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2分で読める小説 駆け込み寺居酒屋ポン吉「 サザンカの女 椿」…働く女性たち 51話

2022-10-15 10:40:56 | 日記
2分で読める小説
駆け込み寺居酒屋ポン吉「 サザンカの女 椿」…働く女性たち 51話

 音吉が朝の散歩をしている途中の西大路九条交差点のマンションに植えられているサザンカの花を写真に撮っていた。その時若くて綺麗な女性から、
「あの~これは椿ですか?」
「いえ、これは秋から冬にかけて咲くサザンカです、椿は冬から春に咲きます」
「そうでしたか~私の名前は椿なのにそんなことも知らないで恥ずかしいです…」
「ほぅ、椿さんとは素敵な名前だ!。これから出勤ですか?」
「はい、それも今日が最後で…」
「あらら、まだお若いのに寿退社ですか?」
「いえ、それならいいですが…色々あって…」
「もしなにか事情があるならお聞かせください、お役に立てるかはかりませんが…私はこの先の、西大路駅近くで居酒屋をやっていますから帰りにでも寄ってください」
「はい、マスターさんですね、退社の時に時々お顔を拝見させていただいています」

 その日の午後6時前には椿さんが店に来た。
音吉は若い女性の悩みはすべてママの幸子に丸投げをしていた。その幸子に椿は悩みを訴えていた。椿は色白で背も高く長い黒髪が似合う美人で一流製薬会社のOLだった。その椿は兵庫県の高校を卒業した後に京都の私立大学に入学したが、ホームシックからかすぐに同じ大学の学生の恋人ができていた。学生生活も派手になっていく一方で時給850円のコンビニのアルバイトからより高収入のスナックのホステスになっていた。大人の世界に首を突っ込んだ椿は恋人のたよりなさが目に付き彼とは別れていた。

 そこまで話をした時にこの店の常連の武田が大きなクーラーボックスを持って現れた。この武田は釣りが好きで今日も釣りをして釣ってきたタチウオを自慢している。
「どや、ママ、このタチウオは105cmの大物で今日の釣り大会で優勝した」
「あらら、珍しいいつもは坊主ばかりなのに、しかし、この大きなタチウオは私もさばくのは初めてよ…」

 その話を聞いていた椿は、
「ママさん、そのタチウオは父が良く釣ってきたので私がさばけます」
こうして椿はカウンターの中に入り手際よく料理していた。このお刺身を食べていたが、店に客が立て込んできてママも音吉も椿の悩みを聞くチャンスがなかった。そこで音吉は武田に、
「この椿さんの悩みを聞いてあげてほしい、カウンターでは不味いからテーブル席に移動しては…」

 武田は65歳で製薬会社の営業をしていたが、定年後はその会社の関連会社の取締役として働いていた。妻とは離婚して今は一人で暮らしている。その定年前の会社というのが椿が今日まで勤めていた製薬会社という奇遇から武田と椿は意気投合していた。椿は武田に相談をしている、
「そのスナックよりももっと高収入になると女子学生仲間から風俗に誘われて私はそこを1年ほど勤めてからこの会社に就職をしたのですが、その時の常連客がたまたま就職した製薬会社にいたのです」
「しかし、あんな風俗では素顔ではなく濃い化粧をしているのでは…」
「はい、それが私の右側の耳の下の首に黒い黒子が二つ並んでいるのです。その社員は店の待合室に飾ってある濃い化粧の写真をいつのまにか撮っていてその写真にもその黒子があったのです。ある時、その社員にその写真を見せられて、君は木屋町のヘルスにいた「サザンカ」に間違いがないというのです」
「ほう、そんなこともあるのか…?…それで椿さんはサザンカさんだったの?」
「はい、その通りですが、もちろん私は違うといいましたが、その噂が社内中に広がって私は今日退職をしてきたのです」

