gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

​​​​​​​​​​​​​小説西寺物語 47話 椿の一言で神護寺都唯一の紅葉の名所に、空海椿の結婚披露宴・小説鯖街道​④話

2022-08-21 05:08:19 | 日記
​​​​​​​​​​​​​小説西寺物語 47話 椿の一言で神護寺都唯一の紅葉の名所に、空海椿の結婚披露宴・小説鯖街道​④話

 季節は813年12月6日、この秋から冬は暖冬で高雄神護寺の紅葉も色付き始めで見頃は12月中旬だと造園が専門の僧侶が空海に説明をしていた。中旬なら10日もあるから宿坊もみじ亭の建物と庭園の整備を急がせ17日に真言宗本山神護寺の再興大法要を行うと内外に宣言していた。空海の弟子300名の内50名を当日の朝には高浜、小浜から新鮮な魚が神護寺に届けるための僧侶として派遣。残りの250名で宿坊もみじ亭の整備と牛車が本堂まで通れる階段以外の脇道の道路工事となった。

 また都から宮大工50名、造園師50名を呼んで嵯峨天皇が着座する玉座と貴賓室の装備を依頼していた。この旧和気清麻呂の別荘の広大な庭には四季の木々があるが、もみじ以外は他に移植してから高雄山に自生していた樹齢50~100年で枝ぶりのいい紅葉を庭に移植していた。空海はこの神護寺再興大法要には嵯峨天皇、橘嘉智子正妻など皇族。攘夷大将軍坂上田村麻呂と幹部武将5名、従三位以上の高級貴族30名、比叡山仏教の最澄と高弟の高僧5名、奈良仏教の守敏と高弟5名稲荷神社の伊呂具、松尾神社の酒公など貴賓招待客80名に招待状を出していたが、貴賓客以外のお付きの官女、侍女、武士、牛方まで入れるともみじ狩りの客は500名を予定していた。

 この空海の招待状にいち早く反応したのが、嵯峨天皇で宮中はこの天皇の高雄神護寺行幸には驚いてはいたが、天皇が行幸するとなればどんなに急でも皇族も高級貴族も従うしか道はない。それも10日先では天皇や皇族の警備の用意に宮中中が湧きだっていた。そして天皇の行幸の準備をするのは従四位程度の貴族と部下の下級貴族で皇族や高級貴族の牛車の手配、通り道の警備や整備までどの貴族も日頃働いていないのに17日の行幸までは徹夜を覚悟をしていた。

 若狭高浜、小浜の漁民たちもこの空海の神護寺再興法要を全面的に支援することを漁港組合で決議した。空海がいう嵯峨天皇や皇族、高級貴族たちに若狭の新鮮な魚介類を食べてもらうというのは最高の名誉で先の若狭鯖寿司道中の成功で若狭の魚介類は高値がついて高浜や小浜の漁港では都からの魚仲買人が大勢押し寄せて漁民ばかりか浜で魚を加工する主婦や高齢者、15歳以下の子供まで総動員した結果貧しい漁村からかなり裕福な漁村に生まれ変わっていた。

 ただ、新鮮な魚介類となるとかなりやっかいで越前カニやあわび、さざえなら冬場なら元気なまま神護寺に運べるが、鯛やひらめ、イカやぶりなどは生きたまま都に運ぶことは今まで考えたことはなかった。そこで僧侶50人と高浜、小浜の漁民の役員30人で作戦を練っていた。そこで小浜の村長の種吉が、
「以前、若狭国の国司が鯛の活造りを食べたいというので冬場だったが、大きな木樽に海水を入れて鯛を泳がして小浜から若狭国府(福井)まで25里を25時間かけて運んだことがあるが、その時には5匹の鯛の3匹は無事生きていたが、それから比べると神護寺までは16里で16時間だから鯛は楽にいける」

