心理カウンセラーの眼!

孤立無援の・・君よ、眼をこらして見よ!

沖縄の貧困化政策は米軍の占領戦略である!

2011-06-28 18:16:46 | 現代日本および世界

(1945年6月沖縄上陸から米軍占領統治六十六年の民主主義教育という統治パラダイムシフト)

こんにちは、のほせんです。
梅雨の季節にこれだけ気温が高いと寝苦しいし、
昼間は頭がぼーっとしますが、
みなさんはいかがお過ごしでしょうか?

育児相談で、
2歳の長男が1歳足らずの男の子に嫉妬して、叩いたり、
いつもくっついて母親を独占しようとするのが目に余るのだ、
というお話をうかがいました。---

たしかに子どもにとっても母親にとっても、たいへん辛い局面にあると申せます。
結論的なおはなしをすれば、
子どもは子どもなりに現実と折れあいをつけるほかないし、
母親は無理に負い目を感じて子どもに媚びることもないということです。

そこにはどのようなマニュアルもなく、
ただ互いに克服するべき母と子のものがたりの
避けてとおれない時間なのだということでしょうか。・・・

-------
またまたお話はかわりますが、
このまえ、
1945年6月に米軍が沖縄に上陸占領してから六十六年が過ぎたという報道がどのマスメディアにも小さく掲載されていました。

凄惨な沖縄戦の犠牲者は敵味方をふくめて墓碑銘をきざまれているという。
しかし、それはおおきな考え違いではないだろうか?

そこまでの「ゆるし」の思想のようなムードをひろげては 沖縄のひとたちにとって、
あの戦争の意味も死の意味もなにもあったものではないことになる。
「兵士に罪はない」という考えと、
無差別艦砲射撃で一般人を殺戮したこととはおなじ位相で語ることはできない。

ただやみくもに「慈悲深き平和」思想でうすめられるとき、
そこにはむしろ犯罪的な戦争行為までを「ゆるし(正当化)」て
「何ごとも無かったかのように」繕おうとする戦争指導者の意図が見え隠れする。

それは敵国だったアメリカ軍の占領統治にとってとても「都合のいい思想」だからであろう。

いまだに
米国政権は自分たちが正義であって、何も悪いことをしたとはかんがえてはいない。
またそう思わないと自分たちの非道な戦争行為を正当化できないはずだ。
そういう水準でいえば、どちらの国にも言い分はあるにきまっている。

しかし大義名分はどうあれ、いずれも帝国主義の戦争を押しだしたことにかわりはない。
どちらに正義があるかではなしに、(たとえばナチスを絶対悪だときめつける思考ではなく)
どちらの国においても、戦争を起こした本質的な原因は、
当事国の指導部が国内問題を克服できずに対外戦争に走ったところにこそある。
すなわちいずれの国にも正義など名分でしかなかったということである。

その結果、敗戦した帝国日本にアメリカ軍が占領統治に入ることとなる。

そしてその後に米国から名目だけの「日本独立」のシールをもらったけれども、
実質は占領統治が戦後から現在までずーっとつづいていることを
保身に走った政官指導部周辺以外のおおくの日本人は、毛ほども気づいてさえいない。

保身の為に国を売った指導部を傀儡にした、米国の巧妙な手綱さばきによって、
沖縄戦の「平和・ゆるし」的な思想的プロパガンダが浸透したおかげで、
いままで日本人を「独立・自由」だとおもわせることに奇跡的に成功してきたのである。
なぜ奇跡なのかというと、
世界のどこにもこんな、おめでたい国民は存在しないからである。

占領軍のプロパガンダが日本人にこれほど圧倒的に浸透した要因は、
マスメディアと義務教育をとおして、
若者たちや子どもたちに明るい、豊かな未来を
「民主主義教育」を媒介にして平明にさし示したところにある。
占領軍がさしだした明確な未来像は、 敗戦後の
「なんの希望もなく、未来に飢えた」日本の若者たちの心をつかんで離さなかったのだ。