 武田と椿はもう白ワインのボトル2本目で椿の色白の肌がピンクに染まってきた。そして武田が、
「その常連の男からなにか脅迫でも…」
「はい、その男は私にヘルスと同じサービスをしてくれたらこのことは内緒にするとメールがありました。もちろん断りましたが、男は納得せず社内に噂を広めた卑怯者です。この男は経理部の係長の30歳で同じ会社に勤めている専務の孫娘と婚約しています。社内では逆玉の輿として将来を約束されて来週の土曜日に結婚式を予定しています」
「ほう、あの専務は次期社長になるが、その孫娘の婿となるとすぐに経理課長か部長が約束されている」
「はい、その通りです。そこで私はその婚約者の孫娘に今日の退社時に今までの経緯を書いた手紙を手渡してきました」
「ほう…復讐ですか…?」

 この話の途中にその婚約者から椿に電話があった。椿は相手の質問に答えている様子だが、その電話は3分ほどで切られていた。そして椿は、
「あの手紙を専務にも見せたそうです。そして婚約は破棄されて彼は明日付で懲戒解雇されるそうです」
「ほう、見事な復讐劇になった、おめでとう~!、ところで椿さんは魚のさばき方が上手いが、実家は料理屋さんですか?」
「あら、自己紹介が遅くなってすいません。私は河原崎椿で兵庫県西宮の今津港で育ちました。実家は元々漁師だったのですが、今では釣り船と民宿「河原崎 祥豊丸」を経営しています」
「えぇぇぇ~実はそのタチウオを釣ったのは祥豊丸です。その民宿ももう何回も泊まっているし、それに次の土曜日にも予約を入れています」
「へえ~祥豊丸の船長は私の兄です…そんな人に私の過去の過ちの話をしてしまった…」
「いゃいゃ、私は彼と違って脅迫はしませんから安心してください」
「でも…それでは私の気がすみません…」

 そこにママの幸子が口を挟んできた。
「武ちゃん~椿さんは武ちゃんに色々話を聞いてもらって気が晴れ晴れしているのよ…こんな日は女って優しい男性に抱かれたいものよ…」
「いゃいゃ、俺は…もう65歳で…こんな若い娘をどうこうする気は…」
「何をいっているの、武ちゃんが私を抱きたいといつも愛のメールをしてくれるけどあれは嘘だったの?」
「いゃ~何もそんなことを椿さんの前で…」

 椿はこのママと武田の話を笑って聞いていたが、
「武田さん…なにも心配しないで私がサービスをしますから、それに私も実家に会社を辞めたことを報告しに帰りますから一緒に車に乗せてほしいの…」

 ママの幸子は武田に、
「今夜は武ちゃんの自宅?それともラブホテル?、ラブホテルならタクシーを呼びますが…」
武ちゃんは顔を真っ赤にしてママに、
「ラ、ラブホテル…ママ、今日の昼間は釣り大会で優勝、そして夜も空前の大漁…」
「そう、大漁旗と竿もおっ起ててネ…武ちゃん」

この小説は55話まで書けています。


「風俗嬢から祇園の割烹の女将に 鮎子」 駆け込み寺居酒屋ポン吉 27話

2022-10-13 10:02:49 | 日記
「風俗嬢から祇園の割烹の女将に 鮎子」 駆け込み寺居酒屋ポン吉 27話

女は賢くしたたかに生きる
「風俗嬢から祇園の割烹の女将に 鮎子」 駆け込み寺居酒屋ポン吉 27話

 JR西大路駅近くの「洋風居酒屋ポン吉」のマスターの音吉はたまにしか店にでてこないが、店で使う食材はママの幸子の指示で買い出しに毎日いっていた。この指示はネットの掲示板に書かれている、たとえば「蛸のお造り」「かつをのたたき」「ブリのお造り」「イカのお造り」の短冊をそれぞれ5人前ぐらいなどと書かれている。

 この掲示板は客にも解放されているのでこの食べたいお造りがあれば予約ができるというシステムで、例えば仕事が遅くなり午後10時半しか店にこれない客は目当ての生ものを予約できるし、また本日のメニューの情報にもなる。この居酒屋にとってはこの生ものを余らすというロスが最大のネックになるからだ。それに完全に売れればこのお造りなど生ものも1人前500円程度の安さで売っても儲かることになる。

 音吉は魚類の買い物は近くのスーパーの鮮魚専門店「魚嘉」で買っている。いつも20人前程度のお造りを買っているので店のレジの女の子とも仲良くなる。ある日、その鮮魚店の店員が、
「いつも買っていただいてありがとうございます。このお造りなどはどこのお店で使っているのですか?」
「あぁ~これは駅近くの「駆け込み寺居酒屋ポン吉」という居酒屋でお客様におだししています。店のブログがありますので一度見てください。

