう。一般庶民、農民も平服で参加できる。香典及びお供えものは固く辞退する。尚、茶と酒をふるまうが、身分を問わず陶器の器と弁当を持参すること」とある。
この駒札が東九条村の辻に立ったのが1月の月初め、東九条村の村長の長谷川喜六はこれに喜んだが、喜六の家にもこの陶器の器というものがなかった。当時飯を食うのも土の素焼き、もしくわ木の目地がでた椀のみだった。村長の喜六でもそうだから農民を問わず一般庶民もこれには困っていた。それにお茶なんてものは高級貴族以上の位の者しか飲めず、そのありがたい茶をいただくのにはやはり陶器の器が必要になると人々は清水焼の店に殺到していた。
このころになると清水焼の窯元が30数軒もできていたので窯元もこの天皇の行事に賛同して陶器の茶碗を格安で販売していた。またこの話を聞いた瀬戸の窯元、四国からも業者が茶碗に限らず、皿や徳利、御猪口、それに壺まで持って清水寺の参道に陶器市ができていた。もちろん稲荷神社の参道にもこの陶器の店が数軒できていた。稲荷神社二代目宮司の生成はこの天皇の意図が分かっていた。そして天皇に、
「生前葬儀とは考えましたな~天皇」
「いゃいゃ、生成、いつもお主にアドバイスを貰ったままで予も天国には生きづらい…農民や庶民の生活に文化をと思った」
「陶器もそうだが、なんぼ平服でいいといってもそこはそこで農民もお洒落するだろう。そうすれば絹や木綿の生産、それに織物業に染物業者にまで豊かになります」
天皇が生前に造った桃山御陵は円墳で高さが30m、直径80m、周囲が240mある。そこに横穴を掘って中央に石室と石棺が置かれていた。その円墳の周りには桃の木数百本が植えられたことからこの地を桃山といった。この円墳の屋上にも木の階段が作られて誰でも上がれように当日はなっている。この上から下界を見ると南には奈良の山並み、南西には大阪湾、そして六甲の山、天王山から嵐山の西山連峰、愛宕山~比叡山の北山、東寺に西寺、そして羅城門から大極殿までが手に取るようにわかる。そこに少しお洒落して手には陶器の器を持った農民や庶民が上がって楽しんでいた。
満開の桃の花の下での桓武天皇主催の「生前葬及び桃の花見大会」は稲荷神社の雅楽と巫女さんら30名のショーで始まっていた。周囲240mの墓の上も超満員で平安騎馬隊の隊士らが1人10分で降りなさいと声を張り上げていた。そして天皇が眠る石室も公開されてこれもまた長蛇の列ができていた。
天皇は「予が生きている限り毎年ここで生前葬儀と桃の花見大会をする」と宣言されていた。この日が3月3日だったことからこの日の桃の花見大会を記念して「桃の節句」と呼ぶようになった。そして2回目が開催された直後の806年4月9日に第50代桓武天皇は亡くなっていた。
この農民らが飲んだお茶というのは朝廷の近江の国坂本の茶畑で栽培されたものでこれより380年後に栄西は建仁寺、また明恵は高山寺にてお茶の栽培に成功したと歴史書にはあるがこの茶とはまた違う「朝宮茶」というものだった。天皇崩御後は都の公家も貴族もそして農民、庶民に至るまで3年間のお茶断ちの儀が行われたと同時にこの禁裏の茶園も歴史から消えていた。ちなみにこれから793年後に秀吉が醍醐の花見大会を開催するが、これはこの桃山の花見を真似たものになる。
★…この現在の京都でも内外からの観光客を誘致する大作戦を展開している。それは観光客が金を落としてそれが回り回って京都市民も豊かになるという発想になるが、その誘致をする資金は京都市民の税金でまかなうが、それを回収するのは大手の東京資本になるので市民に残るのは交通渋滞と市バスの満員でしんどい目をするだけになる。
★…この桓武天皇のように資本を投資するのはまず農民(年貢わずか10%など)や庶民に直接投資してそれが回り回って国の経済が良くなるという発想にはなかなかならないらしい?…そのためには派遣労働法を全廃して働けば必ず正社員になるという夢を国民に与えなければならない。それにやむなく労働者本人の都合でパート、アルバイトの場合でも賃金は同程度にしなければならない。こうなればデートもできるし、結婚もできる、さらに子供も増える。そんなことをすれば我社はつぶれるというアホ社長もいるが、そんな会社はもう社会に必要がないのです。
★…桃山柏原御陵・音川伊奈利
★…画像は駒札、竹田街道札ノ辻
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