 また別の漁師は、
「聞けば貴賓客にだけ生魚をお出しするというが、その数は80名だそうだ、そうなると活造りの鯛だけでも20匹はいるが、途中で死ぬ鯛も計算に入れなければならない」
 種吉は、
「鯛や越前ガニ、伊勢海老、あわび、さざえは網の生簀でも数日は生きているから問題はない。他の魚は定置網の水揚げを夕方にして船に木樽を積んでそのまま陸揚げすれば大抵の魚は生け捕りができる。輸送中に弱かった魚はその場で絞めて血抜きをするので焼き魚や煮付けでも新鮮なままで無駄がない」

 一方の椿は広隆寺には空海が手配した元皇族や高級貴族に仕えた侍女10名を雇い椿をどこに出しても通用する貴婦人にする教育を受けていた。これは空海の妻というより10日後に開催される神護寺再興大法要の後には宿坊もみじ亭での嵯峨天皇、皇后を招いての大宴会では空海の妻としてまたもみじ亭の女将として接待するには貴族の習わしごとを知り絶対に失敗は許されないための訓練であった。

 椿は10名の専門分野の元侍女がそれこそ歩き方から座り方、箸の上げ下げまで厳しく教育されたが、椿はこれを難なくこなしていた。この合間には呉服商の高島屋から番頭と手代数名が椿の長襦袢から着物羽織10枚の柄選びに採寸、さらに小間物屋からも化粧道具一式持ち込まれ元侍女の化粧係りから宮中の社交貴婦人に相応しい化粧と肌の手入れ、髪型まで特訓していた。椿は生まれてからこの日までは木綿の着物しか着たことがなく、絹の着物と羽織を着ても軽すぎてなにか裸で歩いているかの気分に顔を赤らめていた。この過酷な教育は16日の深夜まで行われて17日当日の早朝に宿坊もみじ亭に入っても元侍女の10名とともに天皇、皇后、高級貴族の座る場所を確認しながらの訓練は休みなく大法要が終わり、宴会に入る直前まで続けられていた。

 16日の夕方5時に高浜を大八車12台に木樽の生簀24個を積み出発した。これには僧侶が50名、高浜、小浜の漁師12名が加わり生簀の魚を管理していたが、定置網から直接魚をすくい船に積んだ木樽に入れたためか弱かった魚は少なかったが、鯛同士が喧嘩して約2割程度は死んだ。予定通りの10時には神護寺に到着して下ごしらえが始まった。大法要が空海、最澄、守敏の読経で始まるが、通常この手の大法要は2~3時間が相場だが、空海は若狭から運ばれた新鮮な魚をより新鮮に食べられるようにと法要を30分に短縮していた。

 異様に短い法要が終わり宿坊もみじ亭に案内された貴賓客75名は広大な庭の紅葉に全員、息をするのを忘れるほどの自然の錦絵に感動の声が出ずに拍手で応えていた。庭の裏山の槇尾山の自然な紅葉を借景にしての雄大なもみじの庭には簡易の神楽舞台が設営されて松尾神社と稲荷神社の巫女ら20名が神楽の舞と演奏で貴賓客を出迎えていた。

 貴賓客が全員指定された席に着くと予定された時間だが、客は紅葉の余りにも見事な華麗さに見とれて庭園と座敷の間の回遊廊下に座り込み時を忘れていた。だが、新鮮かつ温かい料理の配膳をする裏方をやきもきさせていた。しかし、それは高級貴族らが紅葉の庭園を気に入った証拠だとこの庭を造った造園師と造園専門僧侶らの裏方は反対に大喜びをしていた。

 庭園に面した座敷は四部屋あり一番奥の座敷を玉の間として一段高い玉座がある。ニの座敷には皇后など従三位以上の公卿や貴族の正妻の女性ばかりの席になり、接客するのは神護寺の若手で選抜された美男子僧侶が担当する。三と四の座敷は貴賓客の男性ばかりで稲荷神社と松尾神社の巫女が接客することになっていた。本来なら四部屋の襖をすべて開放して天皇と皇后は玉座に座り天皇がお言葉を述べる儀式があるが、空海はそれをすべて省き襖は閉めたままで貴賓客が着席すると同時に豪華なお膳が運ばれてそれぞれの座敷の年長者が形ばかりの乾杯で大宴会が開始された。