 それから一週間ほどしてこのブログの付属掲示板に、
「魚屋の店長の妻で「真澄」と申します。ブログ等を拝見いたしましたが、一度姉のことで相談したいことがあります」と書かれてあったので音吉はそれの日時を掲示板に書いていた。そして真澄が店に来た。

 この真澄は28歳でこの鮮魚店の経営者の長男の嫁でこの長男は京都の直営5店の総括店長をしているという。真澄は姫路の出身でこの姫路の鮮魚店で夫と知り合い結婚をしていた。この真澄の二つ上に「鮎子」という姉がいるが、この鮎子はかなりの不良で風俗店に勤めていたが、同じ姫路のホストに貢いで借金まみれになっていた。しかし、この鮎子もこれらを反省して新天地にこの京都で働きたいということだった。真澄は、
「この姉が風俗で働いていたことや借金があったことなどを夫には絶対に相談はできないのです…」
「そら~あの鮮魚店「魚嘉」は100年も続いている関西でも50店舗を展開する有名な老舗になる」
「はい、借金は私の両親と私のへそくりでなんとかしましたが、姉が風俗店で働いていたことがわかると…それにもう両親も私もお金がありません」
「しかし、一度風俗のボロ儲けを経験したら時給900円や1000円では働けずまた風俗に戻るものです」
「それが私も心配でもし京都でなにかの摘発で姉が逮捕されたら名前が「鮎子」というのですぐに夫やその家族にバレます」
「それで私の経営するマンションと店で監視してほしいというの?真澄さん」
「はい…マスターなかなか察しがいいですね~本当にたのもしいお方です」
「おぃおぃ、こんな老人をおだてて…」
「お礼といってもなんですけれど…音吉さんが「タラバガニ」が大好きだとブログに書いてありましたから、根室で獲れた最高級のタラバガニをお持ちしました」

 こうしてタラバガニで買収された音吉は家具と電化製品、それに台所用品がすべて揃っている103号室に鮎子を迎えていた。当面は居酒屋で働くという約束で家賃は社宅として免除していた。その鮎子は30歳だが、これより5歳は若く見える化粧なのかイケイケネーチャンの雰囲気だった。店のママの幸子と気が合うのか?それともフルタイムで働くのでわずか半月で「チィママ」と呼ばれる人気ものになっていた。それでも前科者?として音吉とママは鮎子を1人にさせずに監視していた。

 ある日、店の開店前のひと時に、鮎子は音吉とママに、
「なんとなく私を監視しているようだけど、マスターもママも安心して私はもう風俗に勤めたりホスト遊びは絶対にしませんのことよ~ホホホ」
ママの幸子が、
「いぇ、監視しているつもりはないけど…やっぱりマスターも私も心配なのよね~」
「私はママの接待や料理、それに着物の着付け、お品書きのお習字などを覚えて2年後には祇園の一等地に「割烹 魚嘉祇園店」のママになることがもう決まっています」
「えっ~魚嘉って妹さんの店の支店?」
「はい、妹の旦那の高広さんとの約束なの」

 音吉はそんなことは初耳なので鮎子に聞いていた、
「なんで?妹さんの夫の高広さんとそんな約束をしたの?」
「うん~これは絶対に妹には内緒だけど、実は姫路の私の勤めていた風俗店に偶然だけど高広さんが遊びにきたの、それで二人ともビックリ仰天したけれどもお互い内緒にしておこうとなったの。それで店で禁止されているサービスなどをして十数回も指名で来てくれたの」

 それから高広は口封じのために鮎子がまじめになって料理の一つでも覚えてくれれば真澄のお姉さんとして店の一軒でも出すと約束をしてれたという。それで妹に京都に住みたいといったらこのポン吉さんを紹介してくれて私は今一生懸命にママから水商売のイロハを習って一流の祇園の女将になるという。幸子は、
「それで、今は高広さんとは?」
「ううん、それっきり何の関係もないわ~だって、その時は風俗嬢だったけど今は妹の旦那じゃないの~ホホホ」
「そうよね~女は賢くそしてしたたかに生きなければならないのよね~」
と、幸子と鮎子は手を握り合ってこの話のすべてを共感していた。その時、その噂の真澄とその旦那の高広の二人が店に現れた。その高広は、音吉に、
「真澄の姉がここで大変お世話になっていることを聞いてご挨拶にきました。いずれこの鮎子を私の方で引き取りますからそれまでなにかとご指導をよろしくお願いいたします」

