ダークなつぶやきもある。人間だから。

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

過去の離婚4

2017-12-07 14:09:12 | 日記
本当にボロボロになってしまった。

まもなくして私は離婚しました。

普段あんまり、
話さなくなった元旦那と話し合って。

毎日一緒にいる 
お義父さんお義母さんに嫌みをいわれてもかばってもくれない見て見ぬふりするあなたが一番嫌いでしたと
私にはこの環境自体つとまらなかった。器用にできなかった。 
私には自営業の妻はできなかった。
あなたのこともわかってあげられなかったと
謝った。 
向こうのいいぶんもうけとめて聞いた

泣いていた。私も一緒になって泣いた。


思えばいいときもあった。
別れるときにいっぱい思い出すもんなんやな。 
なんでこうなった。8年間。
出会って10年間。




顔もみたくなかったし話したくなかったけど、お義父さんお義母さんにも話しました。
離婚するのはなんとかならんのか、、
とか色々言われたけど私が言った言葉はもう二人で話してきめました。
お世話になりました。長生きしてください。のあいさつ だけしました。
最後まで私を見る目はかわらなかったな

まさか自分が離婚する運命だったとは思いもしなかった
でも離婚した





そして私は実家にかえることにしました。
心は常に満たされない。
方向の転換
すぐには前向きになれなかった
自分できめたことなのに。

最初はただ引きこもり。
あの頃の嫌なこと言われたこととか
フラッシュバッグして泣いたり
どうしてできなかったんだっと
また常に自分をせめつづける
悲劇のヒロインみたいに

やっぱりまだ不安定だ。

32歳にもなって私はお母さんと寝ていた。
病院にも通っていて、
先生に早く治りたいんですがどうしたらいいですか!
焦ってはだめだといわれた。
今は休む時期だと。

でも焦る。
働いてもないし
一からやり直しだし、
これからどう生きていけば、、、

しかし早く治るように今は休養しよう。
色々考えずに休もう。
と自分にいいきかせた。

お父さんが皆で遠くにいこう!っといってくれた北海道に連れていってくれた

友達家族いっぱい話聞いてくれた
私が変なとき、今変だよと教えてくれていた
それで今私変なのかと自覚できていった

本当に本当に助けてもらった




それから何ヵ月かやすませてもらった。
だんだん前向きに考えれるようになってきた。
解放されたんだ自由なんだ私はなんでもできる 少しずつ前向きになっていった

でもずっと甘えてられない


そして私はまず職探しにいきました
何ヵ月もニートで家族に迷惑かけたから自立しないと!が真っ先に浮かんだ! 

仕事も一からみつけるん何がしたいのか色々携帯で調べた
働くことは嫌いじゃない
でも無理をしやん程度のリハビリ的なやつからやろうと思った


体を動かすこともいいみたいだから事務作業はダメだ
日用品売り場の品だしからしようと思った。あんまり人と話さなくていいし新店舗だし社会保険はいれるし正社員じゃないけど、やってみようと思って面接にいって採用になった!

再スタートだ。

すぐ働きたかったので次の日に働くことになった。
仕事で白いシャツと黒いズボンが必要だったので近くのイオンタウンに妹といくことにした。

台風の日だった。

ついて、妹がトイレにいったので、一人でユニクロでシャツを探していたら、3mぐらい離れたところに
見覚えのある身なりの男女がこっちに向かって歩いてきた。
手を繋いで。
それは元旦那と元旦那の同級生の女だった。 女は面識がある人だった。
綺麗な人



向こうはまだきずいてない。
私は隠れることもできずただみていた。
まもなくして向こうも私にきずいて、
パッと手を離した。

そしてお互い何も言葉をかわさず目線だけあってガン見して去った。

私は心がギュっと締め付けられるなんともいえない感情がブワッときた。頭にまたちがのぼる。
この感情は怒りやった

私はそんなに寛大な性格でもない

別れてからすぐ幸せになってね!
なんて到底思っていない


別れたから恋愛なんて自由やし 
憎くて嫌いで別れたのに 
本当にぶつけることもできないなんともいえない感情になった

私が新たなスタートを出発する時にみたくなかった。なんて私は運がわるいんだ
また頭の中にぐるぐる

考えてたら腹がたって、
離婚した時から一切連絡とってなかったのに、元旦那にラインしてしまった。


[台風の日に○○市のイオンタウンに足を踏み入れるな]


あとから思えば笑える
しなきゃよかった。と思ったし大人げなかった。でもカッとなって、送ってしまった。
返信は[ゴメン]やった
 
そのあと妹に話して、なんでラインしたん。アホなねーちゃんでも気にしやんときっていってた。 

それから元旦那とも連絡することもばったり会うこともなくなった。


離婚を経験して
結婚とはなんなんだろう
最初は好きでたまらなくて一緒になったのに、歯車がおかしくなっていつのまにか修復できないくらいになって
私が我慢すれば済むだろうと思っていたことが結果的に皆が傷ついていた
相手のことも私は考えていなかったんだ
私がどんだけ辛いかしか考えていなかった 相手を支えることもできなかった
甘えていた部分もあったんだと思う。
私が私はと考えすぎていたんだ。
相手だけじゃなくたくさん悪い部分もあった受け止めよう。  
強くなった

さようなら
過去の私



おわり



















 