なかでも子どもたちは、ただ無邪気に屈託なくそれを吸収していったのである。
それはある種の欧米諸国におけるキリスト教のごとく、なんの懐疑もなく
信仰のように子どもたちのすみずみにまで浸透されていった。

日本国内では民主主義といえば「ニッキョーソ」の専売のようにいわれてきたが、
そんなところに本質的な問題などなく、
むしろ専売であるように自分たち(左翼政党、日教組、進歩的知識人)が錯覚しただけで、
米国の占領統治のもとにあった政策としての
「明るい豊かな未来とイコールな民主主義(教育)」という
イメージ戦略であることを見抜けなかったばかりか、
お先棒をかついでまわった日本左翼の限界をさらしただけのことであった。

だから
占領軍の「民主化」から「反共防波堤化」への転換を前にした左翼・知識人たちの、
貰い下げの民主主義をだかえたままの「反米」運動に
欺瞞性をかぎつけた国民が離反していったということであろう。
こんにち、
巨大労組が独占資本と癒着して補完するだけの欺瞞組織にまで「堕落できる」わけは
その生い立ちにあるといえる。。・・・

それ「アメリカ流民主主義」が
占領軍の統治のための政策であり、戦略的キーワードである証左は、
いまでは米国グローバルマネー至上主義として本性をあらわにする、
その相貌によってあきらかであろう。

いまやアメリカ合衆国の国内において、どこをさがしまわってみても
「本当の民主主義」など見つけがたいと告発報道されている。
アメリカ流民主主義とは、
あるときは占領政策のために、
あるときは対外戦争をしかけるために、
あるときは大統領選挙の勝利のために、
国民や世界の人々を言いふくめるうえで、
「ためにする」だけのきわめて便宜的で、
「正義?」のプロパガンダとして効果的であるというだけの米国権力サイドのの戦略的概念である。
そしてそれこそが、
いつでも自分たちの権力のおもいのままに「加工自在の概念」であることが担保されている。

そういう点では民主主義は「世界に冠たる発明加工品」といえるだろう。・・・

------
すこし熱が入りすぎたようで、ここらではなしを元にもどしましょう。(えへへ)

敗戦後の沖縄県民は、
「基地なんか無くなればいい! だけど、基地抜きでは生きられない!」
という、
まるで恋愛依存症の<共依存 > そのもののような“ジレンマ ”におかれて
大人も子どもも戦後のある時期まで生活してきたのである。

だが、いまではもう「基地頼り」だけではとてもやっていけない経済規模になっていて、
しかしいっこうにくらしは楽ではないし、
かといって精神的にはのほほんとゆたかにくらせているのかというと、
観光ガイドポスターが見せるようなくらしがあるわけではないのだと、
彼の地の友人は話してくれる。

そしてかれは、
こうした地域的差別をかかえた地方ほど、
政治屋が顔を利かせるスキがおおきくあいていて、
要りもしない案件をぶちあげてはその利権にあずかろうとするものたちを配下において、
また次の案件をさかなにして太っていく構図ができていく。
基地の移転という「問題」も、
内実はいつもそんなことがからんでいるものだともおしえてくれる。

沖縄の六十六年がまたまた「平和の情緒」だけの式典によって一日で幕を閉じられたことを、
かれは、「許しがたい!」と吐きすてた。

何も変わらない時代が だらだらと時をもてあそぶことを くりかえすだけだ!

この国は もう だめなのか? 

わたしはかれの憤りに すぐには こたえる言葉をもちあわせていない。・・・

------
以前のブログ「沖縄米軍と日本の大衆像」を参考にしていただければさいわいです。


...........................................

今回も読んでいただきありがとうございました。
ブログ記事は公開している以上、オープンですので自由にご利用してください。

あなたの推薦クリックを毎回よろしく願います!
人気ブログランキング へ!


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 切羽つまる被災者のなかの格... | トップ | 東電福島原発事故に何もまな... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

現代日本および世界」カテゴリの最新記事