 それからこの5人で仲良く乾杯をしていたが、幸子がポツリと、
「世の中捨てる神あり拾う神ありというけれど…なんとなしにうまくいくのよね~」
というと、5人全員がそれぞれ違う意味で納得をしていた。


この小説「駆け込み寺居酒屋ポン吉」は55話まで書けています。🦊⛩️

お賽銭や願いことのお礼は願いが叶った後の後払い…千本鳥居の1本目 伏見稲荷大社の物語 66話

2022-10-12 15:09:48 | 日記
お賽銭や願いことのお礼は願いが叶った後の後払いになるというのが千本鳥居のルーツになる。千本鳥居の1本目 伏見稲荷大社の物語 66話

 平安時代の初期はまだまだ貨幣が十分流通していなかったので物々交換が市場の原則だった。稲荷神社もお賽銭の箱はあるが、これはほとんど利用されなくて信者達は米や野菜、それに海産物、絹糸、絹織物などをお供えとしていた。ただこれらは重くて持ち運びに不便になるので願をかける、または祈祷やお祓いを受ける時には持参してこなかった。

 まあいわば無料で先に神様にお願いしてもしそれが叶ったらその時には大八車にお礼のお供え物を持ち込むか、日本通運にお願いして輸送するかの手段が一般的になる。つまり、神様としてはこれらのお願いごとに応えなければその分、神社へのお供えが減るという真剣勝負にもなる。しかし、これがもしお供えの前払いだったら神様も手を抜くし、また忘れることもある。

 人の世界というのは悩みが途切れないから一つのお願いが叶ってもまた次の悩みや相談事ができるもので先のお願いのお礼として米を一升~一俵お供えしてた上で次の悩みや願いことを神職に相談していた。この悩みを聞く神職は10名ほどいるが、やはり一番人気は稲荷神社三代目の宮司の伊蔵になる。ただこの宮司の占いや祈祷はすべて予約制でもう2年先まで予約でいっぱいだった。

 今日の伊蔵の予約者は塩問屋で豪商の「播磨屋」だった、この播磨屋は伊蔵に、
「都の塩の需要は毎年倍々ゲームで増えています。ところが赤穂から船で大阪湾の淀川河口、ここで三十石船に積み替えて淀川を上がり淀の港に着きます。そこから京街道(鳥羽街道)を牛貨車、または大八車で東市まで運ぶのですが、これが高くつき塩の値段が下がりません」
「そうか~最近、野菜の保存食として「京つけもの」が大流行だが、これには安い塩が大量に必要になる」
「はい、それで東市(朱雀大路松原付近)から撤退して油小路(油の問屋街)のような塩小路を淀に近いところに作れば便利になります」
「しかし、播磨屋は卸問屋だからそれでいいが、今度は塩の小売店が淀まで塩を取りにいかねばならない」
「そうですね~そこでどの場所がいいのか占ってほしいのです」

 伊蔵はこれを占っていた、そして結果を、
「それなら淀港からまた船に積み替えて鴨川を上がってくればいい」
「しかし、鴨川は水量がそんなになく船の底が…」
「そう、だが、この水量に合わせて船底を平らにすればいいことになる」
「な、なるほど発想の転換ですね…」
「そう、船着き場は七条辺りの鴨川右岸にしてその船着き場を塩小路とすれば洛中の塩小売商も近くで便利になる」
「つまり、塩を降ろしたその場所が塩問屋街になるのか…」
「それに帰りの船には「京つけもの」や「酒、味噌、醤油」を積んで浪速の国などにも売れる」