過去の離婚3

2017-12-07 12:14:57 | 日記
そして私はますます思考が変になった

私って一体何のために結婚したんだろう
何のために生きているんだ

仕事も休まず行っていたけど、
行けなくなった。行ってもいつもしていた仕事がこなせない。
要領よくできない。
いつもみたいに愛想笑いもできない仏頂面

お義父さんお義母さん、
そんな私を演技だといった 

 本当に鬱の人はそんなんじゃない
勘弁してくれと

あの頃は私はそんな事いわれても申し訳ない気持ちでいっぱいでした。 

ヨーロッパ中国ニュージーランド旅行東北旅行安心していきたいですよね。
すいません。 

私は全然鬱とは思っていなかった。
私が頑張ればいいことだ。と思っていた

たまに行けなくて休んでも、
自分はなんてずるいやつなんだ
ずる休みなんかして最低や
と1日布団で泣いていた。


しまいには、おねしょをするようになった
おねしょしたくないから
あんまり寝れなくなった 

夜中に太鼓の音がきこえる
なんでかな
隣の人が太鼓はじめたんかな夜中やのにおかしいな 変なの
と訳のわからないことをブツブツいっていた




友達とも連絡しなくなった
会いたくないから誰にも
お客様も怖い 
人が怖い
何を思われんのやろ
自意識過剰になっていた

お風呂にも入らなくても平気になった
どんどんおかしくなっていった。

そして私の家族にもライン無視して家にこもるようになった。
仕事もどうでもよくなった
さすがの元旦那も心配していた。

病院いけば?って言われたけど、 

なんでいかないとだめなん?いたって私は普通です。 っと返した。

お腹はすくけど、うどん食べてるのに、なんで私のうどんは2玉はいっているの?全然へらないよ 
1玉だけど食べてるつもりでも食べてなかったからふやけて2玉にみえたんだ

体重も減っていった。

本当に気づいてないんです。
自分がおかしいってことを。
今までたくさん心の信号を無視しつづけたから


くらーい真っ黒になってしまった私を救ってくれたのはお母さんでした。

元旦那が実家に連絡してくれたんやと思う。 

またいつものように布団の中にいたら、朝お母さんがきた。訳もわからないまま外にでた。そのまま精神科の病院にいった!

なんで?私は行きたくない。
鬱じゃないから。拒否した。

病院行くんなら今すぐ風呂はいれるし勘弁してよと私は怒った。

でもお母さんは泣きながら、お願いやからあんたはおかしいよ体重も減ってお風呂も入らんおかしいと思わんの?病院行ってと私の腕をつかみながらいった。

私は鬱といわれたくなくて行きたくなかった。苦しかったけどそれ以上に私は弱い人間じゃないんだというプライドがあったから

それから一緒に病院へいって、すごく雰囲気が怖かった。 
待合室にいるとき先生にあった時に、私は何しゃべればいいの?

それから診察してもらって、鬱病だった。泣いた。まずは自分が鬱病だってこと認めてくださいといわれた。

ショックだった。


つづく















過去の離婚2

2017-12-07 11:16:54 | 日記
それからの私は今思えば
情緒が不安定になっていた。

私の何がいけないのかな
どうして上手くできないのかな


頭のなかぐるぐる

頑張っても頑張っても、
お義父さんやお義母さん元旦那は3人組で私はかやのそとって感じ

今思えば、あのときそうゆう考えしかできなかったみたい 


プラスの考え方の本
ポジティブの本 
精神を鍛える本
いっぱい読んだけど、だめだった
自分が苦しかったからよくなりたくてよんだ

いつのまにか人の顔色ばかり異常に気にするようになっていった

他人が近くで笑ってるのでさえ、私の悪口かなとか


しっかりしてるね奥さん!
いい奥さんだねー!

なんてたまにお客様から言われたりもしたけど、何も思わなかった
認めてもらえる人達に認めてもらっていなかったから

お義父さんお義母さん
元旦那の事は嫌いだけど、
どこか認められたかったから
日々一生懸命頑張ってたつもり

もしかしたら認めてもらえてたかもしれない 
でも私の心はどす黒く
なにもかも
負の連鎖




ヒステリックが過激になり
元旦那にぶつけていた
泣いて叫んだり
手がつけられなかった

今思えばあのときの 
私は最悪 
悪魔のようやった

今だから思うけど、元旦那は終わりのない怒りを聞かされてかわいそうだったって少しだけ思う

あの頃の私は日常の怒りを抑えきれない感じ。
完璧主義の性格ではないけど、自分のミスが許せない 小さなミスも流せない
相手の言動が許せない
怒りになる。それを全部ぶつけてしまっていた
こんだけ私は頑張っているんだから相手にも見返りを求める 
こんなことくらい聞いてよね。ってかんじ 
今思えば地獄やったやろな元旦那も。




だから夫婦中も完全に冷えきっていた
セックスも何年もなく夫婦というかんじもなくなった


それでも私はまだやりなおせる。 
愛されたい
と思っていたから8年も一緒にいたんだと思う。

そんな頃耐えきれなくなって、実家にかえることにした。
1か月くらい
元旦那がむかえにきてくれた。
帰った 
子供が拗ねたみたいなかんじみたいに聞こえるけど離婚する覚悟で本気で実家にかえったのに

私はむかえにきてくれたからってあっさり帰った

私が必要なんだ! 
あの店では私はなくてはならない存在なんだ!元旦那も少しは私のこと愛していたのね なんて考えていた。



なんでむかえにきてくれたの?
って帰りの車の中で聞いたら

世間体
お義父さんが離婚したらお店のイメージ悪くなる なんちゃら、、  

死ね

悪い言葉やけど本当に心から思った。

私は完全にアホ  
期待した私が悪かった。


つづく