こんにちは、テツせんです。
こちらは今日も戸外では、じりじりと焦げ付くような陽射しでしたが、
みなさんはいかがお過ごしでしょうか?
さて先日、ラジオ放送のなかで、癒しの唄を披露する歌手がゲストで出演していました。
その人はつらい心の病気を経て、
いまは歌手として癒しの唄声をとどけようと活動されているそうです。
放送のあいだに、リスナーからのメッセージが読みあげられる。・・・
Aさんのメッセージは、
「わたしも心の病で人間関係に苦しみましたが、
いまは、自然の中でゆっくりと暮らしています。自然はいいですよ。」・・・
Bさんのメッセージは、
「わたしは対人恐怖症で、
いまでも職場の近くまで行きながら、また家に帰ってきたりするようなぐあいで、
毎日がとても辛いです。
いつになれば良くなるのか自分でもわからないですが、
お医者様は薬を飲んで、ゆっくりと待ちましょうと言ってくれています。」・・・
それに対してゲストの歌手は、
「そうですね、あせらないで、ゆっくり待ちましょうね。」と応えていました。・・・
・・・。
たいがいの医師やこの病の『先輩』がそう言うものだから、
みんなが、自分の内なる《了解不全 》や《関係不全 》をそのままにして、
『その時 』を待つという考え方をごくふつうの道程にしているようです。
だが、待っていれば 『その時 』がやってきてくれると語る根拠はどこにあるのだろうか?
そんなつごうのいい話を、しかもいつのことだかわからない話を
無責任によく言えるものだ、とおもう。
そしてまた、「嫌な世間をあとにして、大自然に抱かれて暮らす」ことが、
なぜ心の病を治すと言えるのだろうか?
たしかに目に映る碧い自然にかこまれた暮らしは、自分の気持ちのままにできて、
以前のように人間関係について、つらくなる局面は少なくなって、
強迫的な不安症状はそのうち前ほど頻繁にはあらわれてこなくなるかもしれません。
しかし、
それが心の病が治ったとはいえないことは、医師ならわかっているはずです。
病は正直なもので、心の症状が治まっていても、身体に症状があらわれるものです。
その人のものの考え方が変わっていないとすれば、
右脳前頭葉には病理のイメージがいつでも優先して表象されるために、
脳中枢のホルモン系がバランスを崩して身体に症状をあらわすわけです。
「大きなお世話です。 わたしはこの暮らしが気に入っているし、
あんまり堅苦しいことを言われたくないわ。」・・・
きっとこのように言われそうですが、
むろん、またそういう生き方もご自分の自由にちがいありません。
ただまあ、すくなくとも
他の人にこうした自己流の誤まった考えをすすめてほしくないとおねがいしたいのです。
若い人であればよけいに気懸かりだ。・・・
何年も薬を飲んで「ゆっくり待っている」ことが治癒を保障されるわけでもないとすれば、
《 意味なく無為に 》 過ごさせることが、
おそろしく罪なはなしではないだろうか?
それとも、みんなそろって遠くの山へ連れて行けばいいというのだろうか?・・・
.....................
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へ!
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その人はつらい心の病気を経て、
いまは歌手として癒しの唄声をとどけようと活動されているそうです。
放送のあいだに、リスナーからのメッセージが読みあげられる。・・・
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「わたしも心の病で人間関係に苦しみましたが、
いまは、自然の中でゆっくりと暮らしています。自然はいいですよ。」・・・
Bさんのメッセージは、
「わたしは対人恐怖症で、
いまでも職場の近くまで行きながら、また家に帰ってきたりするようなぐあいで、
毎日がとても辛いです。
いつになれば良くなるのか自分でもわからないですが、
お医者様は薬を飲んで、ゆっくりと待ちましょうと言ってくれています。」・・・
それに対してゲストの歌手は、
「そうですね、あせらないで、ゆっくり待ちましょうね。」と応えていました。・・・
・・・。
たいがいの医師やこの病の『先輩』がそう言うものだから、
みんなが、自分の内なる《了解不全 》や《関係不全 》をそのままにして、
『その時 』を待つという考え方をごくふつうの道程にしているようです。
だが、待っていれば 『その時 』がやってきてくれると語る根拠はどこにあるのだろうか?
そんなつごうのいい話を、しかもいつのことだかわからない話を
無責任によく言えるものだ、とおもう。
そしてまた、「嫌な世間をあとにして、大自然に抱かれて暮らす」ことが、
なぜ心の病を治すと言えるのだろうか?
たしかに目に映る碧い自然にかこまれた暮らしは、自分の気持ちのままにできて、
以前のように人間関係について、つらくなる局面は少なくなって、
強迫的な不安症状はそのうち前ほど頻繁にはあらわれてこなくなるかもしれません。
しかし、
それが心の病が治ったとはいえないことは、医師ならわかっているはずです。
病は正直なもので、心の症状が治まっていても、身体に症状があらわれるものです。
その人のものの考え方が変わっていないとすれば、
右脳前頭葉には病理のイメージがいつでも優先して表象されるために、
脳中枢のホルモン系がバランスを崩して身体に症状をあらわすわけです。
「大きなお世話です。 わたしはこの暮らしが気に入っているし、
あんまり堅苦しいことを言われたくないわ。」・・・
きっとこのように言われそうですが、
むろん、またそういう生き方もご自分の自由にちがいありません。
ただまあ、すくなくとも
他の人にこうした自己流の誤まった考えをすすめてほしくないとおねがいしたいのです。
若い人であればよけいに気懸かりだ。・・・
何年も薬を飲んで「ゆっくり待っている」ことが治癒を保障されるわけでもないとすれば、
《 意味なく無為に 》 過ごさせることが、
おそろしく罪なはなしではないだろうか?
それとも、みんなそろって遠くの山へ連れて行けばいいというのだろうか?・・・
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