 この船は底が平らで十石ほど積めることから塩10石船(約1500キロ、後に高瀬舟)と呼ばれていた。この船は川船仕様の簡単で底が平らということで安価、なおかつ大量に造船できる。播磨屋は伊蔵にお礼は何がいいかと尋ねている。
「そうだな~もし播磨屋さんがこれで儲かれば鳥居を一つ寄進してほしい」
「はっ?鳥居でいいのですか?」
「そうだ、商売繁盛の願いが叶った場合には鳥居を一つ寄進していただけたら、それが1000年後にはこの稲荷山のすべてに鳥居が建つことにになる」

 こうして千本鳥居の1本目が建つことになった。この話を聞いた嵯峨天皇は伊蔵に、
「ほう、わずかな水量の川でも荷物が運べるとは伊蔵も頭がいいのう~」
「いえいえ…ただこの船を鴨川に沿って上流まで運河(高瀬川)を作れば宮中まで直接船が入れます」
「ほう、ではその運河の近くに酒や味噌、醤油の工場を作れば画期的な流通になる」
「はい、それは今後の事として考えてみます」

 京に都が遷都されたころは都で消費される食料や酒、絹織物や日用品まですべて他国からの輸入に頼っていたが、わずか遷都から26年で洛中には工場ができて今度は各地に物資を輸出するという発展国になった。そこで淀港までの陸運からこの高瀬舟になり鴨川から淀川、そして大阪湾から全国に物資が運ばれるようになった。これで儲けた商人はお礼にと稲荷山に鳥居を寄進したというお話しでした。ちなみにこの千本鳥居の数は私と娘との調査では山の中腹の四つ辻までは798本、全体では約2万6千本と推定しています。

画像は若き頃の凛ひとえさん、音川伊奈利。この小説は98話まで書けています🦊⛩️


稲荷神社の狐が唐から持ち帰った中国の唐芋が薩摩に渡りさつまいもに、伏見稲荷大社の物語 69話

2022-10-10 09:53:45 | 日記
さつまいものルーツは稲荷神社の狐だった。禁断の食料として1200年も前にもあった中国の唐芋が薩摩に渡り薩摩芋 69話

 遣唐使の船は大阪の住吉神社の近くの住吉港から出発していた。船は4隻の船団でその一隻の荷物の間に紛れ込んだ一匹の狐がいた。そして無事蘇州港に着いた狐も首都の長安の町の調査をしていた。そしてその船団が帰国するというので狐は食料として畑に生えていた芋を蔓ごと船に持ち込んでいた。

 その帰りの船団のうち一隻が嵐で転覆していた。三隻の船は海に投げ出された乗組員や役人を必死に助けようとするがなにせ真っ暗闇で見当もつかない、そこで夜でも目が見える狐が人間の乗組員に化けて探して当てて一人の犠牲者もでなかった。助かったこの船の最高責任者の菅原道常(菅原道真の祖父)は、水を飲みつかまる板切れもなくもうだめだと思った時に真っ暗な海に吉祥天女が現れて浮遊物の方に誘導してくれたおかげて助かった。また他の乗組員も同じことをいっていた。

 そして夜目がきく乗組員に礼を言おうと探したが、これに該当する乗組員はいなかったのは当然になる。住吉港に帰って来た遣唐使の船から狐は降りて稲荷神社に帰ってきた。そして稲荷神社三代目の宮司の伊蔵に唐の旅の報告をしていた。この狐はフォックス警備保障の隊員で嵯峨天皇直属の諜報部員だった。狐は、
「いや~一隻が転覆しまして大変な目に遭いました」
「そうか~聞けば犠牲者が一人もでなかったのは吉祥天女のおかげだといっていたが、それはお主の仕業か?」
「はい、たまたま長安の寺で船の安全を守る「吉祥天女」の絵を見つけていたので、それに化けました」
「それはいいことをした。で、唐と宋の戦争の気配は?」
「はい、どうやら戦争は避けられそうもありません。それに唐の政治は民衆に嫌われて宋の国が政権を取ると私はみました」
「そうか~それなら唐の国への遣唐使はもう中止にして遣宋使の準備をしなけれは…」

 それから半年後の821年の秋になにやら狐が人間に化けて稲荷神社の多目的広場で落ち葉を集めて何かを焼いていた。そこを通りかかった伊蔵に狐が、
「宮司さん、もうすぐ唐芋が焼けるから食べていってください」
「うん…唐芋?初めて聞く芋だなあ~」
「はい、あの遣唐使の狐が体に巻き付けて持って帰って来た芋の蔓を植えたところ見事な芋ができました」
「ほう、これはいい匂いだ…」