 料理の主役はやはり新鮮魚介の舟盛りでまだピクピク動いている鯛と伊勢海老、越前ガニ、ウニになる。お膳の焼物はあわび、さざえ、寒ブリ、越前ガニで接客役は舟盛りの魚を貴賓客の注文で皿に取っていた。嵯峨天皇は玉座の間には座らず最澄らといつも神泉苑離宮や六条河原離宮で車座での宴会になった。正面には嵯峨天皇、左側には攘夷大将軍坂上田村麻呂、松尾神社宮司酒公、稲荷神社宮司の伊呂具、右側には比叡山仏教の最澄、奈良仏教守敏、本来は守敏の次の席に空海が座る定位置だったが、天皇と向かい合って座ったのは本日の主催者の空海が座った。その後ろには椿が控えていた。

 この玉座の間には天皇の侍女10名が両脇で控えていたが、どの侍女も若くて美しく光輝いていた。本来ならこの宴会でも主催者の空海か法要の参列のお礼を述べた後に天皇のお言葉と最澄の乾杯となるが、この簡易的な形式の儀式さえ天皇の意向で省いていた。そして今回は天皇自らこの宴会を進行すると言い出していた。その天皇が侍女に、
 「これこれ、何をしているのだ、椿のお膳を持て…」

 すると打ち合わせをしていたのか侍女5名が座布団とお膳を持って来て、侍女が空海に椿さまを横に座るれるように促し空海を右側に移動させて椿の席を確保していた。椿も空海もこのとを知らされていないためにお互い目を合わせていた。そして天皇が、
「本日は空海と椿の結婚披露宴にご列席して頂きありがとうございます。まずは空海、椿の祝福を祝って乾杯いたしたいと思います」
 と、同時に侍女が披露宴招待客に酒を注いで回り、最澄の乾杯の音頭で宴会は始まった。空海も椿もこの天皇の温かい配慮にはお返しする言葉が見つからなかった。

 こうして空海と椿の結婚披露宴は始まったか、天皇はことの他喜んだのが、鯛の活造りと越前ガニで好きな酒もそこそこに越前ガニを食べ終わったころに天皇は椿に、
「椿は魚師の娘だと聞いているが、この越前ガニが捕れた若狭の生まれか?」
「はい、私の生まれは若狭ですが、祖父は都のお役人さまと聞いています」
「ほう?、都の役人とは?」
「はい、私の祖母の梅は若い頃、若狭国国司の従五位藤原忠克さまに侍女としてお仕えしていましたが、その梅が忠克さまのお子を宿り、産まれたのが私の母の松になります」
「ほう、忠克か?、忠克はたしかに20年ほど前は若狭国の国司だった。今では朝廷の重臣で中納言従三位藤原忠克となったが、椿は忠克の孫姫、松は忠克の姫になる。その梅と松姫は元気なのか?」
「はい、梅は先の若狭鯖寿司献上道中の鯖寿司を監修いたしました。母の松は毎月5の付く日に若狭の鯖を担いで都に行商に来ています。本日もこの宴の料理の下働きをしています」
「なに!、中納言忠克の姫が行商、下働き…それは何とかしなければならないが、椿姫は祖父の忠克に会いたいのか?」
「はい、忠克さまにお会いしたく存じます」

 天皇はこの大法要には忠克も政府の重鎮の貴賓客として別の座敷には居るが、ここで会わすのが妥当なのかを暫く考えていたが、しかし、孫姫と空海の目出度い披露宴ならいいかと判断して侍女に、
「忠克と松姫をここにお連れしなさい」

 この椿の話しを空海は初耳で驚いてはいた。椿の祖母の梅が「椿を嫁にもらうと必ずいい事がある」とはいってはいたが、この事だったのかとなんとなく納得していた。
  
鯖街道④、鯖街道⑤完につづく


​​音川伊奈利



最新の画像もっと見る

コメントを投稿