 早速、伊蔵はこの焼いた唐芋を持って六条河原離宮の嵯峨天皇に献上していた。天皇は、
「ほう、これはほくほくして旨い、それに砂糖のように甘い…」
「はい、それにビタミンC、でんぷんも豊富で栄養価の高いものです」
「そか、しかし、この唐芋の栽培は難しいのか?」
「いえ、それが蔓から次々芋ができます。それにかなりの荒れ地でも栽培できます」
「ほう、それなら飢饉の時にはこれを主食にしたらいい」
「天皇、それがそうはいきません。実はこの芋が市中に出回りますと米の価格が一気に暴落します。そうなれば日本の経済が立ち行かなくなります」
「ほう、農民思いの伊蔵とは思えない考えだ…」
「米は日本の主食は元より、米と金銀、それに物々交換の交換レートの基軸になります。米は長く保存できるが唐芋は腐ります。それにもしこの唐芋が何かのウイルス性の病気で全滅してから再び米の生産をしても間に合いません」
「そか、稲作が日本に根付いたのが1000年前の縄文時代だとすればこの稲作のさらなる発展のためにはこの唐芋は邪魔になるのか…伊蔵」
「はい、その通りです」

 こうしてこの唐芋は根こそぎ焼かれて消滅したが、そこはそこで稲荷山の一角にある「禁裏畑」では天皇家のためだけに秘密に栽培されていた。そしてこの唐芋が日本の国に再び現れるのがこれから600年後の1400年~1500年ごろになる。そして唐芋は薩摩芋として薩摩藩の門外不出の芋となりこれも約200年間も秘密裏に栽培されていた。

 もしこのとき嵯峨天皇がこの唐芋を認めていたなら日本の主食は「唐芋」になっていたかもわからい。実際にはこの芋などを主食にしている国は20か国にもなるがこれは全て発展途上国になっている。TPPで安い食料が日本に入ってきて国民は喜ぶというが、この唐芋を安くて栄養があって栽培は簡単と手放しで喜ばなかった伊蔵の考えを日本の政治家も少しは見習ってほしい。

この小説「伏見稲荷大社の物語」は98話まで書けています。ツイッターは「音川伊奈利」で検索して下さい🦊⛩️

#ツイコラム 668
10月13日は #さつまいもの日 #栗よりうまい13里 普通の #さつまいも よりうまいのが13里半 #半信半疑 #下半身 #夫の愛撫 #半人前 #生半尺 #中途半端 はやめて〜😓
栗の💐花言葉は「 #私に対して公平であれ 」「 #贅沢 」
#ツイ川柳
・半端ない 私の人生 言ってみたい
伊奈利🦊⛩️


小説「西大路オールドニューハーフクラブ」結成6人衆 駆け込み寺居酒屋ポン吉 41話 オカマのイナコ

2022-10-06 09:39:44 | 日記
働く女性たち…「西大路オールドニューハーフクラブ」オカマのイナコ 老人女装6人衆 駆け込み寺居酒屋ポン吉 41話

 深夜11時ごろJR西大路駅近くの「駆け込み寺居酒屋ポン吉」のマスターの音吉に警察から電話があった。なんでも音吉が経営する「初音第一ハイツ」の101号室のベランダに干されてあった女性の下着が盗まれた、それを偶然向かいのマンションから見ていた住人が110番したという。この101号室を借りているのは老人女装の玉ちゃん(21話)でこの部屋を女装の衣装置き場と着替えと化粧室に使っていた。そこにたまたま女装姿の玉ちゃんも店にいたので音吉と玉ちゃんは部屋に向かっていた。

 そのマンションの前にはパトカーが2台とバイクに乗った警察官で8名ほどいた。それに各新聞社のチャーターしたタクシーが数台、もちろん野次馬も50名ほどいる。そこで玉ちゃんが立ち合い盗まれたブラやパンティーの数を警察官に教えていた。74歳の玉ちゃんとこの他にも干してあったピンク系の下着との因果関係を刑事らしき人に説明をしていた、玉ちゃんは刑事に、
「すいません、これすべて私のものではなくなんというか~クラブの会員の分も入っています」
「クラブって、玄関ドアに書いてある「西大路オールドニューハーフクラブ」のことか?」
「はい、この会の会員の多くが妻帯者で家では着替えができないためにこの部屋を借りているのです」

 こうして玉ちゃんは警察に被害届をだして解決はしていたが、家主の音吉はこの玉ちゃんらにベランダでの女装の下着を干すことを厳禁していた。この一件まではこの「初音第一ハイツ」のことを地域の人たちはバツイチハイツと揶揄していたが、今回の件から「お化け屋敷」とか「オカマハイツ」と呼ばれるようになっていた。そらま~夜に化粧して夜出入りするが、なんせ6人がこの部屋を利用しているので夜にはこのハイツ〜西大路駅近の店までの道路で頻繁にこの老人の女装を発見されていたからだ。

 この女装クラブの会長は30名ばかりの社員がいる商事会社の社長の玉ちゃんだが、この玉ちゃんのお世辞でも綺麗だといえない女装に感化された店の客6名で組織されたのが「西大路オールドニューハーフクラブ」になる。京都にも女装の店が数軒あるが、それは祇園や木屋町の歓楽街で往復タクシーを乗らなければならない。しかし、この店なら玉ちゃんが借りたマンションまでは徒歩5分程度で近所に住む会員には便利になっていた。

 このクラブの会員の2番手に入ったのが、これも妻帯者で60歳のキャサリンになる。このキャサリンも自家用車に女装グッズを隠して密かに楽しんでいたが、ある日、玉ちゃんが女装で店に来たことから長年の夢が叶ったと玉ちゃんの弟子になっていた。そしてこの2人からウイッグを借りて記念写真を撮る男がなんと多いこと多いこと?そしてその中からさらに4名が会員となっていた。

 こうなると不思議な物でこのお化けのような女装が女性客に大受けして店のブログや掲示板で今夜は誰が女装で店に来ると書けばその女装のファンが店に来るということになった。この会長の持論は、
「そもそも、動物のすべては男のほうが綺麗でお洒落になっている。ライオンも孔雀もそうだ、これは子孫を残すためにはどうしても雌の動物に愛されなければならないからだ。しかし、人間社会では男女の賃金差別で女は一人では生きてはいけない。そこで動物と逆転して女がお洒落をするようになった」

 しかし、これとはまた違う意見の老人女装もいた。モンローという66歳の女装は、
「私は、ただただ、女性の下着を身に着けたいという欲望というか?性癖になる」
また、69歳のアトムちゃんは、
「私は子供のころから母が目の前でスットキングを履いているのを見て育った。それはそれは綺麗な脚でそれが母そのものだった。その母が亡くなってからあの母の綺麗なストッキング姿にいつかはなりたいと思っていたが、それの夢が会長のおかげで叶った」

 ただ、この6名の中にはいわゆる「性同一性障害」と医者に正式に診断された人はいないしそれにすべて女性と結婚をして子供もいる。しかし、自己診断では私は性同一性障害という人は3名いる。

 この店の女性客の中には大手化粧品会社の美容部員も数名いるのでこのオカマ6人集はイオンの中の化粧品売り場や店で化粧の相談や指導も受けていた。さらに、大手のランジェリーメーカーの「フラワー」の社員もいるので年2回開催される社販の入場券をもらい一流メーカーのブラとパンツを市価の10~30%でゲットしていた。

 そんなころママの幸子が音吉に、
「マスター、マスターも女装すれば…私が化粧をしてあげる!」
「いやいや、俺はそんな趣味も性癖もない」
「でも、こんなお化け屋敷を認めたのは音吉どんよ!」
「いやいや、それは個人の趣味を尊重しただけで…みんなが楽しければそれでいい」
「それなら1回だけこのウイッグを被って」
と、こんな会話でつい音吉も悪乗りしたのが運のつきでその写真がLINEに掲載された。それを見た女性客から絶賛の声が届きついにこの音吉も「オカマのイナコ」として会員ナンバー7番をもらっていた。その写真が下にある。笑ってやってください。

私が最後に仮装の女装をしたのはコロナ禍の前です。それから3年…ハローウィンがやって来ました